この記事は、今回載せた物語の中で説明しきれなかった部分や、自分がそれをどうやって思いついたか等の、補足解説の様な感じのものです。
なので、本編の記事よりも文章が雑だったりするかも知れませんが、大目に見てもらえると幸いです。
『アスカ、レイ、マリの立ち位置』
今回の物語において、「破」から「Q」の間に、14年もの年月が流れている事を受けて、冒頭からシンジに対して、
「アスカが母のように見守り、レイが家族として支え、マリが姉のように引っ張る」
という感じに、敢えてアスカとレイの立ち位置を変えています(少なくとも自分は、旧劇の時点では自身のトラウマもあって、アスカは母親の様に振舞う事は出来ませんでしたし、それはレイが担っていた部分でもあると思っていたので)。
これは、14年という時間の経過において、アスカが精神的にはしっかり成長しており、母との確執が解消されている事も示す事によって、マリとは別の意味、役割を持って、未だ子供のシンジを良い方向へ導くとともに、視聴者に、
「アスカもこの14年間で、精神的に大きく成長したんだなぁ」
と思ってもらう為でもあります。
『ヴィレ本部について』
まず、このヴィレ本部を思いついた経緯は(7年近く前なので、かなりうろ覚えの所もありますが)大体こんな感じでした。
昔、7年近く前にエヴァ「Q」の事を色々と考えていた時に、
『「破」から「Q」の間に、14年もの年月が流れた今、7、10、11、12号機は、「Q」の時、どうしているんだろうか』
と考えたのがきっかけでした。
旧劇の時は、エヴァの機体数は戦局を大きく左右する上に、「人類補完計画」の際にとても重要でしたが、「破」から「Q」までで、14年の年月が流れ、「ネーメジスシリーズ」という大量の敵が出てきた今、もしこの後の話しで、出てこなかった普通のエヴァが出てきても、正直あんまり面白くないし、それくらいなら既に破壊されたとかの方が良いな、と思っていました。
どちらにしろ、「Q」公開後の時点では、それら4機のエヴァがどうなったのか全く触れられておらず、良くわからないので、この4機のエヴァについて考えるのは一旦止めて、別の事を考えようと思いました。
そして、ふと「Q」でのネルフ本部にて、シンジが座っていた場所の近くに、草が少しだけ生えていたのを思い出し、
『ふむ。
つまり今は「アンチA・T・フィールド」が濃すぎて、植物を始め、「A・T・フィールド」が強くない生命が生存出来ない世界なのか。
けれどネルフ本部の一部では、全ての生命を生み出したリリスが近くにいたおかげなのか、「アンチA・T・フィールド」が薄い場所があって、
だからこそ、リリンの次に生命力が強い植物が生えている所がある、という事かな?
……んんん!?
待てよ。
という事は、だ。
人工的に「A・T・フィールド」を発生させ続けて、「アンチA・T・フィールド」を中和し続ける事が出来れば、リリン以外の他の生命も 「Q」の世界で生存出来る、
という事だよな?
ならばそれを利用して、今どこにあるのか分からない、7、10、11、12号機の内の1機を、「ネーメジスシリーズ」から本部を守る為に配置して、残りの3機を、
かつて「破」において、宇宙から飛来した使徒(旧劇では「サハクィエル」)に対して、エヴァ3機を均等に、3か所に配置したように配置し、そうして、
大きく円形に広げた「A・T・フィールド」を所々重ね、強度を部分的に増し、その増した場所に「A・T・フィールド」の弱い生物、そして、ヴィレの
最重要防衛ポイント等を設置。
またその周囲を頑丈な壁で覆い、その隙間の「A・T・フィールド」の届かない場所に、機械などの「アンチA・T・フィールド」に触れても大丈夫な物、具体的には、
「序」や「破」で登場した、太陽光発電を行えるもの等を置き、それを使い本部で必要な電力を補う。
そして、その3機のエヴァは「ダミーシステム」で稼働させ続ければ、パイロットがエヴァに乗り続けて「A・T・フィールド」を発生させ続けなくていいし…。
そして、そうやって、こうやって…。っと。
でーきた!!これでヴィレ本部の完成!!!』
といった具合で、ヴィレ本部は思いつきました。
また、「ダミーシステム」を使うことで、シンジ(そして、視聴者)に、
「ダミーシステム=悪いもの」
という図式を壊す、とても大切な意味が込められますし(この物語で加持が言っていた様に、どんなものであれ、最終的にそれが良いものか悪いものか決めるのは、それを扱う者次第という事)。
また、ここでシンジがみんなの姿や言葉を聞いて、もう一度立ち上がる事が出来るかどうかで、バットエンドか、それとも?となります(もしシンジが立ち上がれずに、ヴィレ本部に残っていた場合、ヴィレの戦力が劇中よりもかなり減り、何より邪神に対応出来るものが居ない為、バッドエンド確定となる)。
そしてこのヴィレ本部の、シンジが到着してから数ヶ月の間生活し、みんなの言葉を聞いてもう一度立ち上がり、決意を持ってヴィレの仲間と南極大陸に向かう所までが、この「シン・エヴァンゲリオン:Ⅱ」の中において、最も重要な所となっています。
極論すれば、この後の物語は全ておまけ、と言ってもいい程に、です(なので、仮にこの物語が2時間の映画の場合、このヴィレ本部を出発する所までで、半分の1時間を使う、という感じです)。
理由は、「破」から「Q」の間に14年経ったことで、旧劇の頃のミサト達とはまた違った、長い時を生きてきたからこそ、
自分が辛かった時、どう接して欲しかったか。
どうすれば良かったのか。
そういう経験を、シンジとの生活、そして説得の時に活かして、シンジ(そして、視聴者)に語りかける事が出来るからです。
加持も「破」で言っていた、
「辛いことを知っている人間の方が、それだけ人に優しく出来る。それは弱さとは違うからな」
という言葉を劇中で示す事が出来るので(「Q」の時は、それが上手く活かせていなかった様にも感じたので)。
そして、ふと自分自身の事を省みたときに、自身の経験から、大切な人に優しく出来る、とも思ったので。
『最終決戦その1 量産機との闘いについて』
まず、量産機との戦いを思いついた経緯は、大体こんな感じでした(確かこの時は、色々考えてみて、新劇のラスボス的なのは旧劇の初号機なんだろうな、と個人的に思っていました)。
『ん~~。
しかし、次の映画で新劇が終わりなのだとしたら、やっぱり「破」でシンジが綾波を助ける為になった、「擬似シン化第一覚醒形態」での戦いを、
もう一度見たいなぁ。
でも大抵の敵では初号機が無双するだけで、あんまり面白くないしなぁ。
……んんん!?
