考えるあるみさんのブログ

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MMTの特徴と問題点(メモ)…マルクスに戻って批判しなければならないらしい

2019-11-15 13:41:43 | 政治・経済

 「反緊縮」「政府がお金をつくって財政出動」の理論的根拠とされるMMT(現代貨幣論)について、興味深い論考があってので紹介&メモである。ハーバー・ビジネス・オンライン(フジサンケイグループらしいのだが、なぜか政府・政権や保守的な考え方に批判的なサイト)における、結城剛志氏による参議院選挙前の連載記事から…リンクとコピペ

現代貨幣論(MMT)はどこが間違っているのか<ゼロから始める経済学・第7回>
 MMTは貨幣論です。これを財政・金融政策を論ずる政策論の次元で評価しても空振りに終わります。既存のMMT批判は、政策論の根幹にある貨幣論に届いていません。(中略)
 MMTの貨幣論は、中野氏が「国定信用貨幣論」と呼ぶように、国定貨幣論信用貨幣論の合成です。これらは一般に相いれるものだとは考えられず、2つの異なる貨幣論があると考えられてきました。(中略)
 MMTによれば、貨幣は本質的に債務であり、国が創るものです。そして、債務が貨幣の本質なので理論的には現金のない信用経済を考えます。信用経済とは、貸借によって成り立つ経済です。(中略)
 問題は、国と国民の間の国定貨幣循環(タテの循環)国民間の信用貨幣循環(ヨコの循環)が、理論的にはパラレルな関係になっていることです。レイは、国が国民に課税し、国民が国に納税するという権力関係を、私人間の信用関係と同じレベルの債権債務関係に類するものだとみなし、タテとヨコの本来交わらない「デュアル・サーキット」(二重の貨幣循環)債務というひとつの契機でつなぎました。ここがMMTの要石です。拡張的な財政政策は貨幣論から自然に出てくるものであり、いくら政策を批判してもMMTの土台をなす貨幣論はまったく揺らがないのです。 しかし、税を課し、税を支払わなければ罰するという権力関係と、商品の売り買いから生じる信用関係とは本質的に異なるものです。くわえて、国定貨幣が国家権力に基づいて創出されるとの想定が適切ではありません。かりに、国が純粋に力で商品を買っているのだとしたら、それは購買ではなく、徴発です。国が商品を買うためには、市場がもたらす価値を国に引き上げるほかありません。つまり、課税を通じて、市場で生み出された価値を集めて使うかたちになります。(中略)
 税債務としての貨幣が、信用貨幣のように私人間で広範に流通する根拠が示されていません。MMTは、国と国民の間の権力関係から生まれる徴税と納税の関係と、私人間の商品売買関係から生まれる債権債務関係という、まったく含意の異なる社会関係を同じものとみなしている点で決定的に誤っているのです。(中略)
 現代のお金はお札(銀行券)と預金です。ミクロ・マクロ経済学に代表される現代の主流派経済学は、現代のお金を適切に説明することに成功していません。この問題に正面から切り込んでいる点でMMTの研究姿勢は真摯であり、評価できます。(中略)
 MMTは、現代の通貨が兌換のない信用貨幣であることを適切に説明しています。そもそもの問題は、現代の主流派経済学が、不換銀行券と預金通貨からなる現代のお金を整合的に説明できていない、という点にあります。この問題を解決することなく、MMTがいいとか悪いとかいってみてもほとんど意味がありません。(以下略)

現代貨幣論(MMT)はどうして間違ってしまったのか?<ゼロから始める経済学・第8回>
 前回は国定貨幣論と信用貨幣論の関係をみました。今回はMMTにおける商品貨幣論の取扱いについて説明します。MMTが信用貨幣論の着想を受容しながら、国定貨幣論との無理な結婚を迫らざるをえなかったのは、商品貨幣論とのつらい別れがあったためです。過去の商品貨幣論がしっかりしていればこうはならなかったでしょう。  多少なりとも貨幣的な経済学に触れたことのある方であれば、信用貨幣論が国定貨幣論と仲がいいなどという考えは通常とりえず、むしろ商品貨幣論と親和的であることに気づきます。商品貨幣論をベースに信用貨幣論を発展させられていれば、こんなことにはならなかったのです。それができなかったのは、もちろんMMT自身の限界ではありますが、商品貨幣論側にも問題なしとはいえなかったでしょう。(中略)
 本稿で問題にしたいのは、MMTでは、商品貨幣論と金属主義的な貨幣観との混同がはなはだしいということです。お札と「金(=gold)」との交換が約束された金本位制のもとでは、お金の価値は「金」によって支えられていると考えることができました。しかしそう考えると、「金」との交換ができない現代のお金の価値を説明できなくなります。MMTは、「金」と商品の区別がつかないために、「金」による説明原理を失った途端に、商品貨幣論そのものを否定し、国という外部の要因で説明するしかなくなってしまうのです。(中略)
 金属が貨幣の本質だと考える見方はたしかにおかしく、現実を説明できません。ところがMMTでは、金属主義としての商品貨幣論は採りえないと考えるがゆえに、国家の力によって貨幣に価値を与えるとする国定説に助けを求めてしまうのです。金属主義批判には一理あるものの、解決法は下策をいってしまいました。

