なんじ仏子、皆信心を以て仏戒を受けし者、若しは国王・太子・百官・四部の弟子なりとも、自ら高貴を恃みて仏法の戒律を破り滅し、明らかに制法を作りて、我が四部の弟子を制し、出家・行道せしむることを聴さず。
亦復た、形像・仏塔・経律を造立することを聴さず。
統官を立てて衆を制し、籍を安きて僧に記せしめ、菩薩比丘は地に立ち、白衣は高座にて、広く非法を行ずること、兵奴の主に事うるが如くならんや。
而も菩薩は正応に一切の人の供養を受くべきに、而るに反って官の為に走使し、非法非律ならんや。
若し国王・百官の、好心もて仏戒を受くる者は、是の三宝を破るの罪を作すこと莫れ。若し故に法を破ることを作さば、軽垢罪を犯す。
第四十七非法立制戒
以上である。なお、この一条の読み解きについて、江戸時代の事例を参考にしてみたいと思う。
非法立制戒第四十七〈法にあらざるに制を立ることを戒るなり〉
国王大臣等、仏戒を受ながら人民を制して出家修行を許さず、堂塔等を建立せしめず、仏像・経巻を造ることを制するは、三宝を破するが故に制す、
●〔開縁〕悪人の出家を制すると、仏像を造て売を制するとは犯にあらず、
●〔通局〕在家に制す、但し出家も、若善を礙ふる、制法を立ば此内なるべしといへり、今時はさやうの出家多し、恥がましきことなり、
浄厳律師『菩薩戒諺註』延宝4年版、48丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める
これは、江戸時代初期から中期くらいにかけて書かれた文章である。浄厳律師とは、真言宗系の僧侶で、その時代の戒律復古運動などに寄与した人である。上記内容は、先に挙げた一条を適宜要約したものであるから、読んでおきたい。
まず、この一条の題目は、太賢『梵網経古迹記』からのものだが、「法にあらざるに制を立ることを戒るなり」としている。これは、仏法・仏戒などに依らずに制を立てることを問題視していることとなる。具体的には、国王や大臣といった、国の為政者が仏戒を自身で受けた仏教徒であるにも関わらず、他の民衆の行いを制して、出家することを許さなかったり、寺院などを建てることを認めなかったり、仏像や経巻を作ることを認めないということは、三宝を破ることとなるため、この一条があるという。そうなると、軽戒ではあるが、「謗三宝罪」にも繋がる可能性があるといえる。
それで、「開縁」とは、同じような戒めだが、それを立てることを許される場合を指し、具体的には、悪人が出家することを制したり、販売のために仏像を作ることを制することは許可するという。
また、「通局」とは、適用範囲ということである。この一条は在家向けの戒律であるというが、出家者に対しても、他人の善行を妨げるような制法を立てる場合には適用されるという。更には、そういう出家者が多いので、とても恥ずかしいことだとしている。
ところで、江戸時代は、新寺建立が禁止された時代でもあった。そうなると、仏教者の中には、そういう同時代の政策を批判した事例があるのかも?と思ったが、実際にそういう言動を見出した。だが、ちょっと個人的な研究に使いたい文献なので、紹介はしないでおこう。
なお、この一節を紹介したのは、ここに来てまた、政教分離の問題が少し、世間のニュースになっている印象を得たためである。上記一条などは、「政教分離」や「信教の自由」という観点から見てみても面白いかもしれない。
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