maaolaの旅日記

2008年は京都はもちろん、函館、伊豆、熊本、萩・津和野、香港・マカオへ行く予定

日曜市

2008-04-14 22:50:24 | 中国・四国
追手筋の日曜市でお昼ごはんとお土産を買って、旅を終わりにしようと思います。

追手筋は片側2車線の広い道路で、中央分離帯の南側が市になっていました。

雨天の場合はどうなるんだろうと心配していたのですが、普通に行われていました。お店はテントで囲まれていて、お客さんは傘。私も両手がふさがっていて、カメラをもてなかったので、写真はありません。

●徳谷トマト
真っ赤なトマトであまりにも美味しそうだったので、値段を気にせず、思わず買ってしまいました。トマトの大きさはちょうど卵くらいの大きさ。形も良く似ています。ただ縦に長いのではなく、横に長いです。
値段のほうはというと、5個で500円だからちょっと高いですよね。

「徳谷」というのは種類ですか?って聞いたら、高知市内の地名とのこと。産地だそうです。他にも「あぞうの」(地名:薊野)と書かれたトマトもありました。
丸くてきれいな形をしているものより、少し横に長いもののほうが美味しいのだとか。
googleの地図(徳谷)
googleの地図(薊野)

家に帰って早速丸かじりにしてみました。甘いです。みずみずしいんだけど、身が詰まっています。皮がちょっと厚めです。だからなのかな、食べたって感じがします。

●土佐文旦
1つ欲しいなあと思って、試食させてもらって、お店の方にいろいろ聞いていたら、ケースに山盛りになっていた文旦がみるみる半分以下になってしまいました。
大きいのが300円、中くらいのが200円。「大きいほうが美味しいの?」って聞いたら、そんなことはないよ、大きさが違うだけということだったので、安心して中くらいのほうを2個買いました。

●田舎寿司
きれいですよね。芸術品です。熊野古道を旅した時にも見ましたが、こちらのは柚子酢が利いていて食が進みます。

他のお店で、バッテラ(と書いてあったけど鯖寿司)と、四方竹(姫竹みたいに小さい)の押し寿司も買いました。四方竹のお寿司には柚子酢は入っていませんでしたが、柚子の皮(ピール)が入っていました!

長い通りにお寿司を売っている店は点在しています。比べて買うのは難しいので、これと決めたら迷わずに買ったほうがいいですね。戻ってもいいのですが、目星をつけておいた店が見つかるとも限らないですし。


お土産購入の鉄則は、「ある時に買うべし」ですね。どこにでもあるだろうし重いからとか邪魔だからとかいう理由で、後で買えばいいかと思っていると、売っていなくて買い損ねることは結構あります。

今回、私はそれで「酔鯨」の純米酒を買いそびれてしまいました。ひろめ市場にあったのに...

高知県立文学館

2008-04-14 22:45:24 | 中国・四国
寺田寅彦記念館で薦められた県立文学館にやってきました。
展示室は2階で受付カウンターとミュージアムショップは1階になります。



<展示の構成>
1)宮尾文学の世界 → ※ア
2)高知と文学者たち → ※イ
 高知の文学の流れ
 現在の作家
 古典文学・近世文学
 高知ゆかりの作家たち → ※ウ
 自由民権運動と文学
 反骨の大衆文学
 現代の文学 → ※エ
 近現代の詩歌
3)寺田寅彦記念室 → ※オ

<印象に残ったみどころ>
●ア:宮尾文学の世界
いま話題の大河ドラマ「篤姫」の原作者です。原作のタイトルは『天璋院篤姫』です。
宮尾登美子(1926-)
「櫂」「春灯」「朱夏」「仁淀川」の四部作は自伝小説

●イ:高知と文学者たち
床一面の高知県地図に文学ゆかりの地が示されています。
ビデオによる説明もあります。

●ウ:高知ゆかりの作家たち
『竜馬がゆく』の司馬遼太郎、土佐藩士が起こした事件『堺港攘夷始末』の大岡昇平、『ジョン万次郎漂流記』の井伏鱒二などが紹介されています。

『堺港攘夷始末』この本は読んだことはありませんが、森鴎外の『堺事件』は読みました。鴎外のが事実をもとに作った小説であるのに対し、大岡のそれは徹底的に調べ上げたノンフィクションのようです。

●エ:現代の文学
○大原富枝(1912-2000)
大川筋武家屋敷資料館(旧手嶋家住宅)の展示室で、手嶋家についての説明を大原さんが書かれていました。そのとき初めて知りました。
『婉という女』という作品ありますが、主人公の婉は、土佐藩家老、野中兼山の娘で、兼山の失脚後、約40年間も幽閉されます。そして釈放後、その偉業を後世に伝えたのです。
また、高知県本山町には大原富枝文学館があります。

●オ:寺田寅彦記念室
寅彦の高知での暮らしぶりは、記念館のほうで知ることができたのですが、具体的に何をした人なのかはこちらの展示を見たほうが懸命です。
椿の花は下を向いて咲いているほうが多いのに、なぜ地面に落ちている花は上を向いているほうが多いのか、というように身近な現象を追いかけていたようです。この話はビデオにまとめられいます。

1階のミュージアムショップでは、「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」(集英社新書)や「科学と科学者のはなし-寺田寅彦エッセイ集」(岩波少年文庫)が目に留まりました。
「科学と科学者のはなし」は岩波文庫の「寺田寅彦随筆集」(全5巻)から何篇かを抜き出したものです。とりあえず読むにはいいかもしれません。

それと、宮尾さんの作品も読んでみたくなりました。

寺田寅彦記念館

2008-04-10 00:08:37 | 中国・四国
日が変わって日曜日。今日は時代が戦国~江戸から明治に変わります。

朝から雨が降っているので、よさこいめぐりんバスに乗車し、法務局前のバス停で下車。バス通りに立っている標識に従って入ると、勉強部屋があります(写真下)。実はこちらの入口は裏口で、表玄関はお城の堀側にあります。表へ回りましょう。


寺田寅彦は物理学者で随筆家、という説明よりも「天災は忘れた頃にやって来る」という名言を残した人として知られています。

五高(熊本)に進学するまで、過ごしたのがこの屋敷です。

当時の五高には、夏目漱石が英語教師として赴任しており、俳句を教えてもらったそうです。また、寅彦が東京へ赴いてからも、漱石とは親交があったのだとか。

現在は記念館として公開されており、無料で見学できます。

それにしても美しい庭です。様々な種類の椿が咲き乱れています(写真中)。庭石のくぼみが水溜りになっていて、落ちた椿の花が活けてあるのなんか、いい趣味ですよね。


ここも大川筋武家屋敷資料館と同様、誰もいない様子なので、声をかける屋敷に上がると、管理人の方が出てこられました。ひと通り案内をしていただいたのですが、予備知識がなかったものだから、質問がいまいちでした。反省。

(蔵書の中に多数あるので)中谷宇吉郎というのはどなたですか?
 → 寅彦の一番弟子で雪の結晶の研究をした科学者。加賀市に記念館あり。
寺田寅彦の著作で一冊読むとしたら
 → やっぱり「天災と国防」でしょうね。
 ※あとで分かったことですが、岩波文庫から全5冊の随筆集が出版されており、その中に「天災と国防」が収録されています。

県立文学館に詳しい展示があるということなので、そちらへ行ってみましょう。


こちらが正面でした。

googleの地図

桂浜

2008-04-09 23:42:25 | 中国・四国
浦戸城跡を見学した後、椿が咲く小道を通って、桂浜の坂本龍馬の銅像へ。
おっさん、おばちゃんの団体さん、家族連れの観光客が写真をとっているのは当たり前。
カップルの女の子のが一生懸命に携帯カメラで銅像を撮っているのに、「もう行こうよ」といった感じで男のほうがベンチに座っているのが意外でした。どのカップルだけでなく、大なり小なりそんな感じでした。
若い女性に人気があるんですね。

ただ、銅像は東を向いて立っているので、写真撮影は午前中がいいですね。夕方は西陽で真っ黒。肉眼でも見づらいです。


さてと、この銅像を見てしまったら、あとは何をするんだったかな? 考えていたのは、浦戸大橋を渡って種崎に出、県営渡船でこちら側に戻ってきて、長浜集落にある酔鯨酒造の前を通って、若宮八幡宮に至る、というルートを考えていました。でも、浦戸大橋は歩道がなく交通量も多いので、徒歩で渡るのはちょっと危険。となると、そもそもの前提が崩れるし...

