己れが徳行の全缺を忖って供に応ずるは、街坊化主に報ずる所以なり。
功の多少を計り彼の来処を量るは、園頭磨頭荘主に報ずる所以なり。
『亀鏡文』
『亀鏡文』は元々、『禅苑清規』に収められているもので、同清規の著者である雲門宗・長蘆宗賾禅師によって編まれた。それで、或る意味この両句は、「五観の偈」第二句・第一句目の解釈法の1つであるといえよう。前後の文脈を読んでも、何故ここに、「五観の偈」の、それも最初の二句だけが使われているのか良く分からない・・・
その上で考えてみると、この二句は、自分が何故、このような観法(一応「五観」なので)を行うのか、その理由を考えていることになる。そして、その対象が、叢林の経済・経営を支えていた当事者であると思われる。
自分威信の行いに於いて、完全なところと欠けたるところを考えてから、その供養に答えていくべきだ、ということについては、「街坊化主」に報ずるためにそれを行うという。「街坊化主」とは、各地の街に行って、布施を募る専門的な役職で、分かりやすく言えば、企業に於ける「営業」を意味すると考えて良い。
当時は、そのような僧侶がいたのである。つまり、僧侶たちの食事を、当時の市民からの布施を行うことで賄うのが、この役職の者であったので、当然に、ただ食事をいただくだけの大衆は、よくよく自分を糺していく必要があった。また、功の多少を計り、彼の来処を量るというのは、この食事の食材などがどこから来たかを問うものだが、その対象として、園頭・磨頭・荘主を挙げている。これらの役職は、叢林の荘園や、その実際の農作業などを司る者である。
これも街坊化主同様に、大衆の食事をもたらす働き手であり、非常にその職責は重かった。
よって、大衆はこれらの役職の僧侶に、大きな感謝の念を向ける必要があったのである。転じて、そこまで徹底されていれば、実際に布施を募る役の僧侶も、粋に感じて努めたことだろう。道元禅師『典座教訓』に見えるように、坐禅や読経などの修行が一番だと考えるタイプの僧侶もいたことだろう。だが、先の二句は、そのような単純なヒエラルキー的発想の一切を否定し、生き/生かされている現状に、鋭く目を向けるものであるといえる。
道元禅師は、托鉢などをしないで、僧堂での食事を摂るよう、弟子達に勧めた。その背景には、こういった役職と、それが実際に機能している中国の禅林の様子を見たという理由があるように思う。
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