但し四分律宗、小律に固執して、異説を一掃して雨安居を取る。其の徒、之を偈にす。青丘、亦た同じ。
夫れ小乗の律蔵、成道五年の後、之を説く。而も仏滅後一百余年、第五祖優波毱多まで、唯一の律なり。毱多の五弟子、各おの己見に執して、分けて五分と為す。其れ四律・五律と謂うとも、亦た但一律の異見なるのみ。大概、皆な同じ。是の故に、安居の記、亦た異ならざるなり。
若し、但、小律の結夏のみを取りて、以て大律の結冬を非とするは、則ち梵網の文、削るべき歟。
『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読
雨安居を詠んだ偈?どのことだろう。
それから、いわゆる声聞律が制定された理由については、上記の通りに伝わっている。西天五祖・優波毱多尊者の弟子達が宗派や律を分けたという話になっている。曹洞宗でも、道元禅師が「いわゆる、優波毱多の已後、五部の仏法を称するは、乃ち西天の陵替なり」(『永平広録』巻3-207上堂)とされている。
それから、結夏のみを取り、結冬を非とする限りに於いて、『梵網経』の文章を削らねばならないのか?という問題提起をしている。この辺、どうなるのだろうか?やはり続きの文章から学んでいくしかないのかな。
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