つらつら日暮らし

5月25日 その日京都は雨だった

今日5月25日、道元禅師が弟子の慧運直歳の行いを讃える機縁となった日でもある。早速、当該の文章を学んでみたいと思う。

 慧運直歳の充職は、乃ち延応庚子の歳なり。去冬除夜に請を承けて、今、供衆す。
 五月二十五日、梅雨霖霖として、草屋漏滴す。
 因みに、山僧入堂坐禅するに、照堂と雲堂と、両屋の簷頭、平地に波瀾を起こす。清浄海衆、進歩退歩、中間に兀立す。時に直歳に告ぐるに、匠人と等しく裰を脱ぎ笠つけず、屋上に上りて管す。雨脚、頂に潅げども辞労の色無し。
 予、潜かに発意を感ず、一句、他に与えん、と。
 乃ち、本祖の時、他を鑑憐するのみなり。爾して自り以来、月六箇を経、日、二百に将んとす。未だ工夫有らずも、其の意、忘れ難し。暑中に未だ筆をとらず、寒に至って墨を使う。是、則ち先仏の骨髄なり。一身の卜度に滞ること勿れ。
 吾子充職より已来、光陰将に一年に近づきなんとす。堂宇漸く数堵を成す。幸に是、縁成果熟の弁肯なり。或は、北方より来って下載、是、大なるを見る。或は、対面に玄機を呈す。尊子の励力為り、他の喜ぶ所なり。況んや、此の刹、道路深遠にして閑人到らず、唯、挑嚢の高人、畳足して至り、逞尽の英雄、出格入草す。耳に聞き心に喜ぶ、悉く是、白契を執って、祖父の田園を争わんとす。或は、修羅の相を現じ、或は、千手眼を具す。伝法継祖、誰か作者の能に非ずと道わん者や。
 供衆務力の句、有りと雖も、且く他に与うる一句、作麼生か道わん、「動は必ず百当、作は必ず十成」。
    『永平広録』巻8-法語6


禅宗寺院では、修行僧の修行が円滑に行えるように様々な役職を置く。中世以降、六知事・六頭首とされて、それぞれ6つの役になっている。今回ご紹介した「直歳」は知事の1つで、建物を修理したり、様々な器具を整備したりする役職であるが、道元禅師が知事の職責を示した『知事清規』という規則では、山門を巡回したり、盗賊から守るというような警備の仕事もあった。なお、直歳という名称は、この役職が激務のために1年交替だったことを示すともいうが、『知事清規』にその記述は無い。

今回、道元禅師が賞賛した慧運直歳の仕事は、まさに建物を修理したことに当たるが、法語を拝読する限りでは興聖寺の建築全般にも関わっていたようである。先の『知事清規』では、私心が無いようにして、住持と相談しつつ直歳が実質的に建物の造営で中心的役割となっていた。恐らく慧運直歳は、そうした技能を持っていたのであろう。

それにしても、旧暦ではあるが、1240年5月25日の京都は大雨だった。その中、屋根の修理を依頼された慧運直歳は、着ている法服などを脱いで、身軽に屋根に登って作業を開始した。雨で濡れるのも全く気にする様子が無く、道元禅師はそういった様子に感じ入るものがあったことが分かる。

そもそも、慧運直歳自体も、大工仕事が好きだったようで、こういった人材を適材適所に配置されていたのが、当時の道元禅師僧団だったのだろう。

さて、道元禅師は慧運直歳に一句を与えようとしたが、夏場には書かず、寒くなってから書いたとし、しかも、これまでの仏祖方のならいであって、道元禅師の都合ではないとされる。しかも、その一句は「動は必ず百当、作は必ず十成」というもので、その仕事は必ず結果を出すと賞讃したのである。

とりあえず、今日は京都に雨が降った5月25日に因んだ法語について採り上げてみた。そして、道元禅師の弟子のお一人について注目してみた。

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