goo blog サービス終了のお知らせ 

青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

小さな小さな神さま・8

2025-04-12 01:52:34 | 小さな小さな神さま

  5

 久香遅の神の町は、そこからまた山を一つ越えたところに、ありました。いや、それはもはや町ではありませんでした。緑はえぐられ、家々は焼かれ、黒々とした大地の傷痕が、無残にむき出されていました。生きているにんげんは、もはやだれもいないようでした。焼かれたにんげんの痕跡が、そこここに見え、割れた核の破片はもはや悲しむことも思案することもならず、光を失って地に散らばっていました。ただ断末魔の恨みの声を乗せた風だけが、よろよろと焦土を這っていました。
 小さな神さまは峰に立ち、その様子をしばし無言でごらんになっていました。言葉は何も生まれませんでした。思いすらも描かれることを忘れられるくらいでした。悲しみは、微かな吐息となって、小さな神さまのお口元を濡らし、冷たい霜を作りました。
「久香遅の神を探しましょう」
 美羽嵐志彦が言いました。小さな神さまは、黙ってうなずかれました。
「久香遅の神さま、どこにおられますか?」
 小さな神さまは峰を降りて、焦土の上を旋回して飛びながら、久香遅の神を探されました。しかし、応える声はありませんでした。
「どこかにいってしまわれたのだろうか?」
「そうかもしれません。この有り様では、去っていきたくなる気持ちも分かるというもの」
 美羽嵐志彦が怒りの混じった声で言いました。小さな神さまは、町の真ん中の、焼け残った石の塔の上に、降り立ちました。すると恨みをはらしてくれという、にんげんの悲しげな声が、小さな神さまの足元をそっと触れました。小さな神さまは、思わず、その声に激しくお答えになりました。
「何を言う。神の声を聞かなかったのはおまえたちではないか。何もかも、おまえたちがしたことの結果ではないか。今さら、何を神に求めるのだ」
 瞬間、沈黙が走りました。小蟹の群れがわらわらと逃げるように、気配が隅の方へと縮こまりました。小さな神さまのお胸に、水のように重たく、悲しみがふさがりました。とうとう、涙があふれ出ました。
「何ということだ……何ということだ……」
 すると、背後から、音のような、わんと響くものがありました。小さな神さまが振り向かれますと、そこには、おひと方の年老いた神が、哀れなほどに消沈されたご様子で、立っておられました。
「悲しまんでくだされ、この子らのために」
 その神さまは、衣の裾も破れ、お髪も乱れ、ずいぶんとうらぶれたご様子をなさっておいででした。お目の中には悲しみと絶望が青く沈み、お口元は冷たい霜で凍っておりました。すりきれた腰帯には小さな袋がぶら下げてあり、神様がよろよろとお腰を揺らすたびに、その中からしゃりしゃりという音が聞こえてきました。それは砕けたにんげんの核の音だと、小さな神さまには分かりました。
「久香遅の神でいらっしゃいますか?」
 その神さまは黙ってうなずかれました。小さな神さまは、どうにもお悔やみの言葉が見つからず、しばし申しわけないかのように頭を垂れられて、ようやく、おっしゃいました。
「稲佐の神から、ことづかってまいりました……」
 そして、お指にとめられた核を、久香遅の神に差し出されました。とたん、核から、ひらめくような光が走り、それと同時に久香遅の神のお顔も稲妻のように光りました。
「おお、チコネよ! 我が子よ……」
 核は、のみのように弾けて、まるで赤子が母の胸に吸い付くように、久香遅の神の胸元へと飛び込みました。
「おとうさん! おとうさん……」
 堰を切ったような子供の泣き声が聞こえたかと思うと、核は久香遅の神の手の中で、何度も大きくなったり小さくなったり、ぐるぐるまわったりしていました。何をどのようにしたらいいのか、まるで分らないといった様子でした。久香遅の神は、愛しくてならぬというようにそれにほおずりをし、涙で潤しました。
「ああ、よい。ただ一人でも、わたしの許にもどって来てくれた。おおチコネ、辛かったか、苦しかったか……」
「寂しゅうございました。寂しゅうございました」
「そうか、そうか……。だがようがんばった。ようがんばって、帰ってきた……」
 久香遅の神は、チコネの核をたなごころに抱きながら、よろよろとひざを折られました。そうして、ひとしきり、神とこのむせび泣きが、続きました。
 やがて、十分にほおを潤されたのか、久香遅の神は、顔をあげられました。そしてゆっくりと立ち上がり、小さな神さまに向かって、改めて頭を深く垂れられ、おっしゃいました。
