-blog名変更-

2010年01月12日 | Weblog
実はblog開設から1721日目。

大学のサークルの先輩・後輩たちが読んでいることを想定に、月1回更新というやる気の無さでうだうだと書き綴ってきましたが、2010年を機に今回からblogのタイトルを変更。
自分の名前を中国語のピンインで表しているだけの何の変哲も無いタイトルですが…(暫定的なので気が変わる可能性大)。

独自のペースで更新をやっておりますが、さすがにこのblogも飽きてきた。


…というわけで、流行に乗っかってtwitterを本格的に開始。

こっちのほうは積極的にやろうとは思うけど、すぐ飽きるかどうか(twitterの遊び方・仕組みがまだいまいち理解できていないけどね…)

-200Q年-

2009年12月31日 | Weblog
僕にとっては2009年4月からは今までとは全く違う世界の200Q年に突入したようなものでした。

当たり前の話ですが、社会人と学生とでは感覚が違います。

たとえば、物事を進めていく「速さ」と「正確性」は非常に大切。
青春をこじらせた腐れ大学生達には到底遠い感覚なので、この点を身に着けるのは難しいものです。
速さと正確さの両立!
あぁ、なんて大学生活とは縁遠い言葉なのか!!

◇◇◇◇◇

明日より2000年代から2010年代に突入します。
ちょうど10年前は歴史学者になりたいと思っていました。
2020年代に突入するころ、自分はどうなっているのか。

2010年代に思いを馳せながら…みなさん、よいお年を!

-郷愁に浸るわけでもないけど…-

2009年11月22日 | Weblog
三田祭に行ってきました。
土曜日夕方にゼミ同期と。日曜日はK新講演会に。

日曜日には会社の同期とキャンパスで偶然出会って、「こんなに三田祭を満喫してしまったら、社会復帰できなくなるぞ」とお互いに罵り合う展開に(そして火曜日が憂鬱だという結論になる)。
つい8ヶ月前まで学生だった身としては、“ノスタルジアに浸る”という感覚ではなく、学生気分にすぐ戻ってしまうという感覚でしょうか。


それにしてもOBとして遊びに行くというのも面白いものですね。まだまだ知っている後輩も多いから、それだけで楽しいかな。三田祭運営に関してはもはや“職人芸”といっていいDさんにも、他研究部の先輩たちにも会えるし(ShiraishiさんとかShimodaさんとかetc)、本当によい機会ですよね。僕は三田祭を4年間満喫したほうの人間なので(楽しい思い出も苦々しい思い出も両方生まれたイベントではありましたが…)、そういう思い出がよみがえって懐かしさを感じる。

しかし!!

ご覧ください。





…南校舎がありません!!あの正門から入ってすぐの古い校舎です。


これは衝撃的光景でした。

取り壊して新しく建造するとは聞いていたけど、実際に目の当たりにするとさびしかった。心にポッカリ穴が開くというか…。「あ、なくなってる…」という感じ。1年生はこの光景が普通だと思っていることもさびしい。

この取り壊し作業のせいでキャンパスが狭くなっていて今回の三田祭は異常に混雑していました。


◇◇◇◇◇

ちなみに来週土曜日にZ政のOB会なので、ぜひぜひ参加してあげてください。
今のところ、OBは4人程度しか見込んでないので、同日開催予定のI尾ゼミOB会から先輩たちを引っ張り込むしかないかもね…(がんばれ!2年生。最後の仕事だから。)

-告知-

2009年06月01日 | Weblog
あっ!という間に6月です。日々、勉強の連続です…。

◇◇◇◇◇


K新Z政のOB担当からメール。

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こんにちは、お久しぶりです。
今日もお仕事お疲れ様です。

現在、Z政研究部のOBOG会の日程と場所予約をしております。
6月のOBOG会ですが、20日(土)に決定致しました。

現役一同、参加を是非お待ちしております!


そして、0038さんからのアドバイスも頂いて、「03年卒までは顔が利く」とい
うことで、(take)さんの方からもお誘いの程、よろしくお願いしますm(._.)m

お仕事でお忙しいかとは思いますが、今年も多くのOBの皆さんと楽しい時間を
過ごしたいと思っていますので、(take)さんの御助力を拝借したく存じます。

また来月のOBOG会で(take)さんにお会い出来るのを楽しみにしております
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◇◇◇◇◇

…ということらしいので、OBOGのみなさん、参加のご検討をよろしくお願いします。もちろん、社会人にとって土日がいかに貴重かということは身に染みました。OB会に参加するのは負担が大きいかもしれませんが、そこをなんとか…。


ただ、03年卒まで顔が利くなんて思ったことはないので、OB担当が0038さんにうまく操られているなぁと思いました…。

-新生活に向けて-

2009年03月31日 | Weblog
いろいろと一人暮らし用の品物をそろえて…、新生活への準備を進めている3月最終日。
たぶん、準備は完了できたと思う。


あとは心構えの問題。

僕は優柔不断な人間なので、もっとはっきりと意思を示せるようにしないといけないな、と思っています。


◇◇◇◇◇

30日は、K新Z政の活動に参加してみた。

4年生としてこれが最後だったのですが、いつものように適当にしゃべって、別件があったので急いで帰りました(Yodoeさん、ごめんね)。
雑談している時間が一番貴重な時間で充実していたのかもしれないなー。


…僕はこのサークルにはとても感謝しています。

三田祭論文を一人で仕上げる羽目になった1年生の10月。
オリエン活動で一生分のナンパをした2年生の4月。
1年男子全員がサークル辞めます!と宣言してきた2年生の10月。
下の学年のZ政日吉代表が突然音信不通になってしまい、新Z政日吉代表に1年生の誰もなってくれない。その上、K新では脱退&新サークル立ち上げ騒動が起きて大混乱した3年生の12月。

この4回が僕がこのサークルで一番きつい体験をした機会です(中でも3年生の12月の時に起きた事件のインパクトは一生残るであろう…)。その都度、乗り越えられてきたのも信頼できる先輩たちのおかげです。K新は伏魔殿のようなわけのわからないサークルですが、いいお勉強をさせていただきました…。


…そんな今までの膨大な時間の中で下級生に何を残していったのかは自分自身ではよくわかりませんが…(あー、そうだな、Z政は継続できたかも…)、僕は「たかがサークル」だと思っていたし、「されどサークル」だと思ってサークル活動に参加していました。
日吉代表みたいにがむしゃらにがんばる奴とテキトーな頻度で活動に参加する奴がいて、その両タイプが仲良く活動できて楽しければそれでいいのだと思います。僕はこのサークル(K新)に4年間いて、妙な理由でいさかいを起こしたり、自分にとって気に入らないことを覆そうとして喧嘩をする奴らを見てきました。まったくもってくだらない…。たかがサークルなのに…。

それで、万感の思いをこめて言いたいことはただ一つ!

仲良くしようよ!!

でも、されどサークル。特にK新のように集団が一丸となって活動できる目標がないサークルでは意見対立が頻発します。深読みとか根回しとかね、くだらないけど、必要だったりします。それは研究部内レベルでも全体のレベルでも共通して言えること。すごくパワーがいる。あいつはこう思っているはずだ、だから、遠回しにああいう発言をしているのだ、とか…。深読みとか根回しって組織に所属している以上、仕方がない部分だと思います…。でも、会社組織ではないのだから、サークルなのだから、少しだけでもいいから肩の力を抜いて話し合いはできないものか、前のめりになりすぎる人が多かったような気がする。

それとK新の組織構造はいびつだということ。
やっぱり4年生が全体代表を務めるというのは、おかしい。僕は2008年度のK新全体代表をやったわけだけど、後輩からしてみれば扱いにくい存在だったに違いない。僕もやりにくい。実質的な役割はすべて日吉に集中しているのに…なぜ三田に最終的な権限が…老害になりやすい存在。責任を取りやすいという理由は最もだけど、自分が全体代表のうちに権限をすべて日吉レベルに返すような規約に変えればよかった…(特に問題は発生しなかったから、そこまで言い出さなかったけど…)。K新の中心は日吉にあり!です。OBとしては生暖かく見守るのみであります!

◇◇◇◇◇

4月初旬には何か重大なことを書き記すかもしれません…。

-卒業式当日-

2009年03月24日 | Weblog
2009年3月23日(月)卒業式当日。


日吉駅の銀玉前でゼミ生たちと待ち合わせ。


大勢の卒業生。
ビシッとスーツで決めた男子。
華やかな袴姿の女子。
それに混じる昭和59年卒のおじさんたち。
保護者らしき夫婦がパラパラ。

とにかくたくさんの人!
入学式を想い出しました…。
あの日も新調したスーツで今日も新調したスーツ。

やっぱり総合大学だから、実にたくさんの人間が在籍していたんだなぁ…と今更ながら実感しました。

◇◇◇◇◇
10時。
卒業式は、塾長の祝辞や塾歌斉唱(いまだに1番の半分くらいしか歌詞はわからない…)など。
古典的な式典。
始まって2時間くらいで終了。
ワンセグでWBCを観戦する人もちらほら。

12時半。
教室に移動。
「学位授与式」という名の事務手続き。
なんのことはない。普段の講義室に4年生を集めて点呼。
学位記をパッと渡して終了。


ここから記念撮影モードに突入。

まずはゼミ、それからサークル、その他友人たち。キャンパス内をぐるぐる。

それにしてもゼミの集合写真はかなりいい!

留学していたので休学中のYamadaが自然と溶け込んで記念撮影に混じっているのには笑ったけど、でも彼が欠けていては5期生が集合したとはいえないとも思う。

◇◇◇◇◇

その後、渋谷へ。アルコール分解能力の低い自分にとってはここからは「酒との付き合い方」がテーマになります…。


まずはK新。
18時。後輩たちと一緒に乾杯。同期とも乾杯。OBとも乾杯。
さらに各研究部ごとにあいさつついでに乾杯。

他研究部の後輩は僕に会うと開口一番、「卒業おめでとうございます」と言ってくれるのに、Z政の連中は「こんにちは~」しか言わない。ちょっとショックを受ける。


20時。渋谷でゼミ生たちも飲んでいるというので、そちらにもちらっと参加して、再び乾杯。
すごく楽しく心地よい時間帯でした…。

すでに普段の飲酒量を超えているけど、時間をかけてじっくり飲んでいるし、ウーロン茶を逐次飲んでいるから、大丈夫。

今考えてみるとこの段階で酒を飲むのをやめるか、このままゼミ生たちと過ごした方が得策だったのかもしれない。


22時。K新に戻って、飲み直し。

再び記念撮影。
後輩と語ったり、同期と語ったり。

また乾杯、乾杯、乾杯。


…そして、日付をまたいで1時半。

はい…すみません。

その後の記憶が完全にありません。K融研究部にお邪魔すると同期たちに勧められるがままに焼酎を飲んだ…はい、この時点で僕の記憶の映像が途切れています。この後の記憶が完全にありません。

その後の顛末は0038blog参照。


…関係各位ご迷惑おかけしました。

自爆なのか飲まされたのか、それもわからないほど記憶がありません。
どうやら今日はいつもよりもすでに飲んでいたのに日本酒とか焼酎をゴクゴクと飲まされた挙句、一気に昇天したらしく…(自覚はないが写真がある)
例の土下座を繰り返したらしく。
0038さんと後輩たちに長々と介抱してもらったらしく。

僕に酒を飲ませてきた二人は大学生活で一番厄介な同期です。
Yoshiokaについては(お前はなぜそこにいるのだ)と思ったし、あのふてぶてしい態度は不快。
Yakumaruにいたっては1年生たちがすぐに彼を嫌いになったので、(やっぱり才能のある奴は違うな~)と感心しました…。


9時半に意識を回復しました。なにかひどいことが起きたのだろうなとすぐ自覚しました。
朦朧とした意識の中、後輩からの冷たい視線と同期からのあきれとなぐさめが混じる言葉を浴び、渋谷の街をあとにしました。


僕は24日1時半までの記憶を「幸せな卒業式の日の記憶」として大切な想い出にしたいと思います…。

-ゼミからも追い出される!-

2009年03月21日 | Weblog
経済対策の一環で、20日からアクアラインは先行割引実施。

ここ数年の割引措置でこの横断道路の走行量は増しているというのに(土日は渋滞の一歩手前くらいまで混雑することも多いのに)、さらに混雑に拍車がかかるのでは?
昔、かのカクエイは東京湾に橋なんか架けたら渋滞するに決まってると言ったとか言わないとか…土建屋の発想らしくない発言だけど…。確かに洋上は逃げ道がないし、渋滞する理論などから考えればあのアップダウンの激しさは、交通量が増大すれば渋滞を招く原因になりうる。

そんなこんなを考えながら、東京湾を横断するバスに乗ってみる。



土曜の朝8時(ゼミ追いコンのオール明け)。


!!!


あのアクアラインが渋滞!海ほたるPAは満車…。


大学への通学生活で東京湾を何百回と横断して早4年…。
今まで一度も見なかった!
この混雑!

…びっくりしました。眠気が吹っ飛びました。

ETC機器、各地で売り切れに…「1000円高速」で加速(読売新聞) - goo ニュース

◇◇◇◇◇


話を戻して…。

金曜はDoiゼミの追いコンへ。
パーティー会場→居酒屋→カラオケという流れ。

3年生が数々の演出を考えてくれていたので、楽しめました。
スライドショーとかスピーチとか…。
(Z政の追いコンのように無骨に野放図に飲まされるとかそういうことじゃなかったので、うれしかったです…)

プレゼントもありがたく頂戴いたしました。
Doi先生からは“勁草”と書かれた色紙をいただきました。


それから、調子に乗って“完徹”してしまいました(Doi先生も)
よくよく考えたらゼミで完徹は初めてだった気がします…。


◇◇◇◇◇

さて、いよいよ卒業式か!

-ついに追い出される側に!-

2009年03月15日 | Weblog
昨日はK新Z政の「追いコン」でした。

毎年毎年、先輩を追い出していたのですが、ついに僕が追い出される時がやってきました…(ちょっと寂しい)


それで、案の定、3年生たちに酔い潰されました…おかげで頭は痛いし、胸焼けするし、喉が炎症起こして声が出ないし、でも、今日も飲み会だし、でもでも、なんだか気分は悪いままだ。ウコンの力なんて焼け石に水!


宴会の途中から記憶が欠落して…、気がついたら三田の居酒屋から青物横丁のmatsumoto宅に運ばれていたという情けない次第…(関係各位ご迷惑おかけしました…タクシー代はどなたが払ってくれたんですか?)

明らかに帰れそうにないのに『帰れる!』って叫んでたり、『勘弁してくれ!』って土下座を繰り返したり、いろいろ面倒くさかったみたいですね…ごめんなさい…
(僕はベロベロに酔っぱらうと“土下座癖”があるみたいですし…身に覚えが多々ある…)


言い訳ですが、3年生たちって、ペースを考えてくれないんだよね。コールを振ってガンガン量を飲ませて、一気に酔っ払いにさせる(ちょうど一昨年の夏合宿の0038さん状態。)
しゃべらせてもらうすきもないし、ろくに食べれないし、何度かトイレに駆け込んで粘ったんだけど、耐えられなかった…
僕みたいな弱者にはひとたまりもない飲ませ方!


う~、卒業式当日が恐怖だ…


あ、でも、追いコンをやっていただいたことを非常に感謝しております。素敵なプレゼントと色紙までもらいまして、幸せです(これらを受け取ったところぐらいまでは断片的に記憶がある。でも、感謝の言葉を述べる余裕はすでに失っていたと思う…)。後輩の皆さん、(ここは素直に)どうもありがとう!

-春まだ寒いこのごろ-

2009年03月01日 | Weblog
3月になりました。

春まだ寒いこのごろ、(たぶん)卒業するであろう自分自身の未来を思い描くいい時期でもあります。

僕が4月中旬から一人暮らしをする確率は90%以上に高まっており、一人暮らし経験を積んだ先輩諸兄から、貴重な訓示を多々賜っております…(ちなみに4月の中旬までは神奈川の山奥にて缶詰状態になります…)

そもそも自分の金銭管理もできないで、他人の金銭管理など出来るはずもなく…、これからは自ら研鑽して自分の経済感覚をもっともっと養っていかないといけないな~と思っている次第であります。

…そういう決意を秘めて、葉桜の季節を待ちわびています…(気が早いか…)。

◇◇◇◇◇

ゼミ同期の引退公演。

あのサントリーホールでオーケストラの演奏を生で聞けたのはよい機会でした。

すばらしい演奏だった。

やっぱり、引退という節目があるサークルや部は、その瞬間に4年生は最高に輝いている。4年間の集大成という感じ。

うちのようなサークルだと、3月の終わりまで下級生に付き合ってワーギャーワーギャー騒ぎながら、いつのまにか大学生活終了という感じ。それはそれでいいんだけどさ。「引退」という概念はうらやましいかも。

◇◇◇◇◇

時期が時期であるだけに、こんな僕でも3年生たちが相談してきます。僕なんかでいいのかな~?と内心思いつつも、去年の自分の状況や思考を棚に上げて3年生にアドバイスしてみたり…。たまに、拙い経験が露呈して、何と言うべきかわからなくなったり…。

こういう時は、この道の猛者のIshiguro大先生に事前に見解を聞いておくのが安心です。
すごく参考になりました…。

アドバイスする方にもそれなりの見識と心構えが必要なんですよね…。

-ストイックなスキー-

2009年02月20日 | Weblog
今日まで3日間、みっちりとスキーをしました。

ゼミ生4人と。

出発前に今回のスキー旅行に同行しないゼミ生に『こんなメンバーではストイックに滑り続けるだけだ』と揶揄されましたが…

事実、22歳の男子大学生が4人集まっておきながら、酒の一滴も飲まずにスキーに明け暮れるという、極めて健全な旅行になりました(ある意味では男子大学生として不健全かもしれない…)

初日は午後イチから日没の営業終了までサッと滑り、ナイター営業でもじっくり二時間半滑走。
二日目は朝イチから日没まで昼食休憩を一回とったのみ、あとはひたすらスキーを楽しむ。
三日目は朝イチから3時半まで、これまた昼食休憩のみで乗り切り、ガンガン滑り続けました。

行き帰りは快適な長野新幹線を利用して、広大な山々を利用した日本最大のスキー場、雪質最高の志賀高原を楽しみ尽くすという充実のスキー旅行でした。


めでたしめでたし…。


…のはずでした。
ですが、代償が早くも出ています。
体のあちこちが痛いです。


その上、僕以外の3人はスキーがかなりうまくて、中級者コースは当たり前、上級者コースには果敢に挑戦していく連中でした。
これは、大学入学以来、初級者コースを悠々と滑れればいいやという精神でスキーを楽しんでいた僕にはホントにしんどかったのです…。
僕は彼らに必死に食らいついて行こうとしましたが、それでも3日間で40回は転んだと思う。上級者コースなんてほとんど壁みたいなものだ。あんな場所を滑るというのが、土台無理な話なのだ。