ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市花館を往く-2(その4)

2018年06月25日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018年5月29日(火)

●歩いた所

 ・花館:柳町、泉町、美原町、若竹町、大曲白金町、佐野町、上町、中町

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)

(以上の地図:国土地理院)

「伊豆山神社」の里宮

 日差しが強くて鳥居の奥が暗くなってしまったが、注連縄の上に社殿のりっぱな屋根がのぞいている。

 「花館財産区」が発行した「花館の歴史」によると、「花館村」内の神社はT元年に「伊豆山神社」に合併して1社のみとなってしまったが、この神社は「雄物川」を超えた「伊豆山」(「揚の森」)の頂上にある。そのため、日常の催事に不便なことから里宮建設が声があがり、T5年に「瀧ノ宮神社」があったこの場所に建てられたとある。

 鳥居の脇に市指定文化財の白い標柱が立ち、「伊豆山神社獅子神楽」の説明書きがある。それによると、獅子神楽は元禄6年(1693年)以前から行われていたと考えられる古い行事で、毎年7月に「花館」(昔の「高関下郷村」)と「高関上郷」(「旧四ツ屋村」の一部)で行われているとある。珍しいと思われるのは、神社の神殿で舞を披露した後、各地域を巡回する前に「長福寺」に入って舞うことである。「花館の歴史」には、神主と「長福寺」の住職が並んで写っている写真が載っており、なんか変な感じもする。神仏習合の名残だろうか。「長福寺」の山号は「不老山」で、これは「御伊豆」→「老いず」→「不老」から名付けられたという説もあり、両社は古くから密接な関係があったとのことである。

 大きな石碑の建つ里宮の境内を一回りして引き返す。鳥居前の道脇にもたくさんの石碑が並ぶ。

 大きな石碑には「玉川揚水路開鑿」の文字が見える。「花館の歴史」にはT5年の建設とあるが、どこの揚水路でいつ開削されたのか、調べたがわからない。

 その左奥は聖徳太子講の石碑、右下の石塔群は庚申塔である。

 神社前の道を南に少し行くと、また白い標柱がある。

📷005:「枳北大明神碑」

 「枳」は「からたち」の木のことで、「シ」または「キ」と読むらしいが、「枳北」は何と読むのだろう、「枳北大明神碑」と書かれた標柱の奥に丸っこい石碑が立つ。これも「花館の歴史」によると、「枳北」は「斎藤勘左衛門忠紀」という人のことで、江戸時代末期に私費を投じて「雄物川」沿いの原野30数町歩を開墾し、堤防も築いて田んぼを分け与えたことから、村民は神と仰いで慶応3年(1867年)に碑を建てたとある。

 左側奥に赤くのぞいているのは📷004に写る鳥居で、写真右端に写る赤い屋根の祠の脇が「稲荷大神」への参道になっている。

 写真を撮った場所は斜めに交差する十字路で、そこを左に折れ旧国道に出る。旧国道を「大曲」の街方面に進む。

📷006:「泉町」付近の「旧国道13号」

 道左側の道路標識にあるように、「角館」方面からくる「国道105号」は写真の信号300m程奥でこの旧国道に出、手前に来て信号のところを右手に折れて「本荘」方面に向かう。

 道奥の四角い大きなビルは、かつての「仙北組合病院」が移転新築された「大曲厚生医療センター」である。

 信号の交差点まで進むと右手斜め奥へ延びる細い道がある。昔の道のようにも見えるので、国道105号を横断してそちらに進む。

(その5に続く)


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