辛い気持ちや苦しい気持ちっていうのは、誰もが抱いている。
僕が普段から感じるような「憂鬱」な気持ちや「自分が嫌だ」という気持ち、「人と会うのがおっくうだ」っていうのも、誰もが感じていること。
自分だけが繊細なわけではないし、自分だけが傷付きやすいのではない。
自分だけが落ち込むわけではないし、自分だけが人と会うのが辛いと感じるわけでもない。
これまでは、なかなかそういう風には考えられなかった。
何か嫌なことがあると、「どうして自分だけは、いつもこんなに辛い気持ちになるのだろう」的な思いを抱いていた。
それがとってもおこがましくて、それがとっても傲慢な考え方っていうことに気付いていながらも、そう考えずにはいられないほど、自分だけに関心が向いてしまっていた。
けれど「自分だけじゃないよなあ」っていうことに、最近考えられるようになった気がする。
サークルの人とより深い関係になれたり、彼女とより親密な仲になれたりすることで、これまでは自分だけに向いていたものが少しは他者にも向けられるようになり、「こういう気持ちは自分だけではない」と思えるようになった。
「自分だけではない」って考えられることは、とても勇気が出て、本当に良い考え方だと思う。
他者のことを知る・理解するっていうことは、とても高度な人間関係スキルだと思う。
他者を受け入れるっていうことは、精神的に成熟した人でなければ出来ないと思う。
だから、僕はやっぱりまだまだ出来ない。
他人に対して「大変だね、頑張ってるね、辛いね」って口先では言えても、本当は自分の辛い気持ちや苦しい気持ちのことの方でいっぱいで、本心からそういうふうには考えられない、余裕のない自分がいる。
自分以外の人もみんな、話を聞けば聞くほど、本当に大変だなって思う。
本当に頑張ってるなって思う。
辛いのがすごく伝わってきて、分かって、考え込むことしか出来なくなってしまう。
だけど、他人のそういう気持ちを認めるっていうことが、自分の現在感じている辛い気持ちをないがしろにされてしまうような感じになってしまって、素直に認められない。
他人がどれだけ大変な目に遭っていようとも、他人がどれだけ辛い気持ちを味わっていようとも、「自分が辛い」と感じる自分の問題のことは、何をさておいても「辛い」ことが現実であって、それは間違いない。
だから、「他人の気持ちに共感出来るようになった」といくら豪語しようとも、結局は自分の気持ちが一番大切になってしまっている自分がいる。
う~ん。