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丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

小説「祭りの音が消えた夏」第2章

2010年09月04日 | 詩・小説
 第2章 暢と和馬

 出迎えてくれたのは元だった。3年半見ぬ間にすっかり大きくなって、もはや大人の雰囲気を持っていた。聞けば大学生になったという。当たり前だ。自分が家を離れた時が高校生になった時だったのだから。
「元、体は大丈夫?病気したりとしてない?」
「いきなりそれかよ。大丈夫だって。高校時代は無遅刻無欠席だったんだから。いつまでも由布に心配かけてばっかりじゃないから」
 元は昔から自分のことを由布と呼び捨てにしている。その言い回しが3年半の時間を一気に戻して心地よかった。逃げるように故郷を飛び出した自分だけれど、家は何も変わらずに自分を受け入れてくれているようだった。
「さっき中学校に寄ったら、暢にあったんだけど。あの子、もう中学生になってるんだね。そうそう、百合ちゃんちの和馬君にも声かけられたよ」
「ああ、由布が今日帰ってくること、百合っぺにも言ってあるから聞いたんだよな。あの二卵性双生児に早速会ったんだ」
「何、それ?二卵性双生児って」
「暢と和馬の二人だけど、あいつら、まるで二卵性双生児みたいだってみんなが言ってる。仲が良いのか悪いのか。ちょうど由布が出て行った年だったかな、小学4年の時に同じクラスになったんだけど、何かと言えば対抗意識ありありで、家庭訪問で先生が来られた時も、困ったようなうれしいような、複雑な顔をしてられたんだよな」
「何か迷惑かけてるんじゃない?あの子。」
「言ってみればその反対かな。何でもかんでも二人で進んで先々にやってしまうってさ。クラス対抗戦で何をしようかとか、遠足のレクはどうしようとか、発表会の出し物から配役の割り振りとか、二人が喧嘩しながらやっていくものだから、先生の出番がなくなって困ってたとか、家庭訪問の時に担任の先生が言ってるのを聞いたな。良く言えばクラスを盛り上げてるんだけど、悪く言えば引っかき回してるというか。まあそれでもお互い相手より良い所を見せよう何て気が強いものだから、クラスに問題が起きた時なんかもどちらが先に解決するかの競争というか、あれは一種のゲームなのかもしれないけれど、たまには押さえて欲しいと思うようなこともあるって言われてたな」
「ごめんね、大変な時に元に任せっきりにしちゃって」
「まあいいさ、こちらはこちらで、百合っぺとしょっちゅう相談したりして何とかやっていけたし、まあ楽しかったこともあったかな」
「そのパワー、勉強にも生かせたら良いのにね。相変わらず野山を駆けっぱなしだったんじゃない?」
「うん、二人とも勉強については適当にやってればいい、みたいなところがあったからな、あのことがあるまでは」
「何か事件でもあったの?」
「いやぁ、事件ってほどの出来事じゃないけれどね、二人にとっては世界観が変わるくらいの出来事だったかもしれないな、今にして思えば」
「何よ、もったいつけないで話してよ」

「6年の二学期になった時にね、隣のクラスに転校生が来たんだ、都会から。背の高い可愛い女の子で、衣川みどりって言う子なんだけどね。その子が勉強が出来る上に足も速くて運動も出来るってことで、一躍学校中の人気者になったんだ。それまでは二人のクラスが何でも一番だったのに、運動会でもあやういことになったりして、卒業前の土壇場になってトップの座を奪われそうになったからもう大変、それはもうあせりまくり。実際50m競争の勝負をいどんだそうだけど、ギリギリの差で負けたとか。スポーツではまだまだこれから頑張れば何とかなるだろうって気もするんだけど、勉強の方はそうもいかない。ということで、6年の後半になってやっと勉強意欲に燃えだしたんだ。最初は二人だけで勉強会みたいなのを始めたけれど、それでも追っつかない。で、えらい迷惑なことに百合っぺに勉強を教えてもらおうってことで、あちらの家に入り浸りになったんだ。まあ実際、俺よりも百合っぺの方が勉強できるから賢明な判断だけどね。でも俺も百合っぺも大学入試の受験勉強真っ最中だろ。人に教えている場合じゃないよな」
「でも、人に教えるのも勉強になっていいんじゃない?」
「ことによりけりだよ。小学生の問題だぜ。大学受験する者がこんなときに小学生の問題やってる場合じゃないだろ。百合っぺは全然気にしないでいたけれど、あいつは俺と違って頭の良い人でないと入れない大学目指していたから。だから俺が言ってやったんだ。いい加減にしろよって」
「元でも怒ることあるんだ、ふーん。そうか百合ちゃんの為なら何でも言えるんだ」
「茶化すなよ、その時は本気だったんだから。で、傑作なんだけど、俺に怒られて二人はどうしたと思う?」
「落ち込んで、勉強なんか辞めるって言い出したとか?そんなところかな?」
「いやいや、そんなことでへこたれる奴らじゃないよ、知らないだろ、あいつらが二人そろった時のパワーがどれくらいすごいか」
「知るわけないでしょ、成長期見てないんだから」
「何と、あいつら、敵に直接攻撃をかけたんだ」
「えっ?その、みどりって子に嫌がらせを始めたとか?」
「その反対。あの二人、そのみどりちゃんに、勉強教えてくれ、って頼み込んだんだ。恥も外聞もなく。よくやるよ、俺だったら絶対にできないな、そんな真似」
「へえー、すごいじゃない。でもびっくりしたでしょうね、その子」
「まあ驚いたそうだよ。100mも飛び上がって腰を抜かしたって」
「いくら何でも100mってことはないでしょ」
「いやいや、町の噂ではそういうことになってる。俺が聞いた話では」
「何それ?町のみんなが知ってる話なの?」
「ああ、こんな奴ら見たことも聞いたこともない、って。まあ話半分だろうけれどね。で、連中を上回るのがみどりちゃんで、彼らの頼みを二つ返事で受け入れたって言うから人間ができてるね。それまで、ともするとよそ者みたいな感覚で見られていたのが、すっかり地元の英雄になっちゃって、それから時間があると図書館に通って、3人でしっかり勉強している姿が見られるようになって、すっかり昔からの友人みたいに親しくなって、それからは何をするにも3人で一緒みたいになってる。中学に上がったら3人とも同じクラスになって、みどりちゃんは陸上部に入ったけれど、同じ部活やるのも芸がないからと言うこともあったり、まあもう一つ別の理由もあって、二人は別の部活入って頑張っている。まあ平均以下に背が低いから、レギュラー取れるかどうかわからないけれどね」
「3人組がそのまま続いてるっていうことね」
「うん、ある意味そうなんだけど、クラスが違っていたら良かったんだけどね。なまじ同じクラスになっちゃって、四六時中顔をあわせているものだから、何だか意識し合うようになって、暢も和馬もみどりちゃんを女性として意識しだしたみたいなんだ。あの二人、二卵性双生児というより、ほとんど一卵性だな、やることも好みもよく似ていたけれど、好きな相手も一緒になったみたいで、恋のライバル真っ最中ていうところ。もちろん相手を蹴落としたり出し抜こうなんてまったく考えもしてはいないのが救いなんだけどね」
「ちょっと微妙な関係なのね」
「まあね。仲良しコンビは小学生までということでいいんじゃないかな。今はそれより一段階上の、競い合うライバル関係で少しでも相手より良いところを見せようとやっきになってる。仲が良いのか悪いのか。昔から夏休み終わる前には二人で必死で片付け合ったりとかしていたけれど、今でもどちらかが病気で学校休んだら、授業のノートを見せ合ったりとかしてるし、テスト勉強とか部活のない日には特に約束とかしていなくても、みどりちゃんを含めた3人で一緒に勉強しているけど、気が散ったりすることも多いみたいで、百合っぺが家に戻ってくる日に誘い合って二人だけで勉強見てもらってるみたい」
「その、みどりちゃんって子に一度会ってみたいな」
「顔だけなら暢の部屋の机の上にクラス写真があるからそれを見ればいいよ。ちょうど暢と和馬と三角関係の位置に写っている、背の高い女の子だからすぐにわかるよ」

 とりあえず両親に帰宅の挨拶を軽く済ませた。あまり詳しいことは話したくはなかったのですぐに自分の部屋に入って荷物を片付けて、着替えも済ませてから暢の部屋に入ってみた。暢の部屋は意外に片付いていた。というよりもよけいな物が一切無くて散らかす物がないと言った方がよいかもしれない。参考書の類もほとんどない。まあ百合ちゃんの家で勉強をしているのだったらそこで参考書を貸してもらえばいいからかもしれないが。
 机の上に写真立てに入れたクラス写真があった。確かにひときわ目立つ美形の背の高い女の子が目についた。暢にはもったいないような子に見えた。三角形を意識して目を移せば暢と和馬がちょうど担任教師をはさんで対称の位置にいた。二人とも変に緊張して体を硬くしている。何となくお互いを意識し合って恋の火花を飛ばし合っているような、話を聞いているからそんな風に思えた。そして二人のど真ん中にいる担任教師に目が行って、由布の動きが止まった。さきほど見かけた暢の部活の顧問の先生だ。でも、どうして……。
 ふと思い立って由布は暢の机の引き出しをいくつか開け、机の上の本立てにクラスの名簿が入ったファイルを見つけて眺めた。やはり気のせいではなかった。
 名簿を元あった場所に戻すと、由布はふらふらと部屋を出て行き、自分の部屋に戻った。一度止めた時間が、4年の歳月を経て、再び動き出したような気がしてきた。ばたんと横になると長旅の疲れが一度に出てきたかのように眠気が一気に押し寄せてきた。

小説「祭りの音が消えた夏」第1章

2010年09月02日 | 詩・小説
「祭りの音が消えた夏」

【目次】

第1章 篠宮由布
第2章 暢と和馬
第3章 担任教師
第4章 元と百合
第5章 中学校
第6章 祭りの音が消えた夜
第7章 母親
第8章 悪夢
第9章 同級生
第10章 衣川みどり
第11章 母の思い
最終章 明日への道
後書き




 第1章 篠宮由布

 祭りの準備の太鼓や笛の音が聞こえてきた。バスの中にいてさえも、体が硬くなるのを感じる。家はもう近くだった。あれからもう4年になるのか。篠宮由布はともすれば出てきそうになる思い出を吹き払いながらそう思った。

 本当はこの時期の家に戻る気はなかったのだが。家を出てからもう三年半になる。女性で遠くの地にある大学に入ることはなかなか許してはもらえない土地柄だ。この地域にはない、たとえば医学系や畜産系の大学なら許してももらえたのだろうが、特に目当てのない、ただ郷里を離れたいというだけのために、遠く離れた大学の入学の許可を得るのは難しかった。男性なら大学卒業後に都会の会社に就職するなどの理由から、早くに家を離れることは許されているのに、まだまだ男女差別の雰囲気は変えられない土地柄だ。
 別にそういった風習に反抗しようなどとは特には思ってはいないが、いざ自分が家を離れようとした時に、そういう理不尽さを感じずにはいられなかった。それでもなんとか親を説得できたのは、一つには、これまで病弱だった母親に代わって幼い二人の弟の面倒をずっと見てきたことが大きい。すぐ下の弟「元」も高校生になって、弱い体質であるとは言え、由布に代わって下の弟「暢」の面倒を見られるようになってくれたこともあり、これからは自分の人生を見つけていきたいという願いはわがままではないだろう。二つ目には、教育系の大学に通って、卒業後は郷里に戻るという条件をつけたこと。地元に戻ってくることが確実なら四年間は家を離れることも勉強かも知れないと思って貰えたこと。そして三つ目に、生活費その他は自分で何とかする、親の支援を当てにしない、という条件を自分からつけた。元から親の援助は当てにはしていなかった。家を離れるからにはそれくらいの覚悟はしていた。実際には小遣いと称していくらかのお金を送ってもらえたけれども、それはすべて貯金に回して使うつもりはなかった。

 元より大学在学中は家に帰る気はなかった。生活費のためにバイトにあけくれたこともあったが、大きな理由は、この夏祭りがある季節に家にいたくなかったということが大きい。家族の誰にも告げてはいないが、この祭りの音を聞きたくない、という思いが強かったためである。できるならばこのまま卒業後も家には戻らず、別の土地に移り住みたいという思いもあった。今一緒に暮らしている同学年の彼、大澤修二郎となら、この先一緒にいても良いかなと言う思いも少しはあった。もし彼との間に子どもができたなら、おそらくはそのまま一緒に暮らし続けるようになるかも知れない。でもそれが現実逃避の思いだと言うことを指摘したのもその彼、修二郎だった。彼自身が自分の現状を受け入れがたく、現実から目をそらせていることを自覚しているからなのだが、一時は良いかも知れないが、いつか亀裂が来るだろうと言うことはお互い自覚していた。どんな亀裂が来るのか、見届けるのも一興かというマゾ的な関心もあったりはするのだが。
 現実は現実として受け入れないといけない、ということで、親との約束通り、郷里での教員採用試験を受けることにした。まずそこから始めないといけない。地元で行われる採用試験だが、受験のことは家には知らせても、試験に専念したいという理由付けで、ホテルに泊まってそこから試験に臨むことにした。本当はそのまま家には戻らずに修二郎の待つアパートに戻るつもりではいた。しかし彼はもう一段ステップを踏むことを要求していた。祭りが行われる郷里に帰ってみること。それがどれだけ大変なことなのか、修二郎も理解した上での言葉だった。
 中学教師になるんだったら、祭りでの巡回はかかせない校務になる。それができなければ教師にはなれない。そう言って嫌がる自分を修二郎は無理矢理に地元の祭りに連れ出した。ほとんどトラウマ状態になって祭りの喧噪や笛太鼓の音から逃げ出してきたが、きつく彼の手をつないだまま必死の思いで夜店の中を歩いた。体中によけいな力が加わる状態で、少しも楽しめる物ではなかったが、それでも4年ぶりに祭りの中に身を置くことができた。もちろん何も起こるはずもなかった。いつもなら楽しんだ日の夜はやさしく抱き合って眠るのが常なのに、この日ばかりは家に戻ってからも彼は一切何もしようとはしなかった。それが彼の気遣いだと言うことはよくわかって嬉しかった。
 祭りから遠ざかっていた自分に一つ別れができた。今日は次の段階、ようやく家に戻る気になっていた。採用試験は木曜・金曜と行われ、次の土曜・日曜に祭りが行われることはわかっていた。あえてその日に家に戻ることを決心したのも、修二郎からの後押しもあったのだが、もう一つ自分の意志で超えないといけないという思いが自分の中に芽生えてきたからでもあった。

 バス停を降りると町独特の香りがたちこめた。高校を出るまで毎日匂っていた香りに三年半の時間が一気に戻ったような気がした。大学に入るために家を出て、このバス停から乗り込んだ時、あのときは二人の弟がバスを見送ってくれた。特に暢はいつまでも手を振り続けていてくれたのが目に浮かぶ。でも今日は自分自身土壇場で帰らなくなるような気もしたりしたので、家には正確な時間を知らせていないこともあって、バス停には誰も迎えはいなかった。もっともその方が都合が良かったとは思えるのだが。
 家に帰るには神社を抜けていく道が一番早かったのだが、あえてこの道はまだ通りたくなかった。家族の誰かと一緒だったらそういうわけにはいかなかっただろう。だから一人で帰る方が都合が良かった。もう一つの方の道を行くと、由布がいつも通っていた中学校がある。誰かにもし出会ったなら、久しぶりに中学校に寄ってから帰ってみたくなったと言えばよい。言い訳も用意していた。
 夏休みの土曜日とは言え、部活をやっているようで中学校からは人声が聞こえてくる。離れた外周をどこかの部活がランニングをしていた。ふと、その中の一人が、遠くから眺めている由布に気づいたようで足を止めてこちらに向かって手を振って近寄ってきた。
「由布ねえちゃーーん!おかえりーー」
 まだ声変わりしていない声で気がついた。弟の暢だ。もう中学生になっていたのか。「のぶーーー!ただいまーー」
 由布の手を振り返した。こちらに向かってくるのは暢だけでなくもう一人同じような背格好の少年が遅れてやってきていた。
「由布姉ちゃん、今帰ったんだ」
「ただいま。部活?」
「うん、バスケットやってるんだ」
「練習中でしょ。勝手に抜けていいの?」
「ああ、大丈夫。先生に言えばわかってくれるから」
 そのうち、もう一人の少年も近づいてきた。
「由布さんですよね、わかります?中谷百合の弟の和馬です」
 瞬間、いろんな映像が由布の頭の中に回り続けた。百合のことはよく知っている。すぐ下の弟の元の幼なじみで、自分とも一緒によく遊んだ仲だ。弟しかいない自分の家庭で、まるで妹のように親しく接している。その百合にちょこちょこつきまとっていた少年の映像が浮かんできた。
「ああ、和馬くんね。百合ちゃんのうしろにいつもくっついていた。そうか、暢と同い年だったからもう中学生なんだ。大きくなったわね……て言っても、二人ともまだまだ背は小さいけど」
「人が気にしてること、よく平気で言うよな。これからどんどん大きくなるんだから。見とけよ」
「はいはい、わかりました。期待してるわよ」
「うちの姉ちゃんも由布さんが帰ってくるのを楽しみにしてました。もちろん僕も……」
 そう言うと、なぜか和馬は照れるような表情をした。そういえば昔も由布の前でははっきりとはしゃべらない和馬だった。
「おーーい、そこの二人ーー、何してるんだーー」
 遠くから呼ぶ声がする。顧問の先生が呼んでいるようだ。
「いけねえ、戻らないと。じゃあ、また家で」
 そう言うと暢は急いで戻りだした。和馬もちょこんとお辞儀をすると暢の後を追いかけて戻っていった。由布は顔を上げてさっきの声がした方を見て、一瞬凍り付く思いがした。顧問の先生がこちらの方を見ていたが、遠く離れていてお互いの顔を認識できなかったけれど、彼の方も一瞬表情が固まっていた。そして無理矢理に顔を背けて生徒の方に声を掛けていた。どうして……。

