●奈良仏教
1:法相宗
2:華厳宗
3:律宗
●平安仏教
4:天台宗
5:真言宗
6:融通念仏宗
●鎌倉仏教
7:浄土宗
8:浄土真宗
9:臨済宗
10:曹洞宗
11:日蓮宗
12:時衆
●江戸仏教
13:黄檗宗
そこで、例えば、鎌倉時代の東大寺の学僧・凝然大徳(1240~1321)は『八宗綱要』を記したが、その宗は以下の通りであった。
1:倶舎宗
2:成実宗
3:律宗
4:法相宗
5:三論宗
6:華厳宗
7:天台宗
8:真言宗
ただし、凝然大徳は、奈良時代の南都六宗に平安時代の宗派を入れつつ、同時代的に成立・流行して発展しつつあった浄土教と禅宗とを入れ、実質的には「十宗」を扱っており、別に『内典十宗秀句』を著して、それを明確にしたこともあった。なお、同じように宗派別の綱要書を書いた、浄土真宗の存覚上人(1290~1373)の『歩船鈔』という文献では以下の通りであった。
1:法相宗
2:三論宗
3:華厳宗
4:天台宗
5:真言宗
6:律宗
7:倶舎宗
8:成実宗
9:仏心宗(禅宗)
10:浄土宗
こちらの場合も、やはり『八宗綱要』と同じく、「八宗」に二宗を加えたようになっている。よって、鎌倉時代から南北朝期にかけては、「十宗」という枠組みがあったのだろう。問題は、その後である。江戸時代末期の文政7年(1824)に刊行された『宗門往来起原抄』という文献があるのだが、こちらの場合、上記のような文献とは一線を画したものであるが、同書の頭註の位置に「江戸諸仏閣」が掲載され、そこに本書で扱っている宗派が確認出来る。
○天台宗
○浄土宗
○禅宗(曹洞宗・臨済宗・黄檗宗)
○真言宗
○一向宗(高田派含む真宗各派と時衆)
○法華宗(日蓮宗)
こちらでは、実質的に「六宗」に分けているのだが、江戸時代に江戸に存在していた主要寺院の紹介を通して、宗派に言及しているため、例えば、南都六宗については言及していない。おそらく、当時の江戸に、当該宗派の有名な寺院が無かったということだろう。これは、あくまでも参考程度である。
その上で、明治時代に入り、或る文献が気になった。
・小栗栖香頂編『仏教十二宗綱要』仏教書英訳出版舎・明治19年(国立国会図書館デジタルコレクション)
・町元呑空編註『十二宗綱要鼇頭(一名・東洋哲学必携)』布部文海堂・明治20年
上記2本は、まず最初の1本が成立(なお、識者達がそれぞれの宗派を論じたものとなっている)し、後者はそれへの註釈書という感じとなっている。基本となる『十二宗綱要』については、同じものとなっている。そこで、本書の「総叙」を見てみると、中国では十三宗があったが、日本では十二宗であるとし、そこで『十二宗綱要』になったのである。参考までに、中国での十三宗とは以下の通りである。
1:三論宗
2:成実宗
3:涅槃宗
4:地論宗
5:浄土宗
6:禅宗
7:摂論宗
8:天台宗
9:華厳宗
10:法相宗
11:毘曇宗
12:律宗
13:真言宗
以上である。日本への宗伝が無い宗派もあったりして、馴染みの無い名前もあると思うのだが、確かにこういう区分になるとは思う。また、中国の五代十国期から宋代にかけて、禅宗が五家七宗になったりしたが、あくまでも「唐宋以前の教派に係る」としている。
それから、日本の「十二宗」については、意外な組み合わせであった。
1:倶舎宗
2:成実宗
3:律宗
4:法相宗
5:三論宗
6:華厳宗
7:天台宗
8:真言宗
9:浄土宗
10:禅宗
11:浄土真宗
12:日蓮宗
以上である。意外なことに、平安時代の融通念仏宗も、鎌倉時代の時宗も無く、禅宗も三宗の区分が無い。ただし、禅宗の三宗は同項目中に臨済宗・曹洞宗・黄檗宗を解説しているようである。それで、南都六宗を全て残した理由として、本書が凝然大徳『八宗綱要』を意識しているためのようである。つまりは、凝然大徳が挙げた「八宗」に、鎌倉時代成立の「四宗」を足したのが、本書の位置付けとなっている。
とりあえずこのようにまとめてみたが、現代のように信教の自由が認められ、誰でも宗教組織を構築できる時代になると、当然に、宗派の数などは数えるだけ無駄となる。よって、あくまでも信教や結社の自由に制限があった近代までの一様相ということで、確認してみた。
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