「ありがとうございました。また、お見苦しいところをお見せしてしまいました」
「ああ、いや……」
 小さな神さまはかぶりを振られました。久香遅の神は、いくぶんお元気を取りもどされたようで、ほおの辺りに微かに紅がさしていました。小さな神さまは、照れ隠しのように、おっしゃいました。
「そのにんげんの名は、チコネというのですね」
「はい。良い子でした。互いに思いが届かず、不和の時期もありましたが、最後には戦をとめるため、命をかけて働いてくれました。……しかし、あまりにも若すぎ、そして遅すぎました」
 久香遅の神は、焼けただれた町を見回しながら、おっしゃいました。
「これらのことは、何もかも、わたしの荷です。わたしがいけなかった。この子らを愛するあまり、厳しくしつけることを忘れていた。気がついた時は、もう手がつけられないほど、うぬぼれておりました。未だ赤子に毛が生えたような知恵しかもたぬに、自分たちの力だけで勝てると信じていた。まるで自分たちが選ばれた世界の王だとでも言わんばかりに……」
 久香遅の神は、深いため息をつかれました。すると手の中で、チコネが消え入りそうなほどに、きりきりと縮まりました。小さな神さまは、お目を深く伏せられながら、おっしゃいました。
「おいたみ申し上げます。……これから、どうなさるのですか?」
 すると久香遅の神は、まるでたそがれの光のように、お口元にほんのりとほほ笑みを浮かべ、答えられました。
「真を申し上げれば、どうすればいいか、途方にくれておりました。しかし、この子が帰って来てくれたので、ようやく踏ん切りもつきました。まずは、この子らの核のかけらを、全て拾い集めてやりましょう。我がままな子らでしたが、放っておくことはできません。それが終わったら、傷ついた地霊を慰め、癒してやりましょう」
「それから?」
「さあ、まだ分かりませぬ」
 久香遅の神は、青ざめたお顔に、精一杯の希望をたたえられて、ほほ笑まれました。まだまだ力弱い希望ではありましたが、出会ったときと比べると、各段に明るいお表情と申し上げられましょう。小さな神さまは、ほんの少し、安堵の気持ちを抱かれました。
「あなたは、にんかなの峰にゆかれるのですね」
 突然、久香遅の神がおっしゃるので、小さな神さまは驚き、思わずうなずいてしまわれました。
「ならば、頼みがあるのです。どうかこの子を、にんかなの峰へ連れていってはくださらぬか」
 久香遅の神は、たなごころのチコネの核を差し出しながら、おっしゃいました。チコネが驚いて、ぴょんぴょんと跳ねて抗議しました。
「わたしは、このたびのことで、様々な力を使い果たし、今やこのような有り様となってしまいました。またこれからしばらくは後片付けに忙しく、この子のためにしてやれることは、少ない。ならばにんかなの峰へとゆき、新しい命を授かり、新しい神の許で生を営んでゆく方が、この子の幸せと申せましょう。お願いいたします」
 久香遅の神は深々と頭を垂れられました。小さな神さまは、しばし、久香遅の神と、チコネの核とを見比べて、思案なさっておりました。チコネは久香遅の神と離れるのを悲しんで、さめざめと泣いておりました。しかし久香遅の神は、ほほ笑んで、何度も何度も言い聞かせました。チコネはしゅんとしましたが、ようやく納得して、うなずきました。小さな神さまはおっしゃいました。
「分かりました。それならば、ともに連れてゆきましょう」
「おお、ありがとう。さあ、チコネ」
 久香遅の神は、そっとたなごころを差し出しました。チコネは元気なく、そのたなごころを飛んで、再び小さな神さまのお指に帰って来ました。
「では、お気をつけて……」
 久香遅の神がおっしゃるので、小さな神さまは、額を下げられました。しかしこのままここを去ってゆくことが、ひどく辛いことのように思え、小さな神さまはしばし動くことができませんでした。すると久香遅の神がまたほほ笑んで、おっしゃいました。
「そんなお顔をなさらんでください。いつかまた会えましょう。この世に永遠の別れはありませぬ」
「確かに」
 小さな神さまは受け取られ、そしてほほ笑みをお返しになりました。
 久香遅の神は、峰に立たれ、小さな神さまたちをお見送りになりました。小さな神さまの指の上で、チコネが種火のようにじんじんと熱くなり、震えていました。小さなにんげんの核が、懸命に悲しみに耐えようとしているのが、小さな神さまのお心に、痛くしみました。そして久香遅の神は、小さな神さまたちのお姿が見えなくなるまで、じっと峰に立っておられました。

