
突然ですが、ここで2008年1月時点の MyFamily の紹介
たいきんマン(現在3歳)
こうきんマン(小3)&わたしとおやじの4人家族でした。そしてなんと二世帯住宅
で旦那様のお義父様とお義母様と暮らしてます。仕事をしていく上でこの二世帯で同居しているお義父様とお義母様の協力なしではとてもじゃないけどやっていけません
感謝感激雨あられです(古っ)2年前に旦那の実家を建替、今の二世帯住宅をになったのですが、子供部屋は2部屋なの
・・・そう、私もそして旦那も子供は経済的にも体力的にも気持ち的にも2人で精一杯、っていうか3人目は想像すらしていなかった。3人も子供を持つとは誰が想像できたでしょうか?なので子供部屋が2屋部というのは当然の事だった・・・
ところが 1月に妊娠発覚 週数も大きさもだいぶ進んでるぅ~とのこと 当時旦那に報告したら「・・・・・・・・・・」携帯の向こうからすごく長~~~い沈黙が聞こえてきた(沈黙だから聞こえないか)のを覚えている。私たちは正直困った・戸惑った 今だから言えるけど本当に産まない方向に傾いていた(ゴメンね
)
先生から産むのなら母子手帳を早くもらうように言われていた。期限がせまってきた。答えを出さないと・・・この頃私は産もうとしていた。それ以外は考えられなかった。旦那はまだまだ迷っている。育てられるのか?3人目がじゃない、3人共育てられなくなるんじゃないか・・・そう心配しいたに違いない。ごく普通の勤め人で結構高齢夫婦がこれから3人も・・・私たちは自分たちが年をとっている割には子供が小さいのが特徴だ(動物図鑑みたい)
私は旦那に言った「産みたい、というよりダメにできない。私が責任もつから産もう」と。「責任もつて・・・(苦笑い)」考えても、かんがえても、カンガエテモ、KANGAETEMO、これが正解って答えはでない。私「もう迷う時間ないし母子手帳明日もらいに行くよ」 旦那「わかった。でも仕事は今まで通り続ける事できる?」 私「続けないと生活できないやろ」
翌日母子手帳を受け取り、両親達にも報告した。私たちとはうってかわって、両親たちは大喜びしてくれた。私の母は、私に養命酒をあげたことを悔いていた。
H20年7月29日予定日
いろんな楽しいこと、ぐちだったり、怒りだったり
書いちゃえばすっきりさわやかでいきましょう
会社のストレスもふっとばそうよ~♪(o→ܫ←)b☆イエー
これから楽しく読ませてもらうねぇ
3児の母とは思えない綺麗で不思議なキャラのtmtmに期待