OPERAのひとりごと。

気ままに書いてます。。。

振り回されない

2011-10-13 | Weblog
頭ではわかっているけど心がざわつく

恋愛問題だとなおさらだ

仕事にしてもプライベートのいろんな事にしても
友人に相談するより第三者に聞いてもらいたくなる
そしてなにかアドバイスが欲しい。

それが私にとっては占い師だった。
お金を払うことで割り切れる。
相手はやはり的確な言葉をくれる人が希望

言われた言葉は当たる当たらないではなく
その言葉を自分で解釈し参考にする

ところがいつの間にか欲が出てきてた。
もっと的確な良いものを

自分で解釈し参考に・・まったくしてないじゃん
バカな私

あまりにも人の言葉を求めすぎ振り回されている

で・・あなたはどうしたいの?

と自分に問いかけた

少しづつ見えてきた
素直に自分の気持ちを言葉にして言ってみた

本当にそうしたいのなら人の言葉に気持ちは揺らがないよね

いろんな事があったのもそういう事だと気づかせくれたんだ
アーまだまだな私

諦めない振り回されない
そういう気持ちが全ての夢を叶えるキーワードだな

気づかせてくれてありがとう

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どうなんだろう?

2011-10-01 | Weblog
神仏に手を合わす。感謝の気持を込めて。
その気持ちに迷いはまったくない


神仏はたくさんあっていろんな所でお祀りされている。

神職や住職。それぞれ使えている神仏がいると普通は思っている


神社仏閣で相談事をされている時はお使えしている神仏からの声を聞いて
伝えている場合がある

神仏が答えるのなら何処で聞いても同じなんだと思うけどそれは違う。
伝える人の伝え方によるのだろうか?


悩みのある人達は一筋の光を求めてくる人が大半
心が落ち込んでいる人にはそれなりの対応があるはず

たとえ結果が良くないのが見えてたり聞こえていたりしても
相談者に伝える時には相手を見てその人にあった伝え方をするべきだ。

「聞こえたとおりに伝えただけです。」という人もいるようだ
否定的な言葉をストレートには誰にでも言える。
事務的な言い方にさらに傷つく人達もいる

有料の場合、こういう対応はどうかと思う。
神仏もこの人達の行為はこれでいいと思っているのだろうか。


全てがこういう人達とは思わないけど
神職や住職に尊敬の心がなくなりつつある。
中には自分の立場を誤解されている態度をとる方もいる

まだまだ私の心に迷いはあるけど
感じた物を信じて手を合わせたい

この頃は  はもちろん
木々や川・空に向かって手を合わすのがOPERA流となってきた
自然に生かされていることに感謝。

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