 家までどのように帰って行ったのかよくは覚えてはいない。何も考えられなかった。確かにあれは……。家にたどり着いて、ただいまを言うのがやっとだった。

小説「白夜の人」[後書き]

2010年07月12日 | 詩・小説
[後書き]

 先年、双子の兄が妹に恋をする、というコミックが評判になり、映画化までされました。主役の双子の兄に、某アイドルグループの人気メンバーが映画初主演で扮し、妹を、ドラマ初出演のモデルの女の子が演じました。その某アイドルの名前と、本編の兄の名前が、偶然にも同じ発音になるのですが、これは全くの偶然です。こちらの方は、僕が当時使用していたペンネームから取ったもので、何にしてもアイドルタレントが生まれる前からこの名前でした。
 このタレントがグループ結成前から出演した映画を見て知っていたと言うこともあって、この映画を見に行ったのですが、正直、確か設定は中学生のはずなのに、とてもそんな風には見えないし、女性の方も、ただ背が高いだけの影の薄い印象しかありませんでした。その後いろいろなドラマに出演していってどんどん演技が磨かれ、今では立派な女優に育っているのは印象深いですが。
 同じ屋根の下で育った兄妹が恋人関係になることに、なんとなくモラル的に気にはなります。これがもし、兄妹と知らないで出会ってしまったのなら、それだけでドラマにはなるのですが、血のつながった兄妹でも結婚が可能という世界になると、まったく主人公が悩む必要もなくなって、ドラマにはならなくなるのですが。
 この物語でも、この部分がテーマになっていたのですが、戸籍上では何の問題もないけれど、モラル的にどうなのか、という問いかけがあります。もっとも元々の原作では主人公の二人が肉体的にも結ばれておしまい、という終わり方にしてしまったのですが、この結末に40年間悩んでいました。他の終わり方はなかったのかと。そんなわけで、今回、結末を変更することを条件に書き改めることにしたわけです。結果、後半は大幅改訂です。というよりも元の文章は廃棄して、まるまる書き下ろしと同じことになってしまいました。

 タイトルの「白夜の人」というのには、何の意味もありません。
 一番最初に考えたストーリーでは、白夜の国に旅行に行った主人公が、そこで出会った男性と恋に陥るのですが、実はその男性が双子の兄だった、という設定でした。そして、どちらかが亡くなってしまうと言う悲劇の物語だったのですが、さすがに中学生には、外国の描写やら書きにくい状況が多すぎて断念しました。で、設定を国内に変え、期間も1年ということにし、将来「結婚」ということも意識する高校生の物語にしました。この時点でも、まだこじつけ的に白夜を取り入れる案もあったのですが、めちゃくちゃ無理矢理な設定になってしまったので、とうとう最後には白夜にはこだわらないことにしました。もっとも、裏テーマとして、白夜のように、昼間だけのつきあいであればいいのに。夜のつきあいがなければ良いのに、ということも含めてはいますが。
 設定を変えた結果、当初はちょい役でしかなかった主人公の友人の出番が増えました。主人公に弟か妹がほしいな、と考えて、妹を登場させることにしたのですが、この妹が予定以上に頑張ってくれました。当初の予定よりかなり出番が増えました。今回の改訂版ではさらに、元の原作以上に増えました。よく考えれば、亡くなった女の子はこの妹の実の姉なんだから、もっとこだわってもいいんじゃないかと思い直したからなんですが。

 40年前と比べて現在は便利な時代になった物です。妹がどうして姉の秘密を知ったのか、作者も忘れていて、読み進めていくのが楽しみではあったのですが、原作では3人の幼児が一緒に写っている写真を偶然に見つけて、裏書きから3人とも同じ誕生日であることを知り、そこから秘密を知るという展開になっていたのですが、それではまだ無理があるように思ってはいました。現代なら、インターネットで記事の検索を行う過程で、偶然個人の秘密を知ることもあり得るのではないのか、個人情報がけっこうその気になれば手に入る時代なのかもしれません。もっとも本編のような、ここまで個人の事情を調べ尽くすことは無理だとは信じてはいますが。

 6章以降、話がどんどんふくらんで、どんどん元のストーリーから離れていきました。自分で一番なっとくできる形におさまったような気がします。6章は元を手直しした結果、1章におさまりきらなくなって、二つに分けました。元の章タイトルを残したかったからですが。
本当はこれで言えば9章で終わっていたはずでしたが、主人公の二人が一緒にならないのなば、一体どういう形になっていくのだろうか、ある設定を考えついて、10年後を書いてみたくなりました。3行くらいの追加で終わる予定だったのですが、読者の想像にまかせて、あえて書かない方が良いのではないかとも思ったのですが、どんどん話がふくらんで、丸々1章分の長さになってしまったので、新しく章を付け加えてみました。蛇足です。ない方がよかったと感じる人もいると思いますが、自分の意識の中では、ありきたりではありますが、すっきりまとまった気がします。

                    平成22年7月12日脱稿

小説「白夜の人」最終章:結婚式

2010年07月12日 | 詩・小説
最終章 結婚式

 あの日から10年が過ぎた。淳の結婚式が行われる今日の日を迎え、2年前にすでに結婚していた圭子は複雑な心境でこの日を迎えていた。
 10年の間に、いろいろな事が起きた。
 一つは、大学4年の時に、圭子は正式に養女となったことだった。きっかけは、デート中に偶然父と出会った圭子に対して、後に父から言われた一言だった。
「お前が誰と付き合っているのかなんかはどうでもいい。自分で決めた道をとやかく言うつもりはない」
「別にあの人と、今どうするってことはないんだから、心配しないでよ」
「でもな、圭子。いずれお前も、その人かどうかは知らないが、結婚ということになった時、今のままじゃ、森本の両親は式には出にくいんじゃないのか?相手の家族に事情を説明したとしても、列席者全員に知らせるわけにはいかないだろ。お前の花嫁姿を、送り出す両親として見せてやりたいとは思わないのか。どれだけ喜んでくれるのか。一番の親孝行じゃないのか?そろそろ考えた方がいいぞ」
 結婚を意識したことはなかったけれども、いずれその時が来た時に、その日が突然来るかもしれない、と思って大学を卒業する前に正式に手続きを取った。正式に籍を入れたわけだが、実際に変化する物は何もなかった。和子がことある毎に圭子の家に泊まりに来て、最初から『お父さん、お母さん』と、淳の両親を呼んでいたので、つられる形で圭子もそう呼ぶようになっていた。母の志津はいつも平静で、呼び方が変わったことに気づいていないような様子だったが、毎年この日にごちそうを用意するようになったのは、かなり嬉しかったからなのかも。父の洋介も、こちらも平静を装いながらも、日記にはしっかりこの日のことを記録していることを後になって知った。

 父の幸造が不慮の事故で亡くなったのは、圭子の結婚式の2ヶ月後だった。夫の支えがなかったならどんなに落ち込んでいただろうか。花嫁姿を父に見せることができたことが、ただ慰めだった。圭子は志津に頼んで、ひとみの遺品を父の遺骨と一緒に、母が眠る墓に埋葬した。今頃は親子3人で子育ての続きをやっているのかもしれない。
 圭子が結婚で家を出た後、入れ替わりに和子が圭子がいた部屋に入った。圭子に代わって親孝行をするというよりかは、この頃、家を出て一人暮らしをしていた和子を、実の娘のように可愛がっていた志津が呼び寄せたものだった。
 父が亡くなった時、圭子はひとみに散々文句をつけたものだったが、父を一人にしてしまったから、ならばひとみが父を側におきたくなった結果なのかもしれない、と責めるのをやめた。責められるのはむしろ自分たちなのかもしれない。だから和子の落ち込み方は激しかった。淳や両親がしっかり支えてくれてようやく立ち直ることができたようだった。

 礼子は宣言通り、大学で自分に一番似合った男性と巡り会い、5年越しの恋を実らせてゴールインした。大学は、さすがに家を離れての一人暮らしは認められなくて、家から通える隣県の大学に入学。まもなく2学年上の先輩と知り合う。彼は一年浪人していたので、年齢は3歳上だったが、一目惚れした礼子は、自分の感情が本物なのかどうか自信もなく、慎重に慎重を重ねて彼に近づいていったものだった。彼には年子の弟がいて、その弟とも親しくなったので、兄弟との自然な交際が始まった。数が合わないと言うこともあったので、いきおい圭子がかりだされることが多くなって、形としてはダブルデートのようなものだったが、礼子としては親しい友人と遊びに行くような感覚であって、淳と圭子の関係を知らなかったから、最初に紹介した時にも、この子にはれっきとした彼がいるんだから、手を出したらだめよ、と言っておいた。それでも徐々に4人でいるのが当たり前の関係になりだし、気がつくと、圭子と兄弟の弟だけの二人だけで会う機会も自然に増えていった。父に出会ったのもそういう時だった。
 5年間の交際期間を経て、礼子と先輩の晴れの結婚式の日、披露宴の席上で、いきなり新郎の弟から圭子にプロポーズがあり、その場で二つ返事で承諾したものだから、一同は大騒ぎ。披露宴は急遽、婚約発表の場と形を変えてしまった。
 自分の式を台無しにされた、と口では憤慨していた礼子だったが、一番喜んでくれたのも礼子だった。圭子のことがずっと気がかりでいた上、なんと親友が義理の姉妹になるというのだから、これ以上に結婚のプレゼントはなかった。形の上では礼子が義姉になるものだから、それからの礼子は偉そうだった。はい、はい、お姉様、と圭子はちゃかす一方だった。

 小学校の時の彼の墓参りには行かなくなった。お墓の世話をしてくれている人の存在を知ったことで、顔を合わせるのも嫌だったこともあり、完全にその人に任せることにした。でも、毎年彼の命日には、『友情を確かめ合う日』と称して、礼子と二人きりで過ごす日とした。これは二人が結婚してからも、お互いの旦那を交えない、二人だけの日として続けていた。もっとも、今年はできるかどうか、ちょっと難しい状況ではあるのだが。

 圭子は、結婚を控えた数日前に、夫となる相手と礼子を呼び出し、自分の出生の秘密を余さずに話した。淳との関係を変に誤解されたくなかったからだ。
「どうして、もっと早く教えてくれなかったのよ!」
 礼子にはきっちり叱られたが、大変だったのね、といたわりの言葉をかけてくれた。 夫となる相手は何も言わなかったが、新婚旅行から帰った翌日、圭子を無理に連れ出して、母のお墓と同時に、ひとみのお墓にも行ってくれた。お参りが済んだ後、ぽつりと言った。
「俺は何も聞かなかったことにするから。ここには圭子のとても大切な人が眠っている、ということだけしか知らないから。そのつもりでいろよ」
 彼は、森本家は圭子が養女としてお世話になった家という意識をずっと変えないままで接していた。でも、2ヶ月後に圭子の父が急死した時、おろおろするばかりの圭子に代わって、全面的に式を手配したのも彼だし、父の遺骨を埋葬する時にもこんなことを言い出したのだった。
「なあ、お義父さんの遺骨、お墓に入れる時に、赤ちゃんの時使った何か、一緒に入れて上げないか?なかったら写真だけでもいいんだけれどな」
「何?誰の写真?私も和子も、赤ちゃんの時使った物なんてないんだけど」
 彼は圭子の返答を聞いていなかったように話を続けた。
「2歳の頃の写真がいいな。一番可愛いらしいし」
「2歳のって……えっ?」
 彼はその後何も言おうとしなかった。でも圭子は彼が言おうとしていることがやっとわかった。志津を訪ねて、ひとみの遺品をお墓に一緒に入れたいと申し入れた時、よく気づいてくれたわね、とほめて貰えた。遺品だけでなく、ひとみの遺影のコピーをいただいて、父と一緒にお墓に入れて、圭子の悲しみの心は少し癒されたような気がした。

 それから2年。淳の結婚式を迎えて圭子は落ち着かなかった。思いは複雑だった。どうしてこんなことになったのか。いろいろ思い返しても納得できていなかった。しかも、これからの長い年月、どうすればいいのかわからなかった。なにしろ、淳の結婚相手が圭子の妹の和子だったのだから。今日は身よりのいない、実際血のつながった者は一人もいない和子の母親替わりとして、圭子はとんでもない立場で列席することになっている。これが逆だったら、和子が自分の母親替わりなら勤められなくはないのだが。不安な圭子は相談相手として礼子にも来てもらってはいたが。

 一体いつから和子は淳とそんな関係になったのだろうか。一度聞いてみたことがある。すると、圭子と淳が双子だったことを知った時から意識していたと言う。その名前に感じる物があったとか。ただ、大好きな姉を奪ってしまう相手かもしれないと、最初に出会った時は緊張したが、第一印象が良すぎて、頭の中を完全に支配してしまう、一目惚れ現象に陥ってしまったという。自分でもこれは何だろうと混乱したが、圭子に連れられて淳の家に行って仏壇に手を合わせた時、ひとみの写真が笑っているように見えたという。お墓に行った時も、お兄ちゃんをよろしく、と言う声が聞こえた気がしたという。
 その後、義理の妹という立場をフルに利用して淳に近づき、目一杯甘え続けた。淳からは義妹という意識でしか接してもらえていないというのが不満ではあったが。
 父が長期の出張がある時はいつも圭子の部屋に泊まることにして、淳と接する時間を増やしていった。夏休みとかの長期の休みの時はなおさらだった。もっとも、母の志津とも気が合ったようで、淳がいない時にも志津に呼ばれて家に来ることも多かった。
 高校までは父と一緒に住む町になる学校に通ったが、大学は淳と同じ大学に入学した。3歳離れているから、大学での1年間が唯一同じ学内にいるチャンスだった。父と離れて暮らすことになるため相当悩んではいたが、そんな和子の気持ちを父の幸造は察していた。和子が密かに思う相手が誰だなのか、その時には知らなかったが、真剣に悩む様子に、自分の将来のため、自分の気持ちに正直に生きていくようにとの後押しで家を出る決心をした。 圭子の部屋で一緒に生活する方法もあるにはあったが、圭子の自立のためには離れて暮らす方がお互いに良いだろうという判断で、大学の近くに住むことになったが、休日のほとんどは淳の家にやってくるので、同居しているのとかわらなかった。おまけに、圭子がデートによく行くようになって、付き合ってくれないという名目で、母の志津がしきりに和子を連れ出して出かけることも多く、どちらが実の娘なのかわからないほどだった。
 大学での1年間はそれこそ時間が許す限り淳の側にいた。皆からは仲の良い妹として認知されていた。苗字が違うことを指摘されることはあっても、姉が養女に行く先の兄に当たるから、自分にとっても兄になる、という説明で、周囲は勝手に勘違いしてくれた。ブラコンと呼ばれても気にしなかった。一緒に同じ学校の空気を吸えるのはこの1年だけだったから。学年が上がり、淳がいなくなった大学ではあったが、淳に似合う女性を目指す和子は気を抜くことはなかった。友人も多くでき、中には和子に気がある男子学生もいたりしたが、1年間の効果は大きく、彼女をくどくなら、お兄ちゃんの了解を得ないとだめだよ、と回りが言ってくれたので、自分の気持ちを保ち続けることが出来た。