  (つづく)





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな神さま・7

2025-04-11 02:12:18 | 小さな小さな神さま

「いや、いる。わたしはここにいる」
 すると、不意に、眼前の町が、ぐらりと揺れました。円に近い形をした待ちそのものが、風を受けた水面のようにそよいで、大きなおひと方の怒れる神のお顔になりました。
 小さな神さまが、ごあいさつをなされようとする前に、その大きなお顔の神は、涙をしぼられて、おっしゃいました。涙は町を流れる川に落ちて、川岸の道路を濡らしました。
「こんなはずではなかったのだ。こんなはずでは……」
「お悔やみ申し上げます」
 小さな神さまは、頭をたれて、おっしゃいました。しかし稲佐の神の涙が止まるはずもありませんでした。
「言ったのに、殺してはならんと。憎んではならんと……。だがだれもわたしの言うことを聞かなかった。だれもわたしを信じなかった……。そして今や、見るがいい、こやつらを。戦勝を喜び、つかの間の美酒を浴びて得意げに闊歩する者たちの、その足元を」
 稲佐の神は、強く言い放ちました。小さな神さまは、目を凝らして、にんげんたちの足元をごらんになりました。そこには、赤や、青や、薄紅や、灰色などの、かすかに光るかけらがたくさん見えました。小さな神さまは、深々とため息をおつきになりました。それは、にんげんたちの奥に光っていた、あの美しい核のかけらだったのです。
「あわれな子らよ。おまえたちは、何もわかってはいないのだ。おまえたちが殺したのは敵ではない。他人ではない。おまえたちは未だ目も開かぬ赤子のうちに、何も知らぬ心のままに、おまえたち自身の魂を、踏み砕いている……」
 稲佐の神の声は、もうそれ以上言葉にはならないようでした。ただ苦しい嗚咽だけが、見えない蛇のように長く長く続きました。かすかに青みを帯びたその吐息が、幽霊のように辺りを漂い、それは勝利に狂喜する人々の仮面のような顔に、凄惨な色を添えました。小さな神さまは、その様を正視することができず、つい顔をそらし、目を閉じてしまいました。同時に、そんなご自分の行為に、身の縮まるような恥ずかしさを覚え、小さな神さまは、石のようにその場に立ち尽くすしかありませんでした。
 稲佐の神の嗚咽の声に耳を澄ましているうちに、小さな神さまは、もうにんげんを育てるのはやめようかと、お思いになりました。大羽嵐志彦の神のおっしゃったとおりでした。あまりにかわいいので、つい夢中になってしまったが、いずれこんな悲しい目にあわねばならぬのなら、にんげんなど育てないほうがいい。小さな神さまは、もう自分の谷に帰ろうかとさえ、思われました。
 しかし、小さな神さまがそのご決意をなさる前に、稲佐の神がおっしゃいました。
「あなたがたに、頼みがある」
「……頼み、と?」
 小さな神さまがお顔をあげられると、稲佐の神は、口を開け、ふっと息をはいて、一つの核を吐き出しました。
「その人間の核を、久香遅の神のお許に届けて欲しいのだ」
「これは……?」
 小さな神さまが、その核を受け取られると、それは小さな神さまのお手の中で、薄金色にちかちかと光りました。それはみごとな核でした。小さな神さまも、また美羽嵐志彦たちも、このように大きく、ほぼ完全に円いにんげんの核を見るのは、初めてでありました。
「それは久香遅の神の、息子だ。一度は神の心に背き、戦に身を投じたが、やがて憎み殺しあうことの愚かさ、悲しさを知り、深く悔いた。そして何とか戦をとめようと働いたが時すでに遅く、やがて、神の許に帰りたいと願いながら死んだ。ゆえに今までわたしが預かり、密かに守って来たのだ……」
 小さな神さまは、その核にそっとお耳を寄せられました。核は小さく震えて、微かな声で、「おとうさん、おとうさん、どこですか?」と、繰り返していました。
「わたしは、久香遅の神にあわせる顔がない。どうか、あなたがた、その核を久香遅の神に届けてくれ、お願いだ」
「分かりました。届けましょう」
 小さな神さまはおっしゃると、一筋お髪をほどき、その核を通して、ご自分の指にとめられました。いくら大きな核とはいえ、小さな神さまの首や手首にまわすには、少々小さすぎたからでした。稲佐の神は、ご安心なさったように、一言「ありがとう」とおっしゃると、地中にふっと沈みこまれるように消えておしまいになりました。乾いてひび割れたような町が、再び眼下に現れました。先ほど聞いたピキピキという音は、魂が踏み砕かれる音だったのかと、小さな神さまは思われました。

