プロフェッサーになれるかな…?

はたして大学教員になれるのか?!
夢はかなうのか?!
更新がなければ逃亡(?)しました。

大学院入試 当日

2005年10月29日 | 2.大学院への道!(更新終了)
昨日の夜は、3時くらいまで準備していた。
「何の準備?」といわれると何かさっぱりわからないけど・・・
とにかく時間が、ゆっくりと、過ぎていた。

朝は10時に起きる予定が30分前に目が覚め、起床。
朝から朝食にカツ丼を作り、縁起担ぎ。
ゆっくりと朝の準備をしながら、
「11年前の大学入試の朝は、どないしてたんやろなー」
と、思い出そうとするが、よく思い出せない。
せめて、この1年間のことを簡単に振り返ってみると、なんだか泣けてきた。
正直1年前は、夢と希望だけの大学院受験だったが、実際に過ごしてみると、
これからの将来・金銭的問題・職業など、決して楽しいことばかりでないことに
気がついた。今の生活も、余裕のあるものじゃない。
「この選択はほんとに正しかったのか?」一瞬そんな考えが頭をよぎると、
涙が出てきた。

「学びたいと一年前に決めたのはオレや。今日はその集大成。だれよりも
 今日1日を楽しんでこよう!」
再び受験生の自分が、自分をはげました。

行く道すがら、たえず大学受験当時のことを思い出そうとするが、覚えていない。
多少記憶があるのは、ほとんど人のいない受験場に早く着いていたことくらいだ。

定刻の1時間前の1時頃に到着。学際直前で学内は人が多い。
受験は大学院棟であった。口頭試問受験者は控え室に行く。
控え室は予想に反して2~30人の受験生が控えていた。中でも年配の人が
少なくなかったのは、少し驚いた。席に着き、自分の順番を待つ。
待っている時間がすごく早く感じられた。

予定時刻ごろに教室を移動して、口頭試問開始。担当は以前お話したことのある
2人の先生だったので、すこし緊張がほぐれる。
始めは現在の職業や大学での研究活動の概要説明。
「成績は可が多いですねー」といわれたとき冷や汗が流れる。塾を優先させて
しまっていたことを話すと、「学校休んで働いてたんですねー」となんとなく
かわせた感が残るやり取りができた。面接部分は、上出来ではなかったろうか。
問題は、口頭試問。吾妻鏡の書き下しを読むよう指示される。
(うおっ!返り点ない!やばーーー!)緊張で声が出ない。
止まってると、先生がゆっくりフォローを入れてくれるが・・・ムリ・・・読めない・・・
「・・・では、文中の『葉上僧正』とはだれですか?」うーん、やばいー
「・・・文化を研究するのに知りませんか、この人。」文中に(茶)とある。栄西?
ここまできたらどーにでも!と思い、恐る恐る「・・・え、栄西ですか?」と言うと、
「そうですね、栄西です。これは有名な栄西が将軍に
茶を勧めているところの場面です。」と言った。とりあえず良かった・・・

手ごたえなんてものはない。
意欲を伝えたか、でいうと、できた。知識を披露できたか、でいうと、アウト。
でも、家を出るときに思ったことは、実行できたかなぁと振り返る。
結果はどんなものでも受け止める。けど、またここに来たい。
そんなことを考えながら、帰りの駅に向かった。

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合格祈願

2005年10月25日 | 2.大学院への道!(更新終了)
湊川神社に、受験前のお参りに行った。
大学入試でご利益があって以来、機会があるたびに
お参りに神戸を訪れる。

西九条駅で阪神電車に乗り換え。お参りの前に図書館へ。
一駅目の千鳥橋で下車し、此花の図書館でめあての本を探す。
が…見当たらない…うーん、端末で検索したらあるのになぁ…
しかも、おなかいたくなるし…とりあえず、トイレへ…
先週土曜も中央図書館へいったが、お目当てが見つからず、無駄足だった。
「うへぇ、今回も無駄足かぁ;;」と思い、トイレから出てきて、再び
書架に戻ると…運命の出会い!一発発見!よかったぁ!
無事借りることに成功し、心置きなく湊川神社へ。

尼崎で乗り換え、高速神戸へ。地下街を抜け神社前に到着。
平日のお昼くらいということで、七五三の親子づれが1組訪れているだけだった。
『しじゅうごえん(45円)がありますように』と、サイフから45円を
まさぐり探すが、10円玉が3枚しかない;;
しかたなく55円(ゴー!ゴー!)おさい銭箱に入れ、鈴(?)もならさず
一心不乱にお願い事を心でつぶやく。どうか合格できますように…