 圭子が家を出て行く時、和子が代わりにやって来ると言うことは、お互いの親の間で決まったことだった。和子の想う相手が淳だと知った幸造は、圭子のいなくなった家で一緒に暮らすことが良いのでは、とさりげなく志津に提案し、一人暮らしでいるよりは自分の手元にいてくれるとどんなに心強いかと思っていた志津には、願ったり叶ったりの提案となった。
 引越は圭子がいなくなった2週間後に行われた。そんなに荷物もなかったし、圭子が使っていた家具でほとんど間に合ったことや、度々泊まっているので、日常品はほとんど家に置かれていたので、片付けも楽だった。
 夕食も、それが今まで普通に行われていた通りにすみ、台所の片付けの手伝いも終えて一人部屋に戻った和子は、圭子がいない部屋で、ここだけがこれまでと違う感覚ではあった。
 部屋にノックをして淳が入ってきた。
「何だか、圭子が初めてここに来た日のことを思い出すな」
「うん、知ってる。お姉ちゃん、お兄ちゃんのほっぺにチュウしたんだってね」
「えっ?どうしてそれを……?」
「あの日、メールをくれたの。お兄ちゃんのほっぺにチュウをしてやったぞ、うらやましいだろ、って。ずるいな!って返したら、じゃあ、あんたもここに来たら、って」
「ふうーん、そんなことあったんだ。でも、誤解しないでよ、圭子がキスしたの、その時だけだから」
「わかってる。だから、私も」
 そういうと、いきなり和子は淳に近寄り、淳の唇に自分の唇を押し当てた。
「……!?」
 口を塞がれているから、淳は驚いても何も言えなかった。長い時間だった。淳は両手を和子の背中に回して、優しく和子を引き寄せた。いつまでも可愛い子どもだと思っていたのに、いつの間にこんなに素敵になっていたのだろうか。淳はこのとき初めて、和子を一人の女性として意識しだした。

 これほどの長時間のキスはこの日だけだったが、二人だけで会った時の挨拶替わりとか、寝る前のお休みの軽いキスは二人の日課になった。淳にとっても意外なことに気まずさはなかった。それが当たり前の関係のような、いつもそうだったような、そんな自然な成り行きだった。
 和子の計画では、年内にでも婚約までこぎつければいいのに、と思っていたのだが、2ヶ月後の思いがけない父の急死で、そんなことを考えている心のゆとりは無くなってしまった。父に自分の思いを打ち明け、頑張ってこい、と後押しされて出て行ったのに、そのことが父の死につながったのではないかと、落ち込む一方だったが、すっかりふさぎ込む和子を、淳は毎日暖かく語りかけてくれ、時には眠れなくなる和子の枕元で、一晩中側にいてくれたこともある。
 父の遺骨を埋葬する日、ひとみの遺品も一緒に入れることを知り、父と母の眠るお墓に手を合わせ、姉も一緒に入ることが出来てよかったね、と言ったら、3人一緒にいられるからうらやましいでしょ、という声が聞こえた気がした。私も一緒に連れてって、と言ったら、あんたはまだダメ。お兄ちゃんと一緒になりたいんでしょ。お兄ちゃんを悲しませたら許さないんだから。と言われたような気がした。そして父の声も聞いたような気がした。和子は自分らしく生きていくんだろ。そのためにお父さんは嫁に出すつもりで送り出したんだから。前に言ったよな。どこに行っても、どんなことが起きても、和子は俺の大切な娘なんだから。
 和子はもう泣くのを辞めた。自分らしく、思ったように生きていくことが、父と姉の願いなんだと。そして元の和子に戻った。志津にいろいんなことを教えてもらい、淳にいっぱい甘え。洋介が語るくだらないおしゃべりにも付き合い、毎日を楽しく過ごした。

 父の一周忌。父の墓前で淳からプロポーズされて、ボロ泣きをした。二人の関係にまったく気づかなかった圭子は、一人卒倒しそうになって夫に支えられてなんとか立っていられた。
 その日、家に帰って母の志津に正式に話をした。父の洋介はどうしても帰れない長期の出張で家を離れていた。志津は少しだけ表情が渋かった。
「圭子を養女にもらって、それだけでも有難いことなのに、その上、和ちゃんまでうちの嫁になるなんて、亡くなったご両親に申し訳が立たないでしょ」
「はい、お母さんの気持ちはよくわかります。でも、お墓でお父さんに言われたような気がしたんです。自分の思うように生きろ。それがお父さんとお母さんが一番願っていることなんだからって。こんなわがままな、自分勝手な私ですけれど、どうかお兄ちゃんと一緒にさせてください」
「ありがとう、和ちゃん。こんな息子のどこがいいのかわからないれどね。まあ、いつかはこうなるんじゃないかって思ってたわ。あんたたち、いつでもキスし合っているほど仲も良いしね。」
「えっ!」
 淳と和子の声がハモった。
「で、子どもはいつ産まれるの?」
 和子は急に顔が真っ赤になるのを感じた。
「何言ってるんだよ、母さん!キスしただけで子どもができるわけなんかないじゃないか」
「なんだ、ガッカリしちゃった。意外ね」
「母さん!」
 和子は恥ずかしさ一杯で下を向いた。
「今の若い人たちって、もっと進んでいるって思っていたけれど。いいわ、許してあげる。和ちゃんも正式にうちの娘になるって言うのなら大歓迎よ。お父さんもきっと賛成してくれるわ。そうね、形だけでも正式に婚約決めましょうか。和ちゃんの身内は圭子だけだから、都合の良い日に来てもらいましょ」
「ありがとうございます。お兄ちゃんのこと大事にしていきますから、よろしくお願いします」
 和子は顔を上げて、それだけ言うのがやっとだった。
「あんたたち、もう兄でも妹でもないんだから、その『お兄ちゃん』っていうの、なんとかしたら?世間の恋人みたいにどうどうとしていてもいいのよ。そうね、せっかく一緒の家に住んでるんだから、たとえば、一緒にお風呂に入るとか……」
 思わず淳と和子は声も出せずに顔を上げ、志津に何か言いたそうにしたが、二人、顔を見合わせたとたん、想像してしまって、和子はこれ以上ないというくらい真っ赤な顔になって下を向いて、何も言えなくなってしまった。
「いきなり何言い出すんだよ!そんなことできるわけないだろ!」
 淳は声が裏返りながら言うのが精一杯だった。しかし、志津は平然な顔で続けた。
「そうね、あんたが入ってるところに和ちゃんが侵入できるわけないわね。おとなしい子だから。だったら、あんたが和ちゃんが入ってるところに入りに行きなさいよ。私が許してあげる。遠慮しないでいいから」
 和子のどこがおとなしいって……と思った瞬間、淳は母にからかわれているんだ、ということに気がついた。
「和子、お袋の言うことなんか真に受けたらだめだよ。冗談なんだから」
「いいわよ、私」
 小さな声で和子がぼそっと言った。
「えっ?」
「お兄ちゃんなら、いいわよ。……かまわないから……入ってきても」
「か・ず・こ……!?」
 淳まで顔が真っ赤になって、何も言えなくなった。でも、下を向いて照れている和子の顔を見ていて、どても可愛いと思った。

 日曜日、圭子が正装してやってきた。対して和子や淳も両親も正装していた。帰れないと言っていたはずの父までも、なぜかこの席にいた。圭子が久しぶりに家に里帰りすると聞いて、仕事も何もほったらかして戻ってきたらしい。
 しきりに圭子に話しかける洋介をさしとどめて、とにかくかたぐるしい儀式はすませてしまおうと思っていたのだが、なかなかそういうわけにはいかなかった。結局は和気藹々のまま気軽な話に落ち着いてしまったが、式は父の三回忌が終わった後ということになり、母替わりを圭子が勤めることと決まって圭子はあせるばかりだった。礼子がそばにいてくれるという条件でようやく落ち着いた。
 和子の婚約のことを礼子に知らせると、意外にも二人が付き合っていることを知っていたそうだった。二人が一緒にいる場面をよく見かけていて、まあ兄妹づきあいをしていることは聞いていたけれど、和子と目をあわせた時に、困ったような表情をしたのに気づいて、耳元で囁いたという。
「このこと、圭子には黙っておいてあげるわね」
 ほんの冗談で言ったつもりだったのに、和子は、
「すみません、お願いします」
 という返事だった。本当に圭子にしゃべることができなくなって、ちょっとつらかったそうだ。まだ圭子から秘密を聞かされる前だったから、姉妹で淳を取り合っての血なまぐさい争いがいつ起きるかと、そればかり気にしていたそうだ。後で思えばつまらない心配だったのだが。

 和子と淳の結婚式の当日を迎えて、圭子は複雑な思いだった。
「ねえ、これからあんたのこと、何て呼べばいいの?お兄ちゃんの花嫁さんだから、やっぱりお姉さんって呼ばないといけないのかな?」
「えっ?そんなこと気にしてたの?」
「だって、私には重大な問題よ。ただでさえどちらが姉かわからないって、昔から言われ続けていたのに。本当に姉妹逆転してしまうなんて、思いもしなかった」
「お姉ちゃんって心配性ね。そんなこと考えもしなかったわ。お兄ちゃんに相談してみたら?」
 そう言うと和子は笑い出してしまい、答えてはくれなかった。
「ねえ、あんた。いつまでお兄ちゃんって言い続けるの?」
「だって……お兄ちゃんはお兄ちゃんだもの。悪い?」
「これから先、他人から誤解されたらどうするの?兄妹だと思ったら結婚してるって、とか」
「いいじゃない。それくらい許してよ。お姉ちゃんにとっては実のお兄ちゃんだから、この先何があっても変わらないだろうけど、私にとっては、お兄ちゃんって呼び続けていないと、私から逃げて行ってしまうかもしれないから必死だったんだから」
 そんなことを言われたら何も言えなかった。兄も姉もいるようで、実際には和子と血のつながった者は一人もいなかったのだから。
「ごめん。あんたの気持ち、何も考えてあげなかった。あんたが今日の日をどれだけ待ち望んでいたのかなんて。お姉ちゃん、だめよね」
「ほら、また落ち込んでる。そんなことないからお姉ちゃん。私にとって、ずっとずっと大切なお姉ちゃんなんだから。これからも仲良くやっていこうよ。お姉ちゃんが泣いてどうするのよ。お父さんもお母さんもお姉さんも見てるから。ほら」
 机の上に3人の遺影が飾られていた。圭子は写真に向かって心の中で語りかけた。
『お父さん、お母さん、ありがとう。和子も今日、花嫁になります。晴れ姿を見てやってください。ひとみ、ありがとう。あんたのこと知って、驚いて、悲しくなったこともあったけれど、今日までのこと、みんなあんたのおかげね。感謝してる。これからも私たちを守っていてね』
 検査も受けたが、和子には母やひとみを襲った病の元は見られなかった。今日まで何の異常もなく、健康でやってこられたのも、先に亡くなったみんなが守ってくれていたからだと信じていた。ふと圭子のお腹が動いたような気がした。不安な気持ちを落ち着かせるように、双子が入った大きなお腹を押さえてみた。3人の写真が笑ったように見えた。

                完


小説「白夜の人」第9章:出発

2010年07月12日 | 詩・小説
第9章 出発

 冬休みに入る前に、学校に転居の届けだけは出しておいた。親の転居で、本人だけが親戚や知り合いの家に残るケースは普通によくある話のようで、別に何の問題もなく受理された。喪中と言うこともあり、年末年始は特別なこともせず、引越の準備に追われる毎日ではあった。例年なら礼子と神社に初詣に行ったりするのだが、さすがに今年は誘われることもないだけでなく、会うことも少なくなった。礼子は本気で東京の大学への受験を狙っているようで、勉強をしまくっているらしかった。
 転居は正月明け、三学期が始まる前に行う予定だった。父と和子は何度か引っ越し先に出かけ、転校の手続きや、新しく住む家で、持って行かずにそちらで購入するものなどを手配したりしていた。その間、圭子は少しずつ自分の荷物を淳の家の、新しく圭子の部屋になる空き部屋に運び込んでいた。部屋は思った以上にきれいにされていて、掃除などは簡単にすみ、徐々に圭子の色に部屋は染まりだしていた。

 さすがに礼子にまで内緒というわけにはいかず、いよいよ転居が近づく数日前、礼子を喫茶店に呼び出し、淳の家に引っ越すことを打ち明けた。
「やるじゃん。結婚を前提に既成事実を作っちゃおうということね」
 驚くより先に、礼子の想像ははるかに飛躍しすぎていた。
「違う違う、そんなのじゃなくて。和子は中学だから転校と言うことになるけれど、私はあちらで通える高校見つけるなんてできないから、誰か知り合いで、空いている部屋もある家はないかって探してたら、淳君のお母さんがそれを聞きつけてね、一緒に住まないかって声をかけてくれたの」
「でも、同じ家に同じ年の若い男女が一緒に暮らすのよね。間違いがあってもおかしくないシチュエーションよね」
「礼子、変なドラマの見過ぎよ。そんなことあるわけないでしょ」
「わからないわよ、淳君も家ではいつ狼に変身するかわかんないし。餌が目の前にあって、じっとしてるってのも、ドラマではむしろそっちの方がありえないわよ」
「ドラマならね。でも現実ってドラマのように単純にはいかないものよ」
「そうか、わかった!淳君のお母さんって、息子が変な気を起こさないために、あえて自分の目の届くところに相手を置いておこうとしてるんだわ。怖い、怖い」
「確かに怖いかもね。お手伝いさん雇った気分で散々こきつかわれて、毎日私は涙涙で、王子様が迎えに来るのを待っている……、って、そんなはずないでしょ、もう」
「はいはい、乗せた私が悪うございました」
「でね、このこと誰にも言わないでね。学校の誰かに知られて、変な噂立てられるのも嫌だから」
「でも、連絡網の住所とかで気づかれるかもしれないね。どうするの?」
「そうっか。うん、その時はね、おばさまが私のこと、すっごく気に入って、以前から娘が欲しくてしかたがなかったから、私を養女にするつもりで、家に慣れてもらって、時期が来れば正式に養女にするつもりだ、って筋書きで説明することになってるの」
「ほんと!?あんた、淳君の家の養女になるの?そんな話、できてるんだ!」
「だから、誰かにばれた時の口実よ。近所の人にもそんな風に言ってごまかすことになってるの。ほんとに養女になるってことじゃないから」
「そうよね、淳君と義理とはいえ兄妹になっちゃったら結婚できなくなるしね。あれっ?義理の兄妹ならできるのかな?どうなんだろ、あんた調べてるよね、そこのところ」
「ううん、知らない」
 調べなくても結果はわかってる。戸籍上は他人であっても、実際には血のつながった実の兄妹なんだから、結婚とかはすでに考えないことにしていた。実の兄妹だとわかっただけで、距離がぐっと近づいた、それだけで十分だった。
「待てよ、そうか、判ったわ」
 礼子の想像はさらに飛躍を始めていた。
「二人は実は異母兄妹なのよ。それでお互いの母親がいがみあってたのよ。うん、そうに違いない。それなら話が合うわ」
「えっ!何、それ。また何かのドラマ?」
 礼子、鋭い!でも惜しいな。異母じゃなくて同母なんだよ。
「うん、同級生が実は異母兄妹で、二人ともそのことを知っていて口をきかなかったんだけど、血を分けた関係だから卒業までに話をしてみたい、って、最近読んだ小説にそんなのがあった。あれっ?圭子と淳君は別に嫌ってるわけでも、口をきかないってこともないわね。すっごく仲いいし。この考え、いいとこついてるな、って思ったんだけどな」
 いつか礼子には打ち明けてもいいかもしれないな、と何となく圭子は思った。何となく、だけど。

 転居前日、引越荷物をすべて送り届けて、家族3人最後の夜をホテルで過ごした。母が入院中には旅行なんて考えもしなかったから、家族3人だけでホテルに泊まるのは初めてのことだった。一晩中、くだらないおしゃべりをして、眠るどころではなかったが、この時間をずっと記憶に残しておきたくて、むしろいつまでも起きていたかった。
 翌日、駅には淳と淳の父親の洋介が来ていた。
「今日はわざわざすみません。これから圭子がお世話かけますけれど、よろしくお願いします」
「ええ、心配なさらないでください。家内も圭子……さんを迎える準備を、心うきうきさせながらやっています。まあ私にしてみれば騒ぎすぎだと思うくらいに」
 実はそわそわしているのは、むしろ洋介の方だと聞いている圭子と和子は、笑い出しそうになるのを必死でこらえていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんをよろしくね。不器用で怒りっぽくて、イライラすることが多くなるかもしれないけれど、我慢してね」
「こらっ、曲がりなりにもあんたのお姉さんを捕まえて、何言ってるの。そりゃ、起用とは言えないかも知れないけれど、あんたが悪さをするから怒ってるだけでしょ」
「それを日本語では不器用で怒りっぽいって言うの。ほっとするわ、お姉ちゃんの世話から解放されて。ごめんなさいねお兄ちゃん。押しつけることになっちゃって」
「それ以上言うと本気で怒るからね」
 でも本気で怒るつもりはまったくなかった。こんな憎まれ口も明日からは聞けなくなるんだ。いつまで笑ってられるのかな。圭子は自分の笑顔に自信がなかった。
 発車を告げるベルが鳴りだした。
「お父さん、和子、元気でね。着いたら電話でもメールでもちょうだいね」
 ふと和子の表情がとたんに変わって、大粒の涙が流れ出した。
「ごめん、お姉ちゃん。泣かないつもりだったんだけど、だめ。……嫌だよ、お姉ちゃんと別れるの。お姉ちゃんも一緒に来てよ」
「何言ってるの。お姉ちゃんに、ここに残れって言ったの、あんたの方じゃない」
「わかってる。一番いい方法を選んだつもり。でもそれとこれとは別。お姉ちゃんのそばにずっといたい」
「私の面倒見るの苦労するって言ったばかりじゃない。解放されてほっとしてるんでしょ」
「嘘。みんな嘘。わかってるくせに。お姉ちゃんの意地悪」
「私も、あんたにいつまでも頼ってばかりなのを辞めることにしたの。やっと決心がついたのに、くじかせるつもり?」
「だって……」
 圭子の目から、いつのまにか涙がぼろぼろ流れ出していた。二人ともその涙を止めようとは思わなかった。
「どこに行っても、何があっても、姉妹でしょ。私たちの心は一つよ。いつでもメールちょうだい」
「毎日送る。一日に10回は送る」
「いいけど、授業中はやめてよね。授業中に泣き出したくないから……」
 ベルが鳴り止み、ドアが閉まり、ゆっくりと列車は動き出した。
「皆さん、お元気で。圭子もしっかり頑張るんだぞ。ひとみができなかった親孝行、しっかりやってくれるようにな」
「お父さんまで、泣かせないでよ。わかってるから。お父さんも体に気をつけて。無理したらダメだよ」
「私がついてるから大丈夫。お父さんのこと、任せて、お姉ちゃん、お兄ちゃん、さよならーー」
 列車は駅から離れていった。
「和子……」
 圭子は小さな声でつぶやいた。いろいろな思い出が蘇ってきた。喧嘩をして口も聞かない時もあったけれど、あの時、どうしてまた仲良くなったのだろう。姉妹という不思議な絆が理屈を超えて二人をつなげていたように思う。それは、二人の血がつながっていないと知った今でも太い絆でつながり続けている。それは実際に血がつながっている淳の家族に対する物よりずっと太いものだ。同じような絆をこれから作っていかないといけない。そんなことが出来るのだろうか?理屈じゃない。自分たちを引き合わせたひとみの力、思いを信じることなんだと自分に言い聞かせていた。

 洋介の車に乗って淳の家に着いた。母の志津がやさしく出迎えてくれた。今日からここが自分の家なんだ。圭子が家に入って最初にやったことは、仏壇のひとみの遺影に向かうことだった。
「ありがとう、ひとみ。今日からあなたのこと『ひとみ』って呼ぶわね。私、十分なこと何もできないけれど、私のこと守ってね。何かあったら、あなたの責任だからね。遠慮なくあなたのこと怒るから。おばさまとも、おじさまとも、淳君とも仲良くできるように力づけてね。それから、あんたの妹の和子のこと、大切に思ってくれてるのなら、あの子のことも守ってよね。あの子、一度も口に出したことないけれど、本当は怖がってるのよ。私、知ってるから。お母さんとひとみが同じ病気で亡くなったこと。あの子もいつか同じ病気になるんじゃないかって、心配してるって知ってる。今、お母さんと一緒にいるの?だったらお母さんと一緒に和子を守っていてね。もしあの子に何かあったら、ただじゃおかないから、覚悟しててよね」
 夕食まで部屋の片付けを淳が手伝ってくれた。淳が言うには、圭子がここに来ることが決まってからというもの、両親はそわそわし続けだったとか。無関心を装っているような父の洋介でさえ、仏壇に話しかけることがあって、近くで聞いていると、カーテンの色は何が良いと思う?と仏壇のひとみに話しかけていた。圭子が入る部屋も毎日のように掃除をし、丁寧に拭き掃除までしていたという。道理で誰もいなかったはずの部屋が綺麗なわけだった。
 夕食後、部屋に戻って片付けの続きを行った。荷物はそんなに多くないのに、父と和子のことが気になってなかなかはかどらない。夕食前には和子から、今着いた、と簡単なメールが届いたけれど、あちらの方が荷物も多いから大変だろう、メールを打ち返しても返事は返ってこなかった。
 ドアをノックする音が聞こえた。入ってもいいかい、という淳の声に、いいよ、と返事をするとパジャマ姿の淳が入ってきた。
「まだ片付けやってたんだ。もう遅いよ、疲れてるだろうから、早く寝たら?」
「うん、もう寝る。今日はありがとう」
「これから、よろしくな。でも変な物だな。君が同じ家に住むことになるなんて。去年まで思いもしなかった」
「ひとみが起こしてくれた奇跡だって思ってる。あ、そうそう、『ひとみ』って呼ぶことに決めたから、そのつもりでね」
「そうか。じゃあ、僕も君のこと『圭子』って呼ぼうかな。お圭じゃおかしいし」
「やっとおかしいって気づいてくれた?進歩したわね」
「圭子……は、うちの親父とお袋のこと、なんて呼ぶつもり?」
「うん、やっぱり、おじさま、おばさま、かな。どうしても慣れないから。……いつか呼べるようになるとき、来るのかな?それよりさ、外国に3年いたって言ってたわよね?」「ああ、小学校の時だけどね」
「3年もいたら、習慣とか慣れる物なの?」
「けっこう自然になっちゃうね」
「あのさ……、私、一度やってみたかったことがあるんだ。いいかな?」
「何?」
「今日はありがとう。そしてこれからもよろしく」
 そう言うと、圭子はいきなり淳に近づき、淳のほっぺたに軽くチュウをした。
「えっ?」
 いきなりのことで驚く淳だったが、圭子の顔はみるみる真っ赤になっていった。
「もう寝るから、部屋、出て行ってね」
 追い出すように淳の体を押して部屋の外に出すと、ドアを閉めながら圭子が言った。「お休みなさい……お兄ちゃん……」
 淳の目の前でドアが閉められた。しばらく立ったままだったが、
「お休み、圭子」
 そういうと、キスされた頬を押さえながら、自分の部屋に戻っていった。

『お兄ちゃんか。悪くない響きだな』
 にやにやしている自分に気がついた。自分も父親の血を引き継いでいるんだな、と思った。
『でも、学校でお兄ちゃんなんて声かけられたらどうなる。言い間違えた、なんて言い訳通用しないだろ。あいつに兄がいたなんてことないんだから。和ちゃんが呼んでるからうっかりうつってしまった、なんて言い訳でもするんだろうかな』
 淳は、圭子の赤くなっていった顔を思い出した。
『明日の朝、顔を合わせたら気まずいな。どんな顔をして会えばいいんだろ。あいつもたぶん今頃、気まずい思いしてるかも。お互い、気まずくて話もしなかったら、お袋、変に思うだろうな。そうだ、良いこと思いついた!朝会ったら、お早うって言って、ハイタッチしてやろう。これなら自然だし、スキンシップも取れるるから、変に思われないでいいかも』
 思いつきに嬉しくなって、今夜は眠れそうにないだろうな、と思った。これから毎日どうしよう。圭子を加えた『家族4人』の生活を思って、何だかワクワクする思いだった。しかし、この時、淳は知るよしもなかった。和子と再会した時、和子が、圭子を無視して自分に飛びついてくるようになることを。

 圭子は真っ赤になっていた。
『あんなことするんじゃなかった』
 反省しても遅かった。気分を落ち着かせるために和子にメールを打っていた。
『淳君のこと、お兄ちゃんって呼んでみたよ。もう和子だけのお兄ちゃんじゃないからね。ほっぺたにお休みのチュウもしちゃった。うらやましいだろ。』
 和子は何て返事をくれるかな?『やったね、お姉ちゃん』とか。いやいや、『お姉ちゃんだけ、ズルイ』なんて言ってくるかな。だったら返事してやるんだ。『うらやましかたら、あんたもここに来なよ』って。
 まさか、一ヶ月後の休日に、本当に和子が泊まりにやってくるなんて、この時には思いもしなかった。あの、別れの号泣は何だったのか。それはまだ先の話になる。
『明日の朝、どんな顔でお兄ちゃんに会えばいいのかな』
 同じ事を圭子も悩んでいた。そして、淳と同じ考えにたどりついた。
『何でもなかったかのようにハイタッチしてやろう。驚いた顔を無視して、平気だぞって』
 そんなことを考えると、これからの生活が楽しくなってきた。
『ひとみができなかった仲の良い兄妹をしっかりやろう。それがひとみの願いなんだから。大好きな妹と別れてまでここで暮らすんだから、ひとみがヤキモチ焼くくらい仲良くなるんだ。ひとみには怒る権利ないからね』
 今夜は眠れそうにもなかった。まるで夜のない国に来ているかのような感覚を感じていた。

小説「白夜の人」第8章:別れ

2010年07月11日 | 詩・小説
第8章 別れ

 翌日、圭子と和子は淳に連れられてお墓に出かけた。父に一緒に行かないかと誘ったのだが、忙しいからと断られた。母の看病と葬儀でかなり会社に迷惑をかけていて、仕事を溜めたままにしていたので、休日返上で頑張らないといけないらしかった。
 電車をいくつも乗り換えバスにも乗って、ついた墓地は静かな丘陵にあった。
「ここまではいいんだけれど、何度来ても場所がわからないんだ」
 淳は頼りないことを言い出した。何百もあるお墓の中から見つけないといけないのかと、少しばかり気が重くなった。ふと気がつくと和子が墓地の入り口に立ったまま、当たりを不思議そうな顔をして見回していた。
「和子、どうしたの?そんなところにつったったままで」
 和子を振り返りながら声を掛けると、やがて和子はぽつんとつぶやいた。
「私、ここ、知ってる。前に来たことある」
 そう言うと、きょとんとしている二人を尻目にさっさと歩き出した。どこに行くのか、あわてて淳と圭子が追いかけると、まるで目印を確認しながら進むように、いくつかの角を曲がってあるお墓の前にたどりついた。
「どうしてここがわかったんだい。ここだよ、お墓は」
「お姉ちゃん、これ見て!」
 和子が指さすところに、数日前に誰かが備えた花が飾られていた。
「これって……お父さん?……どうして!?……」
 年に一度、父が持って帰ってくる花がそこに飾られてあった」
「前に一度、お父さんに連れられてここに来たの。ちょっとドライブしよう、なんて言われて。お父さん、手帳にメモをしたらしく、一つ一つ確認しながらここに来たの。目印、一緒に探しながら来たから覚えてた」
「お父さん、もう先に来てたんだ。お母さんも来たことあるのかな?」
「たぶん知らないと思う。だって……」
 そう言うと和子はバックの中から何かを取りだした。母の遺影だった。
「お父さんは仕事でいけないから、母さんを連れてやってくれ、って今朝言われて、持ってきたの。お母さんも来たかったと思う」

 後に父に問いただしたところ、数年前のある日、仕事の途中でこの墓地の側を通りかかったところ、淳の家族が墓参りに来ているのを見かけたという。両親の顔に何となく見覚えがあったので、ふと気になってこっそり後を着いていって、ここにたどり着いたそうだ。目印をしっかり手帳にメモをして、和子には何も言わないで連れてきたという。その当時、お母さんは入院をしていたこともあり、余計な思いをさせて体を悪くしてもいけないと思って、話をするきっかけを失ったままになってしまったそうだ。でも、毎年命日には花を供えに行って、帰りに1本だけ持って帰って家で飾ることにしたとか。母が気づけばいいし、無理に気づかせる必要もないと思ったけれど、やはり生きてる間に一緒に来ればよかったかな、と少し後悔していた。今年は、母が亡くなって連れてこれなかったことのお詫びをしに、こっそり立ち寄っていたという。

「お父さんって、言ってることとやってることが、まるで違うんだから」
「照れくさいんじゃないかな。本心を誰にも知られたくなかったとか。でも和ちゃんを連れてきてたってのが精一杯の気持ちなんだろ」
「大人ってそんなものなの?」
「僕の親父もお袋も似たようなものだよ。親父なんて、君が昨日家に来るって知った時、どうしても他の人に替わってもらえない出張で、言葉通り、泣く泣く出かけて行ったんだから。もう夕方から何回も電話してきて、同じ話、何度したかわかんない」
「おばさまはいつも冷静でしょ」
「見かけはね。でも、誰にも言わないことなんだけど、うちの家、空き部屋があるんだ。これまで何度も引越をしたけれど、いつでも、どこに行ったときも、必ず空き部屋を一部屋設けてあるんだ。一度聞いたことがあるんだけど、荷物が多いから物置部屋がいるって。でも、まったく荷物をおいてないんだ。あれって、いつでも誰かがこの部屋にやってくるのを待っていたんじゃないかって、今ならそう思う」
「誰かって?」
「うん、誰のことだろうな」
 圭子はそのことを真剣に考えている様子だった。そんな姉の様子を和子は吹き出しそうな思いで見つめていた。

 3人はしっかり手を合わせて思いを一つにしていた。目を開けても和子だけはいつまでも目を開けなかった。自分の実の姉と話したいことがいっぱいあったのかもしれない。それに、今まで決して出会うことがなかった自分たちが出会えたのも、父がお墓参りをしてくれるようになり、そして実の妹も来てくれて、ここに眠っているひとみさんが、嬉しくて許してくれたからなのかもしれない。
 ようやく目を開けた和子に圭子は言った。
「これから毎年命日には来ようね。お父さんにこっそり来させないで、忘れないように……、えっ?あれっ……ねえ、今日って何日だっけ?」
 圭子の頭の中で何かがはじけた。淳が日にちを教えると、圭子の顔が真っ青になった。
「いけない!大変だ!今日、大事な約束があったんだ!淳君、ごめん。急いで帰らないといけなくなっちゃった。二人とも、もう少しここにいたらいいから、先に帰らせてもらうね」
「あっ、なら僕たちも一緒に……」
「ダメ!誰にも内緒の所に行くんだから、着いて来ちゃだめ。それに急いで帰ったりしたら、お墓の中のひとみさん、気を悪くしちゃうでしょ」
 和子もまだここにいたいと言ってくれたので、圭子一人、急いで墓地を抜け出した。次に行く時は、しっかり者の和子が連れて行ってくれるから、圭子は目印を覚えようとも思わなかった。一体どちらが姉なんだろう。何度目だろう、そんなことを思うのは。

 今日は小学生の時に亡くなった彼の命日だった。礼子と約束して、毎年この日にはお墓参りに来ようと決めていたのに、この日を忘れるなんて5年目にして初めてのことだった。
 急いで彼のお墓にやってきて、そこに飾られた花束を見つけた。礼子はちゃんと忘れずに来てたんだ。圭子は思わず小さな声で言った。
「ごめんね、礼子。何で忘れちゃったんだろ、私」
「遅いぞ、今頃来て」
ふいに声が聞こえてびっくりした。振り返るとそこに礼子が立っていた。圭子は急いで膝をついて、礼子を拝み倒した。
「ごめん、ごめん。二人で決めていたことなのに、すっかり忘れてしまって……」
「謝るのは私にじゃないでしょ」
「うん」
 圭子はお墓に向き直るとお墓に向かって謝り続けた。
「まあ、いいか。それくらい謝ったら許してくれるかな」
「礼子、今までずっと待っててくれてたの?」
「ああ、ずっとね……って言いたいんだけど、実は私もさっき来たばっかり」
 圭子は礼子を見上げると、しばらくぽかんとしていたが、急に立ち上がって礼子に詰め寄った。
「何、それって?あんたも忘れてたの?で、私に土下座させたっての?」
「いいじゃない、私もずっと土下座して彼に謝り続けてたんだから。てっきりあんたが先に来てお参りしてくれてたんだと思ってね」
「私は今来たとこよ。どうして?」
「実はね、さっき来てよく見たら、きれいにお墓が磨かれてあったの。先に誰かが来てやっててくれてたの。てっきりあんただと思ってたんだけど、お圭にしてはきれいにやり過ぎだななんて思ったり。和子ちゃんなら不思議でもないけれど、あの子には言ってないよね。いつもは朝一で来てるじゃない。だから知らなかったけど、このお墓を守ってくれてる人がいたんだよ」
「そうか。誰にもかまってもらえない、可愛そうなお墓だって勝手に思っていたけれど、そうじゃなかったのか」
「二人とも同時に忘れてたってのも、時間の流れかなって。私たち、いつまでも昔のことを引きづり続けてもいけないのかなって、さっきあなたが来た時に思った。そろそろ独り立ちしなよ、ってこの子が教えてくれてるのかも」
「誰なのかな、その人。私たちがいつも来てるってこと知ってるのかな」
「たぶん知ってるんじゃない。でも顔を合わせることないってことは、知られたくないのかも。だからいいじゃない。私たちも知らないってことで。それに、そろそろその人に任せてあげようかな。誰かは知らないけれど、たぶん私たちよりずっとこの子のことを思ってくれてる人なんだろうから」
 独り立ちをすれば、という礼子の言葉をずっと圭子はかみしめた。過去にいろいろあって、それに振り回されそうな毎日だけれど、過去の出来事が大切なのではなく、これからどうしていくのかが重要なんだろう。淳とのこと、淳の家族とのこと、和子と父のこと。それらのことを、もっと真剣に考えていかないといけないのだろうか。
「私、決めたの」
 礼子が急に言い出した。
「何を?」
「私、大学は東京に行く。今から必死に勉強すればどこか行けるところあるでしょ。そして、そこで淳君以上の男、見つけるんだ」
「東京か。いいな、私も行こうかな」
「ダメ。圭子も来たら意味ないから。私たちもうすぐ3年でしょ。これからのこと、真剣に考えないと。圭子が転校してきた小学校5年のときから7年間、ずっと一緒にいたけれど、私たちも独り立ちしないといけないと思うの。高校を決める時、お互いに一緒の学校に行こうね、って決めたけど、それじゃあだめだと思うの。圭子と私は違うんだから、自分が何をしたいのか、それで進路を決めないと。圭子の道と私の道は違うんだから」
「じゃあ、礼子は何がしたいの?」
「言ったでしょ、いい男を見つけるって」
「何、それ?礼子のやりたいことって、それ?」
「悪い?私にぴったりの男を見つけることの、どこがいけないの。絶対、淳君以上の男見つけて結婚するんだ。あんたと淳君なんかに負けないんだから」
 淳とは結婚できないんだ、って礼子に言ってやりたかった。でも、親友と言っても踏み込んではいけない領域がある。きわめてプライベートなことまでお互いに関わることはない。礼子にはずっと黙っていようと決めていた。でも、いつまでたっても淳と一緒にならないのなら、礼子にどう思われるのか、少し気がかりではあった。喧嘩別れでもしてたのなら判りやすかったのに。両方の親が意固地になってお互いを会わせたくないと言ってるのなら理由付けにもなりやすいのに。今や淳と自分は近づいていく一方。別の意味で悩みは深かった。

 青天の霹靂だった。
 四十九日も過ぎたある日、父の幸造が圭子と和子に相談がある、と言って真剣な顔で話し出した。
「実は、お父さんに転勤の話があるんだ」
「前に病院で言ってたの、あれって本当のことだったんだ」
「お父さんに咄嗟で思いつきの演技ができれば、今頃俳優になってるぞ。うん、あの話は本当なんだ。ついでに言えば、母さんの具合が悪くなったのも、その話で悩んでいたのが原因の一つだというのも本当だ。決して圭子が淳君と会ったのが原因じゃないんだから、圭子が思い悩む必要は一つもないんだから」
「だって、あの時……」
「母さんは、先回りして心配してたんだ。二人は実の兄妹なのに、そのことを知らずにもし結婚なんて言い出したら、いや、今の若い者は先先にいってしまうことこもあるから、それだけを心配してたんだ。圭子に限ってそんなことはないって言って、納得はしてくれてたんだ。心配なのは要領の良い和子の方かな?いや、俺が言ったんじゃないぞ、母さんがそう言って納得してたんだから」
「そうか、私はそんな風に見られてるのか。ぐれちゃおうかな」
「お父さんが許しません!まあそれはおいといて。二人が出会うことや親しくなることは運命なのかもしれないって。お父さんは先に言ったように、ひとみのお墓見つけて、そういう運命ってことを先に感じてたんだがね。俺が出会ったのなら子供達が出会うのも時間の問題かなって。母さんが亡くなったのもこれも仕方がない運命だと思うことにした。今まで転勤を断り続けていた口実が無くなってしまったんだから。で、相談なんだ。和子はまだ中学生だから、ここに置いておくわけにはいかない。俺と一緒に連れて行くことになるだろう」
「私、もう先生には言ってある」
「えっ、それどういうこと?聞いてたの?」
「言った覚えはないんだが」
「葬式の後で会社の人、お線香を上げに来てくれたことあったでしょ。その時に話しているの、聞こえちゃった。お父さんは、はいとも、いいえとも言わなかったけれど、病院での話思い出して、断り切れないだろうな、って思っちゃった。いいわよ、お父さん。転校するなら早いうちの方がいいから。3年になってからじゃ受験とか不利だし、部活も3年からじゃ入りにくいしに」
「和子が行くんだったら、私も行く」
「だめよ、お姉ちゃんは。また妹みたいなこと言って。せっかくもぐりこめた高校、辞めてしまって入れる高校あるかどうかわからないでしょ。中学と高校は違うんだから」
「ありがとう、和子。まあそういうことだ」
「どうすればいいの、私。一人暮らしなんてできないよ」
「大丈夫。お姉ちゃんには空き部屋がちゃんと待ってるから」
「何?空き部屋ってどこにあるの?」
「圭子には言わなかったが、お父さん、話をしに行ってきた。こんな事情だから圭子を預かって欲しいと」
「どこ?」
「まだわかんないの?お姉ちゃんを喜んで迎えてくれる家族のところに決まってるでしょ」
「ひょっとして……淳君?」
「他にどこがあるって言うの。ちゃんと空き部屋もあるんだから」
「でも、その部屋って、誰かが入るために……えっ?……わ・た・し?」
「あちらでは、そういう事情なら喜んで迎えますって。卒業するまでの間、って言うから、そんなこと言わずに、迷惑かもしれませんが、いつまででも良いですから、置いてやって下さい、って言ってきた」
「そんな勝手な?」
「悪いけれど、もう決めてきた」
「そんなの変でしょ!同級生の若い男女が、同じ屋根の下でクラスって、そんなこと学校や友達に、何て言えばいいのよ」
「そのことも話してきた。何だったら『養女』という形にしてもらっても良いからって。いまさら、実の娘です、なんて世間には言えないし、子どもを交換するのもおかしいし。だったら、先方が圭子のことをずいぶん気に入って、ぜひとも養女にしたいと言ってきた、ということこで、とりあえずは試験的に一緒に暮らしているということにすればいいんじゃないかと」
 思いもかけない提案にあきれて物も言えなかった。
「そんなの……困る」
「そうだろうな、先方さんはさぞかし困るだろうな。こんながさつな娘では。たぶん破談になるかも……」
「何で向こうが断るって話になるの」
「いや、本当に先方には断られたんだ。大事な娘さんを貰い受けるなんてできませんって」
「そうでしょ。やっぱり変よ」
「いや、養女の話は今すぐでなくてもいいんだ。世間向けにそういう話があるってことにするだけで。でも、お父さんの気持ちを言えば、圭子が良いって認めたら、いつでも養女に出していいから」
「私、嫌よ。お父さんと別れるの」
「何言ってるんだ。これは前に和子には言ったことなんだけど、いつかお前達二人とも、結婚して出て行く時がくるだろう。でも、名前が変わっても、どこに行っても、俺の娘であることは一生変わらないことなんだ。少しだけ嫁に出すのが早くなったと思えばいいんだから。お父さんはちっとも悲しくないぞ。お前も、いつまでも俺や和子に甘えてないで、自分の道を切り開いていくことも大事だと思う。冷たいことを言ってると思うけれど、お前よりお父さんの方が先にいなくなることはたぶん事実だろう。でも、いつまでも俺のことを覚えてくれて入れれば、お父さん、それだけで嬉しい。お前はお前だけの道を歩んでいって欲しいと、お父さん、思ってる」
 父の声に礼子の声が重なって聞こえてきた。いつまでも甘えて頼り切っていたんじゃだめ。自分の道を歩む出すんだ、と。
「わかった、お父さん。私、淳君の家に行く。ひとみさんのお墓で約束したんだ。ひとみさんができなかった親孝行を、私が替わってやるって。でも、養女の話はまだ待って。そんな急に決心できないから。お父さんみたいに割り切れない。まだしばらくはお父さんと和子と同じ名前でいたい」
「ありがとう。向こうの両親も喜んでくれると思う」
 ふと、淳から聞いた淳の父親の様子を想像して、少し吹き出しそうになった。でも圭子が笑うより早く、同じ事を考えたのだろう。和子が圭子の顔を見て、先に笑い転げてしまった。

小説「白夜の人」第7章:愛と死と(後編)

2010年07月07日 | 詩・小説
第7章 愛と死と(後編)

 和子が姉の秘密を知ったのはほんの偶然だった。
 中学の授業でコンピューターを扱った時、インターネットでの検索を使っての調べ学習をやっていた。和子は家にあるコンピューターですでにインターネットはやっていたから、初めて使用する他の生徒と違って暇をもてあまし気味だった。きっかけはきまぐれからだった。ふと、自分の名前で検索してみるとどんな結果が出るのか見てみたくて、こっそりやってみると、予想はしていたが自分のことはまったく出ないで、見も知らないまったく別人の同姓同名の人がいっぱいヒットした。一人一人見ていって、それはそれで面白かったのだが、次に姉の名前で検索してみた。すると、思いもかけないことに、その中にまさしく姉に関する記事がヒットしたのだった。それは、あの5年前の事件だった。自殺した小学生の親しかった友人として発言を求められたものが、実名ではないにも関わらず、いろいろつなぎ合わせてヒットしてしまっていたのだった。
 当時、児童全員が体育館に集められて、校長先生から何か話を聞いたことはかすかに覚えていた。圭子が呼ばれて、警察の人などに話を聞かれたということもあったように思う。でも、まだ小さかったことから、事件のことはそんなにも記憶には残ってはいなかったので、今回ネットでの記事から、初めて姉が関わった出来事を知った。
 これだけでも和子には十分ショックな出来事だったのに、なぜか関連記事として、赤ん坊取り違え事件がリンクされていた。学校のコンピューターではリンクに制限がかけられていたので、それ以上はリンクをたどることはできなかったが、何となく気になって、家に帰ってからもう一度同じ手順で記事の検索を行ってみた。当時、流行でもあったかのように、各地で赤ん坊の取り違え事件が見つかって、新聞や週刊誌でいろいろ取り上げられていた。そんな中、和子を驚かせたのは、そんな記事につけられた写真の中に、和子の両親の若い時によく似た人物が写っている写真を見つけたことだった。和子はその記事に絞って、いろいろな週刊誌の記事を順に読んでみた。全体的につかんだ内容は、林本家に産まれた二卵性双生児の妹のさとみさんと、相川家に産まれた一人娘英子さんが、病院のミスによって取り違えられたということだった。当然ながら実名は書かれてはいないが、仮名であっても、本名をもじって付けられるのが普通だから、当人達を知っている者にはそれが誰のことかわかってしまう。勘の良い和子には、『相川英子』とあるのが、姉の相沢圭子のもじりであることは容易に推測できた。週刊誌の記事はさらに、二人を交換する前に片方が亡くなってしまい、交換は行われないままになった、として、その告別式の写真が載せられていたのだった。この記事が姉の名前からの検索でヒットしていたのだった。
 和子はショックでしばらく何もできなかった。このことを姉は知っているのだろうか?ふだんの姉の様子からそんな風には感じられなかった。和子は気を取り直して、詳しい情報を得ようとしたがそれが限界だった。この記事は本当なのだろうか。あるいは同じ名前の別人のことなんだろうか。言われてみれば、自分と姉と、時々似ていないなと思う時もあった。でも世の中、似ていない姉妹などいくらでもいる。和子は思いきって父に尋ねてみることにした。病気がちの母には聞けなかった。

 ある日、こっそりと喫茶店に父を呼び出した和子は、インターネットから取り出してプリントアウトした記事を何も言わずに手渡した。父はちらっと記事を見ると、溜息をつきながら言った。
「知らなければ知らない方がいいと思ってたんだが」
「お姉ちゃんは知ってるの?」
 父は首を横に振った。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「教えて欲しいの。週刊誌の記事なんかじゃほんとのことはわからないから。私、ほんとのことを知りたいの」
「今さら知ってどうする?」
 和子はもう一枚、別の記事を取り出した。姉の友だちだった少年の自殺の記事だ。
「この人、自分の秘密を知って死んだって。明るい少年だったのに、ショックを受けて、立ち直れなくて……。この人の悩みをわかってくれる人が回りに誰もいなかったから。もしお姉ちゃんが何かの弾みでこのことを知ってしまったら、私が支えてあげる」
「お前は強い子なんだな。俺にもこんな強さがあったらな……」
 父はプリントアウトされた紙を置くと、天井を見つめた。しばらくして簡単に語り出した。
「ここに書かれていることはほとんど間違いない事実だ。簡単に言ってしまえば、圭子は私たちの子どもではなく、お前の本当の姉でもない。別人と取り違えられてしまった。そして、お前の本当の姉はもうこの世にはいない。それだけだ」
「そんなことはもうわかってる。私がお父さんに聞きたいのはそんなことじゃないの。お父さんはどう思ってるのかってことが知りたいの」
「俺の気持ちなんか聞いてどうする。俺の気持ちで事実が変えられるものじゃないだろ」
「それでも聞きたいの。こんな週刊誌の記事みたいなことじゃなく、お父さんが見てきた、本当にあったことを」
 しばらく目をつぶって考えている様子の父だったが、目を開けると座り直して、和子の目を正面から見た。
「わかった。俺の立場での話が知りたいのならきかせてやろう。でも、断っておくけれど、俺が感じたり思っているだけの話だから、事実とは違うかも知れない。もし聞く機会があったら、母さんに負担がかからない状態の時に、母さんにからも聞いてくれ。それでいいか?」
「うん」
「わかった。さて、何から話したらいいのかな。病院で何があったのか、具体的にはわからない。それに、あの頃、俺は単身赴任でほとんど家にいなかったから、幼かった圭子と顔を合わすことも少なかった。だから母さんとはまた違った気持ちだったとは思う。赤ちゃんが違っているとわかったのが圭子が2歳の時、あちらが気づいて、病院を通して連絡があった。赴任先で電話でそのことを聞いた時、何を言われてるのかまるで理解できなかった。急いで戻ってきて両家族の話し合いに出たけれど、違っていたなら元に戻せばいいじゃないか、くらいの気持ちだったかな。冷たいようだけど、赴任先から帰るたびに子どもは変化しているんだ。その成長の早さは驚くくらい。だから、もし子どもが別人に入れ替わっていたとしても、俺には気づかなかったかも知れない。まあそんなことはないだろうけどな。でも、話し合いの途中であちらにいる子どもが病気で死んでしまった。その時も俺は赴任先にいたのだけれど、それを聞いた時、複雑な気持ちだったな。ほんとの自分の子どもが亡くなったんだから確かに悲しかった。でも、これで圭子を取られなくてすむ、なんて思ったのも事実だ。こんなお父さん、どう思う?ずいぶん自分勝手だと思われるかも知れないな。男親ってそんなものなのかな。自分のお腹を痛めてないから、はい、これがあなたの子どもです、って言われて渡されたら、そうか、これが俺の子か、って思うんだ。自分に似てるか似てないかなんて考えない。圭子が産まれてずっと自分の子として育ててきた。だから、この子こそが俺の本当の子なんだ。申し訳ないけれど、あちらにいる子はあちらの子であって、自分の子どもとは思えない。ひどい父さんだな。血のつながっているはずの子どもを認めないんだから」
 そこまで一気に言うと、置かれているコーヒーに口をつけ、しばらく考え込む様子だった。
「実は、あの後、ずっと俺は怖がってたんだ。いつか圭子を奪い返されるんじゃないかって怯えつづけてた。すぐに引越をしたのも逃げたかったからだ。引っ越し先でお前が産まれて、ますます不安になった。誰かに言われたような気がした。俺にはもう別の子どもができたのだから、上の子を返してもいいんじゃないかって。俺にとっては圭子も和子も二人とも俺の本当の子だ。誰にも渡したくない。俺は不安を紛らわせるために仕事に打ち込んだ。脇目もふらずに。余計なことを何も考えたくないために。でも、そんな様子に罰が当たったんだな。母さんの体調が悪くなっているのに少しも気づかなかった。母さんが入退院を繰り返すことになったのははっきり言って俺のせいだと思ってる」
「そんなことないよ、お父さんのせいなんかじゃ。お父さんはみんなのために頑張ってくれてるんだから、自分を責めないでよ」
「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいけれど、あの頃の俺は自分の為だけに働いていたのも事実なんだ。でもな、今は違うぞ、今はな。忘れもしない、あれは圭子の中学の卒業式の日だった。名前を呼ばれて卒業証書を受け取る圭子を見ていて、俺はジーンとくるものを感じていた。義務教育を終えて、これから飛び立っていくんだな。高校は決まっていたけれど、この先ひょっとしたら遠くの大学に行って、家から出て行くかもしれない。就職も遠方かも知れない。誰か良い人を見つけて、いつか結婚して独り立ちするだろう、そんな将来を考えていて、お父さん、ボロボロと涙が止まらなくなってしまった。恥ずかしかったな。でも、たとえ娘が遠くに行ってしまっても俺の娘であることに変わりはない。たとえ結婚して名前が変わってしまったとしても、やはり俺の娘であることに変わりはない。そして、あの声が聞こえたんだ。たとえ実の親の元に行ったとしても……。お父さんは気がついたんだ。人間、突然別人に変わるわけがないってことに。圭子はどこに行っても圭子であり続ける。俺との関係は少しも変わらないんだと。それから、やっと俺は心を落ち着けて考えられるようになった。もし将来、何かの縁で本当の親に出会うようなことがあったら、圭子が事実を知って、もし戻りたいと言い出したら、その時は笑って送りだしてやろうと。これが私たちが自信を持って育て上げた自慢の娘です、と言ってね。どこに行っても、どんなに違う世界に行ったとしても、圭子はいつまでも圭子なんだから」
「お母さんはどうなの?」
「さあ、そんなこと話したことないから母さんがどう思ってるかわからない。たぶん母さんは俺とは違う考えだろう。まあそんな時が来なければいいな、って実は願ってるけどな。本当にそんなことになったら、案外お父さん、暴れまくるかもしれないけどな、あっはっはっは」
 愉快そうには笑っているけれど、父の目には光る物があった。
「これだけは覚えておけよ。圭子だけじゃない、和子も、二人ともお父さんの子だからな。どこに行っても、何があっても、これだけは一生変わらないからな」
「ありがとう、お父さん」
 平気な顔して、冷静に聞いているはずの和子だったが、いつか頬に冷たい物が流れているのを感じていた。
「一つだけ約束してくれるかな。ここで話したこと、絶対、圭子とお母さんに言わないこと。お母さん、今は元気だけど、いつまた具合が悪くなるかもしれないからな」
「うん、約束する。絶対に言わない。二人だけの秘密にする」
「もう、いいかな。他に聞きたいこととかあるかな?」
「最後に一つだけ教えて。私の本当のお姉さんは何て名前?」
「うん。『ひとみ』……森本ひとみ。で、双子のお兄さんが『淳』って名前だった」

