つらつら日暮らし

東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究6(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

臘八摂心、6日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。

それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。

 第六夜示衆に曰く、
 〈時に侍者、茶を行く〉建仁開山千光祖師、入宋の時、偶たま暑に中て癉を患ふ。一老翁有りて為めに茶を飲ましむ。癉、速やかに治す。因て茶の実を齎し来たりて禁廷に貢して、之を宇治県に種しむ。又、明恵上人に贈る。上人、亦た之を栂尾に種ゆ。故に千光・明恵を以て茶の祖と為す。
 夫れ茶の能と為るは、苦きを以て体と為す。故に能く心臓を養ふ。心臓、治するときは則ち四臓、自から平らかなり。
 明恵上人曰く、茶、能く睡眠を除く。修道の人、喫するべきものなりと。
 又、外に之を論ずれば、則ち心臓を養ふ。苦修を第一と為す。專ら精彩を著け、苦修、骨に徹するときは、則ち神気朗然たり。故に慈明曰く、古人の刻苦なる、光明必ず盛大なり、と。
 禅関策進に曰く、心を役して已まざれば果証を得る、と。果証は決定の義なり。是の故に、汝等、宜しく苦修を貴ぶべきなり。
 近頃、奧州に文溟和尚なる者有り。予に見えんと欲して百計すること六年、遂に来たりて掛搭を求む。
 予曰く、縱い賜紫の大和尚なるも、法眼未だ明かざれば、予に於いては小僧為るのみ。呵罵するとも、猶お未だ足らず。若し身に世儀を存し、意に尊大を抱かば、予に見えて何の益か之れ有らんや。
 曰く、某、誠に大法の為に、乍入叢林の一沙弥なり。請ふらくは和尚、慈悲を惜しまずに接得せよ。喝雷棒雨、豈に敢えて命を惜しまんや。
 因みに入室を許す。
 一夏九旬の間、刻苦精錬して、予の手中の棒を喫すること挙げて計ふべからず。果して我が宗向上の大事を契証す。行に臨んで長く弟子の礼を取ることを約す。然れば則ち、勇猛の一機、竟に法成就に至る。慎まざるべけんや。
    版本『臘八示衆』3丁裏~4丁表、原典に従って訓読、段落は当方が付す


第6夜の示衆である。ここでは、侍者が行茶をしたそうで、それを受けて、まず茶祖として名高い建仁寺開山・栄西禅師(1141~1215)の話をされている。これは、『喫茶養生記』に見られる一事なのだが、最初の入宋の時、栄西禅師は熱中症になったものの、或る老人が茶(クローブ茶)を飲ませてくれたため、治ったという。そこで、栄西禅師は茶の実を日本に持ち帰ってきて、宇治茶を始めたという。また、明恵上人にも贈られて、栂尾に植えたというが、これは『明恵上人伝記』巻下に見える逸話である。

そこで、茶の効能について、苦さがあるけれども、能く心臓を強め、その結果、他の臓器も活発になるという。明恵上人は眠気を避けるため、学人に茶を飲むことを勧めたという。その結果、激しい修行(苦修)を行うことが出来、雲棲袾宏編『禅関策進』(成立は1600年)を引用しながら果証を決定するという。

それから、後半は奥州(出身?)の文溟和尚という方の参禅記録となっているが、大法のためにただ身を惜しまずに修行した。そうすると、九旬安居の間、徹底して厳しい修行を行い、臨済宗の「向上の大事」に契ったという。第5日目も「勇猛なる衆生」としての修行を説いたが、こちらでも基本は同じ立場からの示衆であった。

なお、冒頭部分で「茶」についての説示があったが、臘八の摂心が6日目に及び、大衆も疲れてきたのだろうか。茶を振る舞い、改めて勇猛なる坐禅、或いは大法を得んがための不惜身命を示した、と思えば、とても分かりやすい示衆であった。

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