時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

「敬老の日」にまつわる黒歴史

2024年09月16日 | 時のつれづれ・長月 

多摩爺の「時のつれづれ(長月の51)」
「敬老の日」にまつわる黒歴史

週末に下の孫(5歳男児)と散歩してたら・・・ ご近所の方にバッタリ出会い、
「じいじと一緒にお散歩して楽しいね。」と声を掛けてくださったんだが、
孫が突然「じいじじゃないよ。おじいちゃんだよ。」と言ったもんだから、ちょっとドッキリしたが、
「そうね。おじいちゃんだよね。ごめんね。」と、慌てて孫の機嫌を取ってくださり、
こちらが恐縮してしまうような・・・ 笑い話のような出来事があった。

ところで・・・ じいじ、ばあばっていう呼び方を、ここ最近よく耳にするが、
いったいいつごろから、そう呼ばれるようになったのだろうか?
私は昔の人間なんで・・・ その呼び方で呼ばれると、なんだかこそばゆくて、
出来ることなら、おじいちゃんとか、おばあちゃんって呼んでもらった方が嬉しいタイプである。

まっ、そんなことはどうでも良いが・・・ 今日は、敬老の日だ。
お年寄り(高齢者)を敬うために設けられた、国民の祝日なんだが、
記憶が確かなら、この祝日は小学校の6年生か、中学に上がったばかりの頃に制定されたはずだ。

なんでそんなこと言うかというと、小学校3年生の秋に父方の祖父が55歳で亡くなり、
5年生の夏頃だったと思うが、明治40年生まれの祖母が、当時住んでいた国鉄の官舎にやってきて、
三世代同居が始まったんだが、祖母が母に対して理不尽に辛く当たっていたことから、
あっという間に家庭が暗くなり・・・ 約三年間は、すっごく辛くて険悪な日々を過ごしていた。

それが如実に表れたのが・・・ 学校の成績だった。
中学に入って最初の夏休みの前ごろから、急にというか全く勉強する意欲が無くなってしまい、
授業だけは真面目に聞いていたものの、
予習、復習なんて全くやらず、辛うじて宿題をやってるだけの中学生になってしまった。

私の通っていた中学は、1学年で13クラスあり、男子だけで350人ぐら生徒がいたんだが、
いまでも覚えているのは、1年の1学期の成績は全校で4番だったから、
だれもが認める頭の良い子で、祖母にも両親にもすっごく褒められたものの、
祖母にだけは、褒められるのが嫌で嫌で堪らず・・・ 益々勉強から遠ざかっていた。

すると結果は正直なもので、2学期は58番になり、3学期は120番に落ちたんだから、
まさに、奈落の底へ真っ逆さまに落ち、祖母にも両親にもこっぴどく叱られたが、
まったく勉強しなくて、この成績なんだから、たいしたもんだと思いもするが、
まさか、その原因が祖母との暮らしにあるとも言えず、悶々とする日々が続いていた。

祖母と父は、私の成績が悪くなったことについても・・・ 母が悪いと母を責めていたことから、
この夫婦(両親)は、いずれ離婚するんだろうなと思っていた頃に制定された国民の祝日が、
まさかまさかの・・・ 敬老の日だから
「うちの婆さんの、どこを見て敬えっていうんだ。」ぐらいに腹立たしくもあった。

そんなことだから、学校が休みになることだけは嬉しかったが、
他所の家庭のことや、世間一般の良識なんて・・・ もうどうでも良くて、
敬老の日の制定については、個人的な感情で申し訳ないが、納得することが出来てなかった。

その後、中学校1年の暮れに、東京に住んでいた叔母(父の妹)に子どもができたため、
祖母が急遽上京すると、叔母夫婦がともに教師で共働きだったことと、年子で3人授かったことから、
祖母はしばらく東京で暮らし、10年ぐらい経って再び戻ってきたが、
そのとき私は社会人になっていて、家を出ていたので祖母が戻ってきてからの状況は知る由もないが、
母は祖母が88歳で亡くなるまで、自宅で面倒を見ており、苦労したことは推して知るべしだろう。