帰りは三ノ宮まで、高架下を通りながら帰る。おなかがすいたので、
予備校時代にバイトをしていた喫茶店でご飯食べようと立ち寄るが、
震災後周囲の様子がまるっきり変わっていて、店を確認できなかった。

お礼参りにまたこれるといいなぁ

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受験票、到着

2005年10月23日 | 2.大学院への道!(更新終了)
仕事から帰ってきて、郵便受けを見ると、
大学院からの受験票が届いていた。

どうやら、専攻やら専修やらの名称を書くのを
間違えていたようで、赤ペンで修正されていた。

受験日を改めて確認すると、29日。
14時からの受験。今週の土曜が決戦の日。

今週一週間は、参考書籍を読みまくって、
最後の悪あがきをしよう。
そして、当日、きちんと自分の意欲が
伝わるような話し方をしよう。

冷え込みもぐっと深まってきた。ファンヒーター稼動。
季節はいよいよ受験の冬だ。
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プラスの発想

2005年10月17日 | 2.大学院への道!(更新終了)
研究室訪問からかえってきて10日あまり、
体中を覆っていた不安が、その正体を現した。
やっとわかった。何が不安だったか。

先生の「年齢が・・・」の発言。これだった。

お金のことや学問の道が厳しいことも、聞いていて
辛かった(ていうか耳が痛かった?)けど、
一番自分が想定していなかった種類のハードルだった。
どうしようもない、しかも自覚していなかった(泣)問題。
どーやら先生は、年齢的なものが引っかかってるらしい。
同じ話題を西本先生と話したときのギャップがあまりに大きかった。
そうか、だからここんとこ不安なんや・・・

・・・うーん、でも冷静に思うが、どんなこと(仕事)でも、
「年とってるけど、大丈夫?」と言われたら、答えはもう
「でもがんばります!!」以外にないのでは・・・

何を、どんな答えかを期待してわざとそんなことを言ったのだろうか・・・
もはやこれがテストで、この問題にどう答えるのか、ほくそ笑んでるのか・・・
・・・疑心暗鬼の塊となって過ごしたここ数日だった。

年齢は・・・実年齢×0.8!まだまだ落ち着いていられる年じゃない(自称)!
将来は・・・また、塾にひらってもらったらええやん!
この先の浮き沈みも、歌えば楽し!!
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願書出願

2005年10月08日 | 2.大学院への道!(更新終了)
「今日、願書を出願しないと間に合わない・・・」:;

おとついは、仕事&能開だったので、受験活動はむりだった。
(しかも頭がぐわんぐわんに痛かった・・・)
で、昨日は研究計画書の手直しと職務報告書の作成で費やす。
焦りの気持ちで過ごした。

研究室訪問後から、頭の中が常にマイナス思考・・・
ある意味よかった(覚悟を決められた)けど、その副作用がデカすぎる・・・
ほんまに仕事やめてよかったんかな・・・受験失敗したらどないしたら・・・
乗り越えたと思った悩みと再びがっぷりよつに組む。

とにかく、レースに出よう!でないと、1等賞も参加賞ももらえない。
受験のレースに本日エントリー。しばらく不安と戦うことになりそう・・・
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研究室訪問

2005年10月05日 | 2.大学院への道!(更新終了)
今日は研究室訪問の日だ。
研究計画書は結局昨日の夜完成した。
今朝、多少の手直しをしてようやく準備完了。

3時過ぎに家を出る。天気は雨。折りたたみ傘を装備。

関大前の駅前は、授業後の学生が家路に着く流れができていた。
その流れを逆流するように、大学へと向かう。

「ええと、先生の研究室をどうやって調べ・・・どうやっ・・・んっ!」
やばい。先生の名前をド忘れした(アホ)。
「これはやばいよ!研究室の場所を聞こうにも聞けないやん!!」
うろたえながら、なんとか文学部棟へ。しかしここでも問題が。
「うぉ!文学部棟が1から4まである!やばい!!やばすぎる!!」
雨でぬれたんだか冷や汗なんだかわからないびしょびしょ状態で、
しばらく付近を徘徊する(おバカ)。

