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つちのこ症候群(仮)

我輩が思ったことをだらだらと書いております。
ご自由にコメントください。

(持論) 手を染めても、洗うのは足

2007年12月13日 02時07分09秒 | 持論
人から聞いた話。

つまり我輩の持論ではないのだけれど・・・

これはおもしろい、と思った事を思い出したので。





悪い事をすることを「手を染める」と言う。

悪い事をやめることを「足を洗う」と言う。

足を洗っても、手は染まったままである。






悪い事をやめても、悪い事をやっていたという事実が消えるわけではない、という事ですかね。

(持論) 何が幹で何が枝葉か。

2007年12月01日 03時20分37秒 | 持論
物事を判断するには、何が幹で何が枝葉かを見極めることが重要である。

優先順位をつける、と言い換えても良い。

仕事でも、勉強でも、遊ぶことでも、優先すべきこととそうでない事を区別した方が効率が良くなる。

というか、それがぐちゃぐちゃでは頭の整理など覚束ないだろう。



生活面だけではない。

情報においてもまたしかりである。

昨今の情報が溢れている時代では、必要な情報を取捨選択できねばならない。

その選択を間違えば、ロクなことにはならないからだ。

情報は基本的に発信者の都合で流されるので、どれが必要でどれが必要でないかは受け取り手が判断しなければならない。

マスメディアでも、インターネットでも然りである。



一言で言えば判断力ということになるのだろうか。

しかし、問題はその判断力をどう磨けば良いのか判然としないことだ。

(持論) データを提示してくる奴は我輩を騙そうとしている

2007年11月11日 03時23分37秒 | 持論
データを提示してくる輩は、すべからく我輩を騙そうとしている。

我輩はそのように考えている。



データを提示するのはどういう時か、考えてみるとわかりやすい。

我々は相手を納得させ、説得する場合にデータを提示する。

早い話が、相手に提示するデータは己が有利になるように利用するものである。

その時に都合の悪いデータは、できるだけ少なくするか伏せるようにするだろう。

ちょっとした、誰が考えても当然のようなものであればデータは必要ではない。

そうではない、つまり状況を変えたりひっくり返したりする場合にデータを提示するのである。

つまり、データを提示する相手は必ず含むところがあるということになる。



その場合、データに嘘があったり、仮にあったとしても相手に容易に見破れるものであってはならない。

そのために考えられる方法はいくつかある。


1:都合の良いことは本当のことをいい、都合が悪いことには言及しない。

 これならば嘘はついていない。

 本当の事を全て話していないだけである。


2:本当のことをたくさん並べて、ひとつだけ(重大な)嘘を混ぜる。

 他の事は本当のことを言っているので、疑わなくなってしまう。

 信用させておいて騙す、というやり方である。


3:真偽を確かめられない嘘を混ぜる

 余り良い方法ではないかもしれない。

 出所が怪しいと思ったら、疑いを持つからだ。



このような方法を使ってくるのは誰だろうか。

まず詐欺師やセールスなどが考えられる。

しかしそのような連中だけだろうか?

そんなことはないはずである。

我々とてごく普通にやっている。

周囲の人間を説得しようとした場合などに、ごく普通にやっているはずである。

ということは全ての人がそうだということだ。

つまり、データをしたり顔で出してくる奴を(というかそのような場合は)信用してはいけないということだ。

(持論) テレビ無用論

2007年11月08日 01時21分43秒 | 持論
テレビは果たして必要なのだろうか?

我輩は最近、テレビは不要であるとつとに思うのだがどうなのだろう。



テレビがあるとNHKがやってくる。

居留守や逆切れを使って払わない輩もいるが、我輩は素直に受信料を払っている。

というのも、何かのときにそんなつまらないことでケチがつくのは嫌だからだ。

(同様の理由で年金も払っている)

しかしテレビが無ければもちろん受信料を堂々と払わずに済む。

テレビがあると電気代がかかる。

我輩の部屋には無駄にでかいテレビ(トリニトロンの28インチ)があるのでつけていると電気代はかなり上がる。



しかしメリットが余り思い当たらない。

情報は流れてくるが、常に放送局のバイアスがかかった大本営発表である。

バラエティは、見なくてもなんということはない。

映画はそもそもほとんど興味が無い。

教育テレビの高校講座などは面白いが、それだけのためにテレビを持つには弱すぎる。



しかも、地上波デジタル放送に移行とやらで、今までのテレビが使えなくなるとかいう話である。

あれなどは完全に産業界の陰謀で、どうせ強引にテレビの買換え需要を作らせようとしているに決まっている。

実際のところ双方向放送によるメリットなど大したことは無く、また画質など少々悪くても(というか今の画質でも)何も困りはしない。



しかし、地上波デジタルに移行というのは実は良い機会なのかもしれない。

テレビを生活から排除するという機会である。

そもそもテレビに必要性を感じていないのだからなくても困らないのだが、なかなか踏ん切りがつかないので良い機会となるだろう。




あ・・・・・・ひとつ、困ることがあった。

それは、格闘技の中継が見れないことである。

(持論) 印刷物は信用するな

2007年10月29日 02時25分47秒 | 持論
印刷物は信用するな。

これは我輩が心がけるようにしていることの一つである。



遡る事数年前、化学の実験の時のことである。

「ビーカーを使って100ml測れ」という、触りの回の事。

皆は素直にビーカーのメモリで100ml測って、それから量りに載せていた。

我輩は天邪鬼なので、最初から量りに載せて水を注いで100mlぴったりに合わせた。

それを見ていた化学の教師が我輩に言った。

「よくわかってるじゃねえか。

 印刷されたものなんて適当だからあてにならねえんだ。

 印刷物は信用するなよ。」

と。

その化学の授業は実につまらないと思って適当に消化していたのだが、

そのことだけははっきり覚えている。



そして、その言葉は覚えておくに足ると、今では確信している。

新聞や文庫は言うに及ばず、たとえ専門書でも嘘が堂々と書いてあるのを目の当たりにしたからだ。

最近目立つ、食品の偽装表示などもやはり印刷物だ。

印刷された内容は、逆に言うとそれしか情報が無い場合に、その情報がたとえ嘘であっても確認する術が無い。

だから書き手は嘘を書こうと思えば、書き放題なのである。



現実では、我々が入手できる情報は常にそのような怪しいものである。

ということは、馬鹿正直に一方的に与えられる情報を信用するのは最早間抜けの域である。

気をつけていても、騙されるのだ。

気をつける事すらしなければ、嘘だけが頭の中に残ってとんでもない愚か者になってしまう。

しかしどうも、そういう愚か者はは案外多いのではないかという気がする。

まあ、我輩が愚か者でないという保障もどこにもないわけだが・・・。