つらつら日暮らし

阿弥陀信仰と持戒との相性について

タイトルの一件について、もう、この辺は「相性」などという言葉で表現したくなるような事態ではある。例えば、以下のような文脈はどうか?

然に弥陀の本誓は まよひの衆生に施して
鈍根無智の為なれば 智慧弁才もねがはれず
布施持戒をも願はれず 比丘の破戒もなげかれず
定散共に摂すれば 行住坐臥に障なし
    一遍聖人『百利口語(抄)』


要するに、一遍聖人(1239~1289)は阿弥陀信仰の百利を、短い言葉で示されたのがこれだが、阿弥陀仏による本誓は、迷いの世界に生きる衆生に施すべきものであるという。そして、迷いのままに生きる衆生は、仏道の智慧がなく、言葉もないという。そこで、布施行や持戒行も行えることがないというが、阿弥陀仏は比丘による破戒も歎くことはないとしているのである。

つまり、これは阿弥陀仏による平等なる摂取不捨を示す言葉であり、まずこのように信じていれば、阿弥陀仏へ全てをお任せしさえすれば良いので、自らの往生の不安なども解消され得るといえる。

そこで、少し気になるのが、当方で聞く限り、一遍聖人自身は、破戒などをされなかったともいう。そこで、その典拠となるような一節が知られるので見ておきたい。

上人此等の法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵をたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云云。
    『一遍上人語録』「門人伝説」


この「門人伝説」とは、いわゆる「legendary disciple」の意味ではなくて、「record given by the disciple」の方である。要するに、弟子達が生前の一遍聖人の様子を伝えた言葉が、この「門人伝説」である。そして、一遍聖人の様子とは、各種の法語に見られるように、自らの命を省みずに、ただ風雲に任せて各地を遊行しており、余計な煩悩などを身に着けることもなく、金銀を得ることもなく、酒肉や五辛といった食事も得なかった(要するに精進のみだった)とされている。

ここだけであれば、本人の心掛けだけでも行けそうだが、個人的に気になるのが、「十重の戒珠をみがき給へり」の部分である。これは、『梵網経』で説く「十重禁戒」を指している。つまり、一遍聖人は普段から、十重禁戒が自ずと守られていたことを意味している。そして、今回の記事としては、何故それが可能だったのかを考えてみたいと思う。

例えば、阿弥陀信仰によってそれが得られたのだろうか?もちろん、大前提としてはその通りなのだが、一遍聖人にはもう一つの様相、禅的な境涯を見ていくべきだと思っている。例えば、一遍聖人の教えに「信といふは、まかすとよむなり。他の意にまかする故に、人の言と書り」というのがある。これなどは、自己自身への執着の一切を捨てて、全てを阿弥陀仏にお任せする様子である。「他の意」とは、阿弥陀仏の意である。ここに、自己自身の介在する余地はない。

これは、阿弥陀仏から見られた様子であるが、阿弥陀仏にお任せしきった自己自身の様子を自己から見てみると、一遍聖人の「本来無一物なれば、諸事において実有我物のおもひをなすべからず」という教えが、対応する。つまり、阿弥陀仏に任せ切れば、本来無一物であり、どこにも自己自身の所有は存在しないことになる。

そこで、ここから如何にして「十重禁戒」に繋がっていくかなのだが、阿弥陀仏が摂取されたこの身心であれば、自ずと菩薩戒が持戒されることになるのだろう。つまりは、極端に阿弥陀仏に任せ切ることにより、持戒/破戒の区分も滅していくことになるのである。この辺は、坐禅に任せ切った禅僧などにもいえるのかもしれない。

とはいえ、仏の道理や本誓に任せることと持戒との関係は、まだまだ考察されるべきことでもあるから、今後も折に触れ見ていきたい。

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