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TinyBaby~未熟ものですが・よろしくお願いします

3人目を出産。待望の女子。でもまさかの未熟児ちゃん。たくさんのブログに癒され励まされた未熟もの親子の毎日を綴ったブログ

Give birth<出産>

2008-10-10 00:12:58 | Weblog
5/14  3:00AM  出血  病院へ行く
      点滴につながれ入院スタート 夜旦那が担当医の先生から私の症状、手術同意書の説明を受ける。旦那は話を聞いて普通に帰って行ったが、先生がすぐわたしのベッドに来て話してくれた 「旦那さんショック受けてましたけど大丈夫でしょうか?」と。
そして・・・・・・・・・・
5/15 夜中     病室のトイレで再度出血。トイレから緊急コール・・・二度とこの病室に帰れなかった・・・・・・・ まだマタニティ29週
5/15 AM     これ以上お腹の中にいると危険なので 午後から 手術 家族が呼ばれる  たくさんのドクターが私のところに来ていろんな説明したり、処置したり、あわただしかった 私は家族と談笑していた。落ち着いていた。
全身麻酔する、赤ちゃんは麻酔がゆるいときに急いで取り出す(麻酔が効くと眠ってしまうから)、そして私の手術・・・と説明を受け やっとこれが恐るべし全前置胎盤・ハイリスク出産と気づく。遅っ
5/15 3:12 PM 姫誕生 私は産まれた赤ちゃんに会えなかった 手術がおわって先生方が「女の子ですよ」「ちょっと泣いたんですよ」 そして 「1364gでした」の言葉 私が産んだ赤ちゃんに会えたのは3日後だった。

High Risk出産

2008-10-09 23:34:18 | Weblog

 

入院生活は約1週間だった。出血前置胎盤によるもの、とのこと。

紀子様と同じ症状だ。胎盤が正常位置ではなく、赤ちゃんの出口にくっついてる、いわゆる正常とは反対側にきてしまってる。概要はざっとこんな感じ。私も家族も前置胎盤をあまり深く受け止めてなかった。ただ、出口をふさいでるので自然には産めず帝王切開になることぐらいにしか思っていなかった。

私は~しじゅうの誕生日on the bedで迎えた・・・そう私はしじゅう(40)

思えば・・・ 体調不良養命酒婦人科受診産婦人科妊娠発覚旦那との温度

出血入院 すでに犬の日を迎えようとしていた。マタニティ17週

それから私はどんどん妊婦であることをカミングアウトし、前置胎盤のまま過ごした

前置胎盤が治らないので担当医のやさしく、きちんとした先生が「いつ出血があるかわからなく危険なので管理入院してもらいます」と言った。「いつ入院してもいいように今から準備していってください」・・・性別が女の子と判明。それと同時に全前置胎盤ハイリスク出産と認定された。心配してくれた会社の長が「頼むから今すぐ休め」と言ってくれた。私は予定よりだいぶ早く突然産休に入った マタニティ28週

 

そして・・・ついに先生がとても心配していた出血が突然やってきた 

5月14日 3:00AM 出血 マタニティライフが終わりをむかえようとしていた


2008年<maternitylife妊婦生活>

2008-10-09 00:33:12 | Weblog

いろいろあったけど・・・3度目マタニティライフが始まった

旦那と一緒に妊娠に戸惑っていた私は何処へというくらい私は最後のマタニティライフを満喫しようと超はりきっていた・・・私は。旦那は?
こんな顔をしていた。でも私は満喫する、みたいな
この当時私と旦那の間に微妙な温度差があった。

 

突然の出血・・・・・・
外出先から私は自分で軽自動車を運転してに急いで行った。救急夜間入り口から入る。
                                 

私は泣きそうで、焦っていたでも当直の受付の人は全く焦っていなかった(当たり前)

ニットのミニワンピと黒のロングブーツで診察室へ・・・

先生「子供さんはいるの?」私「男の子が二人います」「じゃあ無理したんだね~しょうがないけど」「はぁ・・・(苦笑い)」私は聞きたい肝心な事が怖くて聞けなかった。でも先生の今でも忘れない素敵な言葉に救われた

「二人のお子さんももちろん大事だけど、今お腹の中にいるこの子も、もうあなたの子供なんだからこの子の事も大事にしなさい」

やっと私は聞けた 「赤ちゃん大丈夫だったんですか」「うん、赤ちゃんからの出血じゃないからね」「よかった・・・」「前置胎盤の出血だから今からすぐ入院して下さいね」「

新年会中の旦那に電話入院酒臭い旦那新年会途中で歯ブラシセットと週刊誌を持ってに駆けつける。


2008年<dicision決断>

2008-10-07 15:42:35 | Weblog

突然ですが、ここで2008年1月時点の MyFamily の紹介
 

たいきんマン(現在3歳)こうきんマン(小3)&わたしとおやじ人家族でした。そしてなんと二世帯住宅旦那様のお義父様とお義母様と暮らしてます。仕事をしていく上でこの二世帯で同居しているお義父様とお義母様の協力なしではとてもじゃないけどやっていけません感謝感激雨あられです(古っ)2年前に旦那の実家を建替、今の二世帯住宅をになったのですが、子供部屋は2部屋なの・・・そう、私もそして旦那も子供は経済的にも体力的にも気持ち的にも2人で精一杯、っていうか3人目は想像すらしていなかった。3人も子供を持つとは誰が想像できたでしょうか?なので子供部屋が2屋部というのは当然の事だった・・・

 

