ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊岡を往く(その2)

2020年09月06日 | 旧中仙町を往く

<「中荒井野」:「豊岡小学校」前の「県道50号」>

●歩いた日:2020年8月3日(月)

●歩いた所

・豊岡:杉ケ崎、椿、中荒井野、中荒井、上野、高野

・栗沢:北野、伊勢ノ腰、社前、下村、一本木、白岩街道ノ下

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)

(以上の地図:国土地理院)

 すぐそばに駐在所がある(📷003の)十字路を左に折れ北に向かう。右手に体育館と思われる大きな建物がある。その体育館の敷地に入ってみる。玄関前の広場や広い駐車場は少し荒れている。
 体育館の入口前を通り過ぎて、体育館とつながる隣の建物の方に行く。そこは公民館の「豊岡分館」である。玄関脇にきれいなものが吊り下げられているので近づいてみる。

(「中荒井野」:公民館「豊岡分館」の前にて)

 物干し台に小さな提灯のようなものがたくさんぶら下がっている。よく見ると、空き缶で作られている。膨らんでいるところに少し角度がついているので、風が吹くとくるくる回る。赤いのは「コーラ」の缶、黄色っぽいのは「のどごし生」・・・。なかなかきれいだ。缶なら我が家にもいっぱいある。作ってみようか。

 道に戻ってまた北に向かう。

📷004:「中荒井野」の一角

 桜の木の間からのぞくのが体育館と公民館の分館(左端)。
 さらに行くと道は突き当りになり、そこを右に折れて東に向かう。集落に入り、酒屋さんなどの店舗が建つ角で振り返る。

📷005:「中荒井野」・「中荒井」一角

 奥から手前に来たところだが、看板のある酒屋のところに右手(北)から来て、左に折れて手前に続く道は「県道50号」である。

 道右手に「糀」の看板がある。昔は小さな町・村でも糀(麹)屋さんが必ずあったようだ。糀の上には味噌と缶詰の看板もある。今はこちらの製造・加工が中心なのだろう。

 なお、道の左側は「中荒井野」、右側は「中荒井」である。

 県道を南に進み、郵便局の前を過ぎると右手は「豊岡小学校」である。

(「中荒井野」:「豊岡小学校」)

 こじんまりした可愛い校舎である。「大仙市」の小学校一覧によると児童数は68人である。

 学校のHPを見ると面白い記事がある。小学校の校歌は「郷土を讃える歌」と題する歌である。この歌は、S22年に小学校に並置された「豊岡中学校」の校歌であった、とある。S28年に「豊成中学校」の創立に伴って「豊岡中学校」はなくなったが、後にこの歌がなくなることを残念に思った小学校の職員が話し合い、S37年から小学校で歌い継ぐことにした、とある。歌詞を読むと、なるほど、小学生には少し難しい言葉が使われているようだ。

 また、校長先生のあいさつの中に、S35年頃は470名の児童がいた、とある。隔世の感がある。

 余談だが、題名のある校歌は珍しい。ちなみに我が「大曲中学校」の校歌は「よく生きよ 若人よ」と題する長い長~い歌である。

(先日、地元紙に、「豊川小学校」と「豊岡小学校」が統合してできる新しい小学校の名称が「豊成小学校」に決まる、との記事があった。中学校もこの小学校もまもなく閉校になるようだ。)

 学校の正門の真向かいに大きな松の木がある。少し進んでその松を振り返る。

📷006:「上野」:「豊栄の松」

 横断歩道の左手が校門で、その向かいに松が聳える。根元に立つ標柱に「豊栄(トヨサカ)の松」とある。松の奥には広場があり、標柱の説明書きによると、ここは「明治」時代の旧「豊岡小学校」の敷地で、古くは「学校の松」とも呼ばれていたとある。推定樹齢320年、樹高25mと書かれている。昔も今の地域のシンボルなのだろう。

 道の右側は「上野」、学校のある左側は「中荒井野」である。

 ところで、こんな松が聳えるこの道は古い街道のようだ。この後歩いたところに「白岩街道ノ下」という地名があるように、かつての「白岩街道」である。「地名への・・・」によると、正式な名称は「生保内街道」で、「横沢」(「旧太田町」)-「白岩」(「旧角館町」)-「生保内」(「旧田沢湖町」)をつなぐ古い幹線道路である。

(その3に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★旧中仙町豊岡を往く(その1) | トップ | ★旧中仙町豊岡を往く(その3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中仙町を往く」カテゴリの最新記事