
今年も無事に運動会が終わった。
コロナ禍が空けて久々に
来賓を招いて、
地域に解禁しての
本格的な運動会。
教員の
「働き方改革」「行事の見直し」が
問われている。
バタバタの1日を終えて
「運動会って、本当に必要なの?」
改めて自問してみることにした。
そもそも
歴史の長い学校では、
「秋季大運動会」と呼ばれることが多い。
私が初任だった頃には
「春の小運動会」が存在した。
徒競走と綱引きだけの
半日の「小運動会」だった。
今では
「小運動会」は無くなり
「大運動会」ですらも
天候等の関係で
春に運動会を行う学校も増えた。
既に
「秋の大運動会」の面影はない。
運動会を阻害する要因は…
「練習に時間数がかかる」=年間指導時数の制限がある
「天候に影響される」=延期が続いたら仕事も休めない
「お弁当作りが大変」=毎日は作り続けられない
「熱中症が心配」=熱中症アラートにビクビクする毎日
「ケガが心配」=種目がどんどん制限されている
「体育が苦手な児童もいる」=児童が苦手ならば親の応援意欲も半減
「教員の負担が大きい」=運動会への労力で残業が倍増
…数え出したらキリがない。
それでは、
運動会は無くすべきなのか?
それは、
「誰が残したいのか?」
それにかかっている。
運動会を続けたい人は…
「体育は大好き」=体育の時数が増えると児童が嬉しい
「我が子の笑顔が可愛い=我が子の努力や活躍を見たい保護者は多い
「地域が喜ぶ」=跡継ぎとしての子ども達が元気だと安心する
「県の目標に一致している」=地域とともにある学校づくりは県の教育振興基本計画の1つ
…つまり、
運動会を実施することは
学校の存在意義の
一翼なのである。
運動会の会場の隅では
卒業生同士が再開していた。
年度末に異動した職員が
現職員や教え子達、
そして、
保護者とも歓談していた。
学校があると
人が集まる。
「学校を核にした地域づくり」
運動会は、
人が集まるための
きっかけになっている。
…というわけで、
来賓の招待や
駐車場の準備は大変だけど、
続けるしかないかぁ……