■二つの「祖国」、揺れる心 日本代表・金城選手「血はやっぱり韓国人」

2006年08月10日 | 支那朝鮮関連
韓国選手の歓喜の輪は、やがて太極旗(国旗)を先頭にしたウイニングランになった。

「優勝したみたいやな」。横浜ベイスターズの金城龍彦(30)は、ベンチ前のさくに 寄りかかったまま、悔しそうな表情でそれを見つめた。 3月15日、米カリフォルニア州アナハイム。野球の国・地域別対抗戦(WBC)2次 リーグで日本は韓国に敗れた。日本での1次リーグに続く敗戦だった。 韓国系米国人の多い町で、スタンドは韓国への応援が圧倒的だった。似たような アウエーの雰囲気を、以前にも感じたことがあった。
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94年夏。韓国・ソウルの東大門野球場に金城はいた。韓国の高校野球全国大会 「鳳凰大旗争奪大会」が開かれていた。「韓国の甲子園」と言われるこの大会に、 日本から在日韓国人のチームが参加。3年生の金城も、その一員だった。
最初の試合で「おかしい」と感じた。観客からは自分たちへのヤジが飛び交う。スト ライクとボール、アウトとセーフ。審判の判定は不利なものばかりのような気がした。
「勝たせるな」という空気が、球場を包み込んでいた。

「ぼくらは敵なんやな」。初めて訪れた祖父母や父母、そして自らの「祖国」。日本を 出発する時の高揚感が、急速に冷めていく。準々決勝で敗れると、猛烈なホームシ ックにかかった。
祖国のことを知ってほしい、好きになってほしい。堺市に住む在日本大韓野球協会 会長の韓在愚(ハンジェウ)(36)は、そんな思いで選手を集め、毎年韓国へ連れて 行った。
審判ともめるのは毎度のこと。かつては観客から「パンチョッパリ(半日本人)」という ヤジが絶えず、ツバをかけられる選手すらいた。
「これで、母国愛って生まれるのか」。韓は自問した。年々、選手や資金集めが難し くなった。56年から始まったチーム派遣は、97年を最後に中断している。

アナハイムでの日本の敗戦。かつてプロ野球・近鉄に所属した金城の父、晃世(あ きよ)(60)はテレビの前で悔しがった。一方で割り切れない思いもした。息子がいな ければ、どっちを応援するだろう。「複雑やな」。晃世は何度もつぶやいた。
晃世は大阪で生まれ育った在日2世。日本は「お世話になっている国」と言う。「自 分の国」と言えば、韓国だ。祖国の伝統は大切にする。法事には必ず子供たちも 出席させた。自らは国籍を日本に変えることはないが、子供たちには本人の判断に 任せた。
金城は首位打者と新人王を獲得した00年に結婚。その後、日本国籍を取得した。 「ずっと日本に住むし、子どももいる。絶対、そっちの方がいい、と」 韓国に連敗した3日後。準決勝で日本は三たび韓国と対戦し、完勝した。「日本代 表の一人として世界の舞台で戦えることがうれしかった」と、金城は言う。
それでもなお、日本人になりきれない自分を見つめる。「血はやっぱり韓国人だから」。 今も帰省すれば、母の韓国料理に舌鼓を打つ。伝統を受け継いでいるという意識も 強い。「結局、中ぶらりんなんですよ」
韓国に住む韓国人、日本に住む日本人。何の葛藤(かっとう)もなく「祖国」と呼べる 人たちがいる。「ちょっと、うらやましい」と思う。(敬称略)

▽ソース:朝日新聞 2006年8月9日 34面

【在日】「『パンチョッパリ』と野次られ唾を吐かれた」…韓国の高校野球に出場した金城選手(横浜)の回想 [08/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1155213677/2-5


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