布薩
此れ律居の常式なり。此に云わく共住、又た云わく浄住なり。
○毘奈耶に云わく、裒洒陀、唐に言わく長養浄なり。謂わく、破戒の垢を除き清浄を長養するが故なり。意は半月半月に犯す所の事を憶えて、無犯の人に対して説露して前愆を異改せしむ。
一には則ち現在の更為にして遮る。
二には則ち未来の慢法を懲しむるが故に。
○毘尼母論に云わく、何んが布薩と名づくるや。答う、断を布薩と名づく。謂わく能く所作を断じて、能く煩悩を断じ、一切の不善法を断ずるが故に。又た云わく、清浄を布薩と名づく。
『釈氏要覧』巻下「住持」節
ということで、「布薩―つらつら日暮らしWiki」についての辞書的記述である。それで、「布薩」とは、律に則って居する場合の常式であるという。よって、普段から律に則るべきことを、「共住」「浄住」という。
それから、「毘奈耶に云わく」とあるが、この典拠となる文章は不明。ただし、意味するところは、「長養浄」であるというが、意味は、破戒したことによって付いた垢を除き、清浄を長養することをいう。更に、作法的には、半月ごとに、犯した罪を憶えていて、罪を犯していない人に対して自分の罪を発露し、それまでの過ちを改めるという。そして、現在、更に罪を犯すことを遮り、更には、未来に罪を犯すことを防ぐという。
それから、「毘尼母論に云わく」だが、これは『毘尼母経』巻3を指している。ただし、何故か文章の並びが違っている。
何故に布薩と名づくや。
断を布薩と名づく。能く犯す所を断じ、能く煩悩を断じ、一切の不善法を断ず、布薩の義と名づく。
清浄を布薩と名づく。
云何が布薩羯磨と名づくるや。衆僧、布薩せんと欲する時、衆中の最小の者、応に堂を掃き坐具を敷き香水を取りて地に灑ぎ灯を燃やす、此の如き諸事、皆な布薩羯磨と名づく。
『毘尼母経』巻3
いや、ほぼ一緒か。ただ、「布薩羯磨」という儀式のことが付記されているが、『釈氏要覧』はその部分を引かなかったのだろう。それにしても、引用してみるとその「布薩羯磨」が気になる。布薩の儀式だが、修行僧の中で最も新戒の者が、堂を掃除し、坐具を敷き、香水を地に注ぎ、灯明を点けるなどして準備するという。まさに、行者だな。
でも、これこそが「布薩」である。そもそも、守るべき「律」を得ていなければ、「布薩」しようも無いことも分かる。
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