 圭子が和子から、父とかわした約束のことを聞いたのは、母からすべて聞かされたその夜だった。最近和子の様子が変だったこと、初めて淳と会った時、名前を聞いただけで、どうして彼に妹がいるのを知っていたのか、そんな細かいこともすべて氷解した。
 自分が誰の子か悩む必要はなかった。母が亡くなった日、圭子は一日中、誰はばかることなく泣き続けた。父の言うとおり、自分にとってもこの人こそが母親なのだ、そう理解できた。母がどんなに悩み続けてきたのか、それを思うとよけいに悲しかった。
 お通夜、告別式と続いた日は比較的冷静でいられた。礼子が駆けつけてくれて励ましてくれたことも大きかったが、もう十分泣きはらして、自分でも驚くくらいに冷静になりきれた。
 淳の家族は両日とも来てくれた。特にお通夜の日には、礼子には遅くなるから、明日もあるから、と早く帰ってもらったが、淳の家族には遅くまで残ってもらった。父は淳の両親を別室に呼んで話があるからと言って、淳には席を外してもらって話し込んでいた。
「何の話だろうね、君のお父さんが僕の両親に話って」
 事情の知らない淳は気軽に圭子に話しかけた。圭子はどんな顔をして淳を見れば良いのかわからなかったが、代わりに和子がそれに答えた
「きっと、うちのふつつかな娘をよろしく、なんて挨拶してるのよ」
「こらっ、何、変なこと言ってるのよ、こんな席で、不謹慎でしょ!」
 和子は、えへっへっ、と舌を出して笑った。おかげで少し圭子の気持ちも落ち着けた。
「君も大変だろうけど、困ったこととか、悩むこと会ったら何でも言ってくれよな。一人で抱え込まないようにな」
「うん、ありがとう。……ひょっとしたら、一緒に悩むことになるかもしれなくなるかも……」
「どういうこと?」
「何でもない、何でもない」
 自分が事情を知った以上、あちらの家族も淳に打ち明けることになるだろう。事実を知った時、淳はどんな姿勢を見せるのだろうか。少なくとも悪い方向にはならないだろうとは思っていた。

 淳がいつ事実を知ったのか、笑いそうになるくらい明らかだった。葬儀も終え、一段落して学校に行けるようになったとき、礼子は当然として、淳も声を掛けてくれたのだが、ある日、淳からの声かけがなくなった。学校には来ているのだが、何となく話しづらそうにしている。圭子自身もいろいろ考えたかったから、少し距離を置くことも必要かなと思っていたので、わざとそのままにしておいた。礼子は敏感に距離があることに気づいていたが、母の死でまいっているから話しかけない方がいいのかも、と思ってくれていた。
 母の遺品の後片付けもなんとか一段落した後、圭子は淳の家に訪問することにした。一人では行きづらかったが、礼子には話はしていない。このことばかりは打ち明けるわけにはいかなかった。悩んでいると、和子が実の姉のお参りをしたいと言い出したので、二人で一緒に訪問することにした。実に頼りになる妹だった。もちろん和子にとっても淳の家は無縁ではなかったのだが、それ以上に姉の悩みを敏感に察してくれていた。
 家に着くと淳が出迎えてくれた。まだ片付けがすんでないからと言うことで、二人は応接室に通された。座るやいなや、和子が淳に話しかけた。
「あのー、こんなことお願いしてもいいのかわsからないんですけど、あなたのこと、『お兄ちゃん』って呼んでいいですか?」
「……?」
「お姉ちゃんのお兄さんだから、私にとってもお兄ちゃんになるんですよね」
「そういうことか。確かにそうだね。いいよ、僕も君のこと『和ちゃん』って呼ぼうかな」
「ありがとう、お兄ちゃん。うん、私、がさつな姉しかいなかったから、優しいお兄ちゃんがずっと欲しかったの。うれしいな!」
「うん、僕もこんな可愛い妹ができて嬉しいよ。何しろ、妹がいた、なんて言っても、まったく記憶に残っていなかったからね。写真でしか知らない妹より、動いている妹がいいな、やっぱり」
 おいおい、私をほったらかしにして、何、二人で盛りあがってんだよ、と圭子は声には出さず、あきれ果てていた。でも、『お姉ちゃん』ってどっちの意味なんだろ。自分のことか、亡くなった本当の姉のことなのか。
 しばらく後、仏壇のある部屋に通された。亡くなった子どもの写真があった。和子の小さい時の写真に似ているな、と感じた。やはり和子の血のつながった姉なんだ。和子はどう思っているのかわからないが、真剣に手を合わせていた。ふと横を見ると、淳の母親……自分の実の母親である志津が、二人の横顔を見て涙を浮かべていた。
 一通りお参りもすんで、応接室に戻ろうとした時、淳が和子に声をかけた。
「和ちゃん、僕の部屋でも行こうか。二人っきりにさせてあげないか?」
 圭子はあわてて二人を止めた。
「待って!私を一人にしないで!お願いだから和子を一緒にさせておいて。私一人だったら、何を話していいのか、わからないから」
 じゃあ、ということで、淳は一人で部屋に戻っていった。応接室に和子と並んで腰掛けると、圭子は和子の手を握りしめた。何度も思うけれど、一体どちらが姉なんだろうか。
「おうちの方はもう片付かれた?大変だったでしょう、お母様が急に亡くなられて」
「ええ、もう大丈夫です。母は元々体が弱かった物で、これまでも和子が家のことしっかりやってくれてましたから」
「和子さんって言うのね。あの時はまだあなたは産まれてなかったから、初めまして、ですね」
「あっ、言い忘れましてすみません。姉の妹の……、何言ってるんだろ、私……えーと、圭子の妹の和子です。初めまして」
「おばさん、さっきあなたの横顔見てて、思わず泣いちゃたの。気づかれたかな?」
 そうだったのだ。写真を見て和子に似ていると思ったけれど、お母様も和子を見て亡くなった子を思いだしていたのだった。もし生きていれば、こんな娘になっていたかもしれないと思って。でも、もし生きていれば、その子はあっちにいて、私がここにいたのかもしれない。だったら私は和子と出会わなかったかも知れない。そんなことまで思いがいった。
「あの写真、和子によく似ているな、と思いました。思わなかった?」
「私にはわからない。でもその替わり、おばさまは姉に似ているなって感じました」
「さぞ驚かれたことでしょうね、あなたたちにとって、まるでドラマの中の出来事みたいだったでしょうから。でもね、私は圭子さんに会えてとても嬉しかった。一生会うこともないだろうと思ってた人に会えたのですから。あの子が亡くなった時、あきらめてたの。今さら子どもを取り替えようなんて身勝手なこと考えて、そのバチが当たったんだって思ってた。娘が死んで抗議したんだって。だからもう二度とあなたたちには会わないように、引っ越しして、主人の海外勤務も入ったから外国にも行って、戻ってきてまた違う場所に引っ越しして。まあ、淳には迷惑かけたけれど、これですっかり昔とは縁が切れたと思ってたの。あれからもう15年もたったのね。今年になって淳があなたを連れてきた時、びっくりしたけれど、あの子が許してくれたんだと思ったの。聞けば妹さんまでできたそうで、お互い、何のわだかまりも残さないで会える関係になったような気がしたの。もちろんあなたに、ここに来て欲しいなんて思ってないわ。淳のお友達でいいの。淳のお友達に、時間があったらおしゃべりもして、仲良くなれたらいいなって。勝手かしら」
「いいえ、そんなことないです。きっとおばさまの言われるように、ひとみさんが会わせてくれたんだと思います。ひとみさんが出来なかった親孝行を、私が替わってやるように言われたんじゃないかと」
「すみません、この姉じゃ、親孝行なんて期待しないでくださいね」
「そうかも……って混ぜっ返さないでよね。今だけは本気なんだから」
「はっはっは、楽しい妹さんね。ねえ、あなたも時々で良いから遊びに来てくれない?亡くなったあの子とお話ししているみたいで嬉しいわ」
「はい、私で良ければ、いつでもお話し相手になります。少なくても姉よりも面白い話できると思ってますから」
「私だって、この前は一人でしゃべりまくってたんだから。そうですよね、おばさま……お母様」
「いいわよ、無理してお母様なんて言わなくても。あなたのお母さんは、亡くなったお母様ただ一人ですから」
「はい、すみません」
「謝らなくてもいいわよ。そうそう、この前、あなたのお父様に言われたの。あなたさえよければお返ししますって」
「父が?そんなことを!申し訳ありませんがそれだけはお断りします」
「わたしも丁重にお断りしたわ。家に遊びに来てくれるだけで十分。これからも淳と一緒の誕生パーティー開くつもりだから、その時も必ず来て下さいね。そうそう、和子さん、あなたの誕生日、いつかしら?何だかあなたの誕生日もお祝いしたくなっちゃった」
「そこまでしてもらわなくて結構です」
「いいのよ、遠慮しないで、二人とも、ここが第二のおうちだと思ってもらってかまわないから。たぶん、……ひとみも喜んでくれると思うの……」
「おばさま。それなら一つだけお願いがあるのですけれど」
「何?和子さん。何でも良いわよ」
「あのー……お姉さんのお墓の場所を教えてもらえます?お墓参りをしたいのです」
 圭子は和子の言葉遣いに気がついた。自分のことは『お姉ちゃん』と呼ぶけれど、亡くなった姉のことは『お姉さん』と使い分けていることに。
「そう、そうよね。あなたの実の姉なんだから、お墓で直接お話ししたいこともあるでしょうね。明日はおひま?淳に言って、一緒に連れて行ってもらいましょうか」
 この時、圭子は何か、チクッと胸の中を刺す思いがしたのだが、それが何なのかわからない。何か大事なことを忘れているような気がした。


小説「白夜の人」第6章:愛と死と(前編)

2010年07月07日 | 詩・小説
第6章 愛と死と(前編)

 10月の礼子の誕生祝いに、圭子と淳は礼子の家を訪れた。あれからいろいろあったけれど、3人は再び仲の良い3人組に戻っていた。ただ、9月の出来事は、圭子にとって、淳の存在は何なのか、再認識させる出来事となり、二人のつながりを一層強くするものとなっていた。礼子はもうあの時の出来事は忘れてしまったかのようにいた。
 その日、3人が楽しくやっている時、突然圭子の携帯に和子からの連絡が入ってきた。
「お姉ちゃん、大変!今すぐ家に帰ってきて!」
 いつも冷静な和子にしては珍しいあわてぶりだ。
「どうしたの?何かあったの?」
「お母さんが……お母さんが……」
 母は入退院を繰り返し、今は状態は落ち着いてはいるけれど、いつ何が起きてもおかしくないことはよく知っていた。
「和子、大丈夫?お母さんは?お父さんには連絡した?」
「病院には連絡した。お父さんもすぐに戻るって」
 和子の声は聞き取れないくらいにかすれていた。
「わかった。すぐに戻るから。気をしっかりさせるのよ」
 圭子が携帯を切ると、淳と礼子が心配そうに圭子を見つめていた。
「おばさん、何だって?」
「どうやら、また倒れたみたい。和子がいてくれてよかった。病院に連絡してくれたみたい。お父さんもすぐに帰るって」
「すぐに帰ってあげなよ。大丈夫かい?送っていこうか?」
「いい、大丈夫。ごめんねせっかく礼子の誕生日なのに」
「私のことなら気にしないで。すぐに行ってあげて」
「淳君、ここにいてあげて、礼子のお祝いなんだから。礼子、この前のおかえし」
「何言ってるの?そんなこと、まだ気にしてたの?」
 圭子は礼子の親にも簡単に事情を言って、急いで家に帰っていった。
「あんな子なのよ、圭子って。こんな時なのに、私のこと気にかけたりして」
 淳も頷いてみせた。
「圭子を頼むわよ、淳君。もうあの子は私の支えを必要としない。あの子に必要なのは淳君なの。あなたなら安心して圭子を任せられるから」
 それには淳は何も返事はしなかった。

 病院の廊下で親子三人は長椅子に腰を下ろして治療を待ち続けていた。
「私が家に帰って、ただいま、って声を掛けたのに返事もなくて。玄関は開いていたのに変だなって思って中に入ったら、台所でお母さんが倒れてた。あわてて緊急時の連絡表にある病院に知らせて、お父さんにも知らせて、お姉ちゃんに知らせてたらもうダメ、足が震えてきて、声も出なくなって。お父さんが帰ってくるまでお母さんの横に座り込んで、ただ泣いていた」
 圭子が家に帰った時にはすでに救急車で運ばれた後だったが、行き先は判っていたので、一人電車に乗って病院まで追いかけて、今、着いたところだった。
 やがて応急処置が終わり、母の美佐子が病室に運ばれてきた。美佐子は眠ったままだった。医者が3人に一室に招き入れた。
「はっきり言って、かなり症状は悪くなっています。前回検診に来られた時は落ち着いていたんですが。最近、心労とか、精神的に負担をかけるようなことはありませんでしたか?」
「あのー、実は……」
「ちょっと、会社のことでいろいろありまして、悩ませることもあったかもしれません」
 圭子は母の心労が自分のことが原因だと思って言いかけたのだが、それを遮って父の幸造が先に答えた。
「どんなことですか、もしよろしかったらお話願えますか?」
「ええ、私に転勤の話がありまして。前々から言われていたことなんですが、家内の体のこともあって断ってきていたんですが、どうしても私でないとダメだと言うことで、単身赴任で行くか、家族を連れて行くか、相談していたんです。転勤先では病院に行くのも不安があるし、家に残すのも、娘はいますけれど今日みたいないざという時にどうなるのか、そんなこともあって、ここ数ヶ月返事を延ばしていたんですが、返答の期限も近づいていて、そんなことで現在の自分の体のことまで気が回らないまま、悩んでいたのかもしれません」 そんな話は初めて聞いた。おそらくは圭子のことをかばって、とっさに父がついてくれた言い訳なのかもしれない。医者はすっかり父の話を信じ込んでいた。
「とにかくしばらく様子を見ましょう。まだ薬が効いていますから明日まで眠っているでしょう。明日、落ち着いたら声をかけてあげてください。治療については検査をしてみてから考えますが、最悪の場合もあるかもしれないと、思っていて下さい」
「どういうことですか、最悪って」
 医者は何も言えず、察して下さい、とだけ言った。前回の入院の時も、覚悟だけはしてくださいと言われたが、それでも何とか退院までこぎつけた。でも、退院時に、今度入院するようなことがあったら、その時は難しくなるかもしれないと言われていたのだった。

