つらつら日暮らし

親密過ぎる仏法

「密」という語を聞くとき、我々自身、どのように考えるべきだろうか?たとえば、「秘密」、要するに「密教」の「密」として採るべきであろうか?或いは、「親密」として、道元禅師の仰る「密語」の「密」として受け取ることも可能である。しかし、親しすぎる対象を、見ることは困難である。正しくは、見ることが出来ても、その「全貌」をありのままに見ることが出来ないというべきであろうか?

畢竟、我々にとって、「密」とは、その全貌を対象として明確に受け取ること、知り得ることは不可能だといいたいのである。ただ、これは、安易な「不可知論」とは違う。その辺は、以下の問答からまず見ておきたい。

 上堂。記得す。
 雲門、曹山に問うて云く、「密密の処、甚麼と為てか有ることを知らざる」と。
 山云く、「祗だ密密なるが為に、所以に不知有なり」と。
 若し是、永平ならば、或し、問うこと有らん、密密の処、甚麼と為てか、不知有なる、と。祗だ払を拈じて劈面に打し了って、他に問わん。是、知有なりや、是、不知有なりや、と。他、道んと擬せんに、又、打一払子せん、と。
    『永平広録』巻3-217上堂


拙僧は最近、この「密」というありようについて、重大な関心を抱いている。それは、上記文脈も同様であるが、また別の文脈でも同様の想いを抱く機会を得ている。そこで、ここで道元禅師が引用された「雲門(文偃)」と曹山(本寂)の問答は、出典を『宗門統要集』、または『聯灯会要』などに求めることが可能であるが、もしかすると若干離れるかもしれないが、『明覚禅師瀑泉集』巻4なども考慮に入れておいた方が良いのかもしれない。この上堂の時期は、寛元5年(1247)の春と推定され、永平寺でのものである。

ところで、ここで雲門と曹山が論じているのは「密密の処」についてである。この時の「密」とは、「親密」の意であって、距離感の無さを表現する意味である。よって雲門は、「余りに親密すぎる“処”」を、どうして有ることが分からないのか?と聞いているのである。然るに、曹山の答えはまるで雲門の問いの反復ではあるが、結局「密密」という「距離感の無さ」に適応する好い事態を見出さなかったということなのであろう。「密密」だからこそ、「不知有」なのだということは、余りに親密すぎるため「知」の対象とはならないことをいう。

さて、ここで道元禅師は「永平ならば」とし、自らの御見解を述べられる。それは、「密密の処、甚麼と為てか、不知有なる」という問いに対して、「払を拈じて劈面に打」したのみである。余計な言句を弄せず、ただカチンという音のみをもって、まさに一音をもって説示された。さらに、「是、知有なりや、是、不知有なりや」という問いに対しても、「他、道んと擬せんに、又、打一払子せん」とあるため、こういう分別知見に基づく問いを発する以前に、ただ「カチン」という一音を示している。

ここで、道元禅師が開示しようとした領域は、そもそも「密密」というのが、「何が何に対して“密密”か?」を問い直したことだといえる。それは、「密密」を主題とし、そこに「問い」により隙間を作るようなものである。或いは、「問い」という思考態度こそは、従来の決められた関係を無化し、新たに構築するというプロセスを含んでいる。それを「隙間」と言い換えたわけである。されど、道元禅師が発せられた「一音」とは、端的に「無分別」のことである。この「密密」は、そもそも自己と仏法との「間」を問う事態であり、その間の無さを表現している。ところが、それは同時に「無分別」を示すのである。無分別でありつつ、「仏法の様子」を示す教えとしての「一音」なのである。

玄沙いはく、只為太近。 まことに太近は、さもあらばあれ、あたりにはいまだあたらず。いかならんかこれ太近。おもひやる、玄沙いまだ太近をしらず、太近を参せず。ゆえいかんとなれば、太近に相見なしとのみしりて、相見の、太近なることをしらず。いふべし、仏法におきて遠之遠なりと。もし第三度のみを太近といはば、前両度は太遠在なるべし。しばらく玄沙にとふ、なんぢなにをよんでか太近とする。拳頭をいふか、眼睛をいふか。いまよりのち、太近にみるところなし、といふことなかれ。
    『正法眼蔵』「他心通」巻


合わせてこの文脈も確認しておきたい。これは、中国禅宗六祖慧能の法嗣である大証国師南陽慧忠禅師と、西方から来たという大耳三蔵との「他心通試験話」に関する提唱である。大耳三蔵は、南陽慧忠からの三度の問いに対して、1・2回目は答えたが、3度目は答えられなかった。この不答の理由を玄沙師備が「只為太近」と答えた。なお、道元禅師はこの「他心通」を、「仏法を見徹する意」で捉えるため、大耳三蔵の神通力を問題外としている。

さて、その上でだが、玄沙は大耳三蔵が3度目に「他心通」を行った時、南陽慧忠を捉えられなかった理由として、「只、太だ近きとす」とした。いわば、慧忠と大耳との「隙間の無さ」が、その対象としての把捉を不可能にしたと示したのである。然るに、道元禅師の答えは、今回の上堂の答えにもなる重大な説示であり、「太近に相見なしとのみしりて、相見の、太近なることをしらず」という文脈なのである。なるほど、余りに近すぎる時には、相見はないとはいうかもしれない、だが、道元禅師は「相見」という事象は「太近」なのであるという。または、「いまよりのち、太近にみるところなし、といふことなかれ」という説示も合わせて考えれば、道元禅師がここで「相見」という一語を、どのレベルで捉えているかを正しく理解すべきである。それはつまり、大耳三蔵が南陽慧忠を見た、という話では無くて、どこまでも、仏法を見得したということである。この仏法を見得した、という中に、本来は大耳三蔵による南陽慧忠に見える話も入るのだが、大耳が仏道を未参究であるため、それは契わなかった。

よって、最初の上堂に帰るが、「密密」というのも、どこまでも「仏法に親密である」という観点で理解しなくてはならない。そう前提すれば、「一音」を「無分別」として示した理由も理解出来ると思う。仏法の把握とは、我々にとって対象知ではない。だが、知そのものも皆、この「親密」さの中にある。それを会得しなければならないのである。だからこそ、「知有・不知有」の分別を超越しているのである。

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