その後、時間割表を発見し、めでたく先生の名前を思い出し、
近くにいた職員っぽい人に研究室の場所を丁寧に教えてもらう。
地獄に仏とはこのことだと喜び、研究室へ。

研究室の棟は、床がピッカピカに磨き上げられているが、古い建物だ。
雰囲気は・・・うん、キライじゃない。むしろ好き。
研究室に到着したが明かりがついていない。時計は・・・4:50。
しばらく前で待たせてもらうことにした。

すると間もなく、小柄な人が向こうから歩いてくる。先生だ!
あいさつもそこそこに、研究室に通してもらった。
研究室の中は、想像通りの光景だった。先生も、まじめそうなお人柄だ。
話の中心は、学問とういうより、私の生活を心配していただく内容だった・・・
・・・正直ちょいへこみ。覚悟してきたのに、その覚悟を試されたのか??
うーん、これも試験(試練?)なのかも知れない・・・
『このゲンジツ乗り越えて、オレんとこへこーい!』と言っているのかな??
1時間あまりの滞在時間。手ごたえもなんもなく岐路に着く。

「もうこれでええわ!」と思っていた研究計画書。もっかい練り直そう。

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懐の中身、判明。

2005年10月03日 | 3.派遣の仕事(更新終了)
今日夕刻に派遣会社の担当Kさんから携帯に
電話があった。

昼間も何度か着信していたようだが、気づかなく、
折り返し電話する気もなかった。
でも、昨日の悶着の事後処理の連絡と思い、
「・・・退社手続きだとかの説明なら、聞かなあかんしなぁ」
としぶしぶ出る。

すると、ちょっぴりテンション低めの
(こんな場面で高いわけがないけど;;)
担当Kさんの「昨日はごめんねー」から話題がスタートする。
こちらもこんな電話、ハイテンションで対応できないので、
聞きに徹する姿勢で臨んだ。

 ※以下会話内容
 K「携帯に連絡くれていたみたいだけど、出れなくてごめんねー」
 私「いえいえ・・・」
 K「しかもこちらも、留守電に用件だけ入れていて・・・」
 私「いえいえ・・・」
 K「私もYさん(Kさんの上司)からお叱りを受けて反省してるんです」
 私「いえいえ・・・」
 K「で、やっぱり力かしてほしいんやわ、やっぱり。必要やねん」
 私「いえいえ・・・」

「すげー、わし、『いえいえ』だけしか発言してないのに、会話が成立してる!」
と、妙なところで感心しながら話を聞いていると、どうやら
事後処理の案内ではなく、再び来てほしいとのことのようだった。

また仕事探すパワーを費やすことをを考えると、
『来てくれ』といわれた方が正直助かる。
時間的ロスも最小限だし。
5日までと29日の休暇も約束してくれた。
電話は6日に再び出勤することを約束して終了。

派遣会社に対する印象は変わらない。
「なんかやっぱり裏表あるんやろなー でも尻尾つかめへんなー」
て感じ。自分自身も、「いいように派遣の仕事を利用してやれ」
と思って、この受験の年を過ごしている。休みたいときに休み、
辞めたいときに辞める。私もKさんも腹の探りあいって感じ。
たしかに懐の中身は、結局腹なのだから、探られても仕方ない。

明日はいよいよ(やっと?)研究室訪問の資料作り。
どうやら悩みが1つ減ったようなので、没頭できそうだ。




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懐の真実

2005年10月02日 | 3.派遣の仕事(更新終了)
今日は仕事に出かけた。
ほんとは研究室訪問の準備に充てさせてほしいと
休みにしてほしいと先だって申請していた。
その約束での10月の契約更改だったはずである。
そんな日なのに、今日、出勤したのは
こんないきさつがあった。

回想シーンスタート!

9月30日【1日~5日まで休暇を申請中】
派遣会社担当K
「ごめんやけど、あしたはもともと出勤の日やったから
 入ってくれへんかなぁ」

10月1日【2日~5日まで休暇を申請中】
派遣会社担当K
「明日からの休暇は取れるようにはからうわ。
 そういうのがオレの仕事やし」
 ※その後何度も携帯に連絡を取るが、不通。
  夜に携帯に伝言
  「申し訳ないけど、2日3日は出勤して、4日は
  (同僚の人に)相談してみてください」

10月2日【失意のうち出勤し、退職の意思をを報告】
派遣会社担当Y
「Kと連絡が取れない。とりあえず明日は休んでいい。
 改めて連絡する」

回想シーン終了♪


というわけで、きょうで退職した。
終わり方、最悪。


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