  (つづく)





 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな神さま・6

2025-04-10 02:31:34 | 小さな小さな神さま

  4

 虫椎の神の森を去ると、小さな神さまたちはまた、東へ東へと飛んでゆきました。しかしはるかなにんかなの峰は、なかなか姿を現してはくれませんでした。
「にんかなの峰とは、どのような峰だろう」
 小さな神さまが尋ねられますと、白い珠の中の美羽嵐志彦が答えました。
「美しい峰だとしか言いようがありません。実際にごらんにならなければ、その美しさはお分かりにならないでしょう」
「ふむ。ではにんかなの峰に鎮まれるにんかなの神とは、どのような神であろう」
「お美しい神です。お会いになれば分かりましょう」
「ふむ」
 小さな神さまたちは、竜の背のように峰を連ねる長い連山に沿って、風のように飛んでおりました。眼下には時おり、肥やしをやりすぎた草の群落のように膨れた大きな町や、谷間の隅に掃き集められたような貧弱な町が、次々と過ぎてゆきました。小さな神さまは、にんげんを育てている神はたくさにるのだなあと、感心しながら通り過ぎてゆきました。
 川や谷や山をいくつか見、銀盤のような湖もいくつか見ました。世界はどこも緑で、それなりに美しく、すばらしく、恵みに満ちておりました。旅は楽しく、世界へのほめたたえの言葉は、小さな神さまの中からいくつも生まれました。ただ、少し気にかかることが、一つだけありました。
「美羽嵐志彦よ」
 小さな神さまは、白い珠の美羽嵐志彦に尋ねられました。
「なんでしょう」
「気が付いておるだろうか。先ほどから……」
「はい。しかし今は気になさらぬほうがよいでしょう」
「そうだろうか」
 小さな神さまは、一抹の不安を拭い去ることができませんでした。何と言うに、虫椎の神の森を去ってからというもの、何か、蟻のように小さく、しかしずばやい影のようなものが、自分たちの後からついて来るような気がしてならなかったからです。
 小さな神さまが、振り向かれれば、その気配はさっと、煙が空気に溶けるようになくなりました。しかし、小さな神さまが前を向けば、それは背後で再び、水気が凝結するように固まるのでした。小さな神さまは気味悪く感じられましたが、美羽嵐志彦の言うとおりに、気にしないようにと図りました。
 ふと、小さな神さまは、ゆく手の高い山の向こうから、今までに聞いたこともないような酷い叫びが聞こえて、天を突き刺すように太い柱が、黒々と大地に傾いて立っているところに、出くわしました。小さな神さまは、何だろうとお思いになり、少し近づいてみられました。
「おや、あれは、煙だ。火から出る煙だ。何と大きな煙なのだ。いったい何が燃えているのだろう」
 小さな神さまがおっしゃいますと、美羽嵐志彦がいくぶん悲しげに答えました。
「あれはたぶん、戦でしょう」
「戦?」
「稲佐の神の町と、久香遅の神の町が、争い、殺しあっているのでしょう。彼の町のにんげんたちの反目のしようは、風聞には聞いてはおりましたが、もう戦になったのですね」