今思い返しても、あの三年間は・・・ 毎日が面白くなくて、
なに一つとして、楽しい思い出がないんだから、
黒歴史と言っても・・・ 言い過ぎではないとさえ思っている。

中学1年の夏休みが終るまでは、メチャメチャ勉強が出来る子だったのに、
意識的に勉強しなかったばっかりに、最終学歴は高卒だから・・・ 悔いがないと言えば嘘になるが、
女房と出会い、可愛い孫に恵まれたことを思えば、これもまた因果であり、
他人(ひと)よりも、ちょっとだけ早く試練にあったが、帳尻だけは合ってると思っている。

もう60年も昔のことなんで、いまさらどうのこうのといっても愚痴にしかならないが、
来春には94歳になる母が、堪えてくれたお陰でいまがあると思えば、
私にとっての敬老の日は・・・ 母への感謝に尽きる。

そんな母は、いまも頑なに一人暮らしを続けており、
父が亡くなってからは、毎年のように一緒に住もうと説得を試みてはいるものの、
良い返事がもらえないまま・・・ もう、3年が経った。

毎週のように実家に立ち寄り、買い物を含めて、母の機嫌を伺ってくれている妹には感謝してるが、
母の最後まで頼むつもりはなく、女房も納得してくれているので、
今年は寒くなる前にもう一度帰郷し、泣き落とし作戦でもなんでもありで、
老人の老後というのもなんだが・・・ 今後のことについて、じっくり話し合おうと思っている。

なお、黒歴史を記すことについては、少しばかり戸惑いもあったし、
高齢者を敬う日に、しみったれた内容で恥ずかしいが、
古希を迎えたこともあり・・・ 今回を逃したら、この話は書けないと思って記すことにした。

最後に・・・ 祖母のことを、随分悪く書いてしまったが、
私にとっては、とっても優しいおばあちゃんだったし、
亡くなる前日まで、虫眼鏡を使って新聞や本を読むぐらい・・・ 老いて尚、学ぶことに貪欲で、
とっても頭の良い人だったことを、追加で記させていただきたい。


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12 コメント

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Unknown (yyinsectbird52127)
2024-09-16 13:21:59
多摩じいさん、じいじとばあば👴👵は、
知らないうちに世の中に増えていました。😲
お孫さんの反応、微笑ましいです!

うちの息子たちには私の母を、あいちゃんと呼ばせていたので、保育士さんが最初戸惑ったらしくて。
呼び名も十人十色ですね~。
やぐちゆみこ
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Unknown (hana04yama23茉那)
2024-09-16 13:55:53
こんにちは。

いつからこんな呼び方が始まったのでしょう。

孫が産まれた時、我々夫婦はなんと呼ばれるかとちょっと気にしていましたが

おじいちゃま
おばあちゃま と呼んでくれました。

息子が祖父母をそう呼んでいたからです。

親を見て育っています。  茉那
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Unknown (多摩爺)
2024-09-16 14:51:53
やぐちさん、こんにちは

昔からあったような気がしないでもないですが、
私の周りでは、おじいちゃん、おばあちゃんだったので、そう呼ばれると、なんとなくこそばゆくなります。
沖縄ではずっと、おじい、おばあですから、仰るとおり十人十色で良いと思っています。
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Unknown (多摩爺)
2024-09-16 15:02:00
茉那さん、こんにちは

おじいちゃま、おばあちゃまですか、
我が家は、そのように呼ばれる家庭じゃないし、
私たち夫婦は、子どもたちにおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばせていたので、子どもたちも真似たのかもしれません。
おじいちゃまとか、おばあちゃま呼ばれたから、こそばゆいを通り越して、倒れちゃうかもしれません。
とっても品の良い呼び方で、羨ましい限りですが、我が家には相応しくないかも・・・ と思っています。
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いいですね〜💕 (マンマ♪)
2024-09-16 16:56:55
お孫さん、なかなかやりますね!!
しっかりしていらっしゃいます。
ご無沙汰しております。マンマです。

