タローの犬小屋DX

僕は、何を探しているんだろう?
taro-dx1983@mail.goo.ne.jp

恋人の値段

2008-02-28 23:30:41 | 言葉
家族のような恋人
ただ傍にある平和という
いつでも笑う友達のような恋人
時に涙の受け皿
兄弟のような恋人
気付けば逆転しているバランス
教師のような恋人
指し示された道への信頼を
恋人役のような恋人
流れる台詞の美しさに泣く
親子のような恋人
背負うのは辛くないだろうか
分身のように同じ顔をした恋人
隣に並んだことさえ忘れて
見知らぬ他人のような恋人
振り返る時は抱き締める時か

関係なんて千差万別
比べる理由がどこにある?

深夜にかけた電話の回数
眠っていて気付かなかった
仕事中に笑顔を思い出す頻度
思わず苦しくなるだろう
相槌のタイミング
合わない時は知らん顔
沈黙の長さ
感情を言葉にするため
メールに連なる「Re:」
途中で消すのは癖でしょう
肌を重ねた時間
もちろん唇も含めて
少し高価な贈り物
たとえ安物でも気にしないのに
紹介した友達の人数
気まずく笑った友達もいた

一体、愛情を何で測ろうって?
そのものさしは何で測る?

君の瞼を撫でた指にも
君の名を呼んだ声にも
値札はついていないだろう?

人並みの幸せ

2008-02-26 22:13:19 | 日々
仕事帰りの地下鉄車内、雨に濡れた体を狭いシートに沈めると、向かい側に「メガネ×黒髪×スリム」なイケメンリーマンがいた。プロフはおそらく、175*55*27くらいだと思う。隣には彼女らしき人を連れていた。二人を見ていたら、何だか…欲情した(笑)。

いや、欲情は嘘です。
少しだけ、想像をしたんだ。

目の前に並んで座る若い二人も、近いうちに結婚するかもしれない。マンションの一室に平和な家庭を持つ。夫婦は共働きで、家事は曜日ごとに分担したりしてさ。やがて子どもが生まれ、毎日の小さなことに喜んだり悲しんだりする。仕事に疲れた苛立ちも、子どもの寝顔で吹き飛ぶんだ。父母が祖父母に変わり、初孫に甘い顔ばかりするんだけれど、「もう、あまり甘やかさないでよ」なんて怒ることもあって。月日が経ち、子どもが幼稚園に入って、小学校に上がって、どんどん大きくなるのを見ながら、自分たちの老いさえ笑顔で許せるような。

そんなつまらない想像をした。



人並みの幸せなんて幻想さ。
比較できないものなど全て。

でも、僕は一瞬だけ、それを羨ましく思ったんだ。おそらく僕が一生かけても手に入れられない「幸せ」を。まるでよくできた箱庭のような、絵に描いた「幸せ」を。どれだけ乞うても得られない、ただそれだけの理由で。

仕事は大変

2008-02-25 21:55:43 | 日々
唇を強く噛むような思いで、重苦しい沈黙の中にいた。逃げ出してしまいたい衝動に駆られながら、それが叶わないことは最初から分かりきっていたこと。平気な振りで、本当は大変。何も考えていない顔で、本当はショートしそうな回路。

二年目の自覚を持て、と言われる。
四月から、舞台の中心に立つ。

まだ一年しか経っていないのか、もう一年も経っているのか。僕の手は何を得てきたのだろう? この目は、耳は、一人で立つための術をちゃんと見聞きしてきただろうか。問い掛けられると、不安でたまらなくなります。

それでも、

「無理」だとか「できない」だとか、

決して君が口にしない言葉を、喉の奥に無理矢理押し込めて。
明日も僕は働くよ。何かに負けてしまわないように。

演技者の自覚

2008-02-24 15:21:07 | 日々
昨夜遅く、何となく寂しくなって彼氏にメールを送ると、「新潟にいる」という返事。酒宴の最中らしく、「飲み過ぎないようにね」と言っておいた。吹雪いている新潟の地で、風邪をひかないように、とも。体の芯まで冷え込む空気の中、身を震わせる姿を想像しながら。