 実際、内藤氏の批判の矛先は新古典派の経済学者を念頭に向けられており、またその問題点を、物々交換モデル、お金を交換の道具と考える説(交換手段説)、物価がお金の量で決まると考える説(貨幣数量説)においている点で、マルクスの商品貨幣論とは無縁です。内藤氏は慎重に断っています。 「ここで批判の対象としている商品貨幣説は、メンガーに代表される新古典派的、オーストリアン的な理論である。マルクスおよびマルクス経済学に関しては、ここでの批判が単純に適用しうるかどうかは、それ自体大きな問題であると思われるため、ここでは扱わない。」(『内生的貨幣供給理論の再構築』)(中略)
 これは経済学の初歩の初歩ですが、そもそも新古典派に商品という概念は存在しません。新古典派が考える市場で取り扱われる「物」は財です。したがって、新古典派の商品貨幣論といわれているものは、厳密には財貨幣論というべきものです。財交換または物々交換に基づく理論だからです。(中略)
 さて、商品の概念はマルクスによってはじめて与えられたものです。これは「物」(財)でもありませんし、金属でもありません。市場で売られているすべての「物」が商品です。つまり、みかんも著作権も等しく商品であり、かたちがあるとかないとか、金属か非金属とかいうことは関係がありません。商品には、売り物としての価値がある、これが貨幣の基礎なのです。
 
マルクスは、古典派の物々交換論を捨て、商品がお金で売買される資本主義論として経済学を再構築することで、古典派・新古典派、そしてMMTが解決できなかった商品貨幣論と信用貨幣論との関係を説明したといえます。  商品貨幣論に結びつけられた信用貨幣論の知見は極めて常識的なものです。すなわち、貨幣の価値は、銀行システムを媒介にして、市場で売買されている商品の価値にリンクされます。財政は、税を通じて市場で生み出された価値を集めて使うだけです。魔法を使う余地はどこにもありません。MMTが、物価という恣意的な留保を付けて、無制限ともいえる財政支出を容認してしまうのは、貨幣を論じるときに市場との関係をいったん切って、国の力という外部的な要因を持ち込んでしまうためです。財政を市場から遊離させる理論的な操作をしているようにもみえます。(以下略)

 長々と引用してきた…私も含めた「左の人たち」も貨幣論についてはほとんど考えたことがないだろうから、ちょっと難しいかも知れないが…貨幣論はどうやら「商品貨幣論」「信用貨幣論」「国定貨幣論」の3つがあるらしい(それ以外にもあるカモしれない)。現代は「商品貨幣論」が成り立たないので、貨幣を説明するには「信用貨幣論」か「国定貨幣論」であろう。で、「国定貨幣論」の「貨幣の価値は国家が(徴税を通して)恣意的に決定できる」ことはやっぱり問題だね…商品の価値と結びつかないで、国家が決めれるものでもないでしょう。「信用貨幣論」も、その価値は売買される(ハズの)商品の価値に裏打ちされているモノ…そーゆーことはマルクスがちゃんと言っている!のだそうな!?へへへ。

 ということで、MMTをちゃんと批判しようと思ったら、やっぱりマルクス・資本論に戻らないとイケナイというお話らしい。

 蛇足だが、初めの紹介記事の後半はアベノミクス批判にもつながり、次の紹介記事の後半はMMTを紹介した中野剛志氏への批判でもあるのだが、そのツッコミが逆にMMTが展開する社会を見据えたかっこうになるので興味深い。

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「お金をつくる」反緊縮理論の問題点

2019-10-19 10:13:10 | 分配について

 生産の過不足におけるマルクスの勉強が全然進まないので、別方向へ(^^)

