つらつら日暮らし

令和5年の除夜(大晦日)

今日は大晦日、またの名は除夜である。「除夜」の名称の由来だが、「暦を除く夜」という意味などが提起されているが、「暦」に限らず、全ての古いものを新たに変える日だともいう。

ところで、曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200~1253)は、除夜に因んだ説法を残されている。道元禅師が開かれた寺院は、興聖寺・大仏寺(永平寺へ改名)とあるが、「除夜」の説法は全て、永平寺で行われたと推定されている。

①除夜小参 『永平広録』巻8-小参2
②除夜小参 『永平広録』巻8-小参5
③除夜小参 『永平広録』巻8-小参10
④除夜小参 『永平広録』巻8-小参14
⑤除夜小参 『永平広録』巻8-小参18


この内、明らかに永平寺で行われたことが分かるのは、②以降なのだが、①にも「所以に鷲嶺・鶏山・嵩山・黄梅・曹谿・南嶽・青原・石頭・薬山・雲巌・洞山・雲居・雪竇・芙蓉・太白の諸もろの大祖師、皆な以て山に居するのみ」とあって、「山居」を説くため、この時は永平寺(或いは大仏寺)で語られたものと思われるのである。

さて、今日は、上記の小参から、以下の教えを学びたいと思う。

 除夜の小参に、知事・頭首・大衆に謝し訖って、又、云く、
 菩薩発心して庫堂に入る。鼻孔高く穿げて飯の香ばしきことを得たり。
 時々の運水及び般柴、始めて永平大道場なることを覚る。
 記得す。
 趙州、僧有りて問う「両鏡相い向かう、那箇か最明なる」。
 州云く「闍梨が眼皮、須弥山を蓋う」。
 若し、是れ、永平に、或いは人有って問わん、両鏡相い向かう、那箇か最明なる、と。
 祗だ、他に対して道うべし。拄杖を拈じて云く、這箇は是、拄杖子、と。
 若し、老漢に向かって道ん、這箇は是れ、長連牀上の学得底、仏祖向上の道什麼、と。
 拄杖を擲下して、下座して云く、伏惟珍重、と。
    『永平広録』巻8-小参5


残念ながら年度は分からないが、「永平大道場」という言葉から永平寺に移られてからのものであることが理解できる。道元禅師が京都の興聖寺を出て越前に旅立ったのが寛元元年(1243)7月16日だったとされるが、それから大仏寺(後に永平寺へ改名)ができたのが寛元3年(1245)4月であった。翌年の寛元4年(1246)6月15日には永平寺へと改名するため、この除夜の小参が行われたのは寛元4年以降になる。

さて、上記の小参から分かることは、当時の永平寺で、道元禅師が役僧さんやその他の修行僧達を相手に、ねぎらいの言葉をかけていたということである。なお、除夜は知事や頭首などの各配役が拝請される時期だった可能性もある。

嘉禎二年臘月除夜、始て懐弉を興聖寺の首座に請ず。即ち小参の次、秉払を請ふ。初て首座に任ず。即ち興聖寺最初の首座なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻5


こちらは、嘉禎2年(1236)の除夜であったが、興聖寺で懐奘禅師(1198~1280)を頭首の一である首座に任命した時の記事となっている。他にも、以下の記録も残っている。

慧運直歳の充職は、乃ち延応庚子の歳なり。去冬の除夜、請を承けて今、衆に供すなり。
    『永平広録』巻8-法語6


慧運直歳とは、道元禅師の会下におられた僧侶で、延応2年(1240)の除夜に知事の一である直歳となった様子が分かる。つまり、除夜は配役の新旧を改める日でもあったのである。

さて、先の小参では、菩薩が発心して庫堂に入り、鼻孔高く穿げれば飯の香ばしいことを知る。そして、時々の運水及び般柴を通して、始めて永平大道場なることを覚るものだ、とされている。この部分は、典座の配役が変わった可能性を示すものだが、詳細は不明である。

その後は、「記得す」ということで、古則を挙げている。典拠は『趙州録』や『古尊宿語録』巻14になると思われるが、意味としては、2枚の鏡が向かい合っている時、どちらが明るいのか?と質問されている。趙州従諗禅師の答えは、そなたの眼の皮は、須弥山すら覆い尽くすだろうであった。結局は、分別に把われ何も分かっていないという批判である。

さて、この趙州禅師に因む問答について、道元禅師は自分に同じ質問をしたら、手に持つ杖を用いて説法する様子を示している。最初は、坐禅人の無分別を示したものだが、後者は更に「仏祖向上の道」への答えを求めているが、道元禅師は手に持っていた杖を投げ放って、座を下りられると、目の前にいる全ての僧侶に向かって、「ご苦労だった」と仰ったのであった。

◎除夜の鐘

「除夜の鐘」だが、拙寺でも実施予定である。

この日に鐘を108回撞く意味は諸説あり、意外と新しいともされる行事ではある。意味について一番良く知られているのが、108という数が人の煩悩の数であり、これを消除するためであるとも、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とする説もある。12月に「滅罪」を求める法会は、【「師走」の語源についての雑考】という記事で書いたが、「除夜の鐘」との関係も気にはなるが、良く分からない。

なお、108回の鐘は除夜ではなく、本来は毎日の朝夕撞かれるべきものであった。普段は略して18回に留められる。このように鐘を鳴らすことは中国宋代の禅林で行われ、『禅苑清規』巻6「警衆」には「慢十八声、緊十八声、三緊三慢共一百八声(訳:弱く撞くこと18回、強く撞くこと18回。それぞれ3回(18×3=54の2倍)繰り返して合計108回)」と記され、108回という回数が見える。

それが、「108」という数字と、「煩悩の数」とが習合して、縁起物としてのイベントに昇華されたが、江戸時代の臨済宗の学僧である無著道忠禅師は、それを批判している(詳細は、【除夜―つらつら日暮らしWiki】をご参照願いたい)。

撞き方だが、まず鐘に向かって合掌し、「鳴鐘の偈」として「三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道(さんずはーなん、そっくじょうさん、ほっかいしゅじょう、もんしょうごどう)」を黙念してから打つ。連続して打つと鐘に悪いので、1回打ったら間を開けるべきであろう。そして、108回のうち107回は旧年のうちに撞き、残りの1回を新年に撞くと良いともされるが、その辺は除夜の鐘を実施する各御寺院さまの方法に従っていただければと思う。

皆さまも、ご縁があれば除夜の鐘に足をお運びいただきたい。ようやく、今年は新型コロナウィルス対策も終わった最初の年越しである。是非、かつての方法をしっかりと行っていただきたいと思う。

スマホで煩悩を除去? アプリで突く「除夜の鐘」―ユニークな楽しみ方も(時事通信)

とはいえ、こういう楽しみ方もあるのかも知れない。

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