そういえば、この世界がもし旧劇から続いている世界なら、旧劇のラストで地球に落ちた9体の量産機がある筈。
それらをSEELE、そしてゲンドウ達が回収して、「ネーメジスシリーズ」の戦闘データ等を元に、旧劇の頃よりも超絶パワーアップさせていると、
初号機とアスカ達、エヴァメンバーとの間で凄い戦いが見られそうで、凄くいいんじゃないか!?』
という感じだったと思います(流石に7年近く前なので、細かい所は違うかもしれませんが)。
そして旧劇を彷彿とさせる様に、上空でシンジ達の周りを、円を描くように周回して飛んでいる段階で、視聴者にも、
「げえぇ!?
この周回の仕方、まさか旧劇の量産機!?何故ここに!?
…だが、今は深く考えている暇はない。ここで勝たないとシンジ達に未来はないだろうし。
頑張れ、みんな!!」
とシンジ達の思考とシンクロして面白いとも思ったので。
それに旧劇、新劇を含めて、多対一、二体二、等はあったものの、今まで無かった、敵味方入り乱れての多対多の戦いがあれば、相手が量産機という事もあり、すっっっげぇゾクゾクして、いいな、とも思ったので。
また量産機の変形は、他の大勢の製作陣からアイディアを募って、面白い、独創的な変形を採用する事で、若手の育成にも繋がるし、一人でアイディアを出すよりもずっと面白いと思いました。
また採用出来なかった面白い、独創的な変形も、ミサト達が乗る「AAAヴンダー」の相手である、無尽蔵の如く湧いて襲いかかってくる「ネーメズィスシリーズ」の変形に用いる事で、色々な変形を見れるし、視聴者もこの映画を2度、3度と見る際に、
「へぇ。こんな変形もしてたんだ」
と細かい所で新しい発見があってこれも面白いかな、と。
そして、その戦闘で「AAAヴンダー」の凄まじい戦闘能力を見せる事で(「Q」の序盤の、「AAAヴンダー」発進の際に相手をした「ネーメズィスシリーズ」も多数出てくるが、それらも全て埃を払うかの如く、一撃で倒す)、神殺しの名は伊達ではない、と見せられますし。
また、人対機械という側面もあります。
また、初号機の能力は高く、活動限界も無いが14年間眠っていた為に、戦闘経験に劣るシンジ。
活動限界があるが、エヴァの能力は個々でそれぞれ特化されている部分があり、14年間の間戦い続けてきた為に、シンジよりも遥かに戦闘経験の豊富なトウジ達。
そして機体の能力も高く、活動限界も無く、戦闘経験も文句なしのアスカとマリ(それでも敢えて弱点を挙げるならば、「ダブルエントリーシステム」等でパイロットに掛かる負担をかなり小さく出来ているものの、それでも精神的な負担はあり、そのシステムから常に2人の息を合わせなければならない為、戦闘中は常時高い集中力を維持していなければいけない事などから、パイロットの2人には精神的な疲労が大きい、という所)。
と、それぞれのエヴァに長所や短所等があり、それを補い合いながら戦うというのは、シンジ達の間にある確かな絆を感じられますし、良いな、と思いました。
また、もしこの戦闘でシンジを含め、ミサト達が負ければバットエンド確定である(メタ的な話しだが、ここでシンジ達が負け、初号機等を連行されて、ゲンドウ達がやろうとしている作戦に量産機を加えた場合、その作戦自体の成功率は上がっても、結局は邪神を滅ぼしきれないため、バッドエンド確定となる)。
それを、14年間戦い続けた戦闘経験や工夫、仲間の絆で覆す事で、ミサト達が最後まで「未来」を掴む為に必死に戦っている姿をシンジ、そして視聴者に見せられる。
また、旧劇の量産機が登場する事で、視聴者にも旧劇との繋がりを示唆出来る。
…そして、その戦いが凄まじければ凄まじい程、シンジが満身創痍になり、それでも先に進む姿を見て、
「シンジ達、頑張れ」
と視聴者が思う程、この後にシンジに知らされる、自身が過去に犯した罪の重さにシンジが耐えられなくなる、という事も、視聴者にもシンクロ出来るし。
ヴィレ本部での加持やトウジたちの、シンジへの説得等は、14年間の年月で培ってきた、精神的な成長の証であり、この量産機との戦いは、14年間の間に培ってきた、大切な人々、そして世界を守るための、肉体的な成長の証、という感じでもあります。
量産機との戦いは、主にこういった想いなどを込めています。
『SEELEの7人のメンバーがマギシステムにコピーされた、ヒトの魂を持たない存在だという事について』
これもかつて「Q」公開後に、色々と新劇の事に考えていた際に、SEELEの事を考え、ある時
『SEELEのメンバーは実は、マギシステム(もしくはその改良型)なんじゃないか?』
と考えたのが確かきっかけでした(この時も量産機との戦いの時同様、多分新劇は旧劇から地続きの世界なんだろうな、と確か思っていました)
もしSEELEメンバーが、地球以外の惑星から来た宇宙人だったら、あんまりSEELEの行動等も良く分からないし、個人的になんか興ざめだし。
もしも、SEELEのメンバーがマギシステムの改良型であり、数億年前から人類の為に行動していたのなら、最後の時にSEELEのメンバーは何を想ったのかな、と深く考えさせられるな、と思ったので。
そして、例え正しいとは言えない手段であろうとも、ヒトの魂を持たない自分達は絶対に救われないのに、それでも人類の為に行動していたからこそ、ゲンドウも最後に、人類を代表して感謝したのではないか、と。
もしそうなら、いつかSEELEの心情を他の媒体等で説明されたら見てみたい、とも思ったので。
『最後の敵が旧劇の初号機ではないか、と考えた理由等』
まず、最後の敵が旧劇の初号機なのではないか、と思ったのは、確か「破」の時の「セカンド・インパクト」発生時に開いたガフの部屋が、使徒達のガフの部屋である「白き月」ではなく、人(リリン)達のガフの部屋である「黒き月」だった事がきっかけでした。
そして「Q」において、剥き出しになったリリスのガフの部屋である「黒き月」は、「破」の「セカンド・インパクト」発生時に開いた丸い「黒き月」とは異なり、まるで齧った後のりんごの様な、とてもほっそりとしたものでした。