  10月4日、エル大阪で行われた「何とかならんかこの日本!?本質的変化を見据えて政権交代を実現しよう」という集会に参加した。メインは先の参議院選挙で山本太郎率いる「新選組」から比例代表で出馬した大西つねき氏と、立命館大学経済学部教授で、「そろそろ左派は『経済』を語ろう(亜紀書房 2018年5月)」や「薔薇マークキャンペーン」で「反緊縮」政策を唱える松尾匡氏との対談である。二人の対談内容から、いろいろ感じたこと、考えたことをまとめてみた。
 太西氏はJPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行で金融の仕事をしていたため、銀行や金融の本質についてよく知っている。円なりドルなりの通貨発行は国家の「中央銀行」が独占的にやっているのだが、彼によれば本質的にお金というものは民間の銀行が借金という形で私的に発行し、通用させている(このしくみを「信用創造」という)。誰かの借金は別の誰かにとっては資産になり、発効したお金(借金)は利子を取るしくみになっている。利子というのは、「金持ち(資産持ち)」だからもらえる特権的なものでしかなく、これが格差を広げ、あらゆる経済や社会の「持続可能性」を妨げているので、このしくみを変える必要がある。
 そこでお金の発行は政府が行い、利子をとらないようにする。また単なる流通手段としてのお金そのものには価値はなく、人が具体的に働き、モノやサービスを生産することでしか価値は生まれない。お金を社会に回すことで、人びとが動く(働く)ように社会設計を変えていく。その方向性を打ち出すため彼は「フェア党」という政治団体をつくって発信し、「新選組」から参議院選挙で出馬もしたわけだ。
 驚いたことに松尾氏も「お金の発行のしかたを変える」、すなわち金融システムを変えるという考え方は、大西氏と同じだそうな。「薔薇マークキャンペーン」その他からは伺えない考え方だが、「ケインジアン」松尾氏によれば「政府による通貨の発効」や「国債の日銀直接引き受け」は法律を変えないと出来ないが、国債をめぐりめぐって日銀が買う(アベノミクス的手法)で「お金をつくる」なら法律を作らずとも可能だという「方便」らしい。

 彼らの主張は究極的には「銀行を国有化して政府が通貨発行権を握る!」ことに行きつく、すなわち社会主義・共産主義につながる政策となる。また松尾氏らが著書等で主張する「政府がお金をつくって」社会にバラ撒き、社会を動かそうとすることは、実際の仕事は民間が行うにしても政府が直接、必要な社会的労働や物資を調達することになるので、これまた社会主義・共産主義的な政策である。ここで注意しなければならないのは、政府が社会的な仕事を、通貨発行権を持たずに「税金の範囲で」やる場合は、出来ることが限られるので社会主義・共産主義にはならない。ケインズを突き詰めてもマルクスにはならないのだ。
 「共産主義社会」で政府が通貨発行権を握って社会を運営する場合、円やドルといった通貨の代わりに「労働証書」を発行することになる。これは「あなたは○○時間労働したので、社会から〇〇時間労働分の財やサービスを受け取れますよ」という「クーポン」のようなものだ。労働が不可能な高齢者などには、年金の代わりにベーシックインカム的に財やサービスが得られる「クーポン」が渡されるであろう。当面の交換につかう単位として円やドルが労働証書やクーポンに使われるにしても、これは通貨とは別物なので資本として使われることはないし、そもそも「共産主義社会」では賃労働と資本の関係は止揚され、資本なんてない。
 だが資本そのもの、資本主義社会の金融や株式といった基盤システムが大々的に残っているなかで、政府が通貨発行権を握って、しかも円やドルといった既存の通貨をそのまま発行した場合どうなるか?「お金」は当初は労働者民衆にまわっても、究極的には資本に還流し、吸い上げられる。「過剰な資本」は今も世界中を巡って利子や配当を要求し、世界の実経済を脅かしている…大西氏が目指す「持続可能な社会」を妨げている…生産が金融に脅かされる状況が変わるどころか、ますます悪化することになる。資本が要求する利子、配当が得られない(と判明した)場合、リーマンショックを上回る金融危機が訪れ、あの時のように生産は止まり、多くの人が困窮することになる。そして金融資本は世界中を巡っているので、危機が日本国から始まるとは限らない。
 だからお金が資本に流れないようにする「かなり強力な規制」、あるいは金のあるところから、徹底的に収奪するしくみを作る必要がある。現在の所得税や法人税のしくみを強化するだけでは足りない、金融資産その他モロモロの、ありとあらゆる資本から取り立てる。国外やタックス・ヘイブンに逃げるヤツにも容赦しない!そう、資本主義にケンカを売る必要があるのだ。こんな大それた変革を、たかだか議会で過半数取るだけで実行可能なのか?やっぱり最終的には「革命」が必要になってくる! 