そうして気遣う僕も、本当は「いい彼氏」を演じているだけか。
これ見よがしに優しさを掲げて、誉められたいだけか。

考えると、分からなくなるよ。



演技している時、僕にはその自覚がある。優越感や罪悪感を抱えながら、演技している自分を冷ややかに見つめる第三者の自分自身も知っている。だけれど、無自覚に演技している顔があるとしたら、僕は何を話せばいいだろうか。

純度百%の優しさ、そんなものないと知っていても。

優しさの表明

2008-02-23 20:06:45 | 日々

優しくなりたいと思う。
その意味さえ分からないまま。

友達の家に泊まった翌朝、休日出勤で早い時間に出ていった彼に対して、せめてものお礼の気持ちから部屋の掃除を軽くした。すると、後で「そういうことはあまりしてほしくない」と言われてしまった。まぁ、実際はもっと柔らかい言い方だったのだけれど。きっと、気を遣ってほしくないのもあるだろうし、他人に家の中のものを好きに触られたくないというのもあっただろう。
僕は、心の中で当然喜ばれるものと思っていた。だから、友達の言葉は予想外だったし、少なからずショックだった。でも、おそらくはそれが普通なのだろう。僕がしたことは単なる自己満足に相違なかったと、気付かされた。相手を喜ばせたくて、少しは感謝もしてもらいたくて、結局のところ見返りを望む行為だった。

知らず知らずのうちに、僕は他人に優しさの押し売りをしていたのかもしれない。
相手の顔など見てはいない。僕が見ているのはいつでも、相手の瞳に映る自分の顔だった。



優しさって、何だろう?
どうしたら優しくなれるかな?



…あぁ、実に情けないな。
二十五歳になったって、未だに優しさの何たるかを知らない。

誤って茶碗を割ったのは、優しさの押し売りの空回り。

ハイビスカス

2008-02-23 14:32:07 | 日々

旅行から二週間が経ち、回想録もようやく終わり。

ひめゆりの塔で暗く重たくなった僕は、ぽつぽつと胸の内を友達に話し、その痛みを共有してもらうことで少し楽になった。シャワーを浴びて、夕食を終える頃には笑えるようになっていた。何ができる訳でもないけれど、あの時に感じた痛みは嘘じゃなく僕の胸に残るから、せめてそれを覚えていようと思った。雑多な日常の出来事に忘れてしまうこともあるだろう。でも、またいつか沖縄の土を踏んだ時には訪れよう。きっと、誰かへの、何かへの、小さな祈りのために。

さて、二日目の夜は思い出すだけでも笑えてきてしまうんだな、これが。夕食を終えると、誰からともなく「夜の海を見に行こう」という話になった。そこで、またもや僕の危うげな運転。しかも、夜道には街灯が少なく、恐ろしく暗い。昼間とは感覚も違うので(さらに言えば、僕は方向音痴なので)、無事に帰ってこれるかしら…と思いながらのドライブ。
辿り着いた海はと言えば、いや、本当に真っ暗。結局、天気は回復しないままで、月も星も光っていなかった。時折、空を横切る飛行機の灯りが一際大きく眩しく見えた。夜の黒い海は、やけに波の音を響かせていた。ふと吸い込まれてしまいそうなくらい。昼間に見たビーチとは全く違う顔だった。どこまでも果てなく続き、何もかもを飲み込みそうな巨大さに少しおののいた。

そんな海を見ながら彼氏に電話したのは、完全なノロケ。
東京と沖縄、離れても風と波の音が届いたならよかったよ。

海から帰る途中でスーパーマーケットに立ち寄り、お菓子やらジュースやらを買い込み、何となく楽しい気分に。だって、若者っぽいじゃない?(←この考え方が既に若くはないらしい)宿に戻ると、まったりした空気の中、だらだらとしたトークが展開。何て言うか、パジャマパーティー的なノリ(笑)。本っ当にバカな話ばかりしたなぁ。でも、あの面子の中でも一番ぶっちゃけてダメージが大きかったのは、他ならぬ僕だったような気がする。若干ひかれてたよね。まぁ、楽しければいいとして。午前零時を回って消灯しても、会話がまだまだ続いていくのは当然。あの「古今東西」は歴史に残ると思われます。例えば、

