以前に書いて、消えてしまってからショックでしばらく書けなかった。ほとんど書き終わるところだったのに。
で、ようやく気を取り直して書き直す。
三題話である。いやいや、本当は同じ時の出来事として「友人の入院」というのも加えるべきなのかもしれないが。とにかく、一つのことを意識すると必ず他の二つの事を思い出さずにはいられないという、たとえば、TVでアイススケートを見るとピーナッツが食べたくなってきたりとか、ピーナッツを食べていると必ず「落ち葉の物語」という歌が頭の中に流れてくる。そんな密接な関係がある。
アイススケートを習いに行ったのが中2の2月のこと。
大阪は梅田にあった屋内型のスケートリンクで、いしだあゆみとその姉の石田治子も通っていたというリンクだが、1ヶ月間毎日曜の早朝にスケート教室が開かれているという、阪急友の会のお知らせがあったので、1ヶ月間通うことにする。日曜の寒い早朝に出かけて、講習が終わるとその後はフリータイムで一日中(と言っても長くはいないが)すべっていられるというもので、まったくの初心者ながら参加する。
しかし、結論から言えば、教えてもらったのは最初の一日だけ。しかも靴紐の結び方と氷上の歩き方のこの二つしか教えてはもらえなかった。
理論的にはアイススケートは重心の移動さえできれば滑られるようになるので、正しい歩き方ができさえすればそれで十分というところがある。
まず片足立ちをする。次に上げた方の足を地についている足の横に置き、静かに重心を移動させてもう片足に完全に重心を移動させれば反対の足を上げる。これの繰り返し。
そして今度は重心を移動させるのと同時に少し前に軽く押し出す。重心の乗った片足で滑り出す。この時、重心の移動が出来ていないままに押し出すと残った方の足が後ろになってしまって、そちらに重心が残ったままなのでこけてしまう。
少し滑り出すと、足を横に置いて重心を移動させるだけで反対の足でも前に進むことができる。
最初は重心の移動だけの練習で氷上を足を交互に上げて歩いて行く。慣れてくると少し押し出して、これでしっかり滑られるようになる。
滑るだけなら一日ですっかりできるようになる。
そして習ったのはこれだけだった。
まあ、小学生の女の子ならこれから先フィギュアをいろいろ覚えていくのに、その後のことも教えて貰っていたのだろうが、中学生男子で滑れたら良い程度の生徒には他に教えることなどなかったのかもしれないが。
そんなわけで1ヶ月4日間の後の3日は何も教わることなくフリーで滑るだけになってしまった。まあそれでも滑られるようになったのだからいいんだけれど。
何度も転んでそのたびに暖炉で暖めたり。その間にテラスに出ているうどん屋できつねうどんを食べていたり。お金があまりないので、スケートリンクに行ってはいつも食べていたのがピーナッツの自動販売機で、小銭を入れると少量のピーナッツが紙のお皿に入って出てきた。豆類は本当はあまり好きではなく、特に落花生は今でも食べられないのだが、柿の種に入っているようなピーナッツだけは今でも好きだ。一時嫌いになった時期もあって食べなくなった頃もあったけれど、中2以来、好きな期間の方が長い。ピーナッツは好きだが落花生は嫌いだと言うことも後にわかったことだが。ちなみにうちの娘もピーナッツは大好きで、家で買っているといつのまにか無くなっていたりする。
スケートには音楽がつきもの。昔はスケートリンクにはレコードがかかっていた。DJのような存在はいなくて、音楽が聴きたければ自分でレコードをかけるしかない。昔は「ジュークボックス」という便利な機械があった。何10枚物レコードがおさめられている機械で、お金を入れて番号を押すと、指定されたレコードが選び出されて自動的にかけるという機械。昔は盛り場等人の多く集まる場所では、今のプリクラ並みにどこでも設置されていた。
このジュークボックスで僕のお気に入りだった曲が、ザ・タイガースの「落ち葉の物語」。彼らが出演していた某チョコレートのCMで使われていた曲の元歌で、タイガースの歌の中では今でも一番好きな歌だった。
だからこの時期、どこのスケートリンクに行っても、ピーナッツを食べながら「落ち葉の物語」を聞いていた。
梅田のスケートリンクはフィギュア専門のリンクで、駅から近かったのだが狭いのが難点で、足を伸ばせば阪神電車淀川駅のそばにラサ・スケートリンクという大きなリンクがあったので、滑りに行きたい時はこちらの方をよく利用した。ちなみにいろんなスポーツセンターでもあって、アーチェリー場もあったので、帰りにはアーチェリーをするのが常だった。もっとも当時のアーチェリーは特別な装置のついた弓ではなく、何もついてない弓を使用していたのだが。
ここのスケートリンクはスピードスケート用とアイスホッケー用の2面のリンクがあった。フィギュア用ではホッケー用のリンクしか使用できず、スピード用では中のリンクは使用できない規則だった。ハーフスピード用の靴もあって、これは中でも使えたかな?僕はここではハーフスピードかホッケー用をいつも借りていた。フィギュア用ではときどき先に付いているエッジでつまづいてこけることが多かったから。つまづく癖は別にエッジのせいだけではなかったことが今ではわかる。今でも何もない場所でつまづくことが多いから。
一人で行くこともあったが、その頃親しかった友人のK君が一緒に行きたいと言うことで二人で行くことにする。すると、スケートに行く話を小耳に挟んだクラスメートのMHさんが私も一緒に行きたいということになって、じゃあ3人で行くことになる。
このMHさん、スケートはまったくの初心者だった。一緒に行ったのはよいけれど、全然滑れずに、端をつかんでぐるぐる歩くだけ。見るに見かねて手をつないで一緒に滑ることに。連れてきて、ほったらかして悪かったなと今でも後悔する。
このMHさんと先日MIXIで再会した。40数年ぶり。スケートに行ったことは覚えていた。こちらが忘れていたことまで覚えておられた。
最近はスケートリンクも少なくなってなかなか行く機会がない。うちの娘とは一緒に滑りに行ったこともあって、娘も一応滑れるが、この数年行ってない。
で、ようやく気を取り直して書き直す。
三題話である。いやいや、本当は同じ時の出来事として「友人の入院」というのも加えるべきなのかもしれないが。とにかく、一つのことを意識すると必ず他の二つの事を思い出さずにはいられないという、たとえば、TVでアイススケートを見るとピーナッツが食べたくなってきたりとか、ピーナッツを食べていると必ず「落ち葉の物語」という歌が頭の中に流れてくる。そんな密接な関係がある。
アイススケートを習いに行ったのが中2の2月のこと。
大阪は梅田にあった屋内型のスケートリンクで、いしだあゆみとその姉の石田治子も通っていたというリンクだが、1ヶ月間毎日曜の早朝にスケート教室が開かれているという、阪急友の会のお知らせがあったので、1ヶ月間通うことにする。日曜の寒い早朝に出かけて、講習が終わるとその後はフリータイムで一日中(と言っても長くはいないが)すべっていられるというもので、まったくの初心者ながら参加する。
しかし、結論から言えば、教えてもらったのは最初の一日だけ。しかも靴紐の結び方と氷上の歩き方のこの二つしか教えてはもらえなかった。
理論的にはアイススケートは重心の移動さえできれば滑られるようになるので、正しい歩き方ができさえすればそれで十分というところがある。
まず片足立ちをする。次に上げた方の足を地についている足の横に置き、静かに重心を移動させてもう片足に完全に重心を移動させれば反対の足を上げる。これの繰り返し。
そして今度は重心を移動させるのと同時に少し前に軽く押し出す。重心の乗った片足で滑り出す。この時、重心の移動が出来ていないままに押し出すと残った方の足が後ろになってしまって、そちらに重心が残ったままなのでこけてしまう。
少し滑り出すと、足を横に置いて重心を移動させるだけで反対の足でも前に進むことができる。
最初は重心の移動だけの練習で氷上を足を交互に上げて歩いて行く。慣れてくると少し押し出して、これでしっかり滑られるようになる。
滑るだけなら一日ですっかりできるようになる。
そして習ったのはこれだけだった。
まあ、小学生の女の子ならこれから先フィギュアをいろいろ覚えていくのに、その後のことも教えて貰っていたのだろうが、中学生男子で滑れたら良い程度の生徒には他に教えることなどなかったのかもしれないが。
そんなわけで1ヶ月4日間の後の3日は何も教わることなくフリーで滑るだけになってしまった。まあそれでも滑られるようになったのだからいいんだけれど。
何度も転んでそのたびに暖炉で暖めたり。その間にテラスに出ているうどん屋できつねうどんを食べていたり。お金があまりないので、スケートリンクに行ってはいつも食べていたのがピーナッツの自動販売機で、小銭を入れると少量のピーナッツが紙のお皿に入って出てきた。豆類は本当はあまり好きではなく、特に落花生は今でも食べられないのだが、柿の種に入っているようなピーナッツだけは今でも好きだ。一時嫌いになった時期もあって食べなくなった頃もあったけれど、中2以来、好きな期間の方が長い。ピーナッツは好きだが落花生は嫌いだと言うことも後にわかったことだが。ちなみにうちの娘もピーナッツは大好きで、家で買っているといつのまにか無くなっていたりする。
スケートには音楽がつきもの。昔はスケートリンクにはレコードがかかっていた。DJのような存在はいなくて、音楽が聴きたければ自分でレコードをかけるしかない。昔は「ジュークボックス」という便利な機械があった。何10枚物レコードがおさめられている機械で、お金を入れて番号を押すと、指定されたレコードが選び出されて自動的にかけるという機械。昔は盛り場等人の多く集まる場所では、今のプリクラ並みにどこでも設置されていた。
このジュークボックスで僕のお気に入りだった曲が、ザ・タイガースの「落ち葉の物語」。彼らが出演していた某チョコレートのCMで使われていた曲の元歌で、タイガースの歌の中では今でも一番好きな歌だった。
だからこの時期、どこのスケートリンクに行っても、ピーナッツを食べながら「落ち葉の物語」を聞いていた。
梅田のスケートリンクはフィギュア専門のリンクで、駅から近かったのだが狭いのが難点で、足を伸ばせば阪神電車淀川駅のそばにラサ・スケートリンクという大きなリンクがあったので、滑りに行きたい時はこちらの方をよく利用した。ちなみにいろんなスポーツセンターでもあって、アーチェリー場もあったので、帰りにはアーチェリーをするのが常だった。もっとも当時のアーチェリーは特別な装置のついた弓ではなく、何もついてない弓を使用していたのだが。
ここのスケートリンクはスピードスケート用とアイスホッケー用の2面のリンクがあった。フィギュア用ではホッケー用のリンクしか使用できず、スピード用では中のリンクは使用できない規則だった。ハーフスピード用の靴もあって、これは中でも使えたかな?僕はここではハーフスピードかホッケー用をいつも借りていた。フィギュア用ではときどき先に付いているエッジでつまづいてこけることが多かったから。つまづく癖は別にエッジのせいだけではなかったことが今ではわかる。今でも何もない場所でつまづくことが多いから。
一人で行くこともあったが、その頃親しかった友人のK君が一緒に行きたいと言うことで二人で行くことにする。すると、スケートに行く話を小耳に挟んだクラスメートのMHさんが私も一緒に行きたいということになって、じゃあ3人で行くことになる。
このMHさん、スケートはまったくの初心者だった。一緒に行ったのはよいけれど、全然滑れずに、端をつかんでぐるぐる歩くだけ。見るに見かねて手をつないで一緒に滑ることに。連れてきて、ほったらかして悪かったなと今でも後悔する。
このMHさんと先日MIXIで再会した。40数年ぶり。スケートに行ったことは覚えていた。こちらが忘れていたことまで覚えておられた。
最近はスケートリンクも少なくなってなかなか行く機会がない。うちの娘とは一緒に滑りに行ったこともあって、娘も一応滑れるが、この数年行ってない。