極私的お葬式

父の葬儀の話です

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2009-06-04 06:11:38 | 日記
5月5日は香典の確認をしたり、母に代わって弔問客の対応をしたりして過ぎていった。
母はまた病人に逆戻りなので、食事は私がうどんなどを作ったり、弁当を買ってきて食べた。
気づけばこちらに来てから、ほとんど食事は弁当だ。

香典の中には「この人誰だ?」というものも多い。「私の従兄弟の結婚相手の親」や、
「父の姉の嫁ぎ先の本家」など、複雑な関係者もあった。

5月6日は雨になった。お寺で「これからのこと」打ち合わせをする日だ。本来ならば、
母も同行してほしかったが、「病人」だから「私は行けない。お前達だけで行け」と命令され、妹と二人で行った。

寺ではこれから七七日までのことや、七七日のことなどを打ち合わせした。
檀家をしっかりつなぎとめておきたい、という気持ちがよくわかった。「営業努力」を感じた。

5月7日は、ゴールデンウィーク明けの出勤日であったが、市役所の手続きなどをするために休みを取った。
休み明けはものすごく込むとのことだったので、気合を入れてオープン前に行ったのだが、一番目だった。
その後、社会保険事務所や銀行などを回って、手続きをした。

家に戻り、遺品などをちょっと確認。父がつけていた小さな小遣い帖が出てきた。父の認知症の症状が顕著に
なってきたのは、2007年の夏だが、その前から兆候はあった。自分から免許の更新はしないと決めたことなどは、
認知症の自覚があったからだと思う。

5月7日の夕方に東京へ戻った。

5月2日早朝の電話から、5泊6日の滞在だった。わがままな母に振り回され、バタバタ忙しく動きながらも常に、
心の奥底に、何か重い気持ちがあった。

もう父はいないんだという、漠然とした思いだった。

郷里に戻りたいという気持ちがありながら、もう30年近くも戻らないままきてしまった。
その間何度か戻れる機会はあったのに、決断できないまま、ズルズルと東京暮らしを続けている。
自分のふがいなさも重い気持ちにさせる要因になっていた。

新幹線に乗り、窓の外の過ぎ去る景色を眺めながら、女房の父の葬儀に来た時の父を思い出す。
父は義兄に「よくがんばった」と別れ際、熱く声をかけていた。かっこいい男だなあと、その時思った。
私はこういう場所でこういう台詞をさらりと言える人間になりたいと、思った。

そんな事を思い出している内に、涙が出てきた。となりの座席に座る見知らぬ人に見られたら恥ずかしいと思い、
手で顔を隠したが、なぜだか涙はポロポロと、しばらく止まらなかった。



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