つらつら日暮らし

『慧日永明寺智覚禅師自行録』に見る授菩薩戒について

この永明寺智覚禅師とは、一般的に永明延寿と呼ばれる、中国法眼宗の僧侶である。あの『宗鏡録』や『万善同帰集』などを書いたことで知られていると思う。それで、延寿には『自行録』といって、自分が日夜行っていた修行について、108項目にわたり記した文献があるのだが、「菩薩戒の授受」に関する指摘があることに気付いた。

簡単に紹介してみたい。

・第六十六、晨朝に、普ねく十方面の一切法界の衆生の為に、菩薩戒を授く。願わくは三宝の威神を承けて、一一現前して、皆な親受を得んことを。

文章から考えると、毎日の朝に、十方の一切の法界に生きる衆生のために、菩薩戒を授けるという。当然に、これは理念的な話であると思われる。何故ならば、後半部分に於いて、三宝の優れた力を承けて、受けるべき対象の一々が現前して、親受して欲しいと願っているためである。

それに、そもそも、物理的に一切法界の衆生全ての菩薩戒を授けるのは不可能である。ウチの宗派でも、『甘露門』詠唱時に、「三摩耶戒」を一切衆生に授けるが、それみたいなものか・・・

・第九十八、常に四衆の与に、菩薩戒を授く。

こちらは、具体的な四衆なのであろう。要するに、機会があれば授けるべきだ、という理解をした。どこでどうなるか分からないが、常に授ける状況になっても、混乱しないように、ということなのだろう。

で、この2箇所が「授菩薩戒」なのだが、そういえば、延寿には『受菩薩戒儀』があることを思い出した。何か関係あることでも書いているかな?と思って調べてみたが、あれ?どこで見られるんだっけ?よく分からなかったので、とりあえず、先に挙げた一切法界の衆生の授戒について見ていくと、以下の一節を典拠にすべきだと書かれている。

仏・心と衆生と、是の三差別無し、以て、梵網経に云く、一切の心有る者は皆な応に仏戒を摂すべし。

つまり、前者は『華厳経』からの理念ではあるが、それと『梵網経』を会通させており、要は、一切の有心なる者は、仏と同じ存在なのだから、仏戒を受けるということをもって、先の一時を実施可能としていることになろう。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事