「古今東西『エッチ中に好きな行為』」
「古今東西『今までヤッた男の名前』」

誰一人としてアルコールが一滴も入っていなかったのに、あんなグダグダな感じになるのもすごいよね。やっぱり旅先だからっていうのが大きかったのかもしれない。二日目の夜は寝るのも何だか惜しくて、いつまででも話していたいと思えた。まるで修学旅行の夜のように。話している内容はとてもくだらないことなのに、それがとても愛しくて、大切なもののように感じたんだ。明日には消えてなくなるような、それこそ青春の輝きのような(クサい台詞です)。



今、思い返すと、やり残したことばかりあったような沖縄旅行。最終日には首里城へ行こうとするものの、予想以上の交通量に阻まれ断念、とかね。それでも、そういった全てはまた次の機会に回せばいい訳で。そう考えれば、人生の楽しみが増えたようで嬉しくもなる。そう、発想の転換ということで。

ハイビスカスの花言葉「新しい恋、繊細な美」

きっと、訪れる度に、僕は恋をするんだろう。次こそは突き抜けるような青い空が見られますように、降りしきる星の光に出会えますように。そうして、ずっと願い続けて、追いかけるに違いない。「新しい恋」も「繊細な美」も、手に入らないから面白いんだね。

またいつか行こう。

ファイティングポーズ

2008-02-18 19:54:02 | 日々
何だか無性に苛立った。
白い息を吐きながら、大股で歩いた。
胸の内に渦巻くものをうまく言葉にもできずに。


生きるとは、戦うことだ。

辛いことや面倒なこと、
怖いことや退屈なこと。
自分に自信などなくても、
不敵に笑わなければならない時もある。

戦う意志を忘れたら、生きていく意味などない。



生意気な言葉を自分に言い聞かせてみる。
萎えてしまいそうなのは寒さのせいだと思おう。

雪でも降りそうな、冷たい夜空を仰いだ。

ひめゆりの問う

2008-02-16 23:44:57 | 日々

沖縄二日目の話。

オスの匂いが立ち込める高級安宿で適当な朝食を済ますと、人通りの少ない道を抜けて朝市へと行ってみる。ところが! 市場は午前三時から開いていたらしいので、午前九時過ぎに僕らが行った時にはもうほとんど終わっていた。仕方なく、その雰囲気だけを見て、気付けばアーケード街でお土産物色タイムに突入。
でも、お土産を買う時って、すごく迷う。自分のために買いたいものはほとんどないから、大抵は友達や家族のために買うんだけれど、何を選べば喜んでもらえるかで考え込んでしまう。キーホルダーなんかもらっても困るだろうし、食べ物も好みとかあるから難しいし、置物なんかはどこに置けばいいんだって感じだし…という訳で、結局大したものは買いませんでした(笑)。

さて、二日目最初の目的地は、琉球王国最高の聖地と呼ばれる「斎場御嶽(せーふぁうたき)」。初日は友達に車の運転を任せっぱなしだったので、ここからは僕の運転で。ハンドルを握るのは久し振り&慣れない車と初めての道、という悪条件の中、何とか走りました。ナビのおかげ…(汗)。辿り着いた斎場御嶽はと言えば、とても神聖な空気の漂う場所でした。自然そのままに立つ木々と、とても自然にできたとは思えない岩のトンネル。さすがにそんな聖地では、僕らの口から下ネタなんて出ませんでした。男の話もしませんでした。琉球の歴史、恐るべし。
斎場御嶽近くの浜辺まで降りていき、ここで初めて青い海を目にする。残念ながら、この日も空は曇っていたんだけれど、それでも海は透き通った色で、砂浜には白いサンゴの欠片が無数に落ちていた。沖縄なんだなぁ…と改めて実感した。それから、海の見える素敵なカフェレストランでおいしいランチを食べて腹ごしらえ。

ランチ後、平和祈念公園へ行った。戦争関連の施設を回るかどうかは友達とも悩んでいたんだけれど、せっかくだから行くことに。公園には、人々の名を刻んだ黒い石がいくつもいくつも並んでいた。そこに名のある誰をも、僕は知らない。それでも、すぐ傍の海を背景にピースサインで記念写真を撮る若者の笑顔が、許せなかった。
平和祈念公園から、ひめゆりの塔へ。資料館の中には、これまで僕が知らずにいた事実が淡々と残されていて、歩を進める度に胸の奥が重くなった。沖縄戦で命を落とした少女たちが、モノクロ写真で並ぶ。カメラの前に立った彼女たちは、自分がどんなふうに死ぬかなんて、ほんの少しも考えなかっただろう。半世紀以上の時を経て、僕の目に映るなんてことも。

ひめゆりの塔を出て、二日目の宿泊場所に着いても、僕は喋れなかった。



悲しかった訳じゃない。悔しかった訳じゃない。
押し黙った心の奥にあったのは、きっと怒りだった。



胸を塞ぐ沈黙が、苦しくて苦しくて仕方なかった。

一昨日の夜、いつも通勤に使っている地下鉄の駅で、若い女性が電車にはねられて亡くなった。事故なのか、自殺なのか、詳しいことは分からない。だけれど、一人の人間が死んだという事実はそこにある。それを知りながら、僕は昨日も電車に乗り、駅を通過し、仕事をした。帰りも同じように。車内の人々は皆、何も知らない顔をして、楽しげに笑ったり、気持ちよさそうに居眠りをしていた。一人の人間が命を落とした駅で。

僕には何もできない。
いつか死んだ人にも、一昨日死んだ彼女にも。

ただ、変わらない日常を送ることしか。

青を失くす

2008-02-16 00:56:06 | 言葉
かつて君の瞳は青く
憂いを帯びては宝石のように光る

つまらないことを悲しみ
笑えもしない言葉に胸を躍らせた
居場所を探して歩き疲れると
暖かそうな席に座った

人々の顔色ばかりを盗み見て
暗い感情に溺れていた
卓上の砂糖菓子が
艶やかに溶けていくのを見た

あんなにも欲しがったものを
どうしてか今は思い出せない

かつて君の瞳は青く
その青さゆえに見えない色があり
必要以上に傷ついた

青を失っていく

君は今
色とりどりの街並みに立ち
淡く濁っていく世界を
何色に塗り変えればいいだろうと悩む

バレンタインデーに考えた

2008-02-14 22:17:05 | 日々

ますます波乱に富んだ沖縄二日目の話も書きたいのだけれど、今日は世間の人々が浮かれ騒ぐバレンタインデー。せっかくだから、そういう話でいきましょう。沖縄の話はまた後日。

僕、チョコレートもらいました♪

と言っても、職場の女性数名から。もちろん義理。必要以上にドキドキしていた学生時代に比べると、チョコをもらっても別段嬉しいこともなかった。まぁ、それが何であれ、誰かから何かをプレゼントされるというのは楽しいことではあるけれどね。大人になるというのは、本当の義理チョコをもらえることだと思う(笑)。僕はゲイであるゆえに、女性からチョコをもらっても「あ、この人、もしかして気があるのか?」とにやついたりはしない。感覚としては、同性にもらうようなものなのだろうか。

ゲイにとってのバレンタインデーとは何か。

チョコをもらっても意味がないのなら、あげる側に回ればいいのか、というと、それも少し違うような気がする。ゲイの友達(タチ)に「彼氏にチョコあげないの?」と尋ねると、「あげない」という返答。頭が乙女仕様な僕(ウケ)は、それが普通なのかしら…と疑問に思ってしまった。「ウケがタチにチョコをあげる」という図式は、タチ=男、ウケ=女、ということを暗に言っているようで。僕はそれに納得がいかない。
要は、好きな人が相手であれば、誰があげてもいいと思う。外国では男性から女性にプレゼントするなんてことを、何かのテレビで見たし。もちろん、バレンタインなんて関係ねぇよ、ってのもいい。それは人それぞれの自由。ただ、僕は他人に何かを贈るのが好きなので、こういう機会があるのなら、これ幸いと言わんばかりに活用したい(笑)。

…って、かなり適当にバレンタインについて考えてみた今日。

本当は僕だって、彼氏にチョコをあげたいさ。だけれど、わざわざそのためだけに東京までは行けないし、郵送するのも気が引けた。仕事帰りに少し会えるような距離にいたなら。こんな日は、叶わない夢のような想像も顔を覗かせるね。



好きな人にチョコレートをあげた人、
好きな人からチョコレートをもらった人、幸せであれ。



今朝、通勤の途中で雪が降っていた。大きくて灰のようにも見える、牡丹雪。道行く人々の頭やコートの肩に着地しては、すぐに溶けて消えていった。音もなく淡々と降る景色を眺めていると、不意に自分の居場所を見失いそうになる。止まった時間に閉じ込められたような気分で、いた。