つらつら日暮らし

今日は「みどりの日」

今日5月4日は「みどりの日」である。当方が生まれた頃は、まだこの日は祝日にはなっておらず、その後、5月3日・5日という祝日に挟まれていることから、国民の祝日か何かになって、さらにその後、元々昭和天皇の天皇誕生日だった4月29日に、昭和天皇が崩御されてから付けられていた「みどりの日」の名称を、4月29日を「昭和の日」に改称するに及んで、5月4日を「みどりの日」にした、という流れだったと思う。

・・・日本の祝日に関する法律に関連するところなので、記憶違いはあり得る。

ただし、今日はどちらにしても、「みどり」に因んだ記事をアップしておきたい。「みどり」を意味する漢字としては、「緑」がすぐに思い付く人が多いと思うが、他にも「碧」や「翠」などもある。そこで、今日はとりあえず「碧」に因んだ記事にしておきたい。

  碧眼
初祖達磨大師の眼、紺青の色有り。故に祖を称して碧眼と曰う。
    『祖庭事苑』巻3


これは、中国に禅宗を伝えたとされる菩提達磨尊者(5世紀くらいの人)について、「碧眼」と呼称されたが、その理由について簡単に論じたところである。

とはいえ、この「碧」の字であるが、「みどり」とも読むが、「あお」とも読む。この場合、「あお」の方で使われているようだ。何故ならば、「紺青」色の眼だったとしているためである。

ところで、何故、このような眼の色が紹介されているのだろうか。それは、達磨大師が、中国の人ではなくて、インドから来た人だった、ということを強調するためだったのだろうけれども、達磨大師の伝記で古いものにも出ていることだろうか。

菩提達摩、南天竺の婆羅門種なり。
    『続高僧伝』巻16「習禅初」


最も古いともされる達磨(達摩)大師伝では、以上の通りの文言で、生まれが出ているくらいで、身体的特徴などは論じられていない。しかし、宋代以降の禅宗灯史や語録になると、「碧眼の胡僧(あるいは、胡人)」という言葉でもって、達磨大師自身を暗示、あるいは明示するようになる。よって、当初の伝記には無かった情報を表現上に付け足すことで、達磨大師へのイメージを膨らませたことを意味するのだろう。

それこそ書物名にも「碧」が入る圜悟克勤禅師『碧巌録』では、以下の表現が見られる。

須らく是れ碧眼の胡僧、始めて得べし。
    『碧巌録』巻4「第三十三則・頌古への著語」


つまりは、達磨大師だからこそ、真実を得ていたことを示すのだが、「達磨」と書いてしまうと、法を意味する「ダルマ」の音写にもなりそうなところ、敢えて、人としての禅宗初祖個人を示すために、「碧眼の胡僧」と示した様子が分かる。

達磨小碧眼胡僧
    『聯灯会要』巻23「徳山宣鑑章」


一方で、それまでは文献を学ぶ僧侶だったのに、禅僧になってからは棒を用いた指導で有名になった徳山宣鑑禅師などは、あくまでも学人の自己自身に参ずることを求めるために、達磨大師すら見下すような表現を用い、以上のように述べた。こういった禅僧自身が用いる毀誉褒貶については、少し距離を置いて見る必要がある。

当方は、この辺、余りに乱暴な表現は使わないように気を付けたいと思うところだが、こんな曖昧なことをつぶやいていると、徳山禅師からは、激しく棒で打ち付けられてしまいそうだ。ということで、「みどり」について論じていたはずが、全然違う話になってしまった。

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