ところが 1月に妊娠発覚 週数も大きさもだいぶ進んでるぅ~とのこと 当時旦那に報告したら「・・・・・・・・・・」携帯の向こうからすごく長~~~い沈黙が聞こえてきた(沈黙だから聞こえないか)のを覚えている。私たちは正直困った・戸惑った 今だから言えるけど本当に産まない方向に傾いていた(ゴメンね

 

先生から産むのなら母子手帳を早くもらうように言われていた。期限がせまってきた。答えを出さないと・・・この頃私は産もうとしていた。それ以外は考えられなかった。旦那はまだまだ迷っている。育てられるのか?3人目がじゃない、3人共育てられなくなるんじゃないか・・・そう心配しいたに違いない。ごく普通の勤め人で結構高齢夫婦がこれから3人も・・・私たちは自分たちが年をとっている割には子供が小さいのが特徴だ(動物図鑑みたい

私は旦那に言った「産みたい、というよりダメにできない。私が責任もつから産もう」と。「責任もつて・・・(苦笑い)」考えても、かんがえても、カンガエテモ、KANGAETEMO、これが正解って答えはでない。私「もう迷う時間ないし母子手帳明日もらいに行くよ」 旦那「わかった。でも仕事は今まで通り続ける事できる?」 私「続けないと生活できないやろ」

 

翌日母子手帳を受け取り、両親達にも報告した。私たちとはうってかわって、両親たちは大喜びしてくれた。私の母は、私に養命酒をあげたことを悔いていた。

 

H20年7月29日予定日

 

 

 

 




 


そして2008年<pregnancy妊娠>

2008-10-07 00:06:01 | Weblog

お正月 友達家族とスキーに行き 新しい年が始まった。のに・・・やっぱり調子悪い 大晦日にお酒があまり飲めなかったし、元旦の親戚の集まりにもがわんさかあったのにそんなにほしくなかった・・・私の体はお酒がバロメーターと言っても過言ではない(おおげさ)

正月休みが終わってすぐ確かちょうど仕事がお休みの日があった。酒を飲まない私を見て(どんだけ酒好き)「調子悪いのならに行け」と旦那にまで言われてしまったし、年末私も チラッと思ったしに行くことにした。

あれ?   私はどこに何を診てもらいに行けばいいのか  病院に行く時、こんな疑問を持った事ある人は案外いると思う。ケガをしたわけでも、吐いたわけでも、フラフラしてるわけでも、出血してるわけでもない。「なんか調子悪い」のだ。            酒欲がないから肝臓を診てもらおうでもないだろうし、けだるいから診療内科行くほどでもないし・・・どこ行こかな・・・

《更年期》を視野に入れてるので某総合病院の婦人科に行った産婦人科に行かされた・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・
妊娠していた。えっ何 妊娠していた。えっ 妊娠していた。
先生と私のやりとり 「望まれていますか?」「はい?」「これね~だいぶ大きくなってますよ、赤ちゃん」「私は妊娠してるんですか?」「・・・それで診察来られたんでしょ?」「いえ、調子が悪くて」「もうだいぶ大きいからどちらにしても早く決めないと」「・・・」「ここまできてるのなら出産する方をお勧めします。産まない方は負担がかなりかえって危険ですよ

 

え~

 





 



 

 


2007年幕閉~Part2

2008-10-05 10:28:22 | Weblog

~続いていた《更年期》Or《無理なダイエット》の疑いがもたれる体調不良はそのままで2007年も終わろうとしていた

2007年は長男で小3のサッカー王子のと次男で当時2歳の保育園王子のお世話、仕事、家事&飲み会をしていたらいつのまにか時が過ぎてたって感じだった。これと言って大きなイベントもトラブルもなく平和に過ごした。そんな2007年が終わろうとしている。

 

私は正直に言って、ちゃんと仕事をして、家事をこなして、天使のように子育てをして、そんでもって遊びにも行けてって自分の事をなんてパワフルなんだろ~、なかなかやるじゃんってひそかに思っていた。来年も多分こんな風に過ごすんだろうって信じて疑わなかった。体は疲れるけど、悩みもなく、主婦のわりには旦那が気にしないタイプなので束縛もなく、母親のわりには子供のめんどうを見てくれる人が周りにいるのであまり束縛もなく、結構やりたいようにやって来た。

そして毎年高齢、ちがう、毎年恒例の会社の気の置けない仲間との仕事最終日の忘年会今年は秋からの体調不良で楽しみだったこの会でもあまりお酒が飲めなかったこの時初めて 

年明けに病院に行こうとチラっと思った。


2007年の幕閉~Part①

2008-10-05 00:45:31 | Weblog

2007年の秋ごろかな?バスルームの鏡にあまりにも太った背中がうつってダイエットを始めた。高齢ダイエットなので新陳代謝が悪く、kg単位じゃなくてg単位でしか減らない、いや、それどころかちょっち増えてるときもあったので《ご飯ぬき強行ダイエット》に切り替えた

 

あれ?調子が悪いイライラ、ドキドキ、眠たい  
やぁ~めた。仕事もあるしィ、子育てもあるしィ、家事もするしィっていろんな言い訳を自分の中でしてダイエットは幕を閉じた

 

でもな~んか調子悪いのよ。その時、私は自分が結構歳をとっている事を
再確認して《更年期》の可能性も視野に入れ始めた。ソフトなアルコール依存症かと思えるくらい大好きなお酒があまり欲しくなくなった事が本当に私は更年期か病気かと真剣に思うようにさせた。母に相談したら親切にも養命酒をくれた    
・・・to be continued