 それを聞いた小さな神さまは、信じられないというように目を見開きました。
「殺しあい? まさか、神がそんなことをにんげんにさせているのか?」
「神は戦など好みません。あれはにんげんがやりだしたのです」
「なんと……」
 小さな神さまは、竜に命じてしばし空中の一点にとどまらせました。小さな神さまは竜の背の上で背伸びをしながら、煙の根元から聞こえてくる声に耳をそばだてました。
(コ、ロ、シ、テ、ヤ、ル……)
(カエセ……ツマヲ、コヲ、カエセ……)
(ウランデヤル、タタッテヤル)
(コノシウチ、ワスレルモノカ)
(トキノカギリ、ノロッテヤル……)
 小さな神さまは、言葉を失われました。こんなにまで他者を呪い壊すほどのおそろしい言葉を、今までに聞いたことはなかったからです。胸が空洞のように冷たく痛み、言いようのない寂しさが、湿気のように小さな神さまのお体にはりつきました。美羽嵐志彦が、ぼそりと言いました。
「よくあることなのです。少々知恵が大きくなると、にんげんはすぐ得意になって、暴走してしまいがちなのです」
 その時、小さな神さまの脳裏に、昨夜の虫椎の神のお顔とお言葉が稲妻のようによみがえりました。
「しかし、なぜだ。神が厳しさをもって十分に言い聞かせてやれば、そんなことは避けられるのではないのか?」
「己が知恵に有頂天になっているものに、神が何を言ってもむだなのです。彼らは厳しさを憎悪と受け取り、愛をごますりと思うでしょう。自分以外の何者をも信ぜず、神の心から離れていく……。つらいことですが、にんげんを育てる神なら、一度は味わう悲しみと申せましょう」
 小さな神さまは、まだ信じられぬという風で、苦しげに眼前の風景を見つめておられました。煙はいくぶん薄くなり、先ほどの酷い声も、もうあまり聞こえませんでした。しかし小さな神さまの御身にはりついた悲しみだけは、重く残っておりました。
 小さな神さまは、やがて意を決されたようにおっしゃいました。
「いってみよう。そしてどんなことが起こったのか、見て来よう」
「はい」
 美羽嵐志彦が答えました。
 竜が一つ山を越えると、そこには山裾に石の板をしいたような、みょうに固く乾いた町がありました。にんげんはたくさん住んでいて、それなりに豊かな町らしく、みなふくふくと太っていて、笑っていました。何かが燃えたような跡はどこにもなく、ただ、あちこちで、ピキピキと何かがひび割れるような不快な音が、響いていました。
「ここは稲佐の神の町です。どうやらこちらの町が勝ったようですね」
「稲佐の神はどこにおられるのだろう? 気配が見えないが」
 眼下の町のどこを探しても、神の御座たる社は見当たらず、涼しい気をもつせせらぎや、森さえありませんでした。町は、石や、レンガや、むき出しの土ばかりで、ひどく乾いていて、ただ、町外れに染みのように残っている小さな竹藪ばかりが、苦しげな飢餓の叫びをあげていました。
「なんと、ずいぶんと荒れている。これではもはや、この町に神はいらっしゃらないのではないか?」
 小さな神さまがおっしゃいますと、どこからか、石を割るような声が聞こえてきました。

  (つづく)




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな神さま・5

2025-04-09 02:16:42 | 小さな小さな神さま

「そんなものをもらって、どうする」
 やがて虫椎の神は、小さな神さまのお顔からさっと目をそらすと、傍らに唾を吐くように言い捨てました。
「どうせにんげんなど、すぐに神を裏切って、自分勝手に離れていくに決まっているのだ」
 小さな神さまは、少々むっとされて、おっしゃいました。
「あなたはにんげんを育てたことがおありなのですか?」
 しかし虫椎の神は、その問いには答えられませんでした。小さな神さまは、眉間を少し濁らせましたが、黙ってご自分の問いを取り下げられました。ふと見ると、虫椎の神のこめかみあたりでは、翡翠の翅をした螳螂が、月のかけらのような白い蛾を一匹、むしゃむしゃと食べています。小さな神さまはさりげなくお顔を月の方へと向けられて、お目を清められました。
 虫椎の神は、酒を一気に喉に流し込むと、おもむろに額から紅の兜虫をとり、それをゆらりと空にかざして、剣のように突き出た角の見事な形や、血の玉のような宝石様の輝きをひといき愛でられました。そして目前の客の気分などおかまいなく、ぶつぶつと独り言のようにおっしゃいました。
「……だが、虫はいい。虫は余計な知恵など持たぬ。それにその素直なことと言ったらどうだ。わしが青くなれと言えば青くなる。赤くなれと言えば赤くなる。……あんたも、にんげんなど育てるより、虫を育ててはどうかね。よければ行儀のよい奴を、少し分けてやってもよいぞ」
 虫椎の神は、お目を細めて、兜虫をさも愛しそうになでられました。しかし小さな神さまは、内心自分ならあんな品のない虫は作らないと思っておられましたので、やわらかく断られました。虫椎の神は少し鼻じろんだご様子で兜虫を額に戻されると、再びなみなみと杯を満たしつつ、今度は少しきつい調子で言われました。
「あんたは、知らんのだ。そりゃたしかに、にんげんは、よく芸をする。……ふん。小さいものが自分のまねをしだしたら、神にすればそりゃかわいくもなろう。楽しみにもなろうさ。……だが、かわいいのは、最初だけだ。そのうちにんげんは、勝手なことを始めるようになる。生半可な知恵を鼻にかけ、神を馬鹿にし、まるで言うことをきかなくなる。あれこれと世話を焼いてやった恩も忘れ、神など必要ない、何だって自分たちだけでできるのだなどと、ぬけぬけとぬかしてな。そして、やがては神を忘れ、去っていく。後に残るのは、しぼり尽くされた見る影もない森と、うらぶれたみすぼらしい神ばかり……」
 酔いも回ってきたのか、虫椎の神のお口は次第次第と滑りがよくなってくるようでした。
「だが、虫はいい。虫は裏切らぬ。それに細工に凝れば凝るほど、美しいものができあがる。たぶん、これほど美しい虫がこれほど膨大にいる森は、ここよりほかにないだろうよ」
 まったくその通りだと、小さな神さまは答えられました。いやみではなく、心よりそう申し上げたのですが、なぜか虫椎の神は喜ばれず、むっつりと口元を結んでおられました。
 虫椎の神が黙っておられるので、小さな神さまも何もおっしゃらず、静かにお酒を楽しまれました。甘く渋みのあるお酒ではありましたが、香りの中に何やら深く悲しげな言霊が秘められてあるのを、小さな神さまは感じられました。虫椎の神が、沈黙の中に殺してしまった言葉が、ひっそりと流れてきて、ここに隠れているのだろうか。小さな神さまは目を閉じられ、舌で酒の中の言葉を探ろうとされたのですが、刺すような渋みに、たちまちのうちに言葉は連れ去られてしまいました。
 やがて風がしばしの沈黙の幕をひらりと揺らしました。虫椎の神は最後の杯を干されますと、のそりと立ち上がり、一言のごあいさつもなしに、去っていこうとなされました。小さな神さまはあわてて、虫椎の神の後ろ姿に、御礼の言葉を投げられました。虫椎の神は答えず、ただその肩の辺りで、蛍をいっぱいにほお張った女郎蜘蛛が、丸々と太った腹をちかちかと光らせておるだけでした。
 虫椎の神のお姿が見えなくなると、小さな神さまは吐息を一つつきました。揺らいだ視線を何げなく美羽嵐志彦にやりますと、美羽嵐志彦は首をこくりと傾けて、ほほ笑みました。小さな神さまもほほ笑んで、傍らに寝そべる竜の頭をなでられました。こんな場合は、どんな言葉も出て来ぬものだと、おふた方ともちゃんと知っておいでなのでした。

  (つづく)





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな神さま・4

2025-04-08 02:13:41 | 小さな小さな神さま

  3

 すだれのような青い山々の壁をいくつか越え、小さな神さまは、大きな川のほとりの、深い森へとやってきました。
 長々と飛び続けてくれた竜の疲れを、そろそろ癒してやろうかと思い、小さな神さまは眼下の森を見渡しました。すると、竜の好みそうなせせらぎが見えたので、小さな神さまは森を囲む小高い峰の一つに立たれました。竜を水気の玉にもどされながら、小さな神さまはその、まるで低地に黒々とわだかまる巨大な獣のような鬱蒼とした森を、ひとしきりながめられました。
「何やらみごとに濃い気を放つ森だが、ここの神はどこにいらっしゃるだろうか」
 小さな神さまがおっしゃいますと、白い珠の中から美羽嵐志彦が答えました。
「この森を統べる神は、虫椎の神とおっしゃいます。少々偏狭な方でいらっしゃいますが、礼を尽くしてお頼みすれば、竜を癒してくれましょう」
「偏狭とは?」
 小さな神さまが尋ねられますと、今度は早羽嵐志彦、於羽嵐志彦が次々と答えました。
「彼の神は、美しい虫を育てることに凝っておりまして」
「森の中には虫ばかりがうじゃうじゃといるのです」
「虫ならわたしの谷にもわんさといるが」
「ごらんになれば分かりましょうが、たぶん比ではありますまい。とにかく、虫椎の神にお会いした時は、まずその髪飾り、ひげ飾りを、言葉の限りにほめちぎらねばなりません」
 美羽嵐志彦が言いました。この分け身の神は、他のおふた方を率いる総領のような立場であるらしく、声の響きも一段と深く堂々としておりました。
 小さな神さまたちがひそひそと話しておられますと、突然眼下の森がざわざわと震え、どらのように響く太い声が聞こえてきました。
「どなたかは知らぬが、そこにいるのは分かっておるぞ」
「ああ、これは申しわけありません」
 小さな神さまは、あわてておっしゃいますと、ひょいと峰を蹴られました。森の一画に、角のように突き出た小さな岩壁があり、そこに何やら気配が揺れたので、小さな神さまはその崖に向かって静かに降りられました。すると、がざがざと周囲の木立が揺れ、まるで風景の一部がもぎとられるように、黒い影のような神が、のっそりと現れました。
 小さな神さまは、目の前の神のお姿をごらんになって、少しげんなりとなさいました。とてもお美しいとは言いかねるお姿であったからです。
 虫椎の神さまは、全身を熊のような縮れ毛でおおわれ、ぼうぼうの髪やひげには瑠璃や黄水晶や珊瑚の玉を、びっしりと重いほどぶら下げておりました。いやよく見れば、瑠璃と見えたものは小さな青い甲虫で、黄水晶と見えたのは小さな黄色のシジミ蝶、珊瑚の玉と見えたのは、赤々と膨れた胴をした、大きな大きな蜘蛛でした。
