大陽山道楷禅師、投子に謁して徹証す。
『知事清規』
つまり、現状では芙蓉道楷禅師と呼ばれている方を、「大陽山」をかぶせて呼称していることが分かる。でも実際、道元禅師は道楷禅師について、芙蓉も大陽もともに用いている。どちらが極端に多いともいえない印象だが、本則に合わせて使い分けている感じだろうか。
※『知事清規』の一節
・大陽山楷和尚、示衆云、青山常運歩、石女夜生児。 「山水経」巻
・大陽山楷和尚、問投子云、仏祖意句、如家常茶飯。 「家常」巻
以上が「大陽山」表記、そして以下が「芙蓉」表記。
・芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり。 「行持(下)」巻
・東京浄因枯木禅師〈嗣芙蓉、諱法成〉、 「仏向上事」巻
・浄因枯木禅師、嗣芙蓉和尚、諱法成和尚。 「春秋」巻
・芙蓉山の道楷禅師の衲法衣つたはれりといへども、上堂・陞座にももちいず。 「嗣書」巻
・微和尚は、芙蓉和尚の法子なり、いたづらなる席末人に斉肩すべからず。 「自証三昧」巻
・師云、師伯古仏乃芙蓉之枝、丹山之児。 『永平広録』巻3-256上堂
・芙蓉楷和尚、参投子乃問、仏祖言句家常茶飯。離此之外、別有為人言句也無。 『永平広録』巻9-頌古57則、『真字正法眼蔵』143則
……いや、やっぱり「芙蓉」の方が圧倒的に多いのか。それから、本則で使い分けているわけでも無いことが分かった。特に、「家常」巻と、『永平広録』巻3の内容は、同じ問答を使っている。そうなると、この典拠となる原典自体の問題か。そこで調べた結果が次の通り。
・東京浄因道楷禅師 『聯灯会要』巻28
・東京天寧芙蓉道楷禅師 『嘉泰普灯録』巻3
・天寧楷禅師 『禅林僧宝伝』巻17
・東京芙蓉道楷禅師 『宗門統要集』巻20
大陽山に因んだ呼称をしているものが無い。ただし、この結果、道元禅師の著作に「芙蓉」呼称が多い理由は分かった。では、何故道楷禅師へ「大陽山」と付けたか、である。
・郢州大陽山楷禅師 『建中靖国続灯録』巻26
なるほど、そう表記している灯史もあるのか。ただし、一つ分からないのは、先に挙げた「大陽山」で挙がっている典拠は、本書には載っていない。つまり、これは道元禅師が敢えて、使ったこととして理解して良い。ただ、やはり何故使ったかまでは分からなかったが、道元禅師が尊崇する祖師の呼称を選ぶ際の基準について、この辺を詰めれば少し分かるのかもしれないとは思った。一部は先行研究もあるので、参考にされると良いと思う。
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