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慈恩の日々

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わがままこそ最高の美徳

2011-11-20 21:05:05 | 日々・感謝・思うこと
わがままこそ最高の美徳

詩人ヘルマン・ヘッセの著作のタイトルですが、どうしても忘れられない一言になっています

わがままという言葉から受けるイメージ、どこまでがわがままか、というのは人によって違うので、それを考えると「~してはいけない」といった価値観が実は、人の表現本能を縛りつけてる罠なのかな、なんてことを思ってしまいます。いわゆるしつけ、というものとか

自分を縛りつける無意識や思い込みの鎖というものも妙なもので、あまりにも当たり前に自分の思考を日常視しすぎていて本当に自己観察をしてみないと気づけないものもある

チョコレートが大好物のひともいればそうでないひともいるように、ある価値観で収まるひともいればその価値観があわないひともいるのは考えてみれば妥当でもあり

いわゆる集合的意識や部族的意識といったものに帰属できなくても自分の存在意義を見いだせる人は、どこにいても幸せになれるものなのかもしれない

自分はアインシュタインの考え方が好きなんですけど彼はどの集団にも心から帰属できなかったと明かしていて

彼の存在の視点から見るとこの世界の営みや国や組織の枠組み、規範といったものは違和感があり、ある意味とても独創的でユニークなものなのだったのではないか

そういったことを思うと手塚治虫やダヴィンチ、ニコラ・テスラといった過去の突出した人達の視点からみるとこの世界はどう映ってたんだろう、もの足りなかったのだろうか、そんなことを想像させられてしまいます

そういった人達も世間一般の完璧な偶像的イメージとは別に葛藤してもいたり人としての側面もあったりもして

その意味での共通的な問いかけは、「我ら人間は何処から来て何処にいくのか……?(クオ・ヴァデイス)」

かつての歴史上の哲学者、宗教者、作家、詩人、発明家、芸術家、開拓者、創始者、先駆者、指導者、軍人、商売人、家庭人、一般人そのものが営んでいる日常がどういった意味を持つのか

あるいは本当は「色即是空、空即是色」といわれるように全てはうつろい行く蜃気楼あるいは観測者に観察されるときだけ存在できる量子学のように、万物に決定的な意味そのものはないのかもしれない

そういった問いを皆何処かで抱いてまた、何処かへと去っていく

世の中の物事は細分化されて複雑にも見えるけれど答えそのものはシンプルに帰決していくのでしょうね。幼子のような明快さをもって

その無邪気さがヘッセの言いたかった、わがままというものかもしれません

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