
『社交ダンスが終わった夜に』
レイ・ブラッドベリ
伊藤典夫訳
”One More for The Road” by Ray Bradbury(2002)
2008年・新潮文庫
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もう遠くない、間もなくだ。
早熟ロス、好漢ジャック、型破りゴードン。
悪童クラブ。
無敵の三銃士、じゃなくて、彼を含めれば四人、四銃士か。
彼はリストを反芻した。
それにしても何というリストだ。
ロス、ハンサムな兄貴分。
ほかの三人よりすこし早く生まれただけの同い年だが、頭がよいのに、それを決してひけらかさず、教室から教室へ自転車でやすやすと駆け抜け、試験では苦もなく高得点を取る。
本の虫のうえ、フレッド・アレンの水曜のラジオの大ファンで、あくる日の休み時間には傑作なジョークをひとつ残らず再演する。
つましいながらも、周到なドレッサー。
上等のネクタイ一本、上等のベルト一本、上衣一着、ズボン一本、いつもきちんとプレスし、きれいにクリーニングしている。
ロス。そう、ロスだ。
そしてジャック、未来の作家。
世界に打って出て、史上最高の物書きになってやると豪語し、六本のペンを上衣にはさみ、いつでもスタインベックを超えられるように黄色い便箋を用意していた。
ジャック。
そしてゴードン。
女子学生のため息に送られてキャンパスを駆けた伊達男。
彼がちらりと目をくれるだけで、女性たちは樹木のようになぎ倒れたものだ。
ロス、ジャック、ゴードン、何たるチームだ。
速度を上げては落し、いまは速度を落としたまま、彼は車をとばした。
しかし、むこうはわたしのことをどう思うだろう?
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先月、レイ・ブラッドベリが亡くなったとき(正確には、翌日に遺族がレイの死を発表したとき)、相当ガックリきてしまった。
これで俺の好きなレイは、ついに3人とも居なくなってしまった。
3人とは、レイモンド・チャンドラー、レイモンド・カーヴァー、レイ・ブラッドベリのこと。
チャンドラーは俺が読み始めた時点で1億年前に死んでいたが、カーヴァーとブラッドベリは生きている間に出会えた。
(正確に言うと、ジャンルは違うけど昨年レイ・ハラカミも亡くなってしまったので、俺の好きな3人+1人のレイが全員この世を去ってしまった)
なんと言っても、ブラッドベリは80歳を超えても書きまくっていたのだ。
例えば、2006年には50年も前に出版した『タンポポのお酒』の続編、『さよなら僕の夏』を上梓。
その内容が、むちゃくちゃエヴァーグリーンなのだ。
当時86歳の爺ちゃんが書いてんのにですよ。
先月、訃報を知って真っ先に思い浮かんだのは、この短編集だった。
『火星年代記』のような大傑作では全くないんだけどね。
でも、本書の最初の1編、『はじまりの日』"First Day"を初めて読んだとき思った。
こんな気持ちを文章にしてくれる人はブラッドベリ以外に居ないと。
ストーリーはこんな感じ。
1988年のある日、チャールズ・ダグラスは朝食のテーブルで突然思い出す。
今から50年前、1938年の新学期の日に、悪友3人と交わした約束を。
50年後の今日、学校の始まる日に再び集まろう。
学校正面の旗ざおの下に、この4人で落ち合おう・・・。
「50年後の学校の始まる日、それが今日だ!すぐに準備して出かけないと!」
それを聞いたダグラスの妻は、朝食を用意しながら吹き出す。
誰がそんなこと覚えているのよ。
学校に行ったって誰も待ってるわけないでしょ。
しかし、ダグラスは悪友たちとの運命の再会を疑わない。
妻の言葉も聞かず、とるものとらず車に飛び乗る。
誰が忘れるもんか、あの盟約を!
はたして、そこでほかの3人は待っているのか。
それとも、誰もかれも50年前の約束など忘れ、淡々とそれぞれの生きる今日を過ごしているのか。
短編集としてのクオリィティはさておき(よー分からん作品もある)、『はじまりの日』は俺にとっては記念碑的です。
何も起こらないという事だって、ひとつの出来事なんだよ、という。
あとは、この短編集だと、『タンジェリーン』"Tangerine"も、トルーマン・カポーティみたいでだいぶ好き。
俺はこういうノスタルジー系にめっぽう弱いのだ。
『時の撚り糸』"Time Intervening"。
これも好き。
3分で味わう『リバー・ランズ・スルー・イット』みたいな。
あと、表題作『社交ダンスが終わった夜に』"After The Ball"は、邦題(装丁も)がとにかく秀逸なので、その分ロマンティックな内容を期待すると肩透かしを喰らうのだった。
なんじゃこりゃ。
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社交ダンスが終った夜に (新潮文庫) |
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