 小さな神さまは、お気持ちを抑えながら、ていねいに名乗られ、ごあいさつをなされました。もちろん、虫椎の神のお姿をほめたたえることも忘れませんでした。
「旅をしておるのですが、竜が疲れておりますので、そこのせせらぎで少し休ませて欲しいのです」
「旅をね。まあいいだろう。ただしあまり騒いで、わしの虫どもを驚かさんでくれよ」
「もちろん、おじゃまだてはしません」
 小さな神さまは、ほっとしておっしゃいました。すると虫椎の神さまは、虫をざわざわ従わせながら、くるりと背を向けて、いってしまわれました。その後ろ姿で、珊瑚の玉の蜘蛛が、瑠璃の甲虫をぼりぼりと食べているのをごらんになって、小さな神さまは、またげんなりと眉をひそめられました。
「世の中には変わった神もいるものだ」
 その夜、せせらぎのほとりで、白い月神のお姿を見上げながら、小さな神さまはふと漏らされました。
「あれが今のあの方にとっての、一番のお幸せなのでしょう。少々偏ってはおりますが」
 他のふた方は珠の中で休んでおりましたが、美羽嵐志彦だけは元の姿にもどり、水気をたっぷりと吸って眠っている竜の傍らに、涼やかな笑顔で立っておりました。
「だれが偏っている」
 突然、背後から、ざわりと気配が起こりました。見張りのつもりで周囲に気を巡らしていた美羽嵐志彦は、ひどく驚きました。小さな神さまも、驚いて振り向かれました。
 虫椎の神さまは、昼間とはまたうってかわって、豪華な装いをなさっておりました。瑠璃や珊瑚はもちろんのこと、真珠やら碧玉やら柘榴石、金剛石までそろえて、ひげというひげ、髪という髪に結びつけてありました。もちろんそれらの正体は、みな虫でありました。指には猫目石のような甲虫が並び、薄黒い衣の裾には、碧や茜や銀の眼をした蜻蛉が、縫いつけられたように並んでいました。そして額には、拳ほどもありそうな、大きな深紅の兜虫が、鎌のように角をそらして、とまっていました。時おり光りながら、ふらふらと頭の周りを飛ぶものは、蛍でしょうか。
 虫椎の神は、小さな神さまのそばにどんと座られますと、小さなヒョウタンと杯を無造作に差し出されました。ヒョウタンからは、イチイの実と濃い酒の匂いがつんと漂いました。あまりよい作法とは言えませんが、虫椎の神は神なりに、訪問者にもてなしをなさろうとされているらしく、小さな神さまはとまどいつつも、杯を受け取られました。
「旅をしているというが、どこにゆかれる?」
 虫椎の神さまは、酒をちびちび飲みながら、尋ねられました。小さな神さまは、にんかなの峰ににんげんをいただきにいくと、答えられました。すると虫椎の神は、蟻の黒群のような濃いお眉の間から、大きな白目をぎろりとむいて、小さな神さまをにらみました。一拍の沈黙が、和やかに始まろうとしていた宴の空気を、寸断してしまいました。

  (つづく)





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする