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60才からの新規事業(重力時空研究所)

写真は創作自動車3号の内装工事!環境計測車だ!僕は特許を取らない主義だ!特許は人類の発展に寄与しない!Aiも無料が良い!

この日は半日お医者さん2軒梯子

2024-10-21 19:13:08 | ロボットなどの創作活動の物語
この日はお医者さん2軒梯子

1軒目は急患で日曜日に行ったときの薬がなくなった
薬が欲しい(軟膏です)と行ったのだが
皮膚科の先生がいないので出せないと言う

無茶苦茶な病院がある!
呆れた


いつも行く出張先の病院に行った

途中電話があって
個人の病院に行ってくださいだと?
呆れたよ!

僕はいつもの病院で受けつけを済ませた

塗り薬と飲み薬をいただいた!

研究所に戻って創作中の車の続きを作った

半日の仕事でしたので

ハッチバックの網戸の取り付け柱と

サイドスライドドアの網戸の取り付け柱を付けた。



これはサイドの取り付け柱


これはハッチバックの取り付け柱

夜は焼き肉焼きそばをした

車の使い勝手を確かめる!





お腹いっぱいになった
500円
ワンコインの夜の食事だ!

車で休みたい!

つづく



僕が小学校のときのこと

2024-10-21 08:19:55 | 日記
僕が小学校のことのこと


僕が小学校の頃に僕の義理のお爺さんお婆ちゃんが亡くなった!


本当のお婆ちゃんが僕が小学校から帰ってお家で遊んでいると
ひょっこりと、立ち寄るのであった

老人の足でも
歩いて来れる距離なので

寂しい!

と言って僕に話し相手になって欲しいとやってきた!

僕は小学生だったが
お婆ちゃんの話し相手になっていた

本当のお爺ちゃんも亡くなって
話し相手がいなくなって寂しいと言っていた。

良いこともないから早く天国からお迎えが来て欲しいと祖母は言っていた

僕は叔父さんが皇居に行って勲章もらったでしょう!

長生きすれば

良いことも色々ある
そう言っていました

僕の叔父さんは太平洋戦争に行って
中々帰ってこないので

戦死してしまったのかなあ?

と当時の僕の父から聞いた話しだが
忘れた頃にひょっこりと帰ってきたらしい

僕の叔父さんは
どうも警察勤めであって
少年院の院長をしていて、
その功かどうかは、僕が小学生だったこともあって良く知らないのだが

受勲者になって皇居に勲章をもらいに行ったようだ

当時の新聞に名前がのっていて
ああ、
確かに乗っている!

とか確認したものだった

昔の思い出

僕が小学生だったこと
色々ある

僕の父も母は
共稼ぎであった
二人とも仕事をしていた

今の時代では当たり前のことだが

当時では珍しく

母は
なぜ働いているの?
良く言われたようだ

そう聞いている

でも
労働が尊いことは
僕は教え込まれた!

どんだけ
辛いことがあっても仕事は自分の許された環境の中で最善を尽くさないといけないと言うことである。

僕は
人生の最悪な時代を長く歩んだが
努力することは惜しんだことはない!


60を超えた年齢だが

全身がアトピーであっても
水ぼうそうであっても

できることからしていき

毎日20時間仕事している

創世記の言葉は

週に一度お休みをとりなさい

と言う言葉は
毎日毎日
労働に明け暮れている寡黙な真面目な労働者のお方に言われた一言だ


それを
現在の人間は度の過ぎた勘違いをされている

尊い労働が紀元前から続いている

それが人類の歴史だ

今のお人は
労働の大切さを忘れてしまったようだ

そのように感じる!