つらつら日暮らし

「水無月」一考(令和5年度版)

まぁ、新暦に基づいて考えても意味は無いのだが、とりあえず今日は6月に入って中旬にもなってしまっているので、和名である「水無月」について、考えたいと思う。よく、梅雨に入っているため「水の月」だと解釈する事例があるようだが、それはやはり新暦に引っ張られている印象である。

何故ならば、江戸時代以前にはそういう解釈が一般的ではなかったためである。

○六月 和名をみな月と云、当月は雨ふりがたく、水なし月と云事也とぞ。
    三田村鳶魚先生『江戸年中行事』中公文庫、43頁


・・・普通に「水無し月」の意味で解釈されているのである。だが、三田村先生が引用されている『江府年行事』(享保20年)は珍しく典拠・故実への言及が無い。他の月なら『奥義抄』などの引用がされているのに、である。そこで、少し当方でも調べてみた。

万葉集にも六月をみな月とのみ旁訓ありて水無月などといふ字みえず、奥義抄に此月まことにあつくして、ことに水泉かれつきたる故に水なし月といふよりして水無月とは書始めしなり、清輔朝臣の農皆志つくるといふ義にれあれば、五月早苗植終りて六月は一番草・二番草とて稲苗植付し田の草をとり終りぬれば、農事みな志つきたる義にて、みなし月てふ意なれば、奥義抄の此説と水無月との説によるべき事なり、
    『古今要覧稿』第34「時令部」


いや、こちらも「水無し月」も推しつつ、「みな月」も推している。この『古今要覧稿』という文献は凄まじくて、江戸時代末期の屋代弘賢(1758~1841)によって編集された「類書」であり、全部で560巻あるという。なお、屋代は御家人だったが、国学者でもあり、本書は文政4年(1821)に幕命で編纂を始めたという。当初は、全1000巻の予定であり、560巻分までは作業を進めたようだが、屋代自身が逝去したことにより中断され、結果、遺された原稿を明治末期になって刊行したという。

そこで、屋代も国学者であるから、この一件についてもかなりの調査を進めたようだが、結果として上記一節の結論を見出したようである。他にも多くの文献や伝承を踏まえた上での結論なので、一応は尊重しておきたい。

つまり、当方としては「水の月」の発想を見ておきたいところだが、それが無く、「水無し月」か「みな月」だというのである。なお、現在の6月は、ほぼ旧暦5月に相当する(いや、2023年6月12日は旧暦だと4月25日になっているので、まだ連休にもなっていない)ので、5月だという前提で見た方が良い。

そうなると、全国的に、5月というのは確かに雨が少ないので、確かに「水泉が涸れる」という意義をも理解する必要があるかもしれないし、もう一方の「みな月」も面白く、一定の説得力はある。要するに、5月には農作業が一段落して、「農皆志つくる(農作業、みなし尽くす)」の意味だとされている。

どちらにしても、現在の6月を考慮すると全く理解出来ないことになってしまうので、注意が必要である。当方としても、もう少し検討したいと思うが、時間も時間なので、また次回(来年?)の課題としつつ、上記の説を紹介するに留めたい。

にほんブログ村 - ブログ村ハッシュタグ#にほんブログ村
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「哲学・思想・生き方」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事