 その日は父が泊まり込むことになって、圭子と和子は家に帰された。不安な夜は少しも眠れなかった。翌朝、母の意識が戻ったという連絡が入って、朝一番に二人で病院にかけつけた。想像以上に母は元気がよさそうだった。いや、そう思い込もうとしていたのかもしれないけれど、母は二人を寄せてベッドに寝ながら抱きかかえて、ゴメンね、を繰り返した。圭子はひたすらごめんなさい、と謝り続けた。その日は父に代わって一日中二人が母の側にいた。父は、明日からの看病のこともあるので、会社に連絡してあれこれ指示をしておかないといけないので出かけていった。圭子と和子は学校を休んで看病をする、と言ったけれど、それだけはだめだ、と父から、そして母からもきつく言われた。
 学校が終わるとすぐに病院にかけつけることが3日続いたが、4日目、状態は悪化した。それでも何とか峠も越えて、症状の谷間にあるかのように落ち着いたある日、母が声をかけた。
「圭子、お前に言っておきたいことがあるの、聞いてくれる?お父さん、いいわね」
 父は頷くと、病室をそっと出て行った。
「一生言わないでおこうと思っていたんだけど、圭子に言わずにそのままだと、どうしても心残りになりそうで。お父さんは私にまかせるからって言ってくれたから。和子、あんたもちょっと席をはずしてくれる?」
 しかし和子は珍しく母の言うことを聞こうとはしなかった。
「私にも聞かせて、お母さん」
 母はちょっと困ったような顔をした。
「この話、和子には聞かれたくない話なの、わかてくれないかしら」
「私のことなら気にしないで、お母さん。だいたいのことなら、私、知っているから」
「知ってるって、お前?」
「森本ひとみさんのことでしょ、私のほんとのお姉ちゃんの」
 母は驚いた顔をして和子の顔を見た。
 圭子は、和子が何を言っているのかまったくわからなかった。『森本ひとみ』って、どこかで聞いたことがある。どこだったか?森本って淳君のこと?あれっ?たしか、死んだ妹さんがそんな名前だったような……、でもほんとのお姉ちゃんって、それってどういうこと?
「どうしてあなたが知ってるの?お父さんから……?まあいいわ。あなたがどこまで知っているのかわからないけど、二人に正しく伝えた方が、私も心残りがなくなっていいかもしれないわね。いい、圭子。これからの話、しっかり聞いておいてね。あなたにはとてもショックなことかも知れないけれど、覚悟だけはしておいてね」
 どんな覚悟がいるのだろうか。圭子はちょっと雰囲気に耐えきれず、トイレに行ってくる、と言って、病室を出た。ふと気がつくと、父がロビーの椅子に座って、何をするでもなくじっとしていた。これから話されることを父も知っていて席を外したのだ。そしてなぜか和子も知っているという話。知らないのは自分だけ。でも、なぜかのけ者にされたという思いはなかった。みんな私のことを考えて内緒にしてることなんだ。そう思い込もうとして、覚悟を決めて病室に戻った。
「圭子、あなた2歳くらいのことなんか覚えているかしら。あの頃は別の町に暮らしていたんだけど、覚えてないわよね、たぶん」
 圭子は首を振った。以前住んでいた家や町など、話にさえきくこともなかったし、その頃の写真もほとんど見た記憶がない。でも、長女なのにどうして赤ん坊の時の写真がないのか、これまで一度も考えたことがなかった。
「あなたが産まれた病院でね、あなたと同じ日に産まれた双子の赤ちゃんがいたの。男女の双子でね。同じ日に3人も赤ん坊が産まれたんで、病院もさぞあわてたんでしょうね。結局病院とは和解したんだけれど、その時に、何かの手違いで誤って赤ん坊が取り違ってしまったの、女の子同士。双方の家族はそんなこととは知らないで退院して、それぞれの子どもを自分たちの子どもとして育ててきた。双子の赤ちゃんでも、二卵性だと違っているのが普通だったし、偶然にも血液型も一緒だから気がつくことはなかったの。そしてそれぞれの子どもが2歳になったとき、双子だと思われていた女の赤ちゃんが……ううん、もう赤ちゃんじゃないわね、幼児が病気になったの。ちょうど今の私と同じような病気。あちらの家では大騒ぎで検査をして、そしてDNA検査まで行った時に、自分たちの子どもではないことに気がつかれたの。そして調べて、私たちの子どもと取り違えられたことがわかった。検査も行って、病院で入れ替わっていたことがわかったの。検査するまでもなかったわ、だって、その子、私と同じ病気なんですから、遺伝なのね」
「それが私ってこと?だったら私の本当の両親は……」
「まあ、あわてないで。2歳って言ったら物心も充分についているし、今さら自分の子どもではないってわかってもどうしたら良いかわからない。双方の親は何度も会って話し合ったわ。ましてや片方の子は病気になって、その病気を引き受ける心の余裕がなかなか決まらない。その時には私は覚悟ができてた。この病気は私が小さい時から持っていた病気だから一番よく知っている。だったらその子を引き受けるべきじゃないかって。お父さんには随分反対もされたけれど、最後には私の思うようにすれば良いって言ってくれた。でも、いきなり交換なんかできないから、ちょっとずつ慣らしていこう、ということで、お互いの家族が会う機会を増やして、子供達3人を一緒に遊ばせて、双方の親がみんな3人の親だと思わせて、そして十分慣れきった段階で交換しようってことになったの。でも、いざそのことを始めようとした矢先、あちらで育てられた子の容態が急に悪くなって。小さかったから抵抗力もなかったのね。あちらの親御さんの責任だとは今でも思ってないけれど、とうとう必死の看病の甲斐もなく亡くなってしまったの。ショックだった。お葬式にも参列したけれど、これからどうすればいいのか。亡くなったのは一体誰の子だったのか。そんなことで交換する話は立ち消えになってしまった。冷たい言い方だけど、あちらにはまだもう一人男の子がいる。でも私たちには、交換してしまえば亡くなった子しか残らない。私はそれでもいいと思ったのだけれども、あちらからはそんなことはとても言い出せない。そんなわけでこの話はなかったことにしようということになったの。お互い顔を合わせるとつらくなるから、双方の家ともに引越をして、一切連絡を取らないことにしたの」
「お母さんは寂しくなかった?自分のほんとの子どもの墓参りもできないのを」
 尋ねたのは和子だった。和子にとっては自分の本当の姉になるのだから、和子もお墓に行ってみたかったのだろう。
「正直に言えばしたかったけれど、それは考えてはいけないことだと思うの。私の娘は圭子なんだから。亡くなったあの子には悪いけれど、私の本当の娘はこちらにいるこの子なんだって、ずっと思い込もうとした。でも、お父さんは何も言わないけれど、気づいていることがあるの。あの子の命日に、いつも花を一輪買って帰ってくるのよね。この15年間かかしたことがない」
「そうだったの。そう言えば、お父さんが花を買ってくるの、珍しいなっていつも思ってた。あの日が命日だったの。お父さん、私が聞いた時、そんなこと一言も言ってくれなかった」
 これも和子だった。圭子は答える力をなくしていた。自分に関わることを聞かされているのに、まるでどこか遠い国の話を聞いているようなそんな気持ちだった」

「このままだったら良かったのに。でも、これは私のわがままだったのかしら。神様は、もう十分だろう、って言ってるのかしら。まさか二度と会うこともないだろうって思っていた人に出会うなんて」
 圭子は事情を察しだしていた。この言葉が出てくるのが怖かった。でも、言わなければならないんだと決心した。
「それが淳君なのね。亡くなったのは淳君の妹さんのひとみさん。その子がお母さんの本当の子どもなのね」
「あなたが彼を連れてきた時、最初はただのお友達だって思ってたけれど、忘れたはずの名前を耳にして驚いたわ。2歳の時に何度も会ったことのある、私の子どもの兄として見てきたその子が大きくなってここにいる。あの家族が私から圭子を奪い返しに来たんだって思い込んでしまったの。圭子、あの時はごめんなさい、お母さんどうかしてたのね」
「ううん、そんなことがあっただなんて、まったく知らないから、お母さんに心配ばかり掛けて、こちらこそごめんなさい」
「二人が惹かれ会うのは運命なのかもしれない。本当の兄と妹なんだから気が合うのも当然かも。それに、運命の神様は、病気の私のことを考えて、あちらの家族に圭子を任せた方が良いって言ってるかもしれないって、最近思うようになったの。あなたたちがよく会ってることは知ってる。私の中には、会って欲しくないって気持ちと、あちらの家族に慣れさせた方がいいんじゃないかって気持ちの両方があって、どちらがあなたにとって良いのかわからないの。でも、一つだけ覚えておいてね。あなたと彼とは血のつながった実の兄妹なんだってことを」
 そのことは、母の話を聞き出してから、できる限り考えないでいようと思っていたことだった。つながりが深いってことはいいけれど、だったら淳とは恋人関係には絶対なってはいけないって言うことだったから。自分の今の気持ちをどうすればいいのか、まるでわからなかった。
「私の話はおしまい。後はあなたが考えること。ごめんね、たいへんな宿題を与えてしまって。和子、お姉ちゃんをよろしくね。二人とも、この先何があっても私の娘なんだからね」
「私……少し頭を冷やしてくる」
 そう言って圭子は病室を出て行った。廊下をとぼとぼと歩いていると、父はまだロビーにいた。
「話はもう済んだかい?」
「お父さん!」
 圭子は父によりかかって思いっきり泣き出した。
 母の美佐子が帰らぬ人になったのはそれから三日後のことだった。


小説「白夜の人」第5章:友情

2010年07月05日 | 詩・小説
第5章 友情

 礼子は二人の後から歩きながら考えていた。
 あの日、都合で先に礼子が帰ったのが4時半頃、圭子が家に着いたのは6時頃だと聞いている。たった1時間半の間に何があったのだろうか。もし家に帰るのが圭子の方が先立ったなら、今の立場は逆転していたのだろうか。そのたった1時間半の違いで、礼子が二人の間に入り込める隙間がなくなっていた。入りづらい雰囲気が出来てしまっていた。いつの間にこんなに圭子と淳の距離は近くなってしまったのだろう。今まで自分と圭子の二人と淳は平均的な距離を取っていたはずなのに。あの日を境にして二人の間にははっきりと差が付いてしまっていた。二人の性格が似ているだけにこの現実は厳しく礼子を追いつめてしまっていた。圭子が淳との距離を縮めた結果、圭子が礼子に話しかける時間はどんどん減っていってるような気がしていた。圭子は淳との距離が近づくにつれ、ますます彼に惹かれていくように、礼子もまた、淳との距離が広がっている現実を知れば知るほど、さらに惹かれている自分を感じていた。そんなうちにも夏が過ぎ、はや季節は九月を迎えていた。

 秋になったある日の放課後、礼子は先に一人で帰ろうとする圭子を呼び止めた。礼子の表情は寂しげであったが、圭子はそんな彼女の様子に気づいてはいないようだった。
「どうしたの?何か用?」
「あなた、変わったわね」
 圭子の問いには答えずに礼子はぼそっとつぶやいた。圭子は、えっ?と首を傾げながら聞き返した。圭子には礼子の言っている意味が少しもわからなかった。
「ねえ、去年の夏休み、覚えてる?」
「何なの?今さら」
 圭子は明るく聞き返したが、礼子は圭子の言葉を聞いていないようだった。
「去年の夏は、毎日と言っていいくらいいつも一緒にいたわね。よく飽きないなって思われるくらい」
 圭子の方を見ないで礼子は言った。
「どうしたの?礼子、何か変よ?」
 くるっと振り返ると礼子はまっすぐに圭子を見て言った。
「それなのに、どう?今年の夏はあなたと会ったのは3日だけ。いつ電話しても出てこないし、会いに行ってもどこかへ出かけたと言われるばかり。数えたのよ私、本気で。3日。たった3日!」
「そうだったかしら?」
「いい、3日だけ。しかもその三日間ともあなたは淳君と一緒だった。別に淳君と一緒だと嫌だとか、あなたを独り占めしたいとかじゃないけど……」
 圭子は思い出せる限り思い出してみた。確かに、礼子と一緒にいた場面には必ず淳がそこにいた。逆に、淳と一緒の場面に礼子がいないこともたびたびあった。別に礼子をのけ者にして淳と二人だけで約束して会っていたわけではないのだが、たまたま一人で買い物に行ったり、図書館や本屋に行った時に何度も淳と鉢合わせをして、そのまま話し込むことが多かっただけなのだが。淳は父親の仕事の関係で、小学生の3年間を外国で過ごしたことがある。そんな、圭子の知らない世界の話が面白くて、ついつい会うたびに長話をしてしまったのだった。
 「人間なんてどんどん変わっていく物よ。去年がそうだからと言っても、今年もまったく同じじゃないし」
「そんなこと、わかってる。10年後、あなたと私はまったく違う場所にいて、時々こんな友だちもいたなって、思い返すだけの関係になってるかもしれない。それは仕方のないことだと思ってる。でも、人間ってたった一日で変わる物なの?」
「一日ってどういうこと?」
「あの日、淳君の誕生日の日。私が先に帰った日。あの日からあなたはすっかり変わってしまったわ」
「何言ってるのよ。私がたった一日で変わるわけないじゃない。別にあの日だって……」
「あの日何があったの?私の知らないうちに何が起きたって言うの?」
 あの日、家に帰って母と喧嘩したことは礼子にも話している。でも、淳の家でのことは、別に話す必要もないことだと思って、礼子に話してはいなかった。淳のお母さんと話したこと。もっともそれだって圭子が一方的に話してばかりで、礼子に話すような内容じゃない。すでに親友の礼子ならすべて知っていることしか言わなかったし。淳に妹がいたことだって、もうすでに亡くなっている人のことだし、あえて話す必要のないことだと思って話さなかった。思い当たることと言ったらそれくらいしかなかった。
「礼子の思い過ごしよ。別に礼子を無視して淳君とつきあってるとかじゃないから。第一淳君との交際は家から禁じられているのは知ってるでしょ」
「でも、会ってるじゃない」
「たまたま、偶然に会っただけ」
「毎日、毎日?」
「毎日じゃないわよ、ほんと、信じて。別に何も隠してることなんかないんだから」
「別にね、あなたが誰を好きになろうとかまわないわ。でも私はあなたにとって何?私はあなたのこと、大親友だってずっと思っていた。でも、あなたにとって私は、もうどうでもいい人みたい。淳君も淳君よ。あの日までは私たち二人と平等に付き合ってくれていたのに、あの日から話しかけられたことなんか一度もない。学校にいる時だって、あなたが私を誘ってくれるから彼がそこにいるだけみたいな」
 勘の鈍い圭子も、ようやく礼子の言いたいことがわsかってきた。
「私、淳君が好きよ。大好き。お圭が淳君と親しくなるずっと前から彼のこと見てた。でも自分から近づく勇気なんかなかった。今は親しくなったのに近づけない。いつもあなたが間に入り込んでしまうから。どうしていつも私の邪魔ばかりするの」
 礼子は涙声で一気にしゃべった。圭子は何も言えなかった。
「礼子……」
「もうあなたのことなんか知らない。もう親友でも何でもない。今日限り絶交よ!」
 そう言うと顔を背けて歩き出した。
「待ってよ、礼子!」
 礼子は立ち止まると、顔だけを圭子に向けた。
「もうあなたとは口も聞きたくない」
 そう言うと、再び顔を前に向けて、今度は小走りで去って行ってしまった。圭子は動くことさえできずに立ちすくんでいた。礼子の言う通りかもしれない。礼子の性格はよく知っている。彼女が淳のことを好きなことも知っている。でもどういうわけか、今度ばかりは礼子の気持ちになってやることができなかった自分がいた。知らず知らずに、淳を独占したいと思う自分がいたように感じた。心の中で礼子に謝ったが、後悔するには少し遅すぎたようだった。

