つらつら日暮らし

於永平寺 冬至小参(令和5年度版)

今日は冬至ということで、1年で一番昼間の時間が短い日である。おそらく、各地ではカボチャに因んだ料理が振る舞われたり、ゆず湯に入ったりすると思われる。

ところで、曹洞宗の高祖道元禅師(1200~1253)は、永平寺などで冬至に因む説法をしておられる。これは「上堂」や「小参」といい、冬至は毎年あるため、その時々に行われ、語録『永平広録』に複数回確認可能である。「冬至」という用語で調べると、以下の通りである。

朔旦冬至上堂 巻1―25上堂(仁治元年[1240])
冬至上堂 巻1―115上堂(仁治3年[1242])※以上は深草興聖寺
冬至上堂 巻2―135上堂(寛元3年[1245])※大仏寺(永平寺への改名前)
冬至上堂 巻3―206上堂(寛元4年[1246])※以下は永平寺
冬至上堂 巻4―296上堂(宝治2年[1248])
冬至小参 巻8―小参4 ※以下の小参は永平寺での実施と推定
冬至小参 巻8―小参9
冬至小参 巻8―小参13
冬至小参 巻8―小参17


なお、「小参」が永平寺での実施だと推定される理由だが、全20回分収録される中で、多くに「永平」の語句が見えるため、それは明らかに永平寺である。後は、『永平広録』各巻の題名として、「越州永平禅寺玄和尚小参 第八」となっており、永平寺であることを示している。そこで、今回は上掲の記録の1つを紹介してみたい。

 冬至小参に云く、
 雲足水足、短を超え長を越えて到る。
 粥足飯足、節に当たり時に向かって生ず。
 山雲冉々たり、海水洋々たり、処々に此の宗に入る、頭々何ぞ異法ならん。
 正当恁麼の時、還た、相い委悉することを得すや。
 参学通身の眼を豁開して、吉祥雲水の人に相見す。
 記得す。
 六祖、譲和尚に問う「甚れの処より来たる」と。
 譲云く「嵩山安国師の処より来たる」と。
 祖云く「是れ什麼物、恁麼来」と。
 譲、八年を経て、下語して云く「説似一物即不中」と。
 祖云く「還た修証を仮るや、不や」と。
 譲云く「修証は即ち無きに不ず、汚染は即ち得じ」と。
 又、八年を経。
 今夜、永平、口を借りて説到し、手を把って同参す。還た、這箇の道理を委悉せんと要すや。
 良久して云く、
 頭長三尺、渠を明らめんと欲す、一等に他と般若を談ず。夜深久立、伏惟珍重、と。
    『永平広録』巻8―小参17


まずは全体的な意味を採ってみたい。

冬至の小参に道元禅師は言われた。雲水諸君は足でもって、長短の距離にかかわらずここへ到った。粥も飯も充足して、この冬至の節を迎え、またこの時に向かって生まれたのである。山の雲は連なって、海水は広々としている。その場所場所で、まさに仏法に入りきっているから、個々の事物の中で何を仏法に叶わないものと出来ようか。まさにその時、また詳しく知ることが出来ようか。仏法を参学するための全身の目を見開いて、この吉祥山の雲水である私と相い見えるのだ。

覚えていることがある。

六祖慧能禅師は、南嶽懐譲和尚に問うた「どこから来たのだ」と。懐譲和尚は「嵩山の慧安国師のところから来ました」と言った。六祖は言った「この何ものがこのように来たのか」と。懐譲和尚は、八年が経ってからこれに答えて言うには「何か一つのものを言ってしまえば、それは直ちに外れてしまいます」と。六祖は言った「それは修行して得た悟りを借りて出たものか、そうではないのか」と。懐譲和尚は言った「修行し悟りを得ることが、無かったわけではありませんが、これを汚染することは出来ません」と。こう答えた。懐譲和尚は、また、八年の修行をした。

今夜、永平寺の住持である私は、六祖と懐譲和尚の口を借りて説き到り、手をとってともに修行した。また、雲水諸君はこの道理を詳しく知りたいだろうか。道元禅師はしばし無言の間を置かれて言われた。頭の長さが三尺もある人(=ブッダ)を明らかにしたいのならば、一緒になってブッダとともに仏の智慧を談ずるのだ。夜深くまで久しく立たせたままで、ご苦労であった。ご機嫌よう。

いわゆる、六祖慧能と南嶽懐譲という中国禅宗初期の祖師方の問答を使って、まさに冬至の日を迎えた永平寺とその周辺の風景について述べられた小参である。この小参がいつ行われたのかは、本文中に年月を示す記述が全くないために分からないが、永平寺に入られてからだとは、理解可能である。

道元禅師は別の機会に行った冬至上堂では中国曹洞宗の宏智正覚禅師から言葉を借りて、陰陽思想にしたがった冬至を機に世界が陰から陽に転じていく様を論じられたが、今回はそれよりも話はかなり簡潔で、修行して得る言葉について述べられたと結論可能である。しかし、その修行とは決して自分一人で行うものではなく、大乗の修行とはまさにこれまでの祖師方とともに行うものであり、道元禅師はこの夜についてであれば、六祖慧能禅師と南嶽懐弉禅師の言葉を借りて、その祖師方とともに行ったと述べられた。

古来からの修行の継続は、我々の身心を使って現在に行われ、そして未来の児孫たちがさらに継続していく「道環」があって、仏祖の正しい法灯は嗣続されていくといえる。道元禅師は、その意義を冬至の小参で、修行僧達を相手に確認されたと見ることができるだろう。

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