バスの出発まであと20分ほどあるし、ちょっと浦戸集落を歩いて見ました。
浦戸集落は漁村です。民宿も何軒かあります。でもあまり観光客が訪れないのでしょう、何匹かの犬に吠えられました。

浦戸集落の北側(湾内/漁港)と南側(外海)の間には桂浜から続く丘陵があって、その山をくりぬく、自転車がやっとすれ違えるほどの小さなトンネルがあります。トンネルを抜けると、妙に明るかったのが印象的でした。

さてそろそろ時間です。海岸沿いの道路にある南浜バス停から市内へ戻ります。長浜集落は車窓観察で我慢しましょう。



googleの地図

高知県立坂本龍馬記念館

2008-04-09 23:21:10 | 中国・四国
竹林寺のバス停でMy遊バスを待っていると、バスから運転手さんが降りてくるので何かと思ったら、バス停にかかっている札を移動させていました。
札には「の便は出発しました」というようなことが書いてあります。バス時刻表の各便のところにはフックがあって、バスが出る度にその札を移動させるのでした。
なかなかいい仕組みですね。

バスは桂浜の「坂本龍馬記念館」まで停まりません。外海に面した高知新港には、豪華客船「飛鳥Ⅱ」が停泊していました。巨大です!

本題に入りましょう。
展示室は大きく、地下2階と2階に分かれています。まずは地下から。

見どころは、近江屋で暗殺された時の血痕のついた屏風と掛軸、それに寺田屋事件のあと霧島へ新婚旅行に行った時、姉のおとめに宛てた手紙です。ともに重要文化財になっているんですが、現物は京都国立博物館蔵。展示品は複製です。

なんで高知じゃないの?って思いましたが、どちらも事件が起こったのは京都なんですよね。じゃあ、仕方ないか。

学校の社会科副教材を思わせる「坂本龍馬を知っちゅう?-資料で調べる33年-」(300円)をお土産に買いましょう。2階のミュージアムショップで売ってます。これに屏風や掛軸、手紙が載ってます。

あぁ何度聞いても、近江屋、池田屋、寺田屋がごちゃごちゃになってしまう。
・池田屋: 新撰組で龍馬とは関係なし。三条通の明治屋付近
・寺田屋: 龍馬が幕吏に襲われ負傷。お龍さんの機転で脱出。伏見に現存、公開
・近江屋: 龍馬と中岡慎太郎が暗殺される。四条河原町バス停付近


2階の展示で面白いなぁと思ったのは、坂本龍馬はなぜ人気があるのかというコーナーがありました。戦後の人気は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」であるとされています。

戦前は、日本海軍の創設者として人気があったようです。その証拠に、太平洋戦争の金属回収で各地の銅像が撤去されたにもかかわらず、桂浜の龍馬像は回収されなかったのだそうです。なんでも明治天皇の皇妃の枕元に立ったとか(この辺あやふやです)。
また、新政府の要職を占める薩長に対して、土佐を慰撫する目的もあったとか。
いろいろと利用されたわけですね。



googleの地図

五台山竹林寺

2008-04-03 23:42:46 | 中国・四国
四国八十八ヶ所霊場はどうか分かりませんが、西国三十三所観音巡礼を廻ってみて分かったのは、お寺に当たり外れがあることです。お寺にハズレがあるなんて言ったら罰が当たりそうですが、いかにも金儲け...というところがあるので興ざめしてしまいます。

四国の場合も同じかなぁと思っていて、お遍路で巡る気がしないのですが、この竹林寺は間違いなく「当たり」なので、絶対にお参りするつもりでした。

本堂や大師堂などの境内が桧皮葺で落ち着いているのも当たりですが、庭園や宝物館も仏像も当たりです。

山門をくぐると本堂・大師堂・五重塔へ、山門の手前を右へ入っていくと、庭園や宝物館です。

本堂


庭園は本坊の北側と西側に広がっていて、どちらにも池があります。特に西側の池は、座ってみると池が縁側の下に広がっているように見える、との説明のとおり広がりをもつように見えます。
池の右手は斜面になっていて、つつじなど木々が植わっています。GWの頃に訪れたらきれいなのでしょうね。


宝物館には重要文化財の仏像が17体も陳列されています。宝物館の左側に展示されている四体の侍者像は、唐の服装や髪型をしており、歴史を感じます。

googleの地図

はりまや橋

2008-04-03 00:20:52 | 中国・四国
「日本三大がっかり名所」は、ウィキペディアでも登録されているんですね。知りませんでした。

そんな「はりまや橋」の汚名を返上するためではないのでしょうが、川(人工水路)が再生され、川の上にはりまや橋が架かっています。橋の北詰には純真とお馬の人形あり、それなりにはなっていました。
繁華街の一角ですので、観光客も多く、記念写真を撮る人も多いです。