 日曜日の朝、淳は公園に向かって歩いていた。礼子から携帯で呼び出されたのだった。公園にはすでにワンピースを着た礼子が先に来ていた。淳は手を振りながら彼女に近づき、声を掛けた。
「どうしたんだい、こんな朝早く。君から電話が来るなんて珍しいね」
「早かったかしら。ごめんなさい」
「今日は素直なんだね」
「いつもはもっと図々しい?」
「そういうことじゃないけど……。聞いたよ、お圭と絶交したんだって?」
「言ったんだ、やっぱり」
 礼子は聞こえるか聞こえないかのような声でぼそっとつぶやいた。
「圭子、何か言ってた?」
「いいや、ただ、礼子を怒らせたって、それだけ。彼女、寂しそうにしてたよ。」
 淳は空を見上げながら言った。そんな淳を礼子は見つめていた。
「君たち親友だろ、二人の関係っていいなぁ、っていつも思ってたんだ。うらやましいなって。何があったか知らないけれど、もっとよく話し合えば?」
 淳は礼子の方は見ずに言った。そんな彼の耳に礼子の小さな声子が届いた。
「淳君!」
「うっ?何?どうしたの、元気ないな」
「ねえ、淳君、私のこと、どう思ってる?」
「どうって?お圭の親友で、僕の友だち」
「そういうことじゃなくって……」
 礼子が何を聞きたがっているのか、淳にはわかっていたが、正面から答えたくはなかった。
「私、淳君が好き。友だちとしてじゃなく、それ以上の気持ちで……」
 そう言うと礼子に背中を向けて立っている淳の背に抱きついた。
「私……私……」
 そして、声を出さずに泣き出してしまった。肩に添えられた礼子の手を、淳は肩越しに押さえた。
「どうしたんだい、変だぞ、今日の君は」
「圭子なんかに淳君を取られたくない……」
「しっかりしろよ、木下君!」
 突然、背中の礼子がビクッと反応した。そして急に泣き止むと、淳を突き放した。
「そう……なんだ。わかったわ、淳君の気持ち。圭子には『お圭』、私には『木下君』。もうそんなに違ってたんだ。あっはっはっはっはーー」
 淳は礼子の方に振り返ると呆然として彼女を見つめた。
「そうなんだ。もう私が入り込める隙間なんてほんの少しも残っていなかったのね」
 そう言うと礼子は淳に背を向けて走り出した。
「おい、待てよ、きのし……礼子君!」
 いくら呼んでも礼子は振り返りもしなかった。

 圭子はずっと一人で部屋にこもっていた。本を読もうとしても少しも頭に入らない。礼子のことばかりが頭に浮かんでいた。確かに自分が悪いのだ。都合の良い時だけ親友面して、必要がなくなれば知らぬ振り。自分の都合の良い相手くらいにしか思ってはいなかったのではないか。謝りたかった。一生懸命謝りたかった。礼子がこれまでどれだけ自分を支えていてくれたのか。5年前のあの時、礼子がそばにいてくれたからこそ乗り越えられたのに。でも、口も聞きたくないと言われてしまっては、会いに行くわけにはいかなかった。これまでつまらない喧嘩は何度でもあるけれど、こんなきつい調子で絶交を申し渡されたのは初めてだった。どうしたら良いのかまるで考えられなかった。ぽつんと淳につぶやいてしまったが、それだって彼が間に入ろうとでもしたら、火に油を注ぐような結果になってしまうことはわかっていたから、聞かなかったことにして、と淳には言っておいたのだが。
 夕方、圭子の部屋に和子がそおっと入ってきた。
「どうしたの、お姉ちゃん?元気ないわね」
「うん、礼子とちょっと喧嘩しちゃった。絶交だって言われちゃった」
 圭子は机に向かったまま、和子の方は見もせずに返事した。
「へぇーー、信じられない」
「私も信じられないわよ、どうしてそんなことになってしまったのか」
「信じられないな、絶交した相手が部屋の中にいるなんて、どうしてだろ?」
 和子が変なことを言ってる。意味がわからなかった。
「何、それ?『部屋の中に』って、どういうこと?」
 圭子が振り返ると、和子がにやにやしていた。開け放たれたドアの前に絶交したはずの礼子が立っていた。和子は礼子の後ろを押すと、にやにや笑いながら出て行ってしまった。
 二人は向き合ったまま、しばらくじっとしていた。やがて圭子は礼子に近寄ると抱き合って泣き出した。
「今日、淳君に会ったの。言われちゃった。ごめんなさい、あんなこと言って」
「ううん、謝るのは私の方。あなたがどんな思いでいたか、少しも考えなくて」
 圭子は鼻をすすりながら、礼子と離れると、ティッシュを取り出して鼻をかんだ。礼子がハンカチをさしだしたので、ありがとうと言って涙をふいた。礼子を部屋の中に招き入れて、二人並んでベッドを椅子替わりにして腰掛けた。
「私に、あれから考えたの」
 礼子が静かに話し出した。
「私、淳君のことが好き。これは変わらない。でも、それって一方的なのね。ほら、アイドル歌手が好きだって言うのと、少しも変わらないんじゃないかって。一人で勝手に好きになって、舞い上がって、彼も私のこと好きになってくれるんじゃないかって、勝手に思い込んだり。今日、淳君に会ってわかったの。でも……」
「でも?」
「でも、誰が一番好きかって、もし聞かれたら、圭子を選ぶんじゃないかなって、ふと思ったの。ううん、変な意味じゃなくて、圭子が幸せだったら、それが私にとっても嬉しいことなんじゃないかって。私、勘違いしてた。淳君を圭子に取られた、って思ってたけど、逆なのよね。圭子を淳君に取られたって。自分に問いかけてみたの。私にとって圭子は何だったのかって。あなたに言ったわよね、あなたにとって私は何だったのって。でも私にとってあなたは何だったのか、本当には問い詰めてなかった。親友だなんて言ってたけれど、本当にはあなたのこと考えていなかったのは私の方じゃないかって。私、淳君のことが好き。でも、それ以上に圭子のことが好き。だから決めたの。淳君をあなたに譲るわ。私は応援する」
「譲るって、別に私……」
「いいの、わかってんだから。それに、あの日のことだって、何か運命的なものがあったから近づくことになったんじゃない?私と立場が逆だったとして、同じようにはならなかったと思うの。圭子には淳君が必要なのよ。そういうように運命づけられてたんだ」
「でも、礼子は……」
「気にしないで。私は平気だから。ううん、平気だって言い切るほど平気でもないけどね。でも圭子とずっと友だちでいる方が、私にとっては嬉しいことなんだから」
「ごめんなさい。もう邪魔者扱いなんてしないから」
「いいのよ、別に。いつかは邪魔者になるかもしれないことは覚悟してるから。そんな時は私に遠慮なんかしないで邪魔者にしていい。淳君と30年・40年の付き合いになるのなら、私とは100年の親友でいてほしいの」
「親友って言ってくれるの?こんな私を……」
「何言ってるのよ。あなたの方からいくら絶交と言われたって、私はしつこくつきまとうからね」
 二人は固く手をつなぎ合って、お互いの泣き顔を見合って、笑い転げた。


小説「白夜の人」第4章:初恋

2010年07月05日 | 詩・小説
第4章 初恋

「どうかしたの、圭子?顔色良くないけど」
 翌日の休み時間、礼子が話しかけてきた。
「あれから淳君と喧嘩したとか?」
「ううん、昨日は珍しく、淳君とは喧嘩はしなかったんだけれど」
「ということは、やっぱり誰かと喧嘩したんだ。妹さん?」
 それには首を振りながら答えた。
「昨日、家に帰ったら、いきなりうちの母さんが、淳君とつきあったらだめだ、って言い出して……」
 実は、今朝も家を出しなに同じ事を母に言われたのだが、聞き流して出てきたのだった。
「へえーー、あのおばさんが?夜遅くに帰るとかしたの?ひょっとして、淳君と変なことしてるとこ、見られたとか」
「いい加減にしてよ、こちらは深刻なんだから。昨日は夕方にはきっちり家に帰ったし、淳君とも、誰かに何か言われるようなことなんかまったく何もなかったし」
「じゃあ、何でだろ、あの優しいおばさんがそんなこと言うなんて」
「私にもわからない。こんなこと初めて」
「きっと年頃の娘に変な虫がついたと思って嫌がったとか」
 礼子の言葉は、圭子のことを気遣いながらも、どこか他人事のようなのんびりした口調だった。何しろその現場を見たわけではないから、こういった事態がまったく想像できなかったこともあった。
「男の子を家に連れて行ったの、初めてじゃないってことは礼子も知ってるよね。あの時はこんなこと何もなかったじゃない。もっともあれは小学生の頃だったけどね」
 そこまで言って二人はどちらともなく口を閉ざしてしまった。忘れたわけではない。もっと言えば忘れようとしてもどうしてもできない、心の傷に触れてしまうようなそんな思い出があったのだ。

 あれは小学6年生の時だった。当時から圭子と礼子は同じクラスで仲が良かったのだが、そのクラスにいた一人の男の子を二人同時に好きになってしまって、二人で奪い合うようにそれぞれの家に連れて行ったりして争ったことがあった。彼は運動神経がよくて、スポーツ選手としても活躍していて、みんなのあこがれの存在ではあったのだが、誰も知らないところで、彼には大きな悩みがあったのだった。彼は両親と3人暮らしではあったが、両親は喧嘩が絶えなかった。そしてその原因の大半が彼を巡ることであり、そんな毎日にうんざりして、そのもやもやをスポーツに打ち込むことで晴らしていたのだった。家の外では明るく元気な少年を演じていたから、誰も彼が抱えている問題に気づいてはいなかった。そんな彼が突然自殺してしまったのだった。
 小学生の自殺と言うことで、警察やマスコミは彼の友人関係や学校での生活を聞きまくった。当然彼と一番近くにいた圭子や礼子にも聞き込みが行われたのだが、思い当たる節は何もなかったし、小学生にはあまりにショックが大きすぎて、何も答えることができなかった。おかしな推測や噂が大きくなりかけた時、とうとう両親が少年の遺書を公開することでようやく事態は収束した。彼が所属していたスポーツチームで海外に行くと言うことになり、パスポートを取るために戸籍を取った時、彼は自分が両親の実の子どもではないということを知ってしまったのだった。両親は彼が大きくなった時に打ち明けるつもりではいたのだが、二人が喧嘩をしている時で、言う機会がないまま事実を知ってしまった彼は、両親の喧嘩の原因が自分の出生の秘密にあるものだと信じ込んでしまったのだった。実際にはそうではなかったのだが、一度思い込むとこれまで支えてきた物が一気に崩れるような思いをして、そして彼は自分さえいなければすべてうまくいくものと思い込んでしまったのだった。
 両親の喧嘩は時間さえ掛ければ、なんとかして仲良くさせることもできると思っていた。自分がスポーツ選手として世界に羽ばたくくらいに頑張っていればいつかはなんとかなると思っていたが、彼が実の子どもではないという事実は彼の自信を一気に崩してしまった。自分は二人をつなぎとめる何物でもなかったのだ。なまじ一つのことに向かって、回りの雑音には耳を傾けることなく、突き進もうとする性格だったため、誰に相談することもなく、自殺という行動に出てしまったのだった。
 彼が自殺したという事も圭子にはショックなことだったが、こんなに近くにいながら、一言も相談してくれなかったことがさらにショックだった。そして、こんな大きな悩みが彼にはあったのに、彼に明るいだけでない、何か影のような部分があることも少しは感じていたはずなのに、その内側のことを何も知ろうとはしなかった自分自身にも腹立たしかった。
 この事件の後、かなりの時間圭子は誰とも話をしようという気にはなれなかった。特に男子生徒には心からうちとけることはなかった。話し相手は同じようにショックを受けて落ち込んでいた礼子だけだった。二人の心の傷は時間と共に少しずつ薄れてはいき、普通の会話程度なら一応誰とでも話せるようにはなったが、本当に落ち着けるようになったのは高校生になってからだろう。中学では事件のことをよく知っている生徒が多かったが、高校となると、同じ中学から来た者もほとんどは小学校が別で、事件のことをいつまでも引きずっている者はいなかった。むしろ事件から1年ほどたてば、大方の者に彼が忘れられようとしているのも腹立たしかったが、直接彼と関わっていない者にはそんなものなんだろうとあきらめるようにはなった。事件の後、彼の両親はやっぱり離婚して、どちらも町を出て今はどうしているのか全く知らない。それほど遠い出来事になっていた。でも、圭子と礼子には、忘れてしまったように振る舞っていても、お互い、何かのきっかけでどちらも忘れていない出来事だったと確認し合ってしまうのだった。そんな状態はつい最近まで続いていた。二人が淳と出会うほんの一ヶ月あまり前までは。

 圭子は最近、小学生の時の彼を思い出さなくなっている自分に気がついた。自分の中で何かが変わったのだ。
「私……、忘れていたわ、あの子のこと」
 いきなり礼子が、まるで圭子の心の内が読めるかのように言った。
「もう5年にもなるのね。私もそう。どうしたのかしら、これまでどうしても忘れられなかったのに」
「結局、忘れよう、忘れようとするのは、少しも忘れる助けにはならなかったってことね。忘れる時には気がつかないまま、いつの間にか忘れている物なのよね」
「でも……、あの子のこと忘れてしまってるなんて、何だか寂しい」
 ぽつんと圭子が言った。礼子もそれに頷いた。
「今まで忘れようとして努力してきたのに、いざ忘れるとなると、あの子のことを好きだったなんて言ってたことも、こんなに簡単に忘れてしまう程度のことだったって思い知らされてるみたい。やっぱり本気じゃなかったのかな」
「そんなことないって。圭子がどれくらいあの子のこと思っていたか、私が一番よく知ってる。でもいなくなって、会うことができなくなって、自然に忘れるというのとはまた別のことよ。もう私たちとは違う世界に行ってしまったんだから」
 圭子のことを家族の誰よりも一番よく知っているのは紛れもなく礼子だった。小学5年生の時に同じクラスになって以来、喧嘩もしたり、別のクラスになって話す機会が少なくなった時でも、お互いにいつでもそばにいたいと思ったのは礼子だけだった。お互い、相手のことは自分のことのように一番良く知っていたし、一緒にいる機会も多かったから、性格も行動も好みもよく似ていた。初恋が同じ相手であったこともそのことが大きく関わっていた。

 その日、圭子と礼子と淳の3人はとりとめない話をしながら学校から帰っていた。その途中、道路の向こうに妹の和子の姿を認めたので圭子は思わず和子を呼び止めた。和子は圭子を認めると笑顔で手を振って近寄ってきたが、そばにいる淳に気がつくと心持ち顔をこわばらせて立ち止まってしまった。
「和子、今、帰り?ちょうどよかった、紹介するわね、淳君。こっちが私の妹の和子。生意気な中学2年生。で、和子、こっちが同級生の森本淳君、不思議なことに私と誕生日が一緒なの。おかしいでしょ」
「こんにちわ、姉がいつもお世話になっています。あなたが、あの森本淳さんですか」
 ちょっと引きつるような顔をさせながらも和子はくそ丁寧に挨拶をした。
「あのーー、一つだけお尋ねしていいですか?」
「ちょっと、和子、何言い出すの。初対面の人に向かって!」
 いきなりの妹の言葉に圭子はあわてた。まさか、あなたは姉のボーイフレンドですか、なんて言い出すんではないかと、質問を遮ろうとした。
「初めまして、うん、何でも聞いて良いよ、答えられることならね」
 そんな圭子のあわてぶりなど気にする様子はなく、淳は笑顔で答え返した。
「つまらないことなんですけれど、森本さんには妹さんとかおられるんですか?」
 圭子が予想もしていなかった質問に何か言おうとしていた口が開いたままになってしまった。
「ああ、よくわかるね。確かに妹はいるにはいたんだけど、小さい頃に死んでしまってね……、でも、どうして?」
「そうですか。すみません、悪いこと聞いちゃったみたいで。ただ、何となく妹さんかいるんじゃないかていう気がしたので。すみませんでした。じゃあ、急ぎますので失礼します」
 そう言うと和子はさっさと家に帰ろうとした。圭子は呪文が解けたみたいに動き出して和子を引き戻した。
「ちょっと、和子、待ちなさい。何よ、今の。いったいどういうこと?」
「別になんでもないわ。ほんとに急いでいるからごめんね」
「あんた、最近ちょっと変よ。何考えてるの?」
「ごめん、話は家に帰ってから聞くわ」
 そう言うと和子は今度こそ振り返りもせずに帰って行ってしまった。
「いつもは素直な良い子なんだけどな。何か最近変なのあの子。中2ともなればわからにことも出てくるのかな」
 溜息交じりで圭子がつぶやいた。
「いいじゃない、女の子のことはわからないけれど、世間はそんなものじゃない」
「何かこのごろ、うちの家族、みんな変で……」
 圭子は和子の後ろ姿を見ながら、また溜息をついた。しかし、礼子が淳と圭子の二人から少し遅れた場所にいることには少しも気づいてはいなかった。