
『犬が星見た ロシア旅行』
武田百合子(1925/9/25-1993/5/27)
1979年・中央公論社
1982年・中公文庫
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隣のテーブルの西洋人の男の子は、私が食堂に入って行くと指さして「チヨ子さん、チヨ子さん」と言う。
「チヨ子さん、カヨ子さん」とも言う。
母親が半熟卵を食べさせると、一口のみこむたびに「オイシイ」「モノスゴクオイシイ」と、わざとらしく言う。
(中略)
昼食。
西洋人の男の子が、坂野婦人の席に坐って動かない。
「ママが心配しているよ」と席を立つようにうながしても「ボクは四つでママは心配していない。四つで大きい」と頑張っている。
女給仕が戸棚から小さなりんごを大切そうに持ち出してきてあやすが、目もくれず動かない。
彼女は抱き上げて隣のテーブルへ移した。
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昭和44年6月。
武田百合子さんは、夫・武田泰淳(作家)とその友人・竹内好(中国文学者)のロシア旅行に同行する。
「つれて行ってやるんだからな。日記をつけるのだぞ」
泰淳の言葉に従い、現地で百合子さんは走り書きをしていた。
その走り書きは、手を加えられ、10年後に一冊の本になった。
こんなステキな紀行を、俺は読んだためしがないね。
2004年に百合子さんのムックが出版された時、百合子さんを評して「天衣無縫の文章家」というサブタイトルがついてたが、本当によく言い当てていると思う。
百合子さんの言葉には嘘がない。
飾りもない。
でも、惹きつけられる。
このロシア訪問は、夫・泰淳の死期を予感しながらの旅行なんだけど、そんなセンチメンタルな心情は作中ほとんど描かれていない。
唯一、旅行の途中、飛行機の都合でアルマ・アタ行きが取り消されて落ち込む泰淳を、途中まで百合子さんはおかしがっていたのに
「このしょんぼりとねてる格好。カマトトにもみえるけど-何だかカワイソウだ」
と声に出した瞬間、本当に可愛そうに思えて、涙がこぼれた場面。
この場面だけ、泰淳の死期を悟っての旅行であることが、直接表されているように思う。
本の最後にたった2ページだけ「あとがき」があって、旅行の後日談が書かれている。
この2ページは、全部読み終えてからたどり着くと、我々の胸にすっと沁みこんでくる。
ポツンと、愛する人に置いていかれた淋しさが、読んでいるこちらの体にも沁み込み、拡がっていく。
尚、旅行の同行者には他のメンバーもいて、関西から参加の銭高老人の存在感が光っている。
よく喋る老人だが、その発言内容はほぼ二つに絞られる。
「ほんま、えらい国じゃ、ロッシャは!」と、
「わし、よう知っとった。前からよう知っとった!」
このご老人、当時の百合子さんたちが知っていたかどうか不明だが、錢高組の会長である。
ともあれ、人は皆、最後は死んでしまうもの。
どう生きるかが大事なんだね。
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