お城で見た黒潮の波をかたどった欄間のデザインが商標になっている「浜幸」は、橋の南側にあります。お土産お菓子(*1)の「かんざし」が有名ですが、おすすめは「白花栴檀」です。上品なこしあんの和菓子です。

(*1)お土産お菓子:私が勝手に呼んでいる言葉です。京都で言うと、生八つ橋は「お土産お菓子」ですが、俵屋吉富の「雲龍」などは「お土産お菓子」ではなく”和菓子”です。

googleの地図

高知城

2008-04-03 00:20:23 | 中国・四国
追手門から入って、板垣退助像のある石段を登りきったところに一豊婦人(千代)像があります。その正面が「三の丸」で、石垣の改修工事中です。

話が前後しますが、お城の見学が終わって石段を下りる途中、見知らぬ方に「上にも桜がありましたか?」と聞かれました。その方曰く、三の丸にはたくさん桜があったのに、工事で入れなくなってしまったんだとか。

工事用フェンスの前に石垣の説明パネルが多数展示されています。目に留まったものをいくらか紹介します。お城の石垣には、野面積み、打込ハギ、切込ハギの3タイプがあって、高知城の石垣は野面積み(のづらづみ)であること、石垣の表面石と盛り土の間には「グリ石」と呼ばれる小石の層が排水機能を持つことなど知りました。
野面積みは自然石を加工せずにそのまま積み上げたものですので、人工的でなく素朴な感じです。

お花見はできませんでしたが、野面積みの石垣に注目できる良い機会でした。


本丸には天守閣と本丸御殿である懐徳館があります。受付から入って右側の懐徳館から見学。天守閣ともつながっています。

懐徳館で注目したのは黒潮の波を抽象的にあらわした欄間です。シンプルで巧いデザインだなぁと思っていたら、はりまや橋の菓子店「浜幸」の商標に使用されていました。

さて、天守閣が現存しているのは弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城あるのですが、本丸内の建物が全て現存しているのは、高知城だけだそうです。




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旧山内家下屋敷長屋展示館

2008-04-01 22:36:04 | 中国・四国
途中に土佐山内家宝物資料館があったのですが、時間も興味もないのでパス。そのまま山内神社の境内を横切って、「旧山内家下屋敷長屋展示館」に向かいます。

山内神社の境内には、山内容堂公の銅像(坐像)があります。お城の方向を向いている容堂公の右手には杯があります。さすが『鯨海酔侯』と名乗っておられただけけあります。

「旧山内家下屋敷長屋展示館」はホテル三翠園の敷地内にあります。ここは道路側から外観の写真を撮っておくだけで十分でしょう。

城下めぐりはこのくらいにして、いよいよお城に向かいます。



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龍馬の生まれたまち記念館

2008-04-01 22:11:23 | 中国・四国
バス通りに出ると、ちょうど「よさこいめぐりんバス」がやってきたので、慌てて手を挙げたのですが、行ってしまいました。残念。
と思っていると、信号の先で止まってくれたのでビックリです。信号が変わるのを待ってバスに無事乗車できたのですが、他のお客さんに恐縮です。高知県交通の運転手さん、ありがとう。

ということがあったので、2つ先のバス停で降りるのは気がひけたので、もう少し先まで行くことに。「枡形商店街」で下車。

電車通り沿い上町病院の脇にある坂本龍馬誕生地の碑を見て、「龍馬の生まれたまち記念館」へ。記念館の前の道の真ん中には水路が流れています。

その名の通り、龍馬が生まれ育った環境(土地と家族)がよくわかる博物館でした。
このあたりが上町なのですが、下級武士(下士/郷士)や武家の奉公人や職人が多く住んだ地域です。

記念館を出て南に向かうと、龍馬がよく泳いだという鏡川が流れています。そのコンクリートの堤防との間に、高さ2mほどの土手があるので不思議に思って、さっき買った『高知城下町読本 改正版』(高知市観光課発行)の明治26年の市街図(P36)を見ると、昔はもっと川幅も広かったようで、土手の先は畑だったようです。
今は土手の両側に家が建っているので、とても奇妙な光景です。



googleの地図