 「薔薇マークキャンペーン」やアメリカ民主党左派のサンダースやウォーレン、オカシオコルテスらが主張する「反緊縮」を支える理論としてMMT(現代貨幣理論)が話題になっている。通貨発行権のある政府にデフォルトリスクは無く、政府が通貨をつくれる以上、政府支出に予算制約は無い。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である…というもので、通貨は政府が税として徴収することで成り立つ「租税貨幣論」や「国定信用貨幣論」に基づいている(これに対するのが「商品貨幣論」)。一見トンデモのように見えるこの理論は、信用でお金をつくることができる現代社会においては、ある程度「正しい」のであろう。これは信用制度の発展により政府が通貨発行権というものを使って、共産主義を準備する下地が出来上がっているとみるべきであり、また政府が通貨をバンバン発行しても完全雇用が達成されないかぎりインフレなぞ起こらないというのは、民衆が本当に必要とする財・サービスを供給する以上の生産力がすでにあり、こちらも共産主義を準備しているということの証左でもある。だから左翼・左派がMMTにもとづいて「反緊縮」を息継ぎ政策でやるのはいいとしても、そこで止まっていてはイケナイのだ。松尾氏はマルクスをかじっていながら、そうゆう大切なことを言わないで、ケインズ政策が未来永劫続くような絵を描いているから叩かれるのである。

 最後に「お金をつくって」でも大々的な財政出動政治を行う場合、それは徹底的な民主主義、話し合いの下に行われるべきである。ほとんど際限なく発行できるお金を、何に使うのか?国土強靭化のための公共事業か、教育分野や、環境対策か、介護・福祉分野に投入するのか…など。また中央で一括では決められない、地方分権、地方自治も必要だ。そして公にお金を投入すれば「利権」も発生するので、透明性の確保も大切だ。そしてこれらは「共産主義社会」にも当てはまるのである。

参考:大西つねき氏の金融システム論(長州新聞)
   10月4日の大西、松尾対談集会(長州新聞)

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発想を転換して、お勉強宣言

2019-06-30 15:36:05 | 政治・経済

 前回までの議論で、かなり「マルクス主義」から離れてしまった。
 MMTというのは、現代のニューケインジアンらも依拠する論理で、米上院議員バーニーサンダースの経済顧問であるステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学スト―二―ブルック校教授)がMMT派であるという。またアメリカ民主党で史上最年少議員となったオカシオコルテスが支持しているということでも話題になっている。

 それはともかく、本ブログで今のところMMTのお勉強をするつもりはない…
 研究するのは需要不足(デフレ)下で政府支出によって需要を喚起する「ケインズ政策」を実施することが、マルクス主義的にみてどうゆうことなのか?ということをやってみたい。
 その前に…マルクス主義の体系は「需要不足」ということは考慮されていない。需要が不足する=供給が過剰→ → →過剰資本を問題としている。資本が「過剰」になれば、破綻していくというものだ。
 ただし、G-W-G´において、WからG´への転換が「全て、確実に」行われる…と仮定されている。これは「セイの法則」といって、「非貨幣市場の総供給と総需要が常に一致する」という原則、すなわち「作ったモノは必ず市場で全部売れる!」という原則(原理?)をリカードが採用し、マルクスも取り入れているからだ。
 ちなみに「総供給と総需要が常に一致」というのは、現代の新古典派でも暗黙的に採用されており、これが新古典派が労働市場に対し楽天的な見方…失業は存在せず、現在ある失業は雇用のミスマッチに過ぎない…てなことを支えているのであるが、それはおいておこう。
 この「セイの法則」はケインズの「一般理論」によって否定されている。

 マルクスに戻ろう…ただし「セイの法則」が成り立たない世界において…過剰資本であればWは需要以上に生産(需要不足)され、全てが貨幣Gになるわけではない。G=W>G´となり、倉庫に余ったWが退蔵される。現代では、需要に合わせて生産量の調整を行うので、Wが余ることはないが、最初から少なく生産するので、G>W=G´いずれにせよ、資本は増殖しない。で過剰なGが増殖先を見つけてさまようことになるわけだ。
 この状況が不況であり(恐慌ではない)その解決策として?ケインズは政府支出によりG-W-G´がまわるようにしましょう!と言っているわけだ。政府支出の「財源」として、ケインズはふつうに「税金」としているわけであるが、現代の左派、ニューケインジアンは富裕層への課税強化(収奪)およびMMT理論に基づいた政府債券発効…自国中央銀行引き受け…となるわけである。 

