つらつら日暮らし

『正法眼蔵』「洗浄」巻の偈文についての一考

とある機会を得て、『正法眼蔵』「洗浄」巻を改めて読んでみた。そこで、「偈文」の配置について気になったので、記事にしてみたい。ここでいう「洗浄」巻というのは、分かりやすくいうと、禅寺に於ける排泄の仕方、トイレの使い方、ということである。道元禅師は、その辺の詳細を、『正法眼蔵』の一巻として提唱されたのである。ただの思想として『正法眼蔵』を読む人には、この辺、とても手が出せない領域だと聞いたことがあるが、それは『正法眼蔵』を思想としてのみ読む人が悪い。同著は思想書では無い。まさしく宗教実践書である。

話を戻すが、「洗浄」巻を見ていると、「偈文」の配置が気になる。ここでいう「偈文」というのは、我々が様々な行為をなすときに、一々、或る呪文のようなものを唱えるのである。例えば、このような内容である。

 つぎに、楊枝をつかふべし。今大宋国諸山には、嚼楊枝の法、ひさしくすたれてつたはれざれば、嚼揚枝のところなしといへども、今吉祥山永平寺、嚼揚枝のところあり。すなはち今案なり。これによれば、まづ嚼楊枝すべし。楊枝を右手にとりて、咒願すべし。
  華厳経浄行品云、手執楊枝、当願衆生、心得正法、自然清浄。
 この文を誦しをはりて、さらに揚枝をかまんとするに、すなはち誦すべし、
  晨嚼楊枝、当願衆生、得調伏牙、噬諸煩悩。
 この文を誦しをはりて、また嚼揚枝すべし。
    『正法眼蔵』「洗面」巻


これは、道元禅師が我々の歯磨き・洗面について説かれた「洗面」巻から引用してみた。それで、「嚼楊枝」というのは、「楊枝を嚼むこと」を意味しているが、楊枝とは現代風に言えば「歯ブラシ」のことになるので、ここでは歯磨きをするときにはどうすれば良いかが書かれている。そして、楊枝を右手で執ったとき、『華厳経』「浄行品」に書かれている「偈文」を唱えるのである。その「浄行品」には、141もの偈文が説かれていて、我々が行う様々な行為に対応して、「願うべき内容」が書かれている一品である。

ここまでで「偈文」について理解していただいたと思う。

それでは、「洗浄」巻ではどのように書かれているかというと、次の通りである。

  華厳経浄行品云、左右便利、当願衆生、蠲除穢汚、無婬怒痴。
  已而就水、当願衆生、向無上道、得出世法。
  以水滌穢、当願衆生、具足浄忍、畢竟無垢。
 洗大小便、おこたらしむることなかれ。〈以下略〉
 使籌・使紙ののち、洗浄する法は、右手に浄桶をもちて、左手をよくよくぬらしてのち、左手を掬につくりて水をうけて、まづ小便を洗浄す、三度。つぎに、大便をあらふ。洗浄、如法にして浄潔ならしむべし。
 つぎに、洗手すべし。〈中略〉一番あらひて、その水を小桶にうつして、さらにあたらしき水をいれて両手をあらふ。
 華厳経云、以水盥掌、当願衆生、得上妙手、受持仏法。
    「洗浄」巻


「洗面」巻では、一々の動作に関連して、「浄行品」の「偈文」が配置されているのだが、「洗浄」巻では、いきなり冒頭部分に3つの偈文が並び、後は、両手を洗うときにまた1つの偈文が挙げられるのみである・・・これはどういうことなのだろうか?拙僧つらつら鑑みるに、もしかすると、「洗浄」巻についてはもっと実際の作法に則した書き換えが予定されていたのではないかと想像している。

先ほど、例示した「洗面」巻には、先に挙げた75巻本系統と、それに到る途中段階の60巻本系統とが存在しており、先の部分に該当する箇所を60巻本で見てみると次のようになる。

 湯をえてのちに、楊枝をかむべし。
 華厳経浄行品云、手執楊枝、当願衆生、心得正法、自然清浄。
 晨嚼楊枝、当願衆生、得調伏牙、噬諸煩悩。
 しるべし、手執楊枝は、教菩薩法なり、晨嚼楊枝は教菩薩法なり。
    60巻本系統「洗面」巻


明確に違うことが分かると思うのだが、75巻本は作法として偈文が取り入れられていた。60巻本にもその形跡が無いわけではないが、厳密な関連付けは無い。そして、後者の様子と、「洗浄」巻はとても似ている。もう一つ傍証として、以下の一文も引いてみたい。

次に手に楊枝を執り、合掌して曰く、手執楊枝、当願衆生、心得正法、自然清浄。
即ち楊枝を嚼み、誦して曰く、晨嚼楊枝、当願衆生、得調伏牙、噬諸煩悩。
    『弁道法』


こちらもまた、75巻本同様に、作法の中に偈文が取り入れられている。以上のことから結論を導きたいがその前に、これらの著作がどのような順番で書かれたかを確認しておきたい。

・「洗面」巻:1239年10月23日 興聖寺
・「洗浄」巻:1239年10月23日 興聖寺

・「洗面」巻:1243年10月20日 吉峰寺

・『弁道法』:1244年7月18日~1246年6月15日 大仏寺

・「洗面」巻:1250年1月11日 永平寺


上記のように示されている。これを見ると、吉峰寺の時までに説かれていた内容には、偈文の作法への組み込みが不十分であり、大仏寺で説かれたもの以降は、偈文が作法に組み込まれていることになる。つまり、ここからはやはり、永平寺(当初は大仏寺)での修行とは、かなり厳格なものであったことが伺えると同時に、偈文を組み込むということは、言葉を口に出すことで、自らの修行を進展させる効果が期待されていたと思われ、或る種のマントラ化(密教化)もまた確認されるといえよう。

そして、もし、大仏寺以降にまた「洗浄」巻が説かれることがあったならば、偈文を組み込んだ作法が成立していたと推定される。

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