
『血液と石鹸』
リン・ディン(米・越南:1963-)
柴田元幸訳
"Blood and Soap" by Linh Dinh (2004)
2008年・早川書房
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無気力な市民たちに活力と意欲を吹き込もうと、政府は話し言葉、書き言葉にかかわらず、センテンス一つひとつの終わりに感嘆符を付けることを義務づけようとしている。
たとえば
「雨になりそうだ!」
とか、
「眠らないと!」
とか。
また、今日では、キーワードの終わりから感嘆符を省くのも違法である。
しかし、キーワードは実にたくさんあるから、万全を期して、すべての音節において感嘆することにしている市民も少なくない。
たとえば
「わ!た!し!は!ひ!や!と!い!ろ!う!ど!う!しゃ!」
とか、
「こ!こ!は!で!ぐ!ち!で!す!か!?」
とか。
昨日も、妻との個人的な会話で 「前面の」 を感嘆し忘れた (そしてそれを警戒怠らぬ隣人に盗み聞きされた) 年輩の紳士が、次世代への見せしめとすべく、三十五年の重労働の刑を科された。
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ベトナム系米国作家、リン・ディンの2004年の短篇集。
どうにもアイロニカルな37篇。
出てくる人たちは皆、何かが足りない。
幸せのために不可欠な何かが。
その不足は、わずか12歳にして陥落前夜の首都を偽名で脱出し、アメリカへ逃亡したリン・ディンの幼少体験と無縁であるはずがない。
また、 「言葉」 をテーマにした悲しくも喜劇的な作品が多いのは、幼少期の外国(米国)生活の苦労が影響しているように思う。
生涯牢獄から出ることのない囚人が、牢の中にあった外国語の辞書を一生かけて研究する 『囚人と辞書』 。
生涯に渡って多数の生徒に架空の英語を教え続けた偽英語教師の物語、 『!』 。
どっちも、寂しさと同時に 「外国語って何だ?」 というリン・ディン自身の疑問が根底を貫く。
ただ、個人的には、あまりリン・ディンの生い立ちとは関係なさそうな 『非常階段』 が気になった。
アパートの階下の独身女性に思いを馳せるうち、いつしかストーカー化していき、家宅侵入に至る独身男性を描いた一篇。
その思考が狂っていく過程で、主人公はどんどんおかしくなっていく自身の思考に、まったく違和感を覚えないとこが・・・
怖い、そして、巧い。
あと、あれ好きだった。
架空の映画のインチキ評、 『ただいま上映中』 。
から、俺好みなのを2本。
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最悪の報せ(二〇〇三)八七分
黒人のグリーンベレー隊員が、<恒久の自由>作戦の最中、白人の戦友を殺される。
戦後彼は、白人の男の父親に会いにメリーランドの田舎へ出かけていくが、交差点で曲がり方を間違えてしまう。
(PG)★★★★
郵便配達は二度ベルを鳴らす(一九九六)七〇分
ジェイムズ・M・ケインの傑作ノワール小説とも、同名のアメリカ映画二本ともいっさい無関係な中国映画。
四十年近くにわたって毎日六百件あまりを回るなかでつねに二度ベルを鳴らす気のいい郵便配達人が退職するまでを描く。
(PG)★★★★
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ふふふのふ。
さらっとしてて好き。
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血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット) |
柴田元幸 | |
早川書房 |