ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町長野を往くー4(その3)

2017年12月08日 | 旧中仙町を往く

●歩いた日:2016105日(水)

●歩いた所

・長 野:柳田、小豆瀬、漆原

・北長野:板屋、中川原、館ノ郷、野口前、道ノ上、道の下、鍛治屋敷

・上鶯野:古舘、石持、新屋敷

●歩いたログ(足跡)(道のり:7.8km

(以上の地図:国土地理院)

 「館ノ郷」から「石持」方面に向かって田んぼ中の道を行くと、道から離れた家の入口のところに、「菅江真澄の道」と思しき白い標柱が小さく見える。そこへ寄り道してみる。

(「真澄の道」の標柱)

 やはり真澄の道の標柱で、「上鶯野村の肝煎の家に寄って古鏡を記録」と書いてある。

 少し離れた場所からもう一度カメラを向ける。

📷004:「上鶯野古舘」の肝煎屋敷 

 赤松の奥、入口の道の両脇にある黒松は、いかにも肝煎屋敷にふさわしい風情を感じさせる。ここの字名は「古舘」で、館があったことに由来すると思われので、古い歴史がある土地柄なのであろう。

 ところで、以前のブログで「長野」の「九日町」が、S23年の航空写真を見ると半円状の島のような形であると書いたが、「板屋」と「館ノ郷」も全く同じ形をしており、興味深いので掲げてみる。

 (S23年の航空写真)

 中央左の半円が「板屋」、右の半円が「館ノ郷」である。これも「玉川」の蛇行の痕跡なのだろうか。「館ノ郷」の北端に木立が連なっている「法幢寺」の境内が写る。

 次いでながら、両集落から北へ少し離れた道脇に白っぽい一画があり、ここが前述した「妙法寺」。右上隅に大きな肝煎屋敷が写る。下端中程から道上へ延びる直線は鉄道であるが、「館ノ郷」から鉄道を越えてすぐのところにある濃い木立は、この後立ち寄った「館郷神社」である。

 ファイル名がUSAの文字付いたS23年の航空写真は米軍が写したものであるが、戦後まもない時期にこんな鮮明な写真を写していたことは驚きであり、当時の様子を知るうえで、この上ない貴重な資料である。

 「古舘」の肝煎屋敷から引返して、田んぼ中の道を「石持」に向かって進む。「石持」の一角に入ったところで振り返る。

📷005:「館ノ郷」方面を望む

 道の突き当りが「法幢寺」で、寺の一部が木立の間からのぞかれる。その道は寺の手前で左にカーブし大きく迂回して「館ノ郷」の集落の中へ入って行く。

 この年の秋は晴れの日が続かず、稲刈りが遅れぎみである。今日は天気に恵まれ、あちこちで懸命に刈取り作業している姿が見受けられる。

(その4に続く)


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