花眼の旅人

速足の旅人から花眼の旅人へ

恥の文化は何処にいった?

2008-01-14 20:38:02 | Weblog
『恥』を意識しない日本人は外国から蔑視されているでしょうね。

どうしてこんな国になったのでしょうか。
日常、接する事の中で目を覆いたくなることばかりで不愉快な日々が多過ぎます。
きめ細かい配慮と恥の文化が日本人の特性だった歴史がこの何年かで脆くも崩れ去ってしまいました。
年齢に関係なく「何でも有り」を蔓延させたのは何なのでしょうか?
建築だけでなく食文化さえ「偽装」で崩れ去ってしまいました。
いったい誰が声を大にして古き良き伝統を守ろうとしているのでしょうか?
我が国の主導的立場にいる官僚、政治家が率先して自己の利益を追求していて憂うべき本来の仕事をしていないことに端を発しているのではないでしょうか。
これ程姑息な日本人の性格を見せられるとやはり外国人の日本離れは加速するばかりですね。今日のNHKニュースでは去年の国別株騰落率でなんと一定規模以上の国で下落率の大きさが52カ国中2番目に大きかったようです。
考えるにその国を買うと言うことは勤勉で伸びるだろうと期待するところから始まることであって、つまり国民性を買うみたいなものではないかと思う訳ですがその点こういう結果が出たということは言わずもがなの様です。
これに関しても政府日銀は無為無策を続けていますな。
世を憂う気構えは人間に必要不可欠な要素であると五木寛之氏は述べています。
毎日テレビでは大食い女が出てきて拍手喝采を送っています。
女性の大食いは『恥』だというのを誰も指摘しない。
芸能人崇拝主義のマスコミも度が過ぎています。テレビに映るのが特別な人達と位置づけ映らない人達を一般人と呼び蔑む傾向すらある。

外国人が日本を見捨てたように日本を見捨てる日本人も多くなったようだ。
知人家族はまるごと海外移住してしまった。
憂国の思想が無く人間不信が渦巻いた国は救いようのない世界かもしれない。


「人間の関係」五木寛之著

2008-01-08 17:54:15 | Weblog
最近読む本に五木寛之の著書が多い。

その中の一冊でこの「人間の関係」があった。

彼が鬱状態の時に日記にどう書いたら気が晴れるか色々試してみたようだ。
初めの第一期の「歓びノート」
続いて第二期の「悲しみノート」
最後の第三期は「あんがとノート」

いづれも一日の終わりにありのままの気持ちを書き留めてみるらしい。

鬱が晴れたかどうかはそれぞれに違うようだ。
その人の年齢・環境・気分の質・重度軽度によっても違うだろう。

人生は生まれてから「驚き」「楽しむ」「悲しむ」「有難う」という時を順に
経ていくものらしい。

最近の私はどうも彼の本ばかり読んでいるということは「悲しむ」の時代にいきているようで仕方がない。