 また、マルクス主義的な考察にあたっては「資本主義の終わり論2」にいろいろ示されている再生産表式、すなわち…①    資本を生産財を生産する資本Ⅰ(部門Ⅰ)と、消費財を生産する資本Ⅱ(部門Ⅱ)に分類し②W=C+V+M…生産物は原材料などの元からあった価値Cと、労賃(可変資本)Vと、剰余価値Mの和である③部門Ⅰの生産物はⅠ(C+V+M)、部門Ⅱの生産物はⅡ(C+V+M)と表す…てなことから、単純再生産・拡大再生産過程を考え、「資本主義の終わり」を考えてみる…要するに、資本論2巻20章、21章を再度お勉強しつつ、若干の「ケインズ的」考察をしてみよう…という大胆な試みをしてみよう!というものである。

おまけ…関西本線亀山駅にて、キハ120形

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もう少しベーシックインカムについて考える

2019-05-28 16:11:12 | 分配について

 前回は、MMT理論が正しいかどうか分からないので、政府が国債を引き受けたり、実質日本銀行券を「刷り増し」(実際の手続きは、パソコンのキーボードで数字を入力するだけの作業となるが)したりするとヤバいよねってことで、BIにはお金のようでお金でないクーポンを使ってみては?と提案した。なぜ国債引き受け、日本銀行券の刷り増しがヤバいかっていうと、生産されたもの以上に消費が行われることになれば、ものすごいインフレになるからだ…で、これはクーポンによって解決するのだろうか?

 実際のところ、政府が直接クーポンを発行して人びとに渡すと、それは日銀券と同じように使われる(ただし「資本」として使われることはない)。クーポンは直接、消費に使われることになるから、消費が増えることには違いがない。そこで生産されたもの以上に消費が行われるならば、ものすごいインフレになることには変わりがない。せっかく配ったクーポンもただの「紙切れ(電子データ)」となるわけだ。だからクーポンにこだわることにインフレ防止の意味はない。

 ただ「ものすごいインフレ」って来るのだろうか?

 前回書いたように、日本の財政は赤字国債(特例公債)の発行で27兆6千億円賄っている。2018年度末で国と地方を合わせた長期債務残高は1100兆円を超え、対GDP比では196%と高水準である財務省のHP(pdf)がこうした状況が長年続いているにもかかわらず、日本の金利水準はゼロに張り付いたまま…いつまでたっても日本国債はデフォルトする気配が見られないし、ものすごいインフレも起こる気配がない…MMT理論が正しいかどうかはともかく、GDPの2倍の「借金」があっても破綻しないのは、国民経済内でどこかつじつまが合っている、すなわち「国の借金は民間の資産」になっているということがあるだろう。また、このぐらいの国債発行では、日本が持つ生産力を上回る「消費力」なんてまだ出てきていないということも考えられる。

 MMTでは「マクロ的な供給不足からインフレを起こすような場合」には増税を行って、市中からお金を回収することになるが、その前に、日本にどのくらい生産力があって、どれだけ国債発行(もしくは日銀券刷り増し)ができるか計算できればいいかも知れない。そんな計算ができない、難しいからこそ、MMTでは通貨発効を政府が中央銀行を通じて行い、インフレになったら(なりそうだったら)増税で回収するという方法をとっているのだろう。

 増税で回収と書いているが、何もインフレが起こる(起こりそう)な時にやるばかりではない。BIをやった場合、働いていて賃金収入がある人からは所得税という形で回収すればよいし(BIの分も含め税務署に申告する)年金制度の1階部分は必要なくなるので、その分の保険料もチャラにして増税で取ればよい。そうすれば、実質BIを配るのは非労働者に対してのみである。日本の就業者数はおよそ6600万人総務省統計局だから、月6万円のBIを配るのを4000万人とすると、1ヶ月2兆4千億円、1年で28兆8千億円となる…あっ、だいたい現行の国債発行額ぐらいに近づいた。なんとかなるカモしれない。

おまけ…いすみ鉄道大多喜駅

 

 

