およそ「商業」や「商売」という、財やサービスを(貨幣に)交換する行為は、商店を通じて行われる。商店はそこであるもの、財、サービスを「売っている」ことを世間に広くアピールする場である。
米を売っています、野菜を売っています、肉を売っています、ラーメンを売っています、理髪サービスを売っています、性的サービスを売っています…等々、その「場」に、米が欲しい人、野菜が欲し人、ラーメンが欲しい人、理髪サービスが欲しい人…不特定の人がやってきて、貨幣との交換が行われるわけである。
逆を考えてみると、街には「私は米が欲しい!」「俺はラーメンが食べたい!」と叫んでアピールしていたら、誰か不特定多数の人がやってきて、米をくれたりラーメンを食べさせてくれるというようなことはない。ラーメンが食べたい人がお昼にどっかに集まっていると、そこに不特定のラーメン売りたい人がやってきて、カネを払えばラーメンを食わせてくれるというシステムはない。
街中で「俺は性的サービスを買うぞ!」とおらんでいるのは、ただのアブナイ人である…
買う側が積極的に「買いますよ」とアピールしているのは、廃品回収などのリサイクル業、あるいは労働力を買う「求人」ぐらいしか思いつかない…
大昔の「交換」は「市」という場で行われていたのだが、そこだと「売りたい人」「買いたい人」が同じ場に集まって、丁々発止、交渉して売買が成立する。どちらも市に出かける必要がある。それ以降は、売る側が商店を構えて、〇〇を売る、という行為を行う…これが商業の始まりということになる。
しかし、商業というのは片務的だ…売る側と買う側は「対等」であるハズなのだが、売る側は世間に対し、積極的に「〇〇を売っている!」とアピールしないといけない。店舗などの施設も必要だ。現代のネット通販だと、店舗は必要ないが、それでも「〇〇を売ってます!」とネットやなんかで宣伝をかけまくらないとイケナイ…売る側の労力は大変だ。
でも食料品なんか、売ってくれないと買う側はおなかがすいて、下手すれば餓死するぞ⁉
おお、「商品は貨幣を恋い慕う」とは、こうゆうことなのか???
また「買いたい!」というニーズがあっても、「売ってくれる人」がいなければ商売にならない…新しい商売を始めるということは、埋もれていたニーズを掘り出して、それを顕在化させるということでもある。
「女性用風俗」というのがあるらしい…女性に対し「性的サービス」を売るものであるが、これなんかもこっそり「ニーズ」があったものを、掘り出してだれかが始めたものなのだろう…別件になるが、こうゆうのはなんでも「始めたヤツ」「パイオニア」というのがエラいわけである。
おまけ…2023年に超久しぶりに行った、北海道旅行での写真…キハ40だぜっ!