つらつら日暮らし

流布本『普勧坐禅儀』参究2(令和5年度臘八摂心2)

臘八摂心2日目である。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。

 直饒、
会に誇り悟に豊かに、瞥地の智通を獲、
得道明心して、衝天の志気を挙げ、
入頭の辺量に逍遙すと雖も、
幾くか出身の活路を虧闕せる。
 矧んや、彼の
祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見るべし、
少林の心印を伝えし、面壁九歳の声明、尚聞こゆ。
古聖既に然り。
今人、盍ぞ弁ぜざらん。


今日は以上の一節を学んでみたい。

この部分について要約すれば、「大悟という魔境」からの脱却を考えていることになる。前項に於いては、道本円通を誤解しないように明記されているが、そこから「行」へと展開されていくのが、この箇所である。これは、現在の曹洞宗でも同様で、非常に憂慮しているのだが、道元禅師は「大悟体験(或いは己事究明などという人もいるし、見性という人もいる)」に重きを置かない。頭から全てを否定しているとは思えないのだが、しかし、取扱いが注意される。

その最たるものが、この最初の2行である。つまり、多くの理解(会)や悟りも豊かに得ていて、瞥地(ちらりと真実を垣間見ること)の智通を得たり、或いは仏道・仏心を得たとして、天を衝くほどの志を挙げたとしよう。だが、それは所詮、真実にようやく入ったばかり、そのほとりをウロウロしているだけであって、むしろ、自分がわずかに得た境涯に満足すれば、「出身の活路」を失ってしまうのである。この「出身の活路」とは、世間的な様々な評価などを、一気に跳び越えて真実の世界に入ることを意味している。言い換えれば、「一超直入如来地」となる。なお、譬え、如来地に入ったとしても、そこで終わったのであれば、それは「魔地」なのである。

畢竟、前項で指摘されたことは、「修証一等」を正しく把握すること、であった。

そうであれば、ここはその「修」の正しい会得を求めているといえる。それが、後半部分である。そこでは、祇園の生知(つまりは、生まれながらに仏道を得ていた仏陀釈尊のこと)が端坐六年の修行を行ったという勝れた跡形を見るべきであり、また、インドで仏心印を得て、それを中国に伝えた達磨が、少林寺で九年面壁坐禅したという勝れた名声をも良く聞くべきであるという。これらは、ともに、「悟りを得るための坐禅」ではなくて、既にそれが明らかだという事実の上で、証上の修として行われた坐禅を意味している。

ただこれ坐禅を身心・依正・国土としたまえる仏祖を印証するなり。
    瞎道本光禅師『永平広録点茶湯』


坐禅は、我が身の坐禅とのみ思う人には、この一文は理解できまい。しかし、「依正」となっている。坐禅は環境(依報)であると同時に、我が身(正報)である。そして、我が身心であると同時に、国土である。これは、坐禅自体が、我々自身の存在そのものであると同時に、その存在の根拠になっていることを意味している。それは、坐禅自体が修証一等であるためで、修が現実、証が根拠である。その意味で、次の一文を読むと会得し易いであろう。

ここをもて、釈迦如来・迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師・大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。
    『弁道話


釈尊・迦葉尊者も、或いは達磨大師・六祖慧能も、ともに「証上の修」に用いられ、導かれたからこそ、仏法を正しく住持したのである。我々はその跡形を慕い、今の我々もそれに倣うべきだと言える。要するに、解説冒頭で申し上げたように、たとえ「大悟」したとしても、それで修行を終えるようなことになれば、結局は修行の退転となり、「魔境」に落ち込むのである。だからこそ、大悟の有無を問うのではなく、修行の有無をこそ問うべきだといえる。日夜、参究に勤しむ状況が肝心なのである。

我々は、修行というと、どこまでいっても、悟りを得るための手段とのみ考えて、一定の境涯などを得るべきだとばかり考えてしまう。だが、道元禅師は「おほよそ諸仏の境界は、不可思議なり」(『弁道話』)であるとされ、或いは、「識るべし、行を迷中に立て覚前に証を獲る」(『学道用心集』)であり、或いは、我々の弁道とは「朕兆已前の公案なり、未だ大悟を待たず」(『弁道法』)である。このように、修証は常に不染汚(無分別)として、一等に示されている。そのことをよくよく会得されるべきなのである。つまり、「証」を明らかに得たいのであれば、我々自身の境涯や心識レベルでの会得に収まるのではなくて、ただ行の有無をのみ問うべきなのである。

そのことを、今日、紹介した箇所は力説しているのである。

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