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ベーシックインカムをやるための財源

2019-04-30 16:12:58 | 分配について

 前回、BIとして人びとに渡すものは、政府機関が発行する「紙切れ」…クーポンである…とした。ただし、別にクーポンでなくても政府に「収入」があれば、現金をそのまま人々に手渡してもエエわけだ。毎日、1日当たり100円を全民衆に配る。労働している人は賃金として別途100円受け取るが、のこり4人は100円しかもらわない。一方、資本家は1日1100円分の商品を世の中に送り出し、賃金分として100円払っている。生活必需品として5人が500円分は必ず購入がある一方、別の賃金労働をしている労働者が残りの商品を買ってくれるので、全ての商品が売れたとすると、あと500円手に入る。これで何も問題はないハズだ。

 問題は政府にBIを実施する十分な「収入」があるかどうか?ということだ。仮に1日100円を1億人に配るとすると、1日100億円。1ヶ月3000億円、1年で3兆6千億円となる。
 仮定の社会では1日100円で人が生活できるとしたが、現実の社会はそんなに甘くはない。仮想社会として1日一人当たり8000円が必要としたが、もう少し厳しくして、年金制度の1階部分に相当する、一人月6万円程度、日あたり2千円!はいるだろう。これを1億人に配るとして、1か月6兆円!1年で72兆円もの「財源」が必要だ。しかも恒久的に。
 財務省のHPにある昨年度の一般会計昨年度の一般会計(pdf)の歳入内訳を見れば、所得税収入が約19兆円、法人税収入が約12兆円、消費税収入が約17兆6千億円となっている。また支出では社会保障費が約33兆円、国債費が約23兆円、地方交付税交付金等が約15兆5千億円、公共事業が6兆円、文教費・防衛費がおのおの5兆円ぐらいである。

 BIを実施する場合、社会保障費の一部、たとえば生活保護のためのお金や、年金制度を維持するためのお金はBIにつけ代わる、あるいは削減できる。あと防衛費や公共事業費から1兆円ぐらいずつ出るか?それで所得税を130%増税して6兆円弱、法人税を150%増税して6兆円…ひえぇ~(消費税増税は、反人民的なのであえて考慮しない)30年前、バブルの頃は所得税収入が最高で26兆円あったし、法人税も19兆円の収入があった。これぐらいははなんとかなりそう? でも+70兆円を集めるということは、大変なことだ
 年金制度の1階部分ということで、GPIF(年金積立金管理運営独立行政法人)が運用する150兆円を流用するとしても、1回流用してしまえばあとは無くなるので、難しい…

 ところがここに、BIを実施するための新しく強力な「理論」が出てきた…「MMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)」である。これのキモは「独自通貨を持つ国では、政府債務の増加がマクロ的な供給不足からインフレを起こすような場合でなければ、経済成長と雇用の増加が続いている限り、政府債務の増加自体は問題ない」というもの。実際、日本の財政は赤字国債(特例公債)の発行で27兆6千億円賄っている…こうした状況が長年続いているにもかかわらず、日本の金利水準はゼロに張り付いたまま…いつまでたっても日本国債はデフォルトする気配が見られない…こりゃ~「MMT」って正しいんじゃないの?ということにもなる。
 ということは、MMT理論に乗っかって国債を発行し、そのお金でBIを実施することが出来そうだ。
 ただ「マクロ的な供給不足からインフレを起こすような場合」が来ると、この方法は使えなくなる。インフレのきざしが出てきた場合、すなわち供給に対し市中に出回るお金が増えすぎた場合、増税を行って市中からお金を回収しなければならない。インフレになったからといって、急に増税するわけにはイカんので、そうなる前からちょっとずる増税を行い、税金のとり方とかを変えておく必要はあるのだ。 ただ、72兆円も一気に債務を膨張させると、あっと言う間に供給能力を上回る「お金」が出回ることになりそうな気がする。

 また日本政府は「異次元の金融緩和」ということで、日本銀行が国債を「引き受ける」形をとっている。国債発行残高約860兆円のうち、半分以上の460兆円を日銀が保有している。日銀が保有している国債は期限がくれば借り換えができるので、実質返済する必要がないそうな…この状況は政府が独自にお金を刷っているようなものであると考えることが出来る。
ならばお金=日本銀行券を刷っちゃえ!というわけにもいくまい。そこで思いついたのが「クーポン」だ!

次回はこれについて考えてみよう。

おまけ…鉄道むすめコレクションズ

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