墨烏賊はCoolJapanな夢を見るか!

サラリーマン書画家`tenpow`が
日々のCoolJapanを書きます、描きます。

9月号 習作

2013-09-28 16:30:54 | 書道
9月の日本習字の課題。

十七帖(草書)「為簡隔也」(簡隔(かんかく)を為すなり。)

十七帖とは東晋の王羲之の作で、蜀の太守の周撫に宛てた書簡29通を集刻した法帖。
王羲之は、古典をやると必ず出てくる人です。
文人で書が上手いことで有名だったようですよ。

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中字「秋夜涼風起 天高星月明」(秋夜涼風起こり、天高く星月は明らかなり)

楷書と草書の並びの課題です。
楷書は六朝体と呼ばれる書体です。
始筆が強いこと、点が楔型になること、折れ曲がるところの打ち込み直し等に特徴があります。
楷書の書体としては力強い雰囲気が出て、とても好きな書体です。

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練習不足で、形の整い方やバランスがいまいち。


マン・オブ・スティール

2013-09-26 12:31:00 | 映画
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「存在意義」

新しいシリーズのスーパーマン。
これまでより、悩めるヒーローとしての描き方を強くした作品となっている。
バットマンの悩めるヒーローぶりを全面に描いた、クリストファー・ノーラン監督「バットマン・ビギンズ」からの3部作。
同氏が製作に絡んでいることからも納得の内容。

なぜ、スーパーな能力を持つ存在としてこの地球にいるのか。
なぜ、故郷のクリプトン星の同胞と戦わねばならないのか。
なぜ、同胞の血を絶やす役目を担うのか。

子供の頃の彼。
自身のスーパー能力に気づきつつも、いや気づいたからこそ「人を助けたい。」「役に立ちたい。」
そんな気持ちに、自らの存在意義を認識していたのではないだろうか。
犬とはしゃぎながら、洗濯物をマントに庭を駆ける姿から感じる。

地球人もクリプトン人も愛する。
違うものを受け入れにくい人類。歴史が語るように、多くの差別、それに伴う争いを繰り返してきた。
そんな人という存在が、姿形・能力などにとらわれず、互いに見つめあい、助け合うことができる。
彼の「存在意義」はそのためのものかもしれない。

誰しもが自分の役割、「存在意義」を感じたいと願いながら過ごしている。


あなたは、なぜ今そこにいるのですか?


スタートレック イントゥ・ダークネス

2013-09-25 12:52:29 | 映画
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「何が最善かは解らない。しかし、何をすべきかは解る」

スタートレックの新シリーズ第二弾。
初期シリーズの別次元の話として展開しているこのシリーズ。
作り直しの新たな形で今回も楽しみにしていた。

そもそも、テレビシリーズの「宇宙大作戦」は子供のころ。
転送、ワープ、など。
こんなすごい未来が描かれていて、わくわく感満載で見ていた。
私のSF好きは、ここに原点があるかも。

本作カークのセリフ。
最善かどうかを考えるより、今、やらなければならない事に突き進む。
とかく頭でっかちになり考えすぎる。
そして、行動に起こせない。
よくある事ではないでしょうか?
エンタープライズ号が地球に落ちる。
エンジンの故障を直すことが急務。
そんな中、危険を顧みず立ち向かうカークの姿。
冷静なバルカン人が感情をむき出しで戦う姿。

今に向き合い行動することの大切さを感じてならない。



WA

2013-09-17 12:42:53 | 書道
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「和」

この言葉、英語ではそのニュアンスを直接的に表す表現が無いようです。
従って、この和を説明する英語の研究論文では、「WA」と表現されるようです。

hamony … 調和
peaceful … 平和
japanese … 日本の
sum … 足し算

これらが合わさったニュアンスがあります。
我々日本人には、その雰囲気はわかりますよね。
この「和」こそが、震災時評価を受けた日本人の穏やかさの根幹にあるものですよね。
大切にしなければならない我々の心です。

世界的に見て、いい印象を持っていただいている我が国。
だから日本のこういった研究も多くなされているのでしょう。
「終戦のエンペラー」のような作品が、外国の映画として公開されるのもうなずける気がします。

外国人のみなさん。
日本を愛してくれて、ありがとう。



終戦のエンペラー

2013-09-13 12:48:55 | 映画
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「全ての責は、この私にあります」

進駐軍フェラーズ准将の視点から、終戦後の日本の戦争責任問題を見る本作品。
アメリカがこの映画を作った、ということがすごい。
「ラスト・サムライ」もそうでしたが、誤解無く描かれています。


中村雅俊演じる近衛文麿のセリフ。
日本人の本音ではないでしょうか。
「欧米諸国に追いつけ追い越せで、真似てきた。なぜ日本だけが責めを負わねばならないか。」
暴走してしまったこともまた事実であるが、植民地支配を行った国は、日本だけではなかった。

そんな日本人の感情をも飲み込んで、裕仁天皇のこの言葉。
「全ての責は私に!」
自責の念を持って、マッカーサーに接する陛下の姿は心をうつ。
それを受け入れ、この国のためにと手を差し伸べるマッカーサーもまた然り。

「日本人は誰かのためなら、どんな残酷なことでもできる民族だ。」
と、その忠義の国民性を説く鹿島大将。
フェラーズに語るその姿もまた、自責の念からであろう。


自らの非を認めてはならない。強く勝利を手にするならば、攻めの姿勢であることが重要。
よく言われることである。
しかしながら、この作品から自責の念は、活路を見出すものであると感じてならない。