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思い出#3 市川新之助さん

2009-07-22 18:50:38 | インポート
ある夜、Bandがハネて、久し振りにメンバー全員で食事をしました。
地下鉄四谷駅近くの"白馬・White Horse"というレストランだったと記憶しています。
さほど広くはない店内に、一見して歌舞伎関係であろう10人ほどの人たちがいらっしゃって、その方たちと会話を交わし談笑しました。
その中のひとりのご婦人が、歌舞伎俳優の市川新之助さん、現在の市川団十郎さんの御付の方でした。
そのご婦人は、Mさんという方で、尊敬する詩人"草野新平さん"の妹さんでした。
それが縁で、寺本圭一さんのお店でのLiveの時に、新之助さんが遊びに来てくれたり、ホテルニューオータニで催された新之助さんの誕生日パーティで演奏させていただいたり、今、TVや雑誌などで市川団十郎さんを拝見するたびに、あの頃を思い出します。

人の縁って不思議なものです。
昭和55~56年頃だったと思います。
現在も発刊されている札幌発の月刊誌"月間○○"の記者と知り合いました。
彼はMさんの弟でした。







思い出#2 渋谷ブルボン

2009-07-19 15:09:52 | インポート
夏休みで北海道に帰省していた昭和43年7月24日、マユさんから一通の手紙が届きました。
渋谷の音楽喫茶ブルボンの6周年記念で、地階のバーに5回出演するオファーがあるのだが、君がいないと出来ないし、弱ってます。勿論、休暇中でもあることだし強制するつもりはないけれど、君がやれぬ場合は、この仕事はキャンセルするつもりだが。」と。
言外に「今すぐ東京に戻って来い!!」と言うマユさんの声が聞こえました。(笑)
現在なら携帯電話で・・・でしょうが、当時は東京で投函した郵便が3日後に着きました。
しかし、東京に戻るとしても、近くの空港からヒトッ飛びして、数時間後には東京にいる時代ではありません。
国鉄(JR)の"準急"つまり"準急行列車"で、東京まで3日かかる時代です。
母には「大学からゼミの研修の連絡があって・・・」などど苦しい嘘を言って汽車賃をもらって、翌朝一路東京へ向かいました・・・

マユさんとハモっている僕。
左にギターのネックが見えているのは英輔さん。ドラムスは吉井さんです。


続きは次回に・・・ネ・・・



思い出#1 マユさん、英輔さん

2009-07-14 05:50:41 | インポート
黛 登さん(マユさん)と宮治英輔さん(英輔さん)との思い出は尽きません。
お二人とも、現在は大きな会社の社長をされていますが、ご多忙のお仕事の傍ら、Countryを楽しんでおられます。
英輔さんは寺本圭一さんと、辻堂に在る片山さんのお店「ステージコーチ」でCountryを楽しまれています。

昭和39年~43年頃。
マユさんは、Bandリーダーで、Countryを歌い、DJもされ、作詞作曲もされていて、とても忙しい方でした。
音楽名"黛洋介"さんです。
マユさんのお宅がBandの練習場を兼ねていましたから、貧乏学生だった僕は、いつもお邪魔してはご飯を戴きました。
練習よりも"ご飯"が目的だったかも知れません。(笑)
もう一つの楽しみは、国立音楽大学や津田塾大学の学生さん達が、しょっちゅうCountryを習いに来ていたことです。
みなさん女性でしたからたまりません。
僕は、いつも邪悪な心で練習していたので上手くならなかったのでしょう。(笑)
邪悪な心は今も変っていませんが。(大笑)

南青山で、イベントのリハを撮ったものだと思います。
右から英輔さん。次は女性ニュースキャスターAさんと結婚したKさん。正面が12弦ギターを持つマユさん、一番左が僕です。ドラムスの吉井さんは陰になっています。
僕はグヤトーンのとんでもなく重いベースギターをかかえているので、英輔さんのベースギターを盗まれた後の写真です。



今は亡きマユさんのお父さん、お母さんには大変お世話になりました。
お二人ともとても優しくて、お父さんには「石川!! お前Bandばかりやっていて大丈夫か!!」と、よく言われたものです。
お父さんは某大学でフランス語の教授をされていました。
お母さんは、品の良い銀髪で、いつも柔和で、優しく微笑んでおられました。
本当に優しいお母さんでした。

夏の葉山の海岸で、Bandを終えた夜、浜辺で出来上がった曲が望月 浩さんが歌った「あいつにさよなら」で、ある日「これいい曲だろう?」と、マユさんがギターをつま弾きながらきかせてくれた曲が、後に奥村チヨさんが歌った「愛の泉」です。
当時マユさんは相当の数を作詞作曲されています。


マユさんはJohnny Cashから戴いたMartinを大事にされていましたが、時々弾かせてもらえるのが嬉しかったです。

続きは次回に・・・ネ・・・

Country Row

2009-07-12 01:34:48 | インポート
「MUSIC ROW」というWEBをご覧下さい。
Countryの情報がいっぱいです。

その中に、Countryの名ギタリスト・瀬谷福太郎さんの「カントリー四方山話」が載っています。
"(8) ムーン・マリカンとの思い出"に、僕の東京時代のBandのリーダー黛 登さんとベースギターの宮治英輔さん(後にリードギター)が登場しています。
(1),(2)に"チェト・アトキンスとの思い出"がありますが、その中のTVショウの写真に宮治英輔さんの姿があります。
1965年、東京厚生年金会館で、チェト・アトキンスのステージでベースギターを弾いていたのが宮治英輔さんです。
その時に、宮治さんのベースギターにチェト・アトキンスがサインをしてくれているのですが、その大事な貴重なベースギターを、僕がお借りしていて、何と!!何と!!留守中にドロボウに入られて盗まれてしまいました。
当時、僕はベースギターを担当していました。
宮治さんには取り返しのつかないことをしてしまったのですが、僕のカントリー人生は宮治英輔さんなくしてありえなかったのです。
今も大変良くしていただいており、楽しいお付き合いをさせていただいています。