つらつら日暮らし

不思議不思議な明恵上人の説戒

鎌倉時代の華厳宗・明恵高弁上人(1173~1232)の『伝記』や『夢記』を見ていると、逸話はもちろん、そのまま説話になりそうな話がほぼ全てといえるほど多い。それで、今回は以下の一節を読み解いてみたい。

同年六月十五日より梅尾(引用者註:栂尾の古表記)の本堂にして梵網菩薩戒本両度の説戒始行せらる。其戒儀〈別記あり〉諸僧同じく列坐して共に戒文を誦す。其の説戒の間霊験多し。見聞し得たること、委しく註するに遑あらず。或は異香虚空に薫満し、或は霊物無形にして、異る音声にて共に誦す。或は異類六歳の小児に託して斎戒帰依の志を述べ、或は年来重病の者聴聞の砌に或は汗を流し或は嘔吐をして癒る類もあり。或は瘧病の者爰に臨みて聴聞の間に忽に癒るのみなり。是れ今に高山寺の恒例の勤めとなれり。
    奥田正造編『栂尾明恵上人伝記』昭和8年、漢字は現在通用のものに改める


「同年」とあるが、『伝記』を見ても良く分からない。おそらくは「嘉禄2年(1226)」かな?と思うが、余り自信は無い。どちらにしても、上巻のほぼ巻末に書かれている内容だとのみ申し上げておきたい。

そこで、「十五日」から始まっていることからも明らかなように、これは布薩説戒のことを指している。ところで、「梵網菩薩戒本両度」の説戒があったというのだが、この「両度」というのは、2回という意味だが、どういう意味だろうか?月に2回の意味なら、すぐに理解出来るので、おそらくそれだろうか?

ところで、問題はこの説戒に於ける「霊験」についてである。高山寺の本堂で、諸僧が同じく梵網菩薩戒の戒文を読誦していたそうだが、その間に様々な不思議なことが起きたという。もうたくさんありすぎて、書くことも出来ないとしているけれども、具体的には「異香」が虚空に満ち、霊的な存在が姿を見せないまま、変わった音声で戒文を唱えていたという。

しかも、その姿を見せない霊的な存在が、6歳の小児の口を借りて、自ら斎戒帰依の志を述べることもあったという。何故、「6歳の小児」なのかは分からないが、大人でなければ言わないような発言だった、ということだろうか?それから、長年重病の者が急に治ったり、瘧病(熱病とのこと)のものが急に治るという「奇跡」が起きたという。

しかし、布薩説戒という現場は、あくまでも懺悔した清浄なる僧侶の集まりで行われた、特殊の空間であるが故に、特殊な現象が起きると信じられていたのだろう。また、明恵上人は懺悔・持戒について重大な配慮をされたことは明らかであるし、入滅に際しては懺悔文を読誦したと『伝記』で記録されているほどである。そのため、「布薩」の思想的な意義も見ていきたいが、現在の当方では、該当する文献が分からないので、今日はここまで。

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