うちの息子たちは、上が29歳、下26歳ですが、その時代はまだそんな言葉はありませんでした。教え子の18歳の生徒さんは、すでに言ってます。ということはこの8年間の間になりますね。

まあ、うちでは世間様がなんと言おうが、”ママちょ”と呼んでおりました。元夫の方はおばあちゃま。
そのご家庭で呼び名は様々。
もう少し大きくなると人前では恥ずかしくって、祖父祖母って言ってますので全く問題ありませんね〜。
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Unknown (なおとも)
2024-09-16 17:11:13
こんにちは!

20年前位から、世の中ジィジの呼び名が席巻してきましたね。若い祖父がおじいちゃんと言われる事に抵抗があり、何となくジィジだと可愛い感じだからかな?孫も言いやすいからからかなと思い、後に調べるとそのような事が書いてありました。我が家はジィジとおじいちゃんの混在です。私はグランマって呼ばれたいわと言うと、笑われました。

色々な思いのある敬老の日のようでしたね。今が一番幸せ!何よりと思います。なおとも
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Unknown (多摩爺)
2024-09-16 18:04:16
マンマさん、こんにちは

いずれはジイサンと呼ばれたり、クソジジイと呼ばれたりするのでしょうが、
それもまた成長の証で、楽しみでもありますが、
最近では随分と甘え方も上手になって「おじいちゃんコンビニに行こうよ。」と誘ってきます。
すると条件反射的に「よし行こう。」になってしまうので、息子からは甘やかさないで教育的指導を受けていて、
父親になった息子の成長にも気づかされることあり、嬉しく思うことが多々あります。
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Unknown (多摩爺)
2024-09-16 18:16:54
なおともさん、こんにちは

じいじとばあばは、随分前から聞いていたような気がしますが、ドラマの影響が大きいのかなと思っています。
都会にいると、ちょっと小洒落た呼び方に思えますが、私や女房の田舎でそんなこと言ったら、
「かっこつけんじゃないよ。」と笑われそうで、けっこうな勇気がいる呼び方です。
名前を付けるのも自由なんですから、呼び方だって自由で良いと思います。
「グランマ」も、きっとお似合いだと思いますよ。
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Unknown (aokun115)
2024-09-16 19:55:03
多摩爺さま😌
いつもお世話になります🎀
おばあ様への長年の葛藤がおありだったんですね💧
大切なお母様がご苦労されてるのを見る少年時代お辛かったですね😥
お母様はご立派な方ですね✨
介護にしても今お一人でお暮らしな事も✨
中々真似は出来ないです😖
今度はご了承下さって多摩爺さまの元に来て下さいます様に🍀
私が生まれた時に48歳だったプライドの高い祖母は・・大きいママと呼ばせました💦
祖父は私が生まれる迄笑った事もない人でしたが😱大きいパパになりました😅
抵抗あったと思いますが😆(笑)
大きいパパに相応しい笑顔の人になって行きました😊
私はもし孫が出来たら🩷おばあちゃんでいいんですが😅
蒼クンが名付けてくれたチャーチャンにしちゃおうかな〜とも思っています😆💦
孫が出来る気配はないので💦夢のお話でした失礼致しました😅
今後ともお勉強させて下さいませ🍀
宜しくお願い致します🎀
返信する
Unknown (多摩爺)
2024-09-16 21:22:58
aokun115さん、こんばんは

母は頑固者と書いた名札を付けて歩いてるような人間で、息子や娘であっても、けっこう手強い相手です。
取りあえず、11月ごろ帰郷して話し合い、95歳になる来春を区切りにして、
6月ごろを目途に、東京に来るか、実家の近くで施設に入るかを決めてもらおうと思っています。
今夏には大事に至りませんでしたが、2度も熱中症になりかけて、慌てて妹が駆けつけたことがあり、
本人も気にしてるので、そこから責めて最後は泣き落とす予定です。
今回ばかりは、納得させるしかないと思っています。
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