てるてるTAKEの 独りごと

船の仲間をつなぐ、独りごとをブログに
のんびり おっちょこちょいのTAKEの独り言です。

実家の母を 叔母のもとへ

2013年11月19日 | 認知症 老齢の親
先日 何年ぶりかで

親せきの人とたくさん会った

その時に撮った写真を送った時に

手紙を入れて

叔母さんの家を バリアフリーにされたと聞いていますけれど

一度母と伺っても良いですか?


と 書いていた。

叔母さんからは 

どうぞ来てね。と 返事をもらい。

母と 伺うことになり。

叔母さんの娘さんも 母に会いたいというので。

今日 約束の日。

母を連れて 叔母さんの家に伺った。

何十年も前に 伺っただけで

私は その家に 行ったことがあったかどうか・・・

それも定かではなかったけれど。

新しい 車についている ナビで なんとかたどり着けるかな?と

出かけた。

約束のお昼頃に 近くにたどり着きました。と

ナビがいうけれど。

どうもそうではない感じ。

うーーん?と

叔母さんに電話。

どうも まだ違う場所にいるらしい。

娘さんと電話を変わってもらい。

ここは どこで どういう風に行くかを 聞き。

一応 住所をもう一度入れ直して(ナビに)

近くまで行った。

近いけれど やはり わからないのでまた電話。

どうも近いけれど

上手く説明できないようで。

いま 迎えに行くね。と

叔母さんが 近くまで迎えに来てくれました。

会えたね~~w


それが 正午過ぎで

早速お寿司をいただいて

それから 娘さんが聞きたいと話していた。

ルーツの話に。

ご主人の 仕事がらみで 去年あたりに

自分の 親、そしてその親と たどりあがって

ご先祖様の事 数人。もっと、それ以上と。

たどっていくと見えてくるものがあるとのことで。

去年、ご主人の家系図は 仕上がったそう。

娘さんは お母さんにその話をして

お母さんの家系図を 知りたがったけれど

一人っ子の お母さんは あまり 家系図のことはわからなかったらしい。

その家系で 近い位置にいるのが 私の母。

今なら なんとか 親戚の話や。

誰の夫が 誰で。

どの人と どの人が 兄弟姉妹で。

そういう関係の人が ここにはいる。と

説明できるのでは?と

その話を 聞きたいというのが 娘さんの願いだったらしい。



私にも関係する話を

時々は 母から(母も一人娘だった)聞いていたので

手助けになるような ヒントの話は 少しできたけれど

だいたいが 母と叔母とで あの話 この話

この兄弟姉妹は と 賑やかな 話になった。


それこそ 今のうちw

娘さんは

戸籍などによって ある程度の家系図を 仕上げていて

後は わからない部分の 家系図の 見取り図をしあげていた。


娘さんは ご自身の おじいちゃん おばあちゃんは どういう人だったか?など


という 質問も 母にしていたし。

母の 両親と おじいちゃんたちの 関係もしっかりと聞いていた。


私ではわからない事も

母でしかわからない事もあり

二人とも思いだせない名前なども あったw

私の姉がいたら 覚えているかも?と言う話にもなったけれど

残念ながら、姉は 仕事で 参加できなかった。


家系図が 完成したら

私にも送ってくれると 話してくれたので

楽しみといえば 楽しみw


漠然としていた 自分のルーツ が 形つくられている

って 文字になってそれを見たら

なにか 発見することも あると思う。


性格で似ているところは? などと言う質問もあり。

女4人で 呆れたり 笑ったり しゃべったりと

とても 賑やかな午後となった。


正午過ぎに お寿司をいただきながら

お家も見せてもらい

バリアフリーのきれいな 住まいもみせてもらい

お仏壇に手をあわせて(今日はなんと大叔母の命日だったそうな)

帰らせてもらったのは(お家を辞した)

夕方4時を過ぎていた。

ゆっくり あれこれ たっぷり 話しこんじゃってました。


ゆっくりしすぎて ご迷惑かけたね。と

母は 反省していましたけれど

私は 滅多にないことだから

いいかな。 良かったな。と

思っています。


 昼間は いいお天気で

寒い風は吹いていたけれど 充実の午後となりました。

 街路樹も すっかり色が変わって

黄色や 赤 緑と 色々な紅葉w


 車で 北区の 紫野あたりまで 結構距離もありました。


   ドライブw

   
  京都の行楽地は うんと多い人出でしょうねぇ


  金閣寺前も 通りましたよw


  TAKE



   

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