空港観測の最低気温は、13℃。この辺地の当地でも、昼頃には、20℃を越すようです。
ちょっと、季節が、進み過ぎているのかも知れません。
早い初夏迄は、良いとしても。酷暑の夏だけは、勘弁して欲しい。何しろ、我が家は、リビングのエアコンも外して、あるのは、一階の和室だけ。妻の教室用だったものだけだ。二階の和室の寝室など、付けたこともない。まあ、夏は、二階を開け放しているので、それは、それで、涼しい。何しろ、人生、迷走した時期もあったから、懐が寂しくて、たいしたことを、してこなかった。
それにしても、さくら!
満開、と言うより、満載ですね。皆さん、さくらが、好きなんですね。日本人なんだな、と思う。さくらは、日本人にとっては、特別な花には、違いない。春の本当の訪れを告げる花。
本当に、そう思う。自分も、取り止めもなく、皆さんの満載のさくらを、追わして頂いています。名木の雄大な一本ざくらも有れば さくら並木、花のトンネルもある。
ただ、自分は、寂しくも、思ってしまう。沁みるように、思うこともある。さくらの花は、儚い。直ぐ散って、やがて、葉桜になる。初夏の日差しに、てらてらと、生命を輝かしているが。それは、終わった後の長い日常でもある。卒業式があって。送って。送られて。退職や、転勤のひとも、送って。入学式。迎えられて、迎えて。新入社員、転勤の人。迎えられて、迎えて。
終わると、日常が、始まる。長い、変わらない。おんなじ、日常。生命は、輝いているけど。日々の中で、ちょっとくすんできて。あんまり、何にもなくて、ずっと続く。日常。
さくらの樹の下に、死体が埋まっている。そんな思いに、とっても、こころ揺さぶられた。
山賊が、おんなを捕まえて、妻にして。取り憑かれて、人殺しをして。落ちて来た儚い花びらを、手のひらに。と、思ったけど。中空に、舞って。消え落ちていく。そんな物語が、とっても、こころに、沁みた時も、あった。
我が家の庭には、さくらは、ない。右脚が、直ぐに痺れが出てしまうことと、コロナ禍を良いことに、最低限の必要な用足し以外は、家に、引きこもっている。だから、本当のさくらを愛でることが、出来ない。でも、凹んで、それでも、心地良く落ち着いてしまった気持ちには、ブログに満載のさくらを、追うだけで、何だか、嬉しい。
それで、結局、庭に飛び出して。花々を、撮ってみる。今まで、振り向きもしてこなかった花々。人手の足りない、少し、荒れた庭。
丹精された花もあれば、野の花もある。雑草として、ひっそりと、でも逞しく咲く花。それは、それで、美しい。