やっぱり自分はこのままでは生きていかれないと思った。
他人に対するものすごく攻撃的なこの気持ち。
憂鬱で仕方がないこの気持ち。
自分に対するどうしようもない絶望的なこの気持ち。
いつも同じことで、いつも同じところで、いつも心は刺激されて、それで憂鬱になっている。それでイライラしている。
苦しくて仕方がないこの気持ちを、何度も味わっている。
何度も味わっているけれど、一向に変わらない。
嫌だって感じる心は、憂鬱だって感じる心は、他人に対して攻撃的な気持ちになる心は、苦しいって感じる心は、いつも同じ。
いつも同じで、何度も何度も経験してきた。その都度、絶望的な気持ちになって、何もかも投げ出したくなって、それで僕は何度も過った行動を取る。
逃げたり、八つ当たりしたり、ひきこもったり。
今日もサークルで、幾度も刺激されたくない心の部分が刺激され、それですぐにに心がダメになって、不機嫌になることでしか自分を保てなくなって、一人になってはいけないのに、一人になれるように、逃げ出した。
そしてこの不機嫌さや自分のダメさに対する憂鬱をぶつけるものがなくて、ひたすら彼女に八つ当たり。
一体いつから自分はこんなにダメ人間だったのか。
一体いつから他人にこんなにも依存的な人間だったのか。
やっぱり変わらない。
何もかもが憎くて仕方がなくて、自分がこんな性格になってしまったことが憎くて、自分をこんな風に育てた環境が憎くて、自分の心を何度も刺激する現在の環境が憎くて、何でもかんでも反応して憂鬱になる自分の心が憎くて、もうどうしようもない気持ち。
一体自分は、何を求めているのか。
この憎しみや憂鬱、攻撃的な気持ちは、一体なにが原因となって、本当は何を求めてこんな状況になっているのか。
もう22年間も生きてきたけれど、やっぱり分からない。
自分が何とか生きていかれる術を求めて試行錯誤してきたけど、やっぱり自分が生きていかれる術なんてなかった。
だって、環境がいくら変わろうとも、自分自身がもとからダメだったら、どんな環境でも生きていかれないに決まっている。
自分自身がこんなにダメである以上、やっぱり自分はどこに行っても生きていかれるはずがない。
大学の就職活動支援ツアーで先週、東京に行った時も自分のダメ人間さだけを痛感して終わったし、サークルでも、自分の積極的になれなさだけを感じて、自分が刺激されたくないことを刺激されて、そういうポイントを何度も再確認して、それでその都度憂鬱になってそれで終わって、いつも同じ。
バイトでも自分の刺激されたくないことばかり刺激されるし、どうしてこんなに毎日憂鬱で仕方がない状況ばかりなのか。
理想が高すぎるからだ。
理想が高すぎるから、生きていかれなくなる。
「こうならなければいけない」的な気持ちが常に生きる基盤として存在しているから、そうなれない現実を実感する度に生きていかれないほどの憂鬱を感じなければいけない。
でも理想が高すぎるのは、理想を高くしなければダメだと感じながら育ってきたからだ。
そうしなければ何とか生きていけないと思ったから、そうせざるを得なかったはずだ。
僕は何にも悪くない。
そういう価値観を植えつけられるような環境で育ったから、そういう価値観を身につけてしまっただけであって、僕の責任ではない。
なのに、どうして今、僕がこんなに被害をここうむらないといけないのか。
おかしい。
とてもおかしい。
だから、他人が憎くて仕方がない。
いつも他人が憎くて仕方がない。
心の中に、いつもいつも憎しみがフツフツと渦巻いている。
これまでに日記全部見せてもらったよ~。
正直しんじ君の心の「闇」みたいな部分がここまで大きいとは思ってなかった。
話をするときは大抵フランクな感じで話してくれるからね。
俺のアドバイスなんか意味ないかな?とか思ってみたりw
今の自分を作り上げたのはそれまでの環境で、今の自分が気に入らないから悪いのは環境だ。
うん。これはこれで間違ってはないかもね。俺も環境が人間を作るって考え自体はあってると思うから。
でもそれが100パーセントの原因ではないよね?自分を創るのは自分以外にありえないんだから。
何が言いたいかって言うと、自分を変えれるだけの努力をしてきたのかな?ってこと。
俺だって嫌な事あればへこむよ。でもそれをプラスにする努力はしてきたつもり。
親との意見が食い違って隔たりができたなら、納得させられるだけの勉強をした。
大好きだったサッカーが怪我でできなくなったら、先に控えてた受験のために進学クラスに頼み込んで入れてもらった。全部決めたのは自分。
結局ね、自分の行動を決めれるのは自分だけ。
他の人にどれだけアドバイスを貰おうとそれを生かすも殺すもしんじ君の心ひとつ。
「その荷物は誰も持ってやる事はできない。自分で抱えるしかない。人間に支え合う事ができるのは荷物じゃなく、荷物の重さで倒れそうな体だけだ」
とあるゲームの一説だけどね。
俺にでもしんじ君がダメになりそうになった時に立ち上がるきっかけを作ることはいくらでもできる。
でもその「荷物」を支えて立ち上がることをするのはしんじ君自身だよ って意味かな?
あ~… なに言ってるのかわからなくなってきたw
まあ俺の言いたいことの半分でも伝わったら幸いです。
では長文失礼しました。
例えば、社交的そうな人達の輪の中にいると、
自分の存在が迷惑なんじゃないかと不安感とか感じたりとか、
あるいは、合コン(相手方はノリの良いもちろん初対面の人達ばかり)とかが似たような感情で恐かったりとか。
あと人ってほぼ全員が精神的に上か下かとかで人を見てるはず。
自分自身も相手をそう見てるって感じる時いっぱいあるし、
人も口には出さないけど、実際はすっごいそーゆう目でみてるなってのかなり分かるようになってきた
人間てみんな上か下かの闘争心でいっぱいなんじゃないかなと最近思ってきた。
俺が予想するに、
シンジ君の場合は下になってるのが嫌で、恐らく上になったとしてもなんか満足しないんではないかなと思う。
かなり精神的に高い場所を目指していて、そーゆう人間的なドロドロとしてるような段階を越えたいというか。
まぁ人間という生物自体が、
こーゆう闘争心とか荒い感情ばかりの精神的に進化が遅れた低いレベルのステートにある生き物であるからこそ、
地球もこんなに荒れてしまうんじゃないかとも思う
こーゆう人間の上か下かで見る性質とゆうのは越える事が出来るんだろうか?とゆうのは、
実は結構気になる疑問の内の一つだったり
返信が大変遅れました、ごめんなさい。
テオさんの生き方や考え方に、深く感銘を受けました。
「現在の自分の状況が悪いのは周囲の環境のせいだ、っていつまでも言ってもしょうがないことは頭では分かっているんだけど…」と、現在の自分の状況の悪さを環境に責任転嫁しつつも、『自分は決して全ての責任を周囲に転嫁しているわけではない、自分はずるくない』ということを、『頭では分かっている』という意識を持つことで自分の卑怯さ、ずるさを直視することから逃げてきたのかも知れません。
「自分を変えられるだけの努力をしてきたのか?」と言われれば、自信を持ってうなずくことはどうしても出来ない自分が存在する以上、自分の中に「甘え」や「ずるい」気持ちが無意識の範ちゅうで潜在しているの証拠なのかも知れません。
テオさんの言いたいことはしっかりと、半分以上、伝わっています。率直ながら、しかし非常に的を得た意見をありがとうございます。
遊びに行きましたよ。
まっすぐに生きている詩人メモリーズさんに、すがすがしい気持ちを覚えました。
>>たじさん
人が極度に怖いというのは、本当によくあります。
「怖い」という気持ちももちろんですが、その他にも「自分はここにいてはいけない」というよそよそしい気持ちや、「居心地が悪いな」という存在意義を見出せなくて不安な気持ちになったりすることが、大抵の環境においてあります。
たじさんの言われる「精神が上か下か」という観点に立っての人間関係のあり方の考え方には、本当に僕も同感です。
たじさんがご指摘なされるように、僕はそういう意味での立場が下になることが相手によっては苦痛に感じることもあるし、上に立っても、どうしても落ち着かない気持ちで常に不安感に襲われます。
たじさんが疑問に感じている、人間の可能性のお話については、哲学的な要素も強い思考分野ですね。
たじさんはわりと哲学にも興味をお持ちなのでしょうか?
僕自身は、自分の心の問題の正体が見えるまで、様々なジャンルの本を読み、その過程で哲学の世界にも少し足を踏み入れたのですが、どうしても理解が難しく、これは違うかな…などと感じたりしました。
僕の夢は…とても人に誇れるようなものではないけれど、いつか必ず現実のものにしたいと思っています。
mypaceさんには「夢」がないと言いますが、夢があるから頑張れるとか、夢がないから頑張れないとか、そういうのは考え方次第だと思います。
夢がないから頑張れないと思うのなら、夢を見つけるために日々を頑張ればいいんじゃないかなあと思います☆