この差異から、「セカンド・インパクト」を起こした存在はリリスよりの存在であり、かつリリスとは別の存在なのではないか、と考える様になりました。
そして旧劇、少なくとも漫画版エヴァにおいて、SEELEは(漫画版エヴァ8巻、88ページにて)
「絶対的存在を手にしてよいのは神だけだ」
「人はその分を超えてはならん」
「我々に具象化された神は不要だ」
と語り、後にS2機関を搭載させて建造した量産機も、(巨大な綾波と同化出来た事等から、恐らくは)コアに人の魂を宿す事はせずに、あくまでも「生命の実」と「知恵の実」の両方を持つ、神と呼ばれる存在は決して造ろうとしなかったにも関わらず、新劇の「破」において、冬月とゲンドウは、
「偽物の神ではなく、遂に本物の神を造ろうというのか」
と言っています。
そして新劇において、SEELEが進めていた「人類補完計画」は旧劇とは異なったアプローチであり、裏・死海文書「外典」に沿って計画を進めていました。
これらの事から、SEELEが本物の神を造ってまで、旧劇とは別の方法で人類の補完をしようとしたのは、それだけ「セカンド・インパクト」を起こした存在がSEELEにとっては邪魔で、しかし排除する事は結局出来なかった為(排除しようとして、出来ず「セカンド・インパクト」が起き、多くの人の命や地球が無茶苦茶になったばかりか、「セカンド・インパクト」発生時に開いた「黒き月」によって、多くの人(リリン)の魂が取られてしまった?)、旧劇とは別の方法で人類を補完しようとしたのではないか、と考えました。
そして、今までの情報から、SEELEがそうまでして消したかったが、消せなかった程の強大な存在であり、リリス系統の「黒き月」を発生させるリリス寄りの存在……。
…もしかして、旧劇の初号機か?
仮にそうなら、SEELEが建造した(?)「神殺し」の異名を持つ「AAAヴンダー」を使って消し去ろうとしてもおかしくはないし、SEELEの予想を超えて消しされなかったのも、旧劇、漫画版の描写を見ても納得が行くし、「セカンド・インパクト」発生時に開いたガフの部屋が「黒き月」だったのも納得出来る。
そして、その旧劇の初号機が(ユイの魂は何らかの理由で抜けて、「ロンギヌスの槍」に宿っていた「第一始祖民族」=「神の魂」が代わりに初号機に宿り、暴走した?)その力を破壊の為だけに使う存在になっていたとしたら、正直勝てる気が全然しない(「Q」において、黒レイ等が魂を持っていないのに、普通に動いていた事、カヲル曰く、
「魂の位置が違う」
という事の意味次第では、ユイの魂が抜けた後に、肉体のみで動き出しても不思議はないな、とも思ったので)。
また最後の敵が初号機ならば、シンジにとってはある意味「過去の自分と向き合う」事も描写出来る。
過去を見て、現在を見直し、「未知」の未来に、怖がりながらも、それでも確かな足取りで一歩一歩、歩いていく。
その示唆の為に。
他にも、旧劇と新劇は地続きの世界なのではないか、と考えて見直すと、そうなんじゃないかと思える所がいくつもあり(ただ、ここらへんは7年近く前の事なので、だいぶうろ覚え)、それらの事や理由から、旧劇の初号機が最後の敵なのではないか、と考えました。
以下、大まかに旧劇と地続きの世界なのではないか、と考えた理由等
→“渚カヲルが第1の使徒である事”
第2の使徒であり、地球の全ての生命の源とされているリリスよりも先に生まれた事から、カヲルはリリスよりも望まれて先に生まれたと思われる。
そしてカヲルをそこまで必要とする人物は、「碇シンジ」の可能性が一番高い(旧劇のシンジと新劇のシンジは、いわば2人目と3人目の「綾波レイ」の様な感じ。
かつての自分の記憶は無いが、想いは一部受け継いでいる)。
カヲルがシンジを、
「今度こそ、君だけは幸せにしてみせるよ」
と言ったり、
「僕は、君に逢うために生まれてきたんだね」
と言ったのは、かつてシンジに何よりも優先して、望まれて生まれたにも関わらず、そのシンジを幸せに出来なかったからこその、今度こそ、なのではないだろうか(アスカが旧劇の最後の後どうなったのかは一切不明。また、新劇は旧劇の後の物語ではあるが、正確には旧劇の後の歴史で、ある出来事(初号機が暴走して、再び地球に落ちてきた事?)によって分岐した、1つのパラレルワールドなのではないか、とも思う。メタ的な話しになるが、新劇を旧劇の物語の続きとした場合、色々と不都合があるかもしれないので)
→“序の冒頭の、「巨人をかたどったような白線」がひかれているシーン”
ここは、庵野監督がかつて宮崎駿監督の元で働いていたという事を知った後に、ふとこのシーンを見て感じた、天空の城ラ○ュタの、空から降ってきたロボットを連想させる事から、旧劇の初号機が空から落ちてきた暗示ではないか?と個人的に考えた。
→“旧劇の使徒の数=新劇の使徒の数+「ロンギヌスの槍」2本と「カシウスの槍」2本の計4本の槍である事”
旧劇に登場した使徒の内の4体の魂を、槍の製造に使用した結果、新劇では使徒の総数が旧劇よりも4体減ったのではないか(元々旧劇の「ロンギヌスの槍」にもヒトの魂が宿っているらしいので)
等です。
ただし、これらはあくまでも個人的な考えであり、実際には全く違う可能性もあるので、悪しからず。
『ブリューナクについて』
この神槍「ブリューナク」を思いついたのは、当時読んでいた、とある漫画にエリンの4秘宝が在り、その漫画での説の一つとして、「ブリューナク」は「キリストを刺したロンギヌスの槍の元になったもの」というのがあり、それを見て、
『あ、それじゃあ、この物語の最後に出てくる槍の名前はブリューナクにしよう』
と思ったからです(ちなみに劇中においては、「ロンギヌスの槍」2本と「カシウスの槍」2本の計4本を、一つに統合した槍の名称は出てきません)。
それに、このエリンの秘宝が合計4つある、という所が個人的に「良いな」と、ピンと来た、というのもあります(新劇において、シンジの家族は自身とレイ、ユイ、ゲンドウの合計4人。「ロンギヌスの槍」や「カシウスの槍」の合計も4本。アダムスも4体(「セカンド・インパクト」発生時の映像から)等、“4”という数字に何かしら意味があるのかも、と当時思ったりもしていたので)。
また劇中の「ブリューナク」は、その性質上真の力を引き出す為には、生命の実と知恵の実の両方を持つ、神に等しい存在が使用し、槍に入っている生命の実を宿していたヒトの数と、その神に宿っている知恵の実を宿したヒトの数が一致し、知恵の実を宿したヒトの想いや意思を一つにしなければならないという、非常に厳しい条件があります。
しかしその分、真の力を開放出来る条件を満たして使用した場合、計り知れない程の能力を発揮します。
この物語では、最後にシンジはレイやユイ、ゲンドウ達家族の協力の元、この条件を満たして「ブリューナク」を使用したからこそ、地球はヒトを除いて完全に修復されたのです。
もし、この真の力を破壊に使用した場合は、少なくとも地球を含め、太陽系ぐらいは即座に破壊出来る程の力を発揮します(何かを破壊するよりも、何かを修復する方がずっと大変だから)。
そして、この持ち主によって善にも悪にもなる槍をシンジが作ったのは、ヴィレ本部で見た、「ダミーシステム」が人々を守っている事に驚いたシンジに、
「シンジ君。どんなものであれ、最終的にそれが良いものか悪いものか決めるのは、それを扱う者次第さ」
と、加持が言ってくれたからこそでした。
それと、本編には特に関係ないのですが、旧劇の、アダムを取り込んだ巨大な綾波の状態が「ダクダの真釜」に該当します。他2つは一切不明です。
また、こういった要素がある事で、エヴァの物語により深みが出て良いな、と思ったというのもあります。
そして、この4つの秘宝を持ち、まさに全知全能と言っていい程の力を持っていたと思われる神ですら抗えなかった滅びってなんだろう。
ヒトもいつか、遥か遠い未来において直面するであろう、その滅びに対して、劇中のシンジ達の行動、「ブリューナク」等が大きな助けになれば良いな、とも思ったので。
『疑似シン化第三覚醒形態について』
まず初号機が最後になったこの形態は、「Q」の終盤で第13号機がなった「疑似シン化第3+形態(推定)」とは全く無関係です。
というのも、これを考えた時は、あの時の第13号機はアスカの、
「擬似シン化形態を超えている」
というセリフから、第13号機は神そのものになったのだと、個人的に解釈していたからです。
それに対して、あくまで「擬似シン化第三覚醒形態」と“擬似”と付いているのは、神ではなく、不完全な人として在りたいというシンジの想いの為です。
その為、この形態は神に限りなく近いがそのものではない、という意味も込めての「擬似」です。
また、「擬似シン化第二“覚醒”形態」は赤い海を象徴するものであり、原罪を持たないが、生命の住まない、優しく(劇中で「擬似シン化第二“覚醒”形態」に初号機がなった時の状態)も冷たい(邪神の状態)世界。
そして青い海の、原罪を持つが、生命の住まう、厳しく(これは劇中未登場)も温かい(劇中の「擬似シン化第三覚醒形態」の状態)世界。
と第二、第三覚醒形態にはそれぞれ、ふたつの側面があります。
そして、あくまでこれは映画なので、「疑似シン化第二“覚醒”形態」からこの形態になる事で、赤から青、そして「擬似シン化第二形態」にあった、翼や天使の輪等が一切無くなり、一転して静かとも取れる形態に移行する事で、それら外見の大きな変化で、この映画を見ている視聴者に、
「これは今までとは全く違う形態だ」
と百聞は一見に如かずの言葉通り、一発で分かるので良いな、とも思ったからです。
また青色なのは、青き海を象徴している他に、レイの乗っていた零号機が旧劇の様に、黄色から青色にならなかったので、これを最後の形態に移行した際の色に使えれば、赤と青で対照的で良いな、とも思ったからです。
『全体を通して』
最後に、この物語は基本的に「序」や「破」の時の様に、多くの人が見た際に、どういった物語なのか、初見で分かる様に作っています。 というのも、庵野監督が新劇を作り始めた際の所信表明で、
「最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。
当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、誰もが楽しめるエンターテイメント
映像を目指します。」
と言っており、少なくとも「序」「破」はそうだったので、そういうふうにしました。
なので、この物語を簡単にまとめれば
「『Q』において再び立ち上がれなくなったシンジだが、自身を想って支えてくれたアスカや綾波達のおかげでもう一度立ち上がり、自身の過去に犯した罪と
向き合い、仲間達と力を合わせて地球を修復し、罪(原罪)を持ちながらも、怖がりながらも、人として精一杯生きていこうと、仲間達と、
自分の足で地に立って歩き始めた」
という感じです。
ただ、その中でも可能な限り、各場面に二重、三重、場合によっては四重の意味を含ませる事により、物語の深みを増し、この物語を視聴者が二度、三度と映画で見た際に、新しい発見がある様に作っています。
またこの物語は、頭の中で半分位考えた際に、段々シンジ達が頭の中で独自に動き出し、それをこうして文章として書いたりもしています(何というか、後半部分は自分が実際に映画館に観に行って、そこで観たものを書いている感じでもありました)。
また、シンジが地球を修復した際に、人(リリン)は再生されなかったのは、罪を背負って、それでも生きるというシンジの意思でもあり、同時に全ての出来事を無かった事には出来ない、という事の暗示でもあります。
勿論、既に何度も言っている様に、この物語はあくまで公式のエヴァ製作とは一切関係のない、一般人である自分が考えた、二次創作の様なものですので、悪しからず。
(終わりに、につづく)
なので、本編の記事よりも文章が雑だったりするかも知れませんが、大目に見てもらえると幸いです。
『アスカ、レイ、マリの立ち位置』
今回の物語において、「破」から「Q」の間に、14年もの年月が流れている事を受けて、冒頭からシンジに対して、
「アスカが母のように見守り、レイが家族として支え、マリが姉のように引っ張る」
という感じに、敢えてアスカとレイの立ち位置を変えています(少なくとも自分は、旧劇の時点では自身のトラウマもあって、アスカは母親の様に振舞う事は出来ませんでしたし、それはレイが担っていた部分でもあると思っていたので)。
これは、14年という時間の経過において、アスカが精神的にはしっかり成長しており、母との確執が解消されている事も示す事によって、マリとは別の意味、役割を持って、未だ子供のシンジを良い方向へ導くとともに、視聴者に、
「アスカもこの14年間で、精神的に大きく成長したんだなぁ」
と思ってもらう為でもあります。
『ヴィレ本部について』
まず、このヴィレ本部を思いついた経緯は(7年近く前なので、かなりうろ覚えの所もありますが)大体こんな感じでした。
昔、7年近く前にエヴァ「Q」の事を色々と考えていた時に、
『「破」から「Q」の間に、14年もの年月が流れた今、7、10、11、12号機は、「Q」の時、どうしているんだろうか』
と考えたのがきっかけでした。
旧劇の時は、エヴァの機体数は戦局を大きく左右する上に、「人類補完計画」の際にとても重要でしたが、「破」から「Q」までで、14年の年月が流れ、「ネーメジスシリーズ」という大量の敵が出てきた今、もしこの後の話しで、出てこなかった普通のエヴァが出てきても、正直あんまり面白くないし、それくらいなら既に破壊されたとかの方が良いな、と思っていました。
どちらにしろ、「Q」公開後の時点では、それら4機のエヴァがどうなったのか全く触れられておらず、良くわからないので、この4機のエヴァについて考えるのは一旦止めて、別の事を考えようと思いました。
そして、ふと「Q」でのネルフ本部にて、シンジが座っていた場所の近くに、草が少しだけ生えていたのを思い出し、
『ふむ。
つまり今は「アンチA・T・フィールド」が濃すぎて、植物を始め、「A・T・フィールド」が強くない生命が生存出来ない世界なのか。
けれどネルフ本部の一部では、全ての生命を生み出したリリスが近くにいたおかげなのか、「アンチA・T・フィールド」が薄い場所があって、
だからこそ、リリンの次に生命力が強い植物が生えている所がある、という事かな?
……んんん!?
待てよ。
という事は、だ。
人工的に「A・T・フィールド」を発生させ続けて、「アンチA・T・フィールド」を中和し続ける事が出来れば、リリン以外の他の生命も 「Q」の世界で生存出来る、
という事だよな?
ならばそれを利用して、今どこにあるのか分からない、7、10、11、12号機の内の1機を、「ネーメジスシリーズ」から本部を守る為に配置して、残りの3機を、
かつて「破」において、宇宙から飛来した使徒(旧劇では「サハクィエル」)に対して、エヴァ3機を均等に、3か所に配置したように配置し、そうして、
大きく円形に広げた「A・T・フィールド」を所々重ね、強度を部分的に増し、その増した場所に「A・T・フィールド」の弱い生物、そして、ヴィレの
最重要防衛ポイント等を設置。
またその周囲を頑丈な壁で覆い、その隙間の「A・T・フィールド」の届かない場所に、機械などの「アンチA・T・フィールド」に触れても大丈夫な物、具体的には、
「序」や「破」で登場した、太陽光発電を行えるもの等を置き、それを使い本部で必要な電力を補う。
そして、その3機のエヴァは「ダミーシステム」で稼働させ続ければ、パイロットがエヴァに乗り続けて「A・T・フィールド」を発生させ続けなくていいし…。
そして、そうやって、こうやって…。っと。
でーきた!!これでヴィレ本部の完成!!!』
といった具合で、ヴィレ本部は思いつきました。
また、「ダミーシステム」を使うことで、シンジ(そして、視聴者)に、
「ダミーシステム=悪いもの」
という図式を壊す、とても大切な意味が込められますし(この物語で加持が言っていた様に、どんなものであれ、最終的にそれが良いものか悪いものか決めるのは、それを扱う者次第という事)。
また、ここでシンジがみんなの姿や言葉を聞いて、もう一度立ち上がる事が出来るかどうかで、バットエンドか、それとも?となります(もしシンジが立ち上がれずに、ヴィレ本部に残っていた場合、ヴィレの戦力が劇中よりもかなり減り、何より邪神に対応出来るものが居ない為、バッドエンド確定となる)。
そしてこのヴィレ本部の、シンジが到着してから数ヶ月の間生活し、みんなの言葉を聞いてもう一度立ち上がり、決意を持ってヴィレの仲間と南極大陸に向かう所までが、この「シン・エヴァンゲリオン:Ⅱ」の中において、最も重要な所となっています。
極論すれば、この後の物語は全ておまけ、と言ってもいい程に、です(なので、仮にこの物語が2時間の映画の場合、このヴィレ本部を出発する所までで、半分の1時間を使う、という感じです)。
理由は、「破」から「Q」の間に14年経ったことで、旧劇の頃のミサト達とはまた違った、長い時を生きてきたからこそ、
自分が辛かった時、どう接して欲しかったか。
どうすれば良かったのか。
そういう経験を、シンジとの生活、そして説得の時に活かして、シンジ(そして、視聴者)に語りかける事が出来るからです。
加持も「破」で言っていた、
「辛いことを知っている人間の方が、それだけ人に優しく出来る。それは弱さとは違うからな」
という言葉を劇中で示す事が出来るので(「Q」の時は、それが上手く活かせていなかった様にも感じたので)。
そして、ふと自分自身の事を省みたときに、自身の経験から、大切な人に優しく出来る、とも思ったので。
『最終決戦その1 量産機との闘いについて』
まず、量産機との戦いを思いついた経緯は、大体こんな感じでした(確かこの時は、色々考えてみて、新劇のラスボス的なのは旧劇の初号機なんだろうな、と個人的に思っていました)。
『ん~~。
しかし、次の映画で新劇が終わりなのだとしたら、やっぱり「破」でシンジが綾波を助ける為になった、「擬似シン化第一覚醒形態」での戦いを、
もう一度見たいなぁ。
でも大抵の敵では初号機が無双するだけで、あんまり面白くないしなぁ。
……んんん!?
そういえば、この世界がもし旧劇から続いている世界なら、旧劇のラストで地球に落ちた9体の量産機がある筈。
それらをSEELE、そしてゲンドウ達が回収して、「ネーメジスシリーズ」の戦闘データ等を元に、旧劇の頃よりも超絶パワーアップさせていると、
初号機とアスカ達、エヴァメンバーとの間で凄い戦いが見られそうで、凄くいいんじゃないか!?』
という感じだったと思います(流石に7年近く前なので、細かい所は違うかもしれませんが)。
そして旧劇を彷彿とさせる様に、上空でシンジ達の周りを、円を描くように周回して飛んでいる段階で、視聴者にも、
「げえぇ!?
この周回の仕方、まさか旧劇の量産機!?何故ここに!?
…だが、今は深く考えている暇はない。ここで勝たないとシンジ達に未来はないだろうし。
頑張れ、みんな!!」
とシンジ達の思考とシンクロして面白いとも思ったので。
それに旧劇、新劇を含めて、多対一、二体二、等はあったものの、今まで無かった、敵味方入り乱れての多対多の戦いがあれば、相手が量産機という事もあり、すっっっげぇゾクゾクして、いいな、とも思ったので。
また量産機の変形は、他の大勢の製作陣からアイディアを募って、面白い、独創的な変形を採用する事で、若手の育成にも繋がるし、一人でアイディアを出すよりもずっと面白いと思いました。
また採用出来なかった面白い、独創的な変形も、ミサト達が乗る「AAAヴンダー」の相手である、無尽蔵の如く湧いて襲いかかってくる「ネーメズィスシリーズ」の変形に用いる事で、色々な変形を見れるし、視聴者もこの映画を2度、3度と見る際に、
「へぇ。こんな変形もしてたんだ」
と細かい所で新しい発見があってこれも面白いかな、と。
そして、その戦闘で「AAAヴンダー」の凄まじい戦闘能力を見せる事で(「Q」の序盤の、「AAAヴンダー」発進の際に相手をした「ネーメズィスシリーズ」も多数出てくるが、それらも全て埃を払うかの如く、一撃で倒す)、神殺しの名は伊達ではない、と見せられますし。
また、人対機械という側面もあります。
また、初号機の能力は高く、活動限界も無いが14年間眠っていた為に、戦闘経験に劣るシンジ。
活動限界があるが、エヴァの能力は個々でそれぞれ特化されている部分があり、14年間の間戦い続けてきた為に、シンジよりも遥かに戦闘経験の豊富なトウジ達。
そして機体の能力も高く、活動限界も無く、戦闘経験も文句なしのアスカとマリ(それでも敢えて弱点を挙げるならば、「ダブルエントリーシステム」等でパイロットに掛かる負担をかなり小さく出来ているものの、それでも精神的な負担はあり、そのシステムから常に2人の息を合わせなければならない為、戦闘中は常時高い集中力を維持していなければいけない事などから、パイロットの2人には精神的な疲労が大きい、という所)。
と、それぞれのエヴァに長所や短所等があり、それを補い合いながら戦うというのは、シンジ達の間にある確かな絆を感じられますし、良いな、と思いました。
また、もしこの戦闘でシンジを含め、ミサト達が負ければバットエンド確定である(メタ的な話しだが、ここでシンジ達が負け、初号機等を連行されて、ゲンドウ達がやろうとしている作戦に量産機を加えた場合、その作戦自体の成功率は上がっても、結局は邪神を滅ぼしきれないため、バッドエンド確定となる)。
それを、14年間戦い続けた戦闘経験や工夫、仲間の絆で覆す事で、ミサト達が最後まで「未来」を掴む為に必死に戦っている姿をシンジ、そして視聴者に見せられる。
また、旧劇の量産機が登場する事で、視聴者にも旧劇との繋がりを示唆出来る。
…そして、その戦いが凄まじければ凄まじい程、シンジが満身創痍になり、それでも先に進む姿を見て、
「シンジ達、頑張れ」
と視聴者が思う程、この後にシンジに知らされる、自身が過去に犯した罪の重さにシンジが耐えられなくなる、という事も、視聴者にもシンクロ出来るし。
ヴィレ本部での加持やトウジたちの、シンジへの説得等は、14年間の年月で培ってきた、精神的な成長の証であり、この量産機との戦いは、14年間の間に培ってきた、大切な人々、そして世界を守るための、肉体的な成長の証、という感じでもあります。
量産機との戦いは、主にこういった想いなどを込めています。
『SEELEの7人のメンバーがマギシステムにコピーされた、ヒトの魂を持たない存在だという事について』
これもかつて「Q」公開後に、色々と新劇の事に考えていた際に、SEELEの事を考え、ある時
『SEELEのメンバーは実は、マギシステム(もしくはその改良型)なんじゃないか?』
と考えたのが確かきっかけでした(この時も量産機との戦いの時同様、多分新劇は旧劇から地続きの世界なんだろうな、と確か思っていました)
もしSEELEメンバーが、地球以外の惑星から来た宇宙人だったら、あんまりSEELEの行動等も良く分からないし、個人的になんか興ざめだし。
もしも、SEELEのメンバーがマギシステムの改良型であり、数億年前から人類の為に行動していたのなら、最後の時にSEELEのメンバーは何を想ったのかな、と深く考えさせられるな、と思ったので。
そして、例え正しいとは言えない手段であろうとも、ヒトの魂を持たない自分達は絶対に救われないのに、それでも人類の為に行動していたからこそ、ゲンドウも最後に、人類を代表して感謝したのではないか、と。
もしそうなら、いつかSEELEの心情を他の媒体等で説明されたら見てみたい、とも思ったので。
『最後の敵が旧劇の初号機ではないか、と考えた理由等』
まず、最後の敵が旧劇の初号機なのではないか、と思ったのは、確か「破」の時の「セカンド・インパクト」発生時に開いたガフの部屋が、使徒達のガフの部屋である「白き月」ではなく、人(リリン)達のガフの部屋である「黒き月」だった事がきっかけでした。
そして「Q」において、剥き出しになったリリスのガフの部屋である「黒き月」は、「破」の「セカンド・インパクト」発生時に開いた丸い「黒き月」とは異なり、まるで齧った後のりんごの様な、とてもほっそりとしたものでした。
この差異から、「セカンド・インパクト」を起こした存在はリリスよりの存在であり、かつリリスとは別の存在なのではないか、と考える様になりました。
そして旧劇、少なくとも漫画版エヴァにおいて、SEELEは(漫画版エヴァ8巻、88ページにて)
「絶対的存在を手にしてよいのは神だけだ」
「人はその分を超えてはならん」
「我々に具象化された神は不要だ」
と語り、後にS2機関を搭載させて建造した量産機も、(巨大な綾波と同化出来た事等から、恐らくは)コアに人の魂を宿す事はせずに、あくまでも「生命の実」と「知恵の実」の両方を持つ、神と呼ばれる存在は決して造ろうとしなかったにも関わらず、新劇の「破」において、冬月とゲンドウは、
「偽物の神ではなく、遂に本物の神を造ろうというのか」
と言っています。
そして新劇において、SEELEが進めていた「人類補完計画」は旧劇とは異なったアプローチであり、裏・死海文書「外典」に沿って計画を進めていました。
これらの事から、SEELEが本物の神を造ってまで、旧劇とは別の方法で人類の補完をしようとしたのは、それだけ「セカンド・インパクト」を起こした存在がSEELEにとっては邪魔で、しかし排除する事は結局出来なかった為(排除しようとして、出来ず「セカンド・インパクト」が起き、多くの人の命や地球が無茶苦茶になったばかりか、「セカンド・インパクト」発生時に開いた「黒き月」によって、多くの人(リリン)の魂が取られてしまった?)、旧劇とは別の方法で人類を補完しようとしたのではないか、と考えました。
そして、今までの情報から、SEELEがそうまでして消したかったが、消せなかった程の強大な存在であり、リリス系統の「黒き月」を発生させるリリス寄りの存在……。
…もしかして、旧劇の初号機か?
仮にそうなら、SEELEが建造した(?)「神殺し」の異名を持つ「AAAヴンダー」を使って消し去ろうとしてもおかしくはないし、SEELEの予想を超えて消しされなかったのも、旧劇、漫画版の描写を見ても納得が行くし、「セカンド・インパクト」発生時に開いたガフの部屋が「黒き月」だったのも納得出来る。
そして、その旧劇の初号機が(ユイの魂は何らかの理由で抜けて、「ロンギヌスの槍」に宿っていた「第一始祖民族」=「神の魂」が代わりに初号機に宿り、暴走した?)その力を破壊の為だけに使う存在になっていたとしたら、正直勝てる気が全然しない(「Q」において、黒レイ等が魂を持っていないのに、普通に動いていた事、カヲル曰く、
「魂の位置が違う」
という事の意味次第では、ユイの魂が抜けた後に、肉体のみで動き出しても不思議はないな、とも思ったので)。
また最後の敵が初号機ならば、シンジにとってはある意味「過去の自分と向き合う」事も描写出来る。
過去を見て、現在を見直し、「未知」の未来に、怖がりながらも、それでも確かな足取りで一歩一歩、歩いていく。
その示唆の為に。
他にも、旧劇と新劇は地続きの世界なのではないか、と考えて見直すと、そうなんじゃないかと思える所がいくつもあり(ただ、ここらへんは7年近く前の事なので、だいぶうろ覚え)、それらの事や理由から、旧劇の初号機が最後の敵なのではないか、と考えました。
以下、大まかに旧劇と地続きの世界なのではないか、と考えた理由等
→“渚カヲルが第1の使徒である事”
第2の使徒であり、地球の全ての生命の源とされているリリスよりも先に生まれた事から、カヲルはリリスよりも望まれて先に生まれたと思われる。
そしてカヲルをそこまで必要とする人物は、「碇シンジ」の可能性が一番高い(旧劇のシンジと新劇のシンジは、いわば2人目と3人目の「綾波レイ」の様な感じ。
かつての自分の記憶は無いが、想いは一部受け継いでいる)。
カヲルがシンジを、
「今度こそ、君だけは幸せにしてみせるよ」
と言ったり、
「僕は、君に逢うために生まれてきたんだね」
と言ったのは、かつてシンジに何よりも優先して、望まれて生まれたにも関わらず、そのシンジを幸せに出来なかったからこその、今度こそ、なのではないだろうか(アスカが旧劇の最後の後どうなったのかは一切不明。また、新劇は旧劇の後の物語ではあるが、正確には旧劇の後の歴史で、ある出来事(初号機が暴走して、再び地球に落ちてきた事?)によって分岐した、1つのパラレルワールドなのではないか、とも思う。メタ的な話しになるが、新劇を旧劇の物語の続きとした場合、色々と不都合があるかもしれないので)
→“序の冒頭の、「巨人をかたどったような白線」がひかれているシーン”
ここは、庵野監督がかつて宮崎駿監督の元で働いていたという事を知った後に、ふとこのシーンを見て感じた、天空の城ラ○ュタの、空から降ってきたロボットを連想させる事から、旧劇の初号機が空から落ちてきた暗示ではないか?と個人的に考えた。
→“旧劇の使徒の数=新劇の使徒の数+「ロンギヌスの槍」2本と「カシウスの槍」2本の計4本の槍である事”
旧劇に登場した使徒の内の4体の魂を、槍の製造に使用した結果、新劇では使徒の総数が旧劇よりも4体減ったのではないか(元々旧劇の「ロンギヌスの槍」にもヒトの魂が宿っているらしいので)
等です。
ただし、これらはあくまでも個人的な考えであり、実際には全く違う可能性もあるので、悪しからず。
『ブリューナクについて』
この神槍「ブリューナク」を思いついたのは、当時読んでいた、とある漫画にエリンの4秘宝が在り、その漫画での説の一つとして、「ブリューナク」は「キリストを刺したロンギヌスの槍の元になったもの」というのがあり、それを見て、
『あ、それじゃあ、この物語の最後に出てくる槍の名前はブリューナクにしよう』
と思ったからです(ちなみに劇中においては、「ロンギヌスの槍」2本と「カシウスの槍」2本の計4本を、一つに統合した槍の名称は出てきません)。
それに、このエリンの秘宝が合計4つある、という所が個人的に「良いな」と、ピンと来た、というのもあります(新劇において、シンジの家族は自身とレイ、ユイ、ゲンドウの合計4人。「ロンギヌスの槍」や「カシウスの槍」の合計も4本。アダムスも4体(「セカンド・インパクト」発生時の映像から)等、“4”という数字に何かしら意味があるのかも、と当時思ったりもしていたので)。
また劇中の「ブリューナク」は、その性質上真の力を引き出す為には、生命の実と知恵の実の両方を持つ、神に等しい存在が使用し、槍に入っている生命の実を宿していたヒトの数と、その神に宿っている知恵の実を宿したヒトの数が一致し、知恵の実を宿したヒトの想いや意思を一つにしなければならないという、非常に厳しい条件があります。
しかしその分、真の力を開放出来る条件を満たして使用した場合、計り知れない程の能力を発揮します。
この物語では、最後にシンジはレイやユイ、ゲンドウ達家族の協力の元、この条件を満たして「ブリューナク」を使用したからこそ、地球はヒトを除いて完全に修復されたのです。
もし、この真の力を破壊に使用した場合は、少なくとも地球を含め、太陽系ぐらいは即座に破壊出来る程の力を発揮します(何かを破壊するよりも、何かを修復する方がずっと大変だから)。
そして、この持ち主によって善にも悪にもなる槍をシンジが作ったのは、ヴィレ本部で見た、「ダミーシステム」が人々を守っている事に驚いたシンジに、
「シンジ君。どんなものであれ、最終的にそれが良いものか悪いものか決めるのは、それを扱う者次第さ」
と、加持が言ってくれたからこそでした。
それと、本編には特に関係ないのですが、旧劇の、アダムを取り込んだ巨大な綾波の状態が「ダクダの真釜」に該当します。他2つは一切不明です。
また、こういった要素がある事で、エヴァの物語により深みが出て良いな、と思ったというのもあります。
そして、この4つの秘宝を持ち、まさに全知全能と言っていい程の力を持っていたと思われる神ですら抗えなかった滅びってなんだろう。
ヒトもいつか、遥か遠い未来において直面するであろう、その滅びに対して、劇中のシンジ達の行動、「ブリューナク」等が大きな助けになれば良いな、とも思ったので。
『疑似シン化第三覚醒形態について』
まず初号機が最後になったこの形態は、「Q」の終盤で第13号機がなった「疑似シン化第3+形態(推定)」とは全く無関係です。
というのも、これを考えた時は、あの時の第13号機はアスカの、
「擬似シン化形態を超えている」
というセリフから、第13号機は神そのものになったのだと、個人的に解釈していたからです。
それに対して、あくまで「擬似シン化第三覚醒形態」と“擬似”と付いているのは、神ではなく、不完全な人として在りたいというシンジの想いの為です。
その為、この形態は神に限りなく近いがそのものではない、という意味も込めての「擬似」です。
また、「擬似シン化第二“覚醒”形態」は赤い海を象徴するものであり、原罪を持たないが、生命の住まない、優しく(劇中で「擬似シン化第二“覚醒”形態」に初号機がなった時の状態)も冷たい(邪神の状態)世界。
そして青い海の、原罪を持つが、生命の住まう、厳しく(これは劇中未登場)も温かい(劇中の「擬似シン化第三覚醒形態」の状態)世界。
と第二、第三覚醒形態にはそれぞれ、ふたつの側面があります。
そして、あくまでこれは映画なので、「疑似シン化第二“覚醒”形態」からこの形態になる事で、赤から青、そして「擬似シン化第二形態」にあった、翼や天使の輪等が一切無くなり、一転して静かとも取れる形態に移行する事で、それら外見の大きな変化で、この映画を見ている視聴者に、
「これは今までとは全く違う形態だ」
と百聞は一見に如かずの言葉通り、一発で分かるので良いな、とも思ったからです。
また青色なのは、青き海を象徴している他に、レイの乗っていた零号機が旧劇の様に、黄色から青色にならなかったので、これを最後の形態に移行した際の色に使えれば、赤と青で対照的で良いな、とも思ったからです。
『全体を通して』
最後に、この物語は基本的に「序」や「破」の時の様に、多くの人が見た際に、どういった物語なのか、初見で分かる様に作っています。 というのも、庵野監督が新劇を作り始めた際の所信表明で、
「最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。
当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、誰もが楽しめるエンターテイメント
映像を目指します。」
と言っており、少なくとも「序」「破」はそうだったので、そういうふうにしました。
なので、この物語を簡単にまとめれば
「『Q』において再び立ち上がれなくなったシンジだが、自身を想って支えてくれたアスカや綾波達のおかげでもう一度立ち上がり、自身の過去に犯した罪と
向き合い、仲間達と力を合わせて地球を修復し、罪(原罪)を持ちながらも、怖がりながらも、人として精一杯生きていこうと、仲間達と、
自分の足で地に立って歩き始めた」
という感じです。
ただ、その中でも可能な限り、各場面に二重、三重、場合によっては四重の意味を含ませる事により、物語の深みを増し、この物語を視聴者が二度、三度と映画で見た際に、新しい発見がある様に作っています。
またこの物語は、頭の中で半分位考えた際に、段々シンジ達が頭の中で独自に動き出し、それをこうして文章として書いたりもしています(何というか、後半部分は自分が実際に映画館に観に行って、そこで観たものを書いている感じでもありました)。
また、シンジが地球を修復した際に、人(リリン)は再生されなかったのは、罪を背負って、それでも生きるというシンジの意思でもあり、同時に全ての出来事を無かった事には出来ない、という事の暗示でもあります。
勿論、既に何度も言っている様に、この物語はあくまで公式のエヴァ製作とは一切関係のない、一般人である自分が考えた、二次創作の様なものですので